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2004.01.31

BD-1で試走

昨日引き取ってきたBD-1の試走をした。まずは千里山某所に立ち寄り、その後、出口町にある吹田保健所へ。そして淀川の近くにあるイトーサイクルまで行った。夜間には大阪市内東部から吹田・茨木方面まで走った。北大阪自転車周遊道から淀川河川敷を走り、東淀川区内、吹田市内は亀山街道を通った。本日の走行距離は約50キロであった。

このBDには前にシマノ・デュラエース58T、後にシマノ・デオーレXT9速がそれぞれ組み込まれているが、千里山近辺の坂道は難なくこなすことができた。車体の軽いこと(約9.5キロ)が奏功していると思われる。タイヤはシュワルベ・ステルビオでとても軽い走行感覚である。反面、少々乗り心地が固いため、荒れた路面ではショックがきつく感じられた。歩道をゆっくり走るのにはあまり向いていないようである。前後のサスはあまり効果が感じられない。ブロンプトンに比べると車体全体に一体感がある。剛性感はあまりないけれど、これは折り畳み自転車の宿命なので致し方ないことである。

総じてやや強い前傾姿勢となるため、戦闘モードでがんがん飛ばしたくなる自転車であることを再確認した。ハブ・ホィールのグレードをあげて、もっと軽く走れるようにしたいと思う。この週末はカメラを持ってBDで走るつもりである。

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エースをねらえ!

お嬢様言葉という役割語のサンプル(もちろん対象はお蝶夫人)を拾い集めるために見てみようという表向きの理由など、もうどうでもよくなった。この70年代アニメを原作とするテレビドラマ、とてもよい出来だと思った。オリジナルの漫画は読んだことがないけれど、アニメは妹と一緒に見ていたので、思い入れはそれなりに持っているのである。このドラマはアニメの主題曲をカバーして使うことで直系であることを宣言し、ひたすらあの世界観を再現しようとしている。そしてその試みはここまで成功しているように思う。岡ひろみ役の上戸彩や宗方仁コーチ役の内野聖陽、そしてお蝶夫人こと竜崎麗香役の松本莉緒ら、主要登場人物も期待はずれに終わらないキャストになっていた。テニスシーンの胡散臭さなどは些末なことである。ひたすら主人公の成長する姿を楽しみにする。苦難は大きければ大きいほどよい。今時珍しいストレートなスポ根を存分に味わってみたい。来週以降の展開が非常に楽しみである。感想などはその都度書いてみたいと思う。

「コートでは〜、誰でも一人一人きり〜」と流れ出したのを聞いて、本気で目頭が熱くなった(笑)。

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2004.01.29

また増えた。今度はBD-1。

bikes.jpeg自転車が増えた。今度は折り畳み自転車界の帝王、BD-1である。現在の折り畳み自転車隆盛のきっかけを作り、いまだ本流のど真ん中を走るBD-1。実はメカメカしたデザインがあまり好きではなかったので、自分でこれを買うことはないだろうと思っていた。

ところが、自転車好きの知人が訳あって手放すことになり、それを譲ってもらったのである。オフ会などで見たり乗せてもらったりしているうちに、BD-1に対する抵抗感はかなり薄れていたらしい。他にも気になる車種があったが、結局これを指名した。

前のオーナーは自分でフレームから自転車を組み上げてしまうほどの人だったので、ついてる部品も半端ではない。高級グレード、高級素材がてんこ盛りである。聞けば「もう触るところはほとんどない、換えるとしたらホイールくらい」とのこと。確かに。ここまで手を入れてあるBD-1、それくらいはやらせていただきましょう。あとはローロに「とっても高価な」完組ホイールを注文するだけである(笑)。

写真はリビングの片隅に寄せ集められた我が愛車達。奧からエンペラー、ブロンプトン、BD-1、ロデオである。玄関にはマウンテンバイクも。どうなるんだろって、もうどうにもならない。とりあえずはっきりしていることは、ニコンの交換レンズ購入が遠のいたこと……。

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日米のアカデミー賞

渡辺謙が米アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされたニュースが流れている。喜ばしいことであるが、賞を取った取らないで俳優の価値が上下するわけではないので、本人以外はあまり大騒ぎしない方がよいと思う。

さて今年度の日本アカデミー賞もまもなく発表となる。この日本で最も権威のない映画賞は、大手映画会社の公開作品が持ち回りで大賞を受賞するという不思議な仕組みを持っている。いや、まことに不思議不思議。したがって結果などどうでもいいのであるが、新しく公式ホームページまで開設している。つまらないなりに27回も続けているから、それなりのデータベースになっているところだけはありがたい。

今年のノミネート作品の一覧を見る。やはり今回は引退宣言をした篠田正浩監督の「 スパイ・ゾルゲ」が中心になるのだろう。巨匠の顔は立てないとね。あとは興行収入記録を打ち立てた「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」もはずせないはず。他の作品は枯れ木も山の賑わい程度の扱いか。個人的には寺島しのぶ(「赤目四十八瀧心中未遂」、主演女優賞)と長澤まさみ(「ロボコン」、新人賞)の二人が、大作だらけの中にあってどう扱われるかに興味がある。

発表は2月20日である。暇ならテレビで見てみるか。

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2004.01.27

いつでもどこでも誰とでも。

itudemo.jpg旧そごうの建て替え工事が進んでいる。その心斎橋筋側の囲いには意味深なメッセージがいくつも記されている。「いつでもどこでも誰とでも。」の他、「おねがい、週3」「わたしはあなたと違います。」「結果オーライ」「ドリョクヲスレバムクワレル」「こんなのはじめてですから。」などがある。これらのコピーから何を想像するかはそれぞれの人によって違うだろうが、少々あざとい感じがするのも確かである。とは言え、何となく写真に収めたくなる吸引力もある。変なツタ模様や花柄よりはましかもと思いながらシャッターを切った。

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大竹昭子『眼の狩人』(ちくま文庫)

「戦後写真家たちが描いた軌跡」という副題を持つこの本は、まさに日本を代表する写真家がいったい何者であるのかについて描こうとするものである。非常に読み応えのあるノンフィクションである。登場する写真家は次の14人。東松照明・長野重一・森山大道・中平卓馬・比嘉康雄・奈良原一高・高梨豊・柳沢信・渡辺眸・藤原新也・深瀬昌久・荒木経惟・桑原甲子雄・篠山紀信。いずれ劣らぬ高峰で、まさに戦後日本写真史を見るかのようなラインナップである。著者の大竹昭子は写真が専門ではなく、ために関心は写真そのものより、なぜ彼らが写真を選択し、それで何を表現しようとしたのか、さらに人間としてどう生きようとしたのかという、普通の写真本では到底うかがえないような切り口で迫っていく。そこがおもしろいのだ。

私は写真を撮ることが好きである。しかし、無反省にシャッターを切るだけではどこにも行けないことを思い知らされる(もちろんそういう楽しみを否定するものではない)。被写体に対峙しシャッターを切るまでに、どれだけの時間を思考することに捧げたのか。一流の人々は自らの行為に対して、おそろしいほど自覚的反省的である。けだし、プロとはそういうものであろう。写真に興味がなくても、ある特定の職業に就く人々の心理を解き明かすドキュメンタリーとして興味深く読むことができると思う。

#カバー写真は森山大道のもの。かなり怖い(笑)。

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掲示板も設置した

自転車系のホームページの方にも設置しなかった掲示板。そもそもがめんどくさがりなので、せっかく来ていただいても満足にお相手できないだろうということで避けていたのである。何か言いたければ、それぞれの方のところへ行けばいいやという、実に他人任せなスタンスであった。今もその気持ちは基本的に変わらない。

ところが、blogを作って、よそのデザインなどを眺めていると、サイドバーの掲示板がやたら格好いいではないか。これならすぐに目につくし、サボリ気味な私でも読み飛ばすことは(たぶん、笑)ないだろう。僕...さんの「きのうの出来事」の記事を参考にして、inoさんのinobbsというのを取り付けた。少々、苦戦したところもあったが、これまでのHP作りの経験(ftp関連の扱いなど)で何とか乗り切ることができた。

うーむ、なかなか格好いいと一人で悦に入っております。よろしければ、皆様、何か一言二言残していただければ幸いです。

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2004.01.26

カウンターやらリンクやら

見よう見まねでカウンターをつけたり、更新があったら並び順が自動的に変わるリンク集をつけてみた。ほとんど誰も見ていないのだろうと思っていたのだが、巻上がっていくカウンターを見ると、にわかに読みに来てくれる人が実体化し、意識せざるをえなくなった。ありがたいことである。勝手に書き換えてくれるリンク集は便利だしおもしろい。まだまだ「盆栽いじり」のような遊び方ができそうで、興味は尽きない。

タイトルに入れた写真はFotologで公開したものである。場所は大阪ミナミの戎橋。阪神ファンのダイブで有名なところである。公開したときは「何を見ているのか気になる」というコメントをいくつもいただいたのだが、ここに答えを書いておこう。あれは川底に沈んでいるゴミやヘドロを浚渫している作業を見ているのです。そう、大阪府知事や大阪市長が「阪神の優勝に備えて道頓堀を綺麗にしなければ」という発言(あとで否定していたけど)を受けての作業であった。

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2004年2月17日の補注:タイトル画像を変更した。

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2004.01.25

綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)

史上最年少で芥川賞(第130回)を受賞した19歳の現役大学生の作品である。

同年代の人間にうち解けられない女子高校生ハツと、二流モデル「オリチャン」に入れあげているオタク男子高校生にな川は、入学早々にクラスの余り者としての立場を確立している。かつて「オリチャン」に会ったことのあるハツは、必然的ににな川からマークされる存在となるが、二人の間に恋愛感情が湧きあがることはない。当初、にな川にとってのハツは、「オリチャン」に通じるためのトンネルでしかない。いわばシャーマン的存在である。旅行をする人は温泉や豪華な料理に関心はあっても、途中のトンネルにはほとんど何も感じない。そこを通り抜けなければ目的地へたどり着けないという実用的な一点でのみ、その存在は肯定される。一方、ハツにとってもにな川は単なるモデルオタクであり、彼に対する唯一絶対の感情といえば、「背中を蹴り上げたくなる」というわけのわからない激情のみである。これが「頬を張りたくなる」とか「腹に蹴りを入れたくなる」ではなく、あくまでも対象の後方から攻撃を加えるところに注目したいと思う。決してハツは面と向き合って、何かを訴えたいのではない。それは一種の確認作業である。そもそも「背中を蹴りたい」感情の原因は、にな川の「私を人間とも思っていないような冷たい目」であったことは、先に述べたハツ=シャーマン=トンネルとしたことと合致するであろう。にな川はハツをシャーマンとすることで、空疎な自らの中身を満たすことができる。ハツはにな川の要求に応えることで、希薄な存在感を強固なものに変えることができる。互いの存在により自らが生きる。ここには見つめ合って愛(もしくは二人の感情)を語る伝統的な熱い男女関係はない。

それでも私は『蹴りたい背中』は紛れもない恋愛小説であると思う。小説のラストで、ついに「オリチャン」に会いながら、これまでで最も遠い距離感を感じたとハツに告白するにな川。つまりハツを介さない「オリチャン」は希薄な存在でしかなかったのである。シャーマン・ハツの存在を意識しないわけにはいかないだろう。そんなにな川を「いためつけたい。蹴りたい。愛しさよりも、もっと強い気持ちで」と感じるハツ。ハツもまたにな川をこれまで以上に確固たる存在として意識しているのは言うまでもない。

恋愛を描かない恋愛小説というのがあってもいいと思う。

#とはいえ、この小説がなぜ芥川賞を取るのかという疑問を持つ人も多くいると思われる。さらっとうまいけど、それだけと言われれば、「そうかも」とつい答えてしまいそうな内容と文章でもあるから。

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川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮社)

思えば川上弘美の描く世界もずいぶん真っ当なものになってしまった。初期の非現実的な「不思議ちゃん」系の物語は、最近ではほとんど描かれることがない。この小説もニシノユキヒコという一人の男性を巡る現実的な恋愛物語を描いている。

ただしニシノユキヒコは主人公であって主人公ではない。すなわち主体的な一人称視点によるストーリーテラーの立場を得られず、彼は徹底的に第三者から見られ感じられ語られるだけなのである。交情のあった10人の女性との関係が、すべて女性の側から描出される。思い起こされるのは芥川龍之介の『藪の中』である。同じものを見ているはずなのに、証言の集積はなぜか真実という一つの焦点を結ぶことがない。そういう点では、源氏物語の主人公、光源氏のことを思い起こすのもよいだろう。彼もまた局面に応じた描かれ方をしており、全体的に見た場合、矛盾を感じる点が少なくないのであった。

女性に対して優しく、見め形もよい。性的な能力も問題なし。しかし、最後には必ず女に去られてしまう。その部分だけは全編にわたり揺るぎなく印象づけられるものの、ではニシノユキヒコとはどういう人物であったかというと、これがほとんど確固たる人間像として立ち上がってこないのである。これがこの小説にとって欠点でないことは明白であり、それこそが川上の狙いであったと言えるだろう。現実世界でも「私はこういう人物です」と自らを分析して語ることはまずない。たいていは、つきあいのある他人の印象の集積が、知らぬ間に「私という人間」となって一人歩きするのだ!

さらりと読み終えた作品だけれど、読後にはいろいろと考えさせられた。私って、どんな人間なのだろう?

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2004.01.23

ちょっとだけいじってみた

ココログのデザインはあらかじめ用意されたわずかなスタイルから選ぶしかないと思っていたところ、すでに改造するためのノウハウが多数公開されていた。喜び勇んでそういうblogを見て回ったが、いかんせん知識がないため、なかなか書いてあることが飲み込めない。それでもスタイルシートを作って、それを反映させるところまではできるようになった。もとの色遣いを活かしながら、まずはリンクのアンダーライン(うるさすぎ!)を消したり、レイアウトを少しいじったりしてみた。こういう作業はやり始めると止まらなくなって困るのだが、やらなくてもいいときにどんどん深みにはまっていく。学生の頃の試験前の無意味な掃除のようなものである。閑話休題。しばらくはレイアウトが落ち着かないと思うけれど、ここに来て下さる皆様、どうか広い心で見守ってやって下さい。

詞織 http://siolli.cocolog-nifty.com/blog/
Tokyo Forum http://ftokyo.cocolog-nifty.com/sysop/
此処録 http://regicat.cocolog-nifty.com/talks/

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2004.01.20

あなたのために(Where the heart is)

知的な美貌を誇るナタリー・ポートマンは、スターウォーズのアミダラ役で広く知られている。ハーバード大学の現役学生でもある彼女は、仕事を選びながら活動を続けている。この「あなたのために」は、いかにも低予算な映画であり、すでに世界的な名声を得ているポートマンには地味な印象を与えるものである。しかし、逆にこういう地に足のついた映画に出演することで、大作の主役級役柄の呪縛からうまく逃れようとしているのであろう。そしてそれはうまくいっているように見える。

17歳のノヴァリー(ナタリー・ポートマン)はミュージシャン志望のジャックとカリフォルニアに旅立とうとする。ノヴァリーのお腹にはジャックの子供が宿っている。しかし、途中で立ち寄ったウォルマートでノヴァリーは捨てられてしまう。アルコール依存症協会のシスター・ハズバンド(ストッカード・チャニング)や、風変わりな図書館員フォーニー(キース・デイヴィッド)らに助けられながら、6週間ウォルマートで生活をした後、とうとう深夜の店内で陣痛に襲われ、気を失ってしまう。目覚めると彼女は全米が注目する「ウォルマート・ベイビーの母」となっていた。殺到する人々。その中にはノヴァリーを捨てた実の母親もいたが、その母もノヴァリーの全財産を持って逃げてしまう。途方に暮れるノヴァリーをシスター・ハズバンドやレクシー(アシュレー・ジャド)らが支える。ノヴァリーは写真家になる夢を果たすべく、彼女のできることを一つづつ進めていこうと決意する。ノヴァリーと彼女を巡る人々のその後はいかに……。

公式サイト http://www.foxjapan.com/movies/wthi/index0.html

映画ではノヴァリーの17歳から22歳までの五年間を描く。最初は何も持たない彼女(正確にはお腹にいる子供と愛用のポラロイドカメラのみ)が、次第に知性や教養、仕事、家族を獲得していくところから、まさにヒロイン誕生を描いた物語と言ってよいだろう。一種のアメリカンドリームである。ただその成功はハリウッド大作のような派手なものではなく、あくまでもささやかな幸せであり、等身大のヒロインがそこにあるだけである。彼女はダースベイダーと結婚するアミダラ女王ではないのだ。やや安易な展開のシナリオではあるが、これはこれで愛すべき小品という印象を受けた。

それもこれもお前がポートマンのファンだからだろうと言われると、返す言葉はありません……(笑)。

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2004.01.17

史上最年少芥川賞作家と積ん読状態

綿矢りさが史上最年少で芥川賞を受賞した。同時受賞の金原ひとみも過去の最年少記録を大幅に更新している。候補者の一人であった島本理生も同じく二十歳。こうした若い女性作家たちの活躍をどのように受け止めるべきであるか。芥川賞自体の権威の失墜等という訳のわからない議論を持ち出す輩はないとは思うが、世間の耳目を集めるための客寄せパンダ的扱いをするハイエナ(出版社、評論家、各種メディア)は陸続と現れることだろう。しばらくはそのあたりを第三者として楽しみながら見ていきたいと思う。

で、机の横に積み上げた本が増えた。綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社)、京極夏彦『後巷説百物語』(角川書店)、川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮社)、矢作俊彦『ららら科學の子』(文藝春秋社)。カラフルなハードカバーの表紙を見て、我ながらミーハーなラインナップだと思うことしきりである。

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2004.01.14

行定勲を特集する「文藝」

季刊の「文藝」(河出書房)の最新号の特集は、映画監督の行定勲である。一般的には「GO」(金城一紀原作、宮藤官九郎脚本)の監督として知られる行定は、若手映画監督の中でも将来を嘱望される一人である。実は行定の撮る映画の本流から「GO」は遠いものであって、あまり知られていない「ひまわり」「贅沢な骨」「閉じる日」「ロックンロール・ミシン」などのような映画にこそ彼の真髄がうかがえる。特に誰かの死を生き残った人間たちがどのように受け取り、世界を再構築していくのかということを語る部分に、行定映画のよさがあると思う。秩序破壊の後の創造とでも言えばいいであろうか。「ひまわり」と「贅沢な骨」の二本は特にそれが顕著に見られる(主演はいずれも麻生久美子)。人が生きるとは自らを取り巻く世界との距離の取り方に他ならないのであった。

#「GO」の映画化にあたって、あるプロデューサーが「在日の話だけど暗くないんだよ、凄い爽快な感じで在日映画をやると社会的にもいいしさ」と言ったそうである。どうしてこうも次元の低い大馬鹿者が社会的責任を負うメディアの世界で生きていけるのか、不思議である。ちなみに行定は激怒して「映画にするな」と断ったそうである。が、結局「GO」は彼の所へ巡ってきたらしい。

この特集では、行定の映画に対する思いやこれからのことなどが存分に語られている。また行定と関わりの深い人々(前述の宮藤の他、鈴木清剛、窪塚洋介、永瀬正敏、田中麗奈、柴咲コウら)の証言も楽しめる。行定監督の新作は三月公開の「きょうのできごと」(原作は柴崎友香)であるが、京都の大学生七人のある日の生活を淡々と描写するものである。田中麗奈と妻夫木聡が主演し、伊藤歩、柏原収史、池脇千鶴らが脇を固める。音楽は矢井田瞳。すでに秀作の予感が色濃く漂う。

映画公開に合わせてこの映画の写真集も発売されるとのこと。四人の写真家の名前を見て仰天した。なんと森山大道がいる!!  映画も写真集も大いに期待できそうである。

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2004.01.11

浪速区近辺を散歩する

冷え込みが厳しい1月10日。今日は時間があるのでカメラを携えて散歩に出ることにした。本当は自転車でポタリングといきたかったが、今宮戎や新世界、なんば(加えて地下街)あたりを回りたかったので、電車で出かけて散歩することにしたのである。

まずは地下鉄で大国町に出る。すでに福笹を持つ人で賑わっている。駅からは東の方向に導かれて、あっという間に今宮戎神社に到着する。何年ぶりだろうか。GR1v、FM3Aそしてピンホールカメラをとっかえひっかえ撮影に励む。それにしてもカメラ小僧、いやカメラオヤジの何と多いことか。もちろん圧倒的多数なのはカメラ付き携帯なのだが、オヤジ軍団のカメラはとにかく豪勢で巨大で目立つので、すごい迫力を醸し出している。しかし、揃いも揃って福娘にバズーカ砲のような巨大望遠レンズを向けるのはどうかと思うぞ……。それにしても皆いいカメラを持っている。憧れのライカでスナップする人もちらほら。

次に新世界に足を向ける。通天閣界隈も大賑わいである。有名な串カツ屋や食べ物屋は長蛇の列で驚いた。串カツでちょっと一杯引っかけてなんてことをしようと思っても、とても無理である。腹の虫の鳴くのを何とか押さえ込んで、そういう長蛇の列や食事する人などをひたすら撮影する。どんなピンホール写真になっているか、楽しみである。

通天閣の写真も撮って、今度は北上する。日本橋界隈でパソコンショップや音楽映像関係の店、さらに最近増えたホビーショップを冷やかす。なんばで食事をすませてジュンク堂で本を眺める。今日は文庫本ばかり三冊購入する。なにせ鞄の中にはカメラが4台(アホですね)も入っているから、大きな本は入らない。土門拳『腕白小僧がいた』(小学館文庫)、大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家たちが描いた軌跡』(ちくま文庫)、蓮見重彦『監督小津安二郎』(ちくま文庫)の三冊。それぞれの紹介と感想はまた読後に書くことにする。

満たされた気持ちで道頓堀界隈を撮影する。土曜日の夜だけにたいへんな人出であった。それを三つのカメラでまた撮った。今日だけでフィルムを3本使い切った。よく撮る人から見れば、全然多くないのだろうが、個人的には最多記録である。心斎橋をぶらぶら歩き、クリスタ長堀を東に向かった。帰りの北千里行きの電車の中では心地よい疲れに包まれ、すっかり眠りこけて帰ってきた。ああ、楽しかった。

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2004.01.10

=(ニア・イコール)森山大道

私が意識的に写真を撮り始めるきっかけになった写真家は、もう紛れもなく森山大道その人である。ふと手にした写真集『新宿』で衝撃を受け、『犬の記憶』でさらに考えさせられ、そして同じリコーのGR1vを手に入れるにいたって、愛情は信仰に昇華したといってよい。昨夏、島根県に自転車旅行をした折に、目的地の一つに島根県立美術館を選らんだのは、森山の展覧会が春に開かれていたことと深く関係する。果たせるかな、彼のサイン入りの展覧図録を手に入れて、今では私の宝物の一つになっている。

森山大道の人と活動をドキュメンタリーとして撮影した映画があるのを知ったのは最近である。それが「=森山大道」というタイトルであることも。見たいと思ってもそう簡単にテレビで放映するようなものではない。ところが、ケーブルテレビ系の日本映画専門チャンネルで正月に放映されたのである。なんという幸せ。もちろん録画した。

映画の全編にわたり、聞き慣れたGR1のシャッター音とモーター音が響き続ける。それが映画の通奏低音となり、途中から自分がカメラを操作しているような錯覚すら覚えたほどである。大作『新宿』に収めらることになったであろう写真を撮る森山の姿を中心にして、彼のインタビューやプライベートの姿などが絡められる。そこにはカリスマというイメージからはほど遠い、意外なまでに繊細でシャイな男が描かれていた。しかしながら、撮影に関しては剛胆なまでの振る舞いで、どんなところにも大胆に切り込んでシャッターを押し続けている。伝説の高速ノーファインダースナップ撮影の迫力は、ことばで表現できるものではない。

写真はカメラではないのだ。

森山大道をよく理解する人物として荒木経惟が登場する。天才アラーキーをして、写真史に残る人物、新しい写真の世界を作った人物と評される。そこには微塵の嘘も感じられなかった。「写真を撮る人はこれまでカメラの奴隷であった。森山は初めてカメラを奴隷にした」と語る荒木のことば(そして機材に頓着しない森山の活動)は、ブランドやスペックに一喜一憂する者たちをあざ笑うかのようである。

見応えある84分のドキュメンタリーであった。DVDも出ている。これは(笑)。GRを手にして、軽やかに街を走り抜けたいと、ますます強く思った。

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2004.01.08

おのひろきさんの呼びかけ

rodeo256.jpeg

自転車乗りにはよく知られている「おのひろきおんらいん」で「サイクリングやポタリングを楽しんでいる人で,Weblog を開設している人がいたら,簡単に自己紹介か何かの記事を書いて,この記事に対してトラックバックしてください.お願いします.」とあった。さっそく参加することにした。
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以下自己紹介(今さらという気もするけれど)
大阪のmorio0101です。以前はpekopokoと名告っておりました。4台の自転車(プジョーのMTB、丸石エンペラー、ブロンプトン、ロデオ)をとっかえひっかえ乗っています。近頃はもっぱら写真(これはピンホールカメラで撮りました)のロデオを愛用してます。以後、お見知りおきを。
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ああ、何か緊張した。自分のところなのに(笑)。

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2004.01.07

ニュー・シネマ・パラダイス

2004年最初の映画鑑賞は「茄子 アンダルシアの夏」だった(ただしDVD)。そして2本目がこれ。ずいぶん有名な映画であるが、今まで観たことがない。「よし、観るぞ!」と張り切っていたのだが、とんねるずのスポーツ番組を見てしまった……。明日こそは。感想はそれから。(ここまで2003年1月3日記述)

やっと見終えた。なぜこんなにいい映画を今まで観ていなかったのかと、大いに後悔した。冗長な部分もあり、必ずしも全編にわたって緊張感を保って見続けたわけではないのだが、鋭く琴線に触れるシーンが続出し、忘れられない一本になりそうである。

舞台はシチリアの小さな村。第2次大戦の傷跡も癒えない小さな村の唯一の娯楽施設は、映画館パラダイス座であった。トト少年は映写技師のアルフレードとの交流を通じ、次第にその世界にのめり込んでいくことになる。トトを魅了する映画の世界、愛すべき映画館の常連たち、そして初恋の人エレナ。何もかもがトトにとってかけがえのないものである。しかし、トトが兵役に取られるところから、事態は少しずつ悪い状況に押し流されていくことになる。村を離れることになったトトの将来と、村に残された人々との関係はどうなっていくのか。

DVDは完全オリジナル版と銘打たれたもので、劇場公開バージョンでは削除されていた未公開シーンが約50分ほど追加されている。この部分が「ニューシネマパラダイス」に必要であるかどうかは微妙である。ない方が映画としてのまとまりはよい。付け加えると謎めいた部分がすべて解決し、新たな感動的エピソードを手に入れることになる。両者の評価は鑑賞者の好みに強く依存すると思われる。

ノスタルジックな音楽も映画の雰囲気にマッチしてたいへん素敵である。新しい年のスタートにとてもよい映画に巡り会えて、幸せな時間を過ごすことができた。

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2004.01.05

Elliott Erwitt『Snaps』(PHAIDON)

DSC03014.JPG

先日買ったアーウィットのモノクロ写真にいたくやられてしまって、ついもう一冊手を出してしまった。今度は彼のスナップ写真を集大成した巨大な写真集である。収められたスナップの数は500を越える。電話帳より遙かに厚く、『広辞苑』(岩波書店)ほどはあろうかという堂々たる体裁である。

私ごとき者が語るのもおこがましいのであるが、ブレッソンのモノクロ写真と比較すると、アーウィットのそれはもう少し俗っぽい感じがする。ブレッソンの写真も確かに二度とない一瞬を切り取った偶然性の高いものであるが、どこか高度に計算された様式美や象徴性を感じさせる。それに対してアーウィットの写真はどこまでも現実に寄り添っているスナップで、ために臨場感や現実感が色濃い。どちらがいいということではない。どちらもいい。

ただこういうスナップがさりげなく撮れるようになりたいと願うばかりである。ああ、不遜(笑)。

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2004.01.04

こうもりとニューイヤーコンサート

年末年始のクラシックファンの音楽といえば、たとえば日本だと圧倒的にベートーベンの交響曲第9番がリストアップされるであろうが、これが音楽の都(って死語?)ウィーンとなるとまるで違うようである。何と言ってもワルツ王ヨハン・シュトラウスの音楽がめでたいニューイヤーにはふさわしいのである。

国立歌劇場の大晦日・元旦(という言い方がふさわしいかどうかは?)のプログラムは、シュトラウスの喜歌劇「こうもり」であり、1月1日のムジーク・フェラインザールでのコンサートは、世界的に知られる指揮者を招いての「ニューイヤーコンサート」(演目はシュトラウス一家中心)である。後者は毎年テレビで放映され、時間をおかずにCDやDVDも発売されるのでよく知られるものであろう。

私の敬愛するカルロス・クライバーもかつて1989年と1992年の「ニューイヤーコンサート」に登場している。極端に演奏を記録することを拒む彼が貴重な映像として残されており、かつて発売されたLD(といってももうわからなくなりつつある人が多いかも……、レーザーディスクです)で両方とも手元に揃えている。それから「こうもり」もクライバーの十八番の一つで、こちらもバイエルン国立歌劇場での公演が映像として残されていて、同じようにLDで持っている。いずれも名盤の誉れ高いものであり、この時期になると欠かさず観てきた。

ただ将来的にはアナログのLDに未来はなく、DVDとして再発売されているものをいずれ手に入れようと思っていた。ところが、年末の新聞広告でクライバーのDVDを含むかなりの数の商品が、2004年1月末をもって日本では発売できなくなるということを知った。これはもう一大事である(やや大袈裟)。幸いキャンペーン価格になっているので、迷うことなく「こうもり」「1989ニューイヤー」「1992ニューイヤー」「ベートーベン交響曲4番・7番」「モーツァルト交響曲36番・ブラームス交響曲2番」の5枚のDVDを大人買いである(笑)。これで一安心……。

それにしてもこういう文化遺産をメーカーの都合で売ったり売らなくなったりというのは酷い話だと思う。後世に残すべきものは何かということを考えてほしいのだが(これは出版業界にも言える)、お金儲けということを考えるとなかなか難しい問題があるのだろうね。

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2004.01.03

Elliott Erwitt 『1/125』(ソシム出版)

モノクロの写真を多く撮っていると、当然のように他の人のモノクロ写真に心が惹かれる。大好きな森山大道や木村伊兵衛、アンリ・カルティエ・ブレッソンらは、皆モノクロが中心である(もちろん時代の制約もあるけれど)。エリオット・アーウィットはブレッソンやロバート・キャパらの作ったマグナム・フォトに参加した写真家である。アーウィットはジャンルを問わず、様々な写真を撮影していたが、特にモノクロスナップに多くの傑作を残している。この『1/125』はそのアーウィットの最新写真集である。

タイトルの『1/125』はアーウィットが最も好んだシャッタースピードからつけられたという。もちろんこの写真集のすべての写真が1/125で撮られたわけではないが(モノクロ写真専門雑誌「ナチュラルグロウ」での対談より)、このタイトルを付することで、彼自身の写真に対する考え方の幹の部分は確実に言い表されていると思う。息を飲むほどの極めて美しいモノクロ写真が並べられており、豊かな表現性に導かれた芸術的芳香に酔いしれるばかりである。

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2004.01.01

プロレスラーの強さ

大晦日は格闘技イベントが三つもあって、好きな人間には嬉しくて困ってしまう状態であった。本当は客の奪い合いなどしないで開催日をずらしてほしいところであるが、それはまた別の問題なので、ここではいくつか注目していた対戦について思うところを述べてみる。

まずは「K-1 Premium 2003 Dynamite!!」でのアレクセイ・イグナショフVS中邑真輔(新日本プロレス)の一戦。史上最年少で新日本の至宝IWGP王座を獲得した中邑がどのような闘いを見せるのかと期待したが、不完全燃焼気味のノックアウト負けを喫した。打撃に秀でたK-1選手相手だから、たとえどんな形であれいいのを一発もらうと終わってしまうということである。そこまでいくら優勢だとか、最後の一発以外の攻撃は効いていないとかは何の理由にもならない。「負けてなお強し」ならまだしも、そういうふうにも見えなかった。それから同イベントのボブ・サップVS曙太郎。これははっきり言って話題先行の客寄せパンダ的マッチメイクである。どう考えても曙が戦えるとは思えなかった。案の定、動きにキレがなく、スタミナもまるでない。唯一の武器が巨大な肉の鎧とあってはどうにもならない。これではすぐにやられると思ったら、やはり3分ももたなかった。カップラーメンすら湯戻しできない……。曙の総合格闘家としての将来は相当暗いと言わざるをえない。

前日まで対戦カードが決まらず迷走した「イノキボンバイエ」は、最後に辻褄を合わせて大いに盛り上がっていたように見える。こちらも注目は2試合。一つは永田裕志(新日本プロレス)VSエメリヤ・エンコ・ヒョードル、もう一つは藤田和之(猪木事務所)VSイマム・メイフィールドである。元IWGP王者である二人は明暗を分けた。永田はほとんど何もできないまま、PRIDE王者のヒョードルに60秒でなぶり殺しにされてしまった。一昨年のVSミルコ・クロコップが21秒のKO負けだから、これで彼の総合格闘技歴には終止符が打たれることだろう。もう通用しないことがはっきりしてしまった。対戦前にはIWGP史上最多防衛記録を持つなどと大いに持ち上げられていただけに、やっぱりプロレスラーは真剣勝負には弱いんだなというイメージが定着したかもしれない。一方の藤田は危なげない戦いぶりであった。有利な寝技が時間制限を受けたため、立ったまま肩固めで仕留めるとは憎い。落ち目のボクサー相手ではあったが、ここのところ負け続けていただけに、この勝利は藤田にとっては大きいものとなろう。

好きな新日本プロレス勢では、やはり総合格闘技経験の豊富なジョシュ・バーネットと成瀬昌由がいい戦い方で勝利を収めた。バーネットは本当に強い。逆に永田・中邑・安田らは甘く考えない方がよいと思う。今回の大晦日決戦は世間の注目度も高かったので、プロレスラーの胡散臭さがますます強化されたとおぼしいから。

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