2006.08.16

広がりのための引き算

最近凝っているのは古いコンパクトカメラで撮影するパノラマ写真である。

床に寝る猫

もっともパノラマ写真といっても本当の意味でのパノラマではなく、通常の写真の上下をカットしてあたかも左右に広がっているように見せる偽パノラマである。たとえばこんな感じである。
通常 → 偽パノラマ

この二つの「モード」をカメラについているレバーやボタンの操作で切り替える。1980年代後半頃からコンパクトカメラに搭載されたこの機能は、安価なデジタルカメラによってこのクラスのフィルムカメラが駆逐されるまで、ほぼ全メーカーで採用されていた。それが今やごく一部のカメラに生き残るのみである。PCをはじめとしたデジタル機器による自在なトリミングが可能なこのご時世にあっては、もはや無用の長物といえようか。
横断歩道

こういう仕組みを知ってなお偽パノラマ写真を撮るのはなぜか。それは「見る」という行為を素朴に強く意識させてくれるからである。偽パノラマ写真は漠然と広がる世界の限られた一部を注視する形で展開する。あたかも覗き見であるかのように。いや、平安時代の貴公子を気取って「垣間見」と言うべきか。「垣間見」は強く想像力に訴えかけてき、新しい物語を紡ぎ出す。なんだかわくわくするではないか。コンパクトカメラの小さなファインダーに設けられたパノラマ枠は意外にも雄弁なのである。
電話をする男

「写真は引き算」という至言がある(検索すると山のように出てくる!)。テーマをはっきりさせるため、なんでもかんでも写し込むなということだろうが、偽パノラマ写真はまさにこの「引き算」によって成立しているといってよい。「広がり」を生むための「引き算」。まだまだこの楽しみは捨てられない。

【お知らせ】
2年8か月にわたって続けてきたこのブログですが、ひとまずこのエントリーをもって更新休止といたします。これもまた「広がり」を生むための「引き算」ということにしておきます。長く可愛がっていただきましたこと、心から感謝いたします。

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2006.08.08

笑う大天使

笑う大天使川原泉の人気コミックを原作とする。この機会に読んでみたところ、ほぼ原作の進行通りに映画も作られていた。お城のようなお嬢様学校(ロケ地は長崎ハウステンボス)で起こる出来事はひたすらファンタジーの様相を呈し、それらはすべてCGとVFXによって巧みに形象化される。話が話だけに、荒唐無稽な展開もすんなり飲み込むことができた。

ただしいくつかの点で2時間枠に収めるための「方便」がある。とにかく枝葉の多い物語(マンガなのに文字が多いぞ)なので、「ハチミツとクローバー」と同様の刈り込みや単純化が行われている。中でも主人公の三人娘のうち司城史緒(上野樹里)を中心人物と定めたところは英断だと言ってよい。物語に揺るぎない大黒柱が出現することで、観客は安心して史緒に寄り添い、彼女らの世界に没入することができるだろう。映画で新たに採用された設定、すなわち史緒の話す関西方言や大好物のジャンキーな食べ物なども、庶民を表象する記号として有効に働いた。すばらしきかな、お城とチキンラーメンのアウフヘーベン。上野とともに活躍する関めぐみ(「ハチクロ」に続いて好演!)と平愛梨も魅力的である。ことあるごとに上流階級を相対化する三人娘の視点や行動は痛快であった。

監督の山崎貴は「ALWAYS 三丁目の夕日」に続いてマンガを映画化したわけであるが、妙に情緒過多かつ道徳的で胡散臭い前作より、ひたすら楽しませることに専念する本作の方がはるかにのびのびとしているように思われた。 監督について事実誤認でした。本作の監督は小田一生です。

「嫌われ松子の一生」(中島哲也監督)の破天荒さには及ばないけれど、いい意味で無節操なエネルギーに溢れる作品となった。渋谷シネ・アミューズで鑑賞。

公式ブログ http://www.michael-movie.com/

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2006.08.03

DVDで観たものだし

早く書かないと印象が薄れてしまう。いや、もう薄れているかも。

■ライフ・オン・ザ・ロングボード
定年後の人生はいかなるものか。これからますますこういうテーマの物語が出てきそうな気もするが、この映画では、今は亡き妻と若い頃に約束したサーフィンに挑戦することで、「損なわれた本当の自分を探す」のである。そういう意味では少年少女が「まだ見ぬ自分を探す」のと、趣向は同じであろう。ただこの種の若者の物語につきもののほとばしる青い恋愛はない(当然か)。種子島の海は気持ちがよさそうだなぁ、と脊髄反射的な感想を吐いておく。大杉漣が初老サーファーを熱演する。次は誰の番?

公式サイト http://www.ntve.co.jp/lotl2/index2.html

仮面ライダー■仮面ライダー The First
オリジナルの「仮面ライダー」を思い出させるオマージュに溢れたものである。本郷猛と一文字隼人の二人がショッカーによって「バッタ怪人」に改造されたものの、やがて洗脳から覚め、裏切り者として狙われるという一連の流れは、少年時代の青臭い記憶を呼び起こして感動させられた(世代限定)。ボディースーツもサイクロン号も、さらにはショッカーの怪人も、オリジナルの雰囲気を濃厚に残しながら今風に造型されている。デジタル合成の死神博士(故天本英世)も登場する。しかし、何より特筆すべきは1号と2号の「愛の確執」が主題として据えられていることである。なんと二人は一人の女性記者を恋愛対象として奪い合うのだ(変身までして!)。世界平和はどこへいったのか。恋愛の本能の前には悪なんてどうでもいいということか。お子様向け映画のよくするところではない(笑)。

仮面ライダー The First解説
仮面ライダー The First公式ブログ

■愛してよ
西田尚美も母親役をするような年齢になってしまった。小学生の息子と二人暮らしの母親が、彼への愛情をモデルとして成功させるという教育熱に読み替えてしまう。やがてその行為が日々の暮らしの無力感や寂しさを紛らわせるための手段と成り下がった時、息子は母親に疑問を持ち始めることになる。「愛する」「愛される」という見えない感情を、目に見える目的に形を変えて追いかけるうちに、もともとあったはずの感情がどこかに置き去りにされてしまう哀しさ。父親との距離感や都市伝説の扱い方もおもしろかったが、一にも二にも主演の西田尚美の全編にわたる熱演が印象的であった。

カーテンコール■カーテンコール
邦画の公開はけっこうまめにチェックしているつもりだが、この映画は存在すら知らなかった。佐々部清監督の作品は、日本と韓国の高校生の遠距離恋愛を描いた「チルソクの夏」という佳作を観ている。この「カーテンコール」もそれと同じく両国にまつわる物語である。映画がまだ娯楽産業の中心にあった時代に幕間芸人として活躍した韓国人を、現代の日本人女性記者が探し出し、当時の家族に再会させるというものである。直球勝負の人情ものが苦手な人にはつらいかもしれない。幕間芸人を演じた藤井隆がよい味を出していた。伊藤歩はじっとしていても造作が派手なので、こういう地味な役柄にはちょっと合わない感じがした。

公式サイト http://www.curtaincall-movie.jp/

■空中庭園
角田光代の小説を原作とする(直木賞受賞作の『対岸の彼女』よりこちらの方がよほどよいと思う)。隠し事をしないというルールを持つ家族が、隠し事をし始めるとどうなるのか。そしていったん隠していたものを吐き出してしまうとどうなるのか。家族のあり方を考えさせてくれるかどうかはともかく、あけすけになりすぎることの怖ろしさを、文字通り背筋の寒くなる思いで見せつけられた。小泉今日子、怖い……。

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2006.07.31

ハチミツとクローバー

ハチミツとクローバー恋に落ちる瞬間を初めて見てしまった」という真山巧の台詞は、竹本祐太が花本はぐみ(右写真参照)に一目惚れした瞬間に吐き出されたものである。

「ハチミツとクローバー」を象徴するかのようなこの台詞のエッセンスを、映画では全面的に展開する。すなわち原作マンガに見られた細かなエピソードの枝葉を綺麗に刈り込み、5人の若者のストレートな恋愛話だけに話題を引き絞る。どちらがいいということではない。それぞれのメディアの特性を活かして作られていると解せられる。美大生の群像劇を描く原作マンガはうるさいくらい様々なエピソードを語ろうとするが(それこそが「ハチクロ」の魅力である)、映画でマンガと同じことをすれば、まったくまとまりを欠く悪しきオムニバスとなってしまうだろう。煌びやかな綾織物のごとき青春物語を楽しむなら原作マンガで、シンプルで力強い恋愛物語を楽しむなら映画で、そういうように感じた。

原作のキャラクターと映画の俳優のイメージのズレは致し方のないことである。むしろマンガのコスプレのような映画こそ工夫がないといえる(たとえば大谷健太郎監督「NANA」)。どの俳優も作中人物の持つ本質をよく理解してうまく演じていたと思う。原作への思い入れがよほど強い人以外、まったく問題にならないだろう。もっとも先に述べたように枝葉を刈り込んだため、各人物像の厚みという点においては若干の物足りなさを感じる憾みがある。5人の中心人物のうち、とりわけ山田あゆみ役の関めぐみがビジュアルも雰囲気もぴたりと決まっていた。ただし花本はぐみだけはマンガとは別物と考えた方がよいかもしれない。そもそもあのキャラを実写で再現するのは容易ではない。あくまでも監督、脚本家、演出家、そして蒼井優の生み出した花本はぐみである。この点について、私は蒼井に好意的であるがゆえ「あり」としたいが、原作ファンの意見などを聞いてみたいものである。

  恋が芽生え、つぼみが息吹き、
  花が咲くか、咲かないかは、
  わからないけれど、
  それまでの大切な時間のお話。

映画のパンフレットに記されたものである。「全員が片思い」というハチクロ・ワールドが、実は映画ではほんの少しだけ幸せな方向に振られている。それもまたよし。細部まで念入りに誂えられたセット、調度、美術作品の類はすばらしいリアリティを生み出している。同潤会アパートを使った男子学生の下宿や、いかにも昭和風の花本先生の一軒家も素敵だった。artekのダイニングセットを置く大学食堂なんてあるのかしら。おそらく自然光を最大限生かしているのであろう、少し輪郭がもの柔らかに見えるような絵作りも、「ハチクロ」にふさわしい演出として好ましく思われた。なんだか最後は思いつくままに。南町田グランベリーモール・109シネマズで鑑賞。

公式サイト http://www.hachikuro.jp/

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2006.07.26

感動作の舞台は東京

TYO 01リリー・フランキーの書くものが好きであるのにもかかわらず、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(扶桑社、2005年)はすっかり出遅れてしまい、気がつけば大ベストセラーになっていた。天の邪鬼ゆえ、「いまさらなぁ」とちょっとした「リリー・ブーム」に冷めてしまったところがあったのだった。あろうことか、彼があの「情熱大陸」にまで出演していたのにはびっくりさせられた。少なくとも「汚い靴を履く女子のアソコは十円硬貨のニオイがする」(『女子の生きざま』1997年)と言い放つリリー・フランキーはどこにもいなくなってしまった。

身銭を切った一編である。中川雅也(リリー・フランキー)という人物の実人生に密着しているであろうこの作品が、虚構か実録かはこの際どうでもよい。古き良き時代の「私小説」が21世紀に飛び出したと考えるのが、最も適当であろうか。物語は主人公「ボク」の幼少期から40歳あたりまでの生活を描く。主たるテーマは家族との関係や母親への思いである。

帯の「超泣ける」「超感動」(いい大人が「超」って、言うな!!)がますますこちらを白けさせてくれるが、そもそもここで披露されるネタの多くはこれまでのいくつかのエッセイに小出しになっていたものだ。それを時系列に沿って並べ直して一編の物語に仕立て上げている。読ませる物語に構成するというあざとさがない分、キレとかコクはエッセイの方が優れていると感じた。もっとも感情移入のツボにはまった人には「世紀の大傑作」に映るだろうことも否定はしない。ベストセラーになったからけちをつけるわけではなく、リリー・フランキーはコラムニストとしてものす文章が本分、本領だと思う。もしこの先も小説を書くならば、「身銭を切らない」ものを読んでみたい。

#どうでもいいけど、もし書店でこの本を見かけたら、ぜひ帯だけでも読んでみてもらいたい。あまりの酷さに悶絶します。

次。吉田修一『東京湾景』(新潮文庫、2006年7月)。なんだかテレビドラマみたいな話(出会い系サイトで知り合った品川周辺の男女の恋愛)だと思ったら、すでにドラマ化されていた(フジテレビ系)。吉田修一は都会で働く若者の思いをうまく絡め取った『パーク・ライフ』で芥川賞を取った。行間に揺曳する空気感のえもいわれぬ心地よさについて、以前こんなことを書いた。

村上龍は芥川賞の選評で『パーク・ライフ』について、「何かが常に始まろうとしているが、まだ何も始まっていないという、現代に特有の居心地の悪さ」や「あるのかどうかさえはっきりしない希望のようなもの」がこの作品には存在するという。確かに『パーク・ライフ』には物語を強力に前に運ぶ推進力のようなものや、腑に落ちる展開、結末などはない。代わりに「何もしなくてもいい場所」で点景として存在する人々のかすかに揺れる感情の残滓だけが方々に投げ出されている。もちろんその感情の行方は記されることなく物語は閉じられる。

それがどうだろう、この『東京湾景』の饒舌さ加減は。ここには読者に想像させる余地などまったく残されていない。お節介でおしゃべりな人がひたすら自分のことを語って、「以上終わり」という小説になってしまっている。置き去りにされた読者は呆然とするしかない。いや、全面的に物語に身を委ね「感動した」とつぶやくか。こちらも帯には「奇跡のラブストーリー」、裏表紙には「最高にリアルでせつないラブストーリー」の文字が躍る。なんだか。吉田修一、ちょっと困った方向に流れているような気がする(重松清もね)。

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