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2004.02.29

朝のリレー

去年見た中でとりわけ印象に残っているネスカフェのCM。谷川俊太郎の詩「朝のリレー」を使ったものである。詩の朗読とともに流れるピアノ曲もたいへん印象的である。こちらは息子である谷川賢作の「天使の涙」という曲であった。透明感にあふれていて静謐な世界。あの美しい空の数々、カメラに収めることができたらすばらしいだろうなと、見るたびに思ってしまう。

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カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
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テレビで流れた日本語バージョンはネスカフェの公式サイトでも見ることができる。スクリーンセーバーもある。私は映画館で見た英語バージョンもとても好きなのだが、残念ながらサイトには置いていない。

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ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
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谷川俊太郎の熱心な読者ではないけれど、書架には幾冊かの谷川の詩集が並んでいる。でもこの「朝のリレー」が収められているものは持っていなかった。たまたま書店で見つけた「谷川俊太郎詩集」(ハルキ文庫、引用は同書に依った)に入っていたので、迷わずそれを買ってきた。四年に一度の閏年の記念(?)にでもしようと思う。

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さよなら、クロ

子供の頃から動物が大好きだったわけではない。せいぜい金魚やグッピーなどを飼っただけで(それも世話は両親がしていた)、犬や猫とは無縁であった。3年ほど前から飼い始めたアメリカン・ショートヘアの雌猫が、私にとっての初めてのペットらしいペットである。

子供を産ませる気がないなら、避妊手術をした方が猫の体のためによいと聞き、生後10か月くらいで受けさせた。病院に二日ほど預けるのであるが、病院からの帰り道、自分が猫に対してとても酷いことをしているような気がして、不覚にも涙が止まらなくなった。私に噛みついたり引っ掻いたり飛びかかってきたりと、やんちゃなことばかりする猫なのだが、もはや家族同然の存在になっていることを思い知らされた。よもや自分がこういう感情を抱くようになるとは思ってもいなかっただけに、そのことに驚きもした。

この映画はそうした動物に感情移入度の高い人には危険な映画である。危険というのはハンカチやティッシュが幾枚も必要という意味で。私は物語冒頭のクロがやむにやまれぬ事情で捨てられるところから、涙腺が全開で困った(笑)。原作は長野県のある進学高校に住みついた野良犬が、12年間の生涯をそこで過ごしたことを描く。実話として有名なものらしく、「職員会議に出た犬」としてよく知られている(らしい)。

映画ではこのクロに関わった高校生たちの生活が軸となる。「さよなら、クロ」だから犬がクローズアップされるかと思いきや、物語自体は高校生の恋愛や友情がドラマチックに描かれているのである。それはまぁよい。ただそのドラマに深みがない。取り上げられるいくつかの山場が、どれもちょっとしたエピソードのような扱いになっているのが惜しいと思う。しかしながら、そうした物語としての傷も、クロが関わることで動物好きにはすべて帳消しである(笑)。クライマックスとなるクロの病気から死、そして葬儀の描写は、強烈な印象を残す。とはいえ、動物嫌いな人、べたなお涙頂戴物が嫌いな人にはあまり薦められない映画である(なんというまとめ方だ)。

結末は安物のテレビドラマのようなハッピーエンドになるけれども、クロの名演技に免じてそれもよしとしておこうと思う。そうそう、伊藤歩と三輪明日美がキュートであったことも言い添えておく。主演の妻夫木聡と伊藤歩は、3月公開の「きょうのできごと」でも共演している。田中麗奈は伊藤歩と池脇千鶴の存在感にやられるのではないかと、ちょっと心配。いや、私が心配してどうにかなるものではないのだけれど。

「さよなら、クロ」公式サイト

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2004.02.28

Fotolog事情説明

ここに来て下さるFotologgerの方々は先刻ご承知なのだが、それ以外の方は「なんでこいつはこんなにFotologに怒りまくっているのか」とご不審にお感じだと思うので、事情を説明しておくことにする。

Fotologを選んだのは、写真をwebに公開するための容量制限がないというのが大きな理由だった。今も自転車サイトとして運営しているmorio0101@netは、わずか10MB(今は20MB)しか容量がなくて、写真を載せるなんて夢のまた夢であった。それでいろいろと見て回ってFotologを始めることにしたのである。

当初は自分の写真を出せるだけで満足していたところ、しだいにいろいろな人とのコメントのやり取りの方が楽しくなってきた。そして画質の問題(アップロードした写真にはきつい圧縮がかかって質が悪くなる)もあって、写真はあくまでも交流のためのきっかけのようなものになりつつあった。趣味のものだからそれでいいと割り切っていたけれど、昨年末くらいからFotolog自体の調子がどんどんおかしくなってきた。

登録者数が爆発的に増えたことによる閲覧の極端な重さは致し方ないとしても(今でも無料なのは奇跡的)、コメント欄がまともに表示されなかったり、お気に入りの部分のレイアウトが崩れたり、挙げ句の果てにはアップロードできなかったり。無料登録者にはアップロードに時間制限もかかる。真の事情はわからないけれど、著名なFotologgerが続々とやめていったのもこの頃である。そしてついに数日前から2バイト文字がきちんと表示されなくなった。マック用のsafariでは大きくレイアウトが崩れ、コメント欄の2バイト文字がすべて文字化けする。IEではFriends/Favoritesとコメント欄が消失する。唯一回避できるブラウザはNetscape7.0以降だけである(らしい)。

どういう意図があってこういう処置をしたのか、まったくうかがい知ることはできないが、致命的であると強く感じる。Netscapeにはまったく恨みはない。しかし、これだけ制限がかかると、楽しむ以前の問題となってしまう。よく知っている日本人Fotologgerがblogやphotoblogを次々と立ち上げて新たな住処を確保した今、Fotologだけに固執することはないのかもしれない。でもあそこでできあがった交流だけはどうしても続けたい。モニタに向かって呪いの言葉を吐き続ける日はいつまで続くのだろうか。

MTで立ち上げたphoto 1/365にも新しい写真を出していくようにするつもりである。そちらでおつき合いいただければ幸いである。

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2004.02.27

全部観たいがちょっと無理

住んでいるマンションにケーブルテレビが入っているので、ありがたいことに大好きな日本映画をたくさん観ることができる(もちろん個別契約しないといけないけど)。それで月末になると、翌月のスケジュール表が送られてくる。それをつらつらと眺めて過ごすのは、とても楽しい時間である。

先日届いたのを見ると、いつも以上に3月の放映ラインナップが充実していて興奮した。しかもNHK衛星第2放送の方も名作(小津、米アカデミー賞関連)が目白押しで、これは録画したところでちょっと全部は観られそうにもない。でも録る。こうなるとビデオテープではなくてハードディスクレコーダーやDVDレコーダーがほしくなってくる。悩ましい春である。

備忘録代わりに観たいのを記しておく。すでに劇場やビデオなどで観たものも含む。「やつはこんなのが観たいのか、ふん」と笑っていただくことにしよう。各映画の詳細は放送局のHPで確認されたい。まぁこのブログを書いている人間の嗜好を知ってもらうにはちょうどよいと思う。

日本映画専門チャンネル
undo・海と毒薬・ガイアガールズ・火星のカノン・ガメラ対大魔獣ジャイガー・カルテット・草の上の仕事・Jam Films・助太刀屋助六・砂の女・スペーストラベラーズ・瀬戸内少年野球団・空の大怪獣ラドン・ノーライフキング・HANA-BI・ひまわり・ミスターミセスミスロンリー・ラヴァーズキス・絵の中のぼくの村・かたつもり

来月のシネマカレンダー(BS2)
学生ロマンス 若き日・リトルロマンス・落第はしたけれど・ある愛の詩・その夜の妻・朗かに歩め・大学は出たけれど・アニーホール・東京の合唱・青春の夢いまいづこ・ウエストサイド物語・インドへの道・華麗なるギャツビー・非常線の女・出来ごころ・母を恋はずや・浮き草物語・彼岸花・水の女・東京の宿・早春・浮草・突貫小僧・生まれてはみたけれど・麦秋・毎日が夏休み・晩春・東京物語・伊豆の踊子・潮騒・絶唱

やっぱり多すぎますね。どれだけ観られるんだろ。

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2004.02.26

TMAXとNEOPAN −白黒フィルム−

tmax.jpgフィルムにこだわるほど撮っていないので、普段は富士フイルムのNEOPAN ACROS100を使っている。おかげでフィルムそのものも現像も安くあがっている。

今日、いつものカメラ店に現像に出しておいたネガを受け取りに行ったところ、コダックのTMAX100がなぜか半額の大特価で売られていた。3本で500円。ものすごく安い。よく雑誌などでも見かけるこのフィルム、ずっと前に一度だけGRに通したことがあるけれど、現像代がずいぶんかかったのでそれきりだった。写りについてはそれほど印象に残っていない。まぁこれも何かの縁だろうと思って、買ってきた。しかし、写り方ではなくて値段で左右されるとは、我ながらせこい話ではある。

fotologではあまり使用機材やフィルムについて具体的な話をする機会がないのだけれど、どうなんでしょ。こだわりとか好みとかあるのだろうか。NEOPANやTMAXのことも含めて、そのあたりの事情について教えていただければ幸い。

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日刊ココログ・ガイド!?

日刊ココログ・ガイドにここの紹介文が掲載された。確かに「黒澤より小津」ではあるのだけれど、本人はぜんぜん落ち着きがないから(私を知っている方はうなづいているに違いない)、ちょっと気恥ずかしく感じる。ともあれ、ありがたいことである。

でも日刊ココログ・ガイドって、いったいどれくらいの人が見ているのだろうか。私は今回のことがあるまで、ほとんど見たことがなかったのだ……。ごめんね、スタッフの皆さん。

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キャラメルコーンのピーナッツの量

キャラメルコーンねたの第2弾。いえ、私が調べたのではないのだが、とてもおもしろい実験をされているブログがあるので、ぜひとも紹介したくなったのである。

infinity: 実験!キャラメルコーンのピーナッツの量!!

そのままである。あのキャラメルコーンにはどれくらいのピーナッツが入っているかという、素朴な疑問を確かめていらっしゃる。爆笑間違いなしなので(ちなみに他の記事もおもしろいものが多数)、結果はintpさんのところでご確認下さい。こうなるとメーカー対抗「柿の種におけるピーナッツの含有量」などもにわかに気になるところだが、誰か調査しませんか?

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2004.02.25

欧州チャンピオンズリーグが見たい

小学生の頃からの阪神タイガースファンであるが、どのスポーツが好きかと聞かれたら、私はサッカーを選ぶ。

自分でも高校(部活動)、大学(アマチュアクラブチーム)の頃にやっていたことが大きいけれど、サッカーのスピード感や緊張感のあり方が、私には野球のそれよりしっくりくるのである。もちろん野球にスピード感や緊張感がないとは思わない。ルールの違う二つの球技に質的な相違があるのは当然で、優劣の問題ではなく、双方には明確に出自の違いが反映しているからだと思っている。それはおそらくアメリカ文化とヨーロッパ文化の違いといった深く本質的な問題に行き当たると思われるが、ヨーロッパの自動車レース(F1やWRC)とアメリカのそれ(カート、インディカー)の間にも似たようなものを感じる。ただその種のことは私のよくするところではないし(無理に書いても生硬なものになるに違いない)、この記事はそれが主眼ではないので、省略に従うことにする。多数刊行されている該書についていただきたい。

なぜこんな話になっているかというと、今年度の欧州サッカークラブチャンピオンを決めるUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントが昨日から始まったからである。欧州最強クラブ決定戦であるが、世界有数のプレイヤーが集う大会ゆえ、事実上、世界一のクラブを決める大会と言ってよい。綺羅、星のごとくスター選手を揃えるレアルマドリードを筆頭に、昨期王者のACミラン、ユベントスのイタリア勢、ベッカム放出後の新生マンチェスター・ユナイテッドに、金満チェルシー、堅実アーセナルのプレミア勢、さらに古豪バイエルンミュンヘンなど、どこが勝ってもおかしくない。決勝戦のある5月26日まで、どの試合もとても興味深い。

で、今は「ナンバー」のチャンピオンズリーグ増刊号を見つつ、先週発売になった「ウイニングイレブン7・インターナショナル」(PS2用サッカーゲーム)で遊んでおります。だってスカパー!でしか放送されないんだよぉ。

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2004.02.24

佐野元春「VISITORS 20TH Anniversary Edition」

もうずっと以前のことになる(20年も前……)。アンジェリーナ、ガラスのジェネレーション、サムデイなどが好きで、一時期、佐野元春をよく聴いていた。ちょっと癖のある声や歌い方が気に入っていた。アルバムを全部買えるような身分ではなかったので、いつもレンタルレコードで借りていた。懐かしい。

1983年に佐野がニューヨークに渡り、1年後新作をひっさげて帰ってくると知り、そのアルバムは買おうと思った。それがヴィジターズである。1曲目のComplication Shakedownから驚きの連続であった。とにかくまったくこれまでと違う曲調、歌い方に吃驚した。ラップやヒップホップがすっかり市民権を得た今ならなんてことはないだろうが、メジャーなミュージシャンがこの種の曲を取り入れたのは、ヴィジターズがほとんど最初であったらしい。

ただ当時はそんな知識すらなく、妙に心に引っかかるのでひたすら繰り返して聴いていたことだけはよく覚えている。何せ少ない小遣いで買ったレコードだから、聴かないと元が取れないのである。歌詞を覚えてもラップは歌えなくて、変な鼻歌でふんふん唸っていた。

その懐かしいアルバムが20周年記念盤として発売された。全曲デジタルリマスタリングに加えて、アナログ12インチシングルバージョンの曲や当時の映像資料なども、ワンパッケージになってまとめてられている。もちろん手に入れた。こういう昔よく聴いたアルバムを手に入れるのは、思い出を取り戻すようなもので、曲そのものの懐かしさと同時に、あの頃の自分が生々しくよみがえってくる。しばし懐古モードで浸りたいと思う。

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美しい夏キリシマ

戦争映画は戦闘や破壊、殺戮の場面があるから苦手である。だから好んで観ることはしない。今年度公開された評判の「戦場のピアニスト」なども観たいとは思わない。予告編を観るだけでも悲惨さは際立っている。しかし、悲惨なものを直接的具体的な形で悲惨に描くのは、実はたやすい。時に過度のリアリズムは人間の想像する力を奪い取ってしまう。私たちはそこに提示された「現実」に平伏すしかないからである。もちろんそれは一つの表現方法として有効で、否定することなどできはしないが、何となくとても偉い人から抗いようのない道徳の話を聞かされているようで落ち着かないのである。もうちょっと私にも考える余地をくれはしまいか。

黒木和雄監督の「美しい夏キリシマ」は戦争を状況として描く。つまり戦争映画ではあるが戦闘はない。したがって血も死も直接描かれることはない。ただ戦争の生み出す悲劇的状況のみが提示される。

空襲に見舞われた親友を見殺しにしたことから罪悪感に苛まれ、自己の存在意義や生活に疑問を持つようになった中学3年生、康雄(柄本佑)。その親友の妹は兄とともに沖縄から出てきたものの、今はただ一人遠い親戚の家での馴染めない生活を余儀なくされている。康雄の家で働く奉公人なつ(小田エリカ)の実家では、母イネ(石田えり)と弟が貧しい生活を送っている。夫が戦死し、守ってきた田畑にも満足に作物ができない中、イネは兵士と密会を重ねる。だが死んだはずの夫から手紙が届く。同じ奉公人のはる(中島ひろ子)は康雄の祖父(原田芳雄)の強い意向で戦地で片足を失って帰国した男(寺島進)の所に嫁ぐことになる。嫁ぎ先から帰省してきた康雄の若い叔母(牧瀬里穂)は、密かに海軍少尉と逢い引きを繰り返す。少尉はまもなく特攻隊として出撃する。やがて終戦。康雄は親友の妹から兄の仇を討ってくれと言われ、進駐軍に竹槍を持って向かっていった……。

映画はどこまでも静かで(むやみに音楽で盛り上げることもない)、美しい南九州の風景を背景に、あたかも細かなピースを淡々と組み合わせるかのような描写が続く。そして最後にできあがった一枚の大きな絵は、紛れもなく戦争の悲惨さを描き出しているのである。作中人物の感情がどれほどのものかは、あくまでも観客の側の想像力に委ねられている。何かをそこに観なければならないという押しつけはない。でも感じないわけにはいかない。監督と脚本家の言う「ちゃぶ台を中心にした戦争映画」は見事に成功していると思う。

「2003年度キネマ旬報ベストテン」日本映画第1位、「2003年度日本映画ペンクラブ」日本映画部門第1位のこの作品、ちなみに先日の日本アカデミー賞ではまったく無視されていた。シネ・ヌーヴォで鑑賞。

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2004.02.23

週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談

atcyさんに教えてもらったweb版の週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談を読んだ。実はこの雑誌、読んだことがなかった。というか、ビジネス系雑誌全般に縁のない世界に住んでいるもので。

「週刊ダイヤモンド」には田中康夫と浅田彰の対談「憂国呆談」が定期的に掲載されていて、今回は芥川賞を受賞した二人の女性作家について語っている。いや、もう全然評価されていません、二人とも。でも褒めている浅田彰の姿も想像しにくいし気持ちが悪いので(笑)、それでいいと思った。金原ひとみの父親(法政大の先生)がしゃしゃり出てきたことについて、「親の世代が子の世代のカウンターカルチャーやサブカルチャーに迎合するようになり、そうやって甘やかされたカウンターカルチャーやサブカルチャーがすっかり牙を抜かれて取り込まれちゃったってことじゃない? まあ親子円満で結構なことだよ」というところは、笑わせていただいた。一方の田中康夫が「やっぱり今回の芥川賞の2人はダメだな。全然。バツバツ(笑)」というのは見苦しい。あんたなんて所詮「一発屋」じゃないか。

他にも笑いどころがたくさんあるので、ぜひ原文について見られたい。

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2004.02.22

『明月記』を特集する「日本の美術」

興味のある内容か、持っていないといけない内容の時だけ買う「日本の美術」(至文堂)。今月号は買った。特集は『明月記』である。

この国宝の藤原定家の日記は、平安末期から鎌倉時代までをうかがう歴史資料として、また定家の関わった文学や定家の仕事ぶりを知るための資料として、さらには書道の芸術作品としてなど、さまざまな面を併せ持つ第一級の史料である。現存するのは治承4年(1180)から嘉禎元年(1235)までのもの。実に55年分である。俊成・定家の筋にあたる京都冷泉家の時雨亭文庫に大半が伝わっていて、流出した自筆の諸本は東京国立博物館や天理図書館などに所蔵されている。

日記だから個人のブログや日記サイトと同じなのかという声が聞こえてきそうだが、基本的には同じである。現代の日記と何ら変わらない。日付に従って毎日の出来事や感想を記している。『明月記』には定家の目と頭を通した当時の世相が刻み込まれているのである。ただ読み解くのは慣れないと大変なんですけどね。

『明月記』そのものの解説はネット検索でも出てくるだろうし、関連書籍も多数刊行されているので省略に従う。今度の「日本の美術」では、国宝の巻子本全巻の第一紙目を掲載しているところが画期的である。高価な複製本ならいざ知らず、こうした安価な雑誌で定家の書風を一度に眺められるのはありがたい。パラパラと眺めるだけで嬉しくなってしまう。興味のある方は一度書店で御覧下さい。

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写真を変えた宿命のフォト・マスター

「STUDIO VOICE」の2004年1月号を買ってきた。デザインとかメディアとかアートとか、そういうちょっと格好いい方面を取り上げる雑誌である。取り上げている内容がどれくらい格好いいのかは、私には判断しかねるけれど。

さてこの号の特集は写真である。題して「I LOVE PHOTOGRAPHY 写真を変えた宿命のフォト・マスター69」。写真史の中で新しい地平を切り開いたと考えられる写真家を選び、それぞれの存在意義を考えている。取り上げられている写真家は、森山大道、ロバート・フランク、ダイアン・アーバス、ジャスティン・カーランド、ウィリアム・エグルストン、スティーヴン・ショア、ジャック・ピアソン、ウォルフガング・ティルマンス、シンディ・シャーマン、荒木経惟、ライアン・マッギンレーらである。二人の日本人写真家以外では数人の名を知っているだけである。

驚くべきは、どの写真家も自分の写真や撮影行為に対して、極めて深い自意識、自覚をもって対象化しているということである。それはプロフェッショナルとして当然かもしれないが、やはり覚悟が違うと思った。感性やセンス、技術ももちろん必要だが、「なぜ自分は写真を撮るのか」「自分の写真はどういう存在か」「どこが人と違うのか」ということを、どこまでも重く深く考え抜いていると感じさせられる。写真専門誌でないこの雑誌がどれほどの正当性を持っているのか、にわかには判じがたいものの、個々の写真を見ているだけではなかなか気が付かないことを、いろいろと教えてもらったような気がする。

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2004.02.21

村治佳織「エステーラ」

無条件に好きだと言えるものはどれくらいあるだろうか。「好き嫌いが激しい」と友人に言われた私だからあまり説得力はないと思うけれど、若きクラシックギター奏者である村治佳織は無条件に好きである。

初めて彼女の演奏を聴いたのはFM放送である。5枚目のアルバム「カヴァティーナ」を出す直前だった。1998年秋のこと。アルバムの1曲目に収められている「サンバースト」(ヨーク)の見事な演奏に魂を貫かれた(という言い方をよくするので、これまた友人に冷やかされることが多い)。どんな演奏家かまったく知らないまま、発売直後の「カヴァティーナ」を買い求め、そのアルバムジャケットにまたしても魂を貫かれた(しつこい。いや、まぁ、いいじゃないですか、誰でも好きなタイプというのはあるものですから)。以来、7枚のCD、1枚のDVDを揃え、飽きもせずに聴き続けているわけである。ちなみにクラシック・ギター界では世界的権威を持つとされる東京国際ギター・コンクールで史上最年少優勝(14歳)を果たしてもいる。レパートリーも幅広い。私のような素人が言うのも何なのだが、ギターの技術は確かである。

その村治佳織がデビュー10周年を記念して、自らの選曲になるベストアルバムを制作した。それが今日発売の「エステーラ」である。収められている曲は公式サイトで確認されたいが、すべて既発売のアルバムに入っているものばかりである。「なぜ買うのか」と聞かないでいただきたい。初回特典のブックレットがついているからということを理由にはしない。ほしいから買いました。興味のある向きは公式サイトにサンプル音源もあるので、ぜひお試しいただきたいと思う。

今日はいつも以上に軽薄な文章でした(笑)。ご寛容くだされ。

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忘れていた日本アカデミー賞発表

家族と「でぶや」(テレビ大阪)をわははと笑いながら見ていたので、日本アカデミー賞のことはすっかり忘れていた。今朝の新聞で記事を読み思い出した次第である。

「スパイ・ゾルゲ」がたくさん賞をもらう順番だと予想したのは大はずれだった(笑)。「壬生義士伝」(松竹)が評価されたのは、新撰組ブームをさらに盛り上げろというNHKの意向でもあるのだろうか。実写映画の興行収入新記録を達成した「踊る大捜査線 The Movie2」は各部門でノミネートされたのにもかかわらず、最優秀は何も獲れなかった。フジテレビが作ったからですか、日テレさん? あとは東宝に気配りして「阿修羅のごとく」に3部門、これは「壬生義士伝」とお揃いである。めでたしめでたし。世界のKITANO「座頭市」に主要部門を外して5つ。心遣いが憎いばかりである。寺島しのぶに最優秀主演女優賞をプレゼントしたのは、単館系も無視してませんよというフリなんだろうね(歌舞伎の筋だし)。

やはりきな臭い(といか胡散臭い)日本アカデミー賞であった。

日本アカデミー賞、最優秀作品賞に「壬生義士伝」 
YOMIURI ON-LINE

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2004.02.20

芥川賞・直木賞贈呈式の記念撮影

先般発表のあった芥川賞と直木賞の贈呈式が行われた。話題性があり人気の高い作家4人が勢揃いしていたため、記念撮影では「人気アイドルの記者会見のような光景となった」(asahi.com、おそらく明日の朝刊にも掲載されると思う)そうである。さもありなん。相変わらず朝日は綿矢贔屓であるなぁ。

それはさておき、ここで紹介されているカメラマン達の姿が何とも滑稽であると思った。その記事によると「4人並んでの写真撮影では、カメラマンから「視線こっちに下さい」「今度はこちらを」と注文」が飛んだとある。これを読んで、私はあるプロカメラマンの文章を思い出した。その人は素人相手の撮影会の講師をよくやっているようで、モデルを美しく写すためにできるだけ声をかけましょう、とアドバイスしていた。何より自分の方にモデルを向かせることが肝要で、「視線、こっち下さい(変な日本語!)」から始まって、「笑顔がいいよ」とか「そのポーズが決まってるね」とか「可愛いよ」とか、言うとよいのだそうだ。アホくさ、ようやるわ……。

これを読んで、撮影会なるものに少し興味のあった私は、絶対に参加できない、参加しないと強く思った。心にもないことを言って、相手のよいところを引き出せるわけもないし、何よりその他大勢の人と同じようなことをその場でやらなければならないのかと思うと、それが情けなくて仕方がない。好きでやっている方には申し訳ないけれど、そういうのって楽しいのだろうかという根本的な疑問があるのだ。

報道カメラマンは仕事とはいえ、大変だなぁと改めて思う。

asahi.comの記事
YOMIURI ON-LINEの記事
Sankei Webの記事

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2004.02.19

フェスティバルゲート閉園

大阪新世界のシンボルである通天閣の南側に、フェスティバルゲートという名の屋内遊園地がある。ビルの中をジェットコースターが縫うように走ったりしていて、それなりに楽しめそうなところなのだが、あまりにもかさんだ赤字のために閉園になるらしい。昨日のニュースがそう報じていた。あのジェットコースターのファーストドロップの怖さはなかなかのものだった。

確かに行く度に店は減っているように見えたし、逆に動かなくなっている遊具は増えているように感じられた。何より人の数がめっきり少なくなっている。オープン当初に行った時には、それはもうすごい人出で、新世界のイメージとはずいぶん違った雰囲気に大いに驚かされたものであった。

このビルには映画館シネフェスタも入っていて、マイナーな邦画を上映してくれていたので、ありがたいところだったのだが、これでまた貴重な映画館が一つ失われることになる。スペル・デルフィン率いる大阪プロレスもこの中に本拠地を構えている。くいしんぼ仮面やタイガースマスク達とともにどこへ流れて行くのだろう……。

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2004.02.18

自転車のヘルメット

bell.jpg先週の水曜日に自転車で転倒、左足首を酷く捻挫して早一週間が経った。天気のいい時もむやみに出かけられないのはとてもつらいが、これも自業自得というものである(一応、反省)。自転車の趣味を復活させて約二年半になるが、日常生活に影響を及ぼすほどの怪我は初めてである。今回は足だけで済んだけれども、もし打ち所が悪かったらと思い始めると不安になってきて、ついにというか、ようやくというか、自転車用のヘルメットを買った。

BELLのやつにした。このメーカーにしたのは、F1レーサーの多くがベルのヘルメットを被っているという、実にミーハーな理由からである。といっても私のは安物。発泡スチロールであることがまるわかりなのだが、値段を考えるとこんなものなのだろうか。もっと高いのはきっと格好いいのだろう。こうして手に取ってみても、エイリアンチックな外観には相変わらず違和感(というか嫌悪感?)を持つものの、安全を考えるとそんなことも言ってられないか……。

写真は物珍しそうにヘルメットを覗き、対抗心を燃やす愛猫である。このあと猫パンチをしていた。何をやってるんだか。

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ポップスになったジュピター

春を感じさせる昼下がりにFMを聴いていたら、ホルストの「ジュピター」に歌詞をつけて見事に歌いこなす平原綾香がゲストとして出演していた。何でも関西初登場らしい。あの成熟した声と歌い方、さらにクラシックを選び取るところから、それなりの年齢かと思っていたら、なんとまだ19歳だとか。現役の音大生、なるほどと唸った。サックスが専門で、歌は余技というのもすごい。「ジュピター」のカップリングが渡辺はま子の「蘇州夜曲」というのも、これまた渋い。

オリジナルのホルスト「惑星」は太陽系の惑星をモチーフにした組曲であり、どの曲もいろいろなところで使われたり、引用されたりして、広く知られている(はずなのだが、どうもそうではない?)。「平原綾香」で検索して、いくつかのサイト・ブログを見て回ったら、「かなりいい曲でお薦め」なんて書いてあるところに、「原曲がホルストだからよくて当たり前だろ!」という笑えないやりとりもあって、何だかなぁと思わされた。

ということで、このエントリーはJohn Eliot Gardiner/Philharmonia Orchestraによる「The Planets」を聴きながら書いております。平原綾香のは今度借りてきて(買わないのか……)きちんと聴くことにしてみよう。

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キャラメルコーンの雛祭り

cc.jpgキャラメルコーンが好きでよく家人に買ってきてもらっている。子供の頃から食べ慣れている味でとても落ち着くのである。変な言い回しだけれど。時々塩味のピーナッツが出てきて、それでまた味のリズムが変わっていい具合なのだ。ココナッツサブレと並んで、私の永遠の定番おやつである。そのキャラメルコーンは最近いろいろな味を展開しているが、今日のものは通常版の外装がかわいい雛祭り仕様になっていた。おもしろいことにいつものパッケージが雛人形に扮している。もう春ですね。

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2004.02.17

大好きなファイナルファンタジー

今はもうまったく名残もないほどに自転車サイトとして作りかえているけれど、もともとあるレースゲームが好きで攻略サイトを立ち上げたという過去がある。性格的にといってよいのか、何でものめり込むととことんまでやらないと気が済まない。そのゲームのファンサイトが他には皆無だったので、メーカーから公認されるところまでいってしまった。今思えば、いいのか悪いのか、微妙である。

実は家庭用ゲーム機には長く手を出さなかった。買えば生活を破壊するくらいまでのめり込む可能性があることを、一応自覚していたからである。自動車レースが好きである。F1はもう四半世紀追いかけ続けている。すごく出来のよいレースゲームが出ると聞き、とうとう我慢できなくなった。以来底なし沼にはまるように……。

一財産築けるほどつぎ込んだことはもう忘れることにして(笑)、今、遊ぶのはごくわずかなシリーズものだけである。「ウイニングイレブン」(サッカー)、「アーマードコア」(ロボット)、「グランツーリスモ」(レース)くらいであろうか。長く時間のかかるロールプレイングものは「ファイナルファンタジー」シリーズの他はほとんどやっていない。「ドラゴンクエスト」はまったく知らない。数ある「ファイナルファンタジー」の中で一番好きなのが、「タクティクス」と名づけられたものである。総プレイ時間はわからない(笑)。ちなみにこれの制作チームのゲームはどれも好きで、他のもかなりやり込んできた。いいのか悪いのか、微妙である(またこれかい!)

さてその「タクティクス」の最新版が、プレイステーションからゲームボーイアドバンスに乗り変わってしまった。あの携帯ゲーム機はさすがにほしくないので、ゲームキューブ(そういえばゼルダもよくやってました)に接続して遊ぼうと思った。それからもう半年以上経過した今日、とうとうソフトを買ってきた……(われながらよく我慢したと思う)。今日は個人的に大きな仕事をやっつけた、そのはずみである。足も痛いし(笑)。今からやります。しばらく消えます……。

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2004.02.16

RSSリーダーは便利

再三ご登場願って申し訳ないが、mi4koさんがRSSリーダーが便利などと書いていた(旧Still Life)ので、試しに使ってみるかと思い、NetNewsWire Liteを常時走らせている。セットしたブログやサイトを定期的に巡回して、新着記事があれば知らせてくれる。とても便利で効率的である。ここのところ見て回るブログが急激に増えたので、ほんとにありがたい。おのひろきさんもそのあたりのことを今日書いていた。うんうんと一人モニターの前でうなづいている。

おのひろきおんらいん

NetNewsWire Lite / Ranchero Software: Weblog

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2004.02.15

とても同じには見えない

damashi.jpg写真を撮るという行為は基本的に視覚が何よりも優先されるわけであるが、その視覚が実に曖昧なものだということを思い知らされるおもしろい画像が@nakさんのところで紹介されていた。

このAとBの部分の色がまったく同じなのである。とてもそういうふうには見えない。でも画像ソフトでチェックすると、間違いなく同じなのである。皆さんの「目」はいかがでしょうか。

よーく目を開いて見てごらん(笑)

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ワルツ堂の復活

いつもワルツ堂だけに通っていたわけではないが、この大阪の老舗レコード店にはずいぶん世話になった。なくなった時には寂しく感じたものである。そのワルツ堂が倒産して1年半、当時の店員が新生ワルツ堂を4月に開店させるという。14日付の朝日新聞夕刊で報じられていた。

新店舗は大阪駅前第一ビル地下一階でクラシックとジャズの専門店になるらしい。コンビニのような「なんでもあり、ただし売れ筋のみ」のショップが増える中、こうして渋い専門店が生まれるのはとても喜ばしいことである。オープンしたら、さっそく駆けつけてみたいと思う。

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2004.02.14

ライカM型のデジタル化

昨日ライカMマウントのレンジファインダー・デジカメのことを書いたけれど、何と本家ライカも同じくM型のデジタル化を表明していた。Fotologでお世話になっているatcyさんから教えていただいた。ありがとうございます。

ITmedia PCUPdate:Leica、M型のデジタル化を正式表明

これまでライカのデジカメはパナソニックとの共同開発もしくはOEMだったけれど、今回はどうなるのだろうか。ここまでのスペックだと値段の方も銀塩並になるのは間違いないだろう。ちなみに最新のMPで本体約40万……。で、ほしいかと聞かれると微妙である。この値段なら銀塩ライカがほしいというのが本音だ。昨日のエプソン製は安く(たぶん)でライカレンズを使えるという魅力がある。本体が古びてもさほど惜しくない。しかし、ライカ・デジタルはそこまで割り切れない。日進月歩のデジカメだから、このスペックでも数年後には陳腐化してしまう。それが耐えられない。何がエバーグリーンな魅力を持つものか、改めて考えさせられる。

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2004.02.13

ライカMマウントのRFデジカメ

ついに出た。ライカMマウント対応のレンジファインダー式のデジカメである。これはもう買うしかない!? どうやらコシナが一枚噛んでいそうで、見るからにベッサのスタイルをしている。大きなデジカメは当分いらないやと思っていたのだが、これを見るとにわかに物欲が高まってくる。

しかしながら、大きな問題も一つ。これを使うために「超高価」なライカレンズに手を出してしまい、当然のように次は「超超高価」なライカ本体を買ってしまうという雪崩現象が起きるかもしれない。うーん、まずい(でも嬉しい)。

ITmediaニュース:エプソン、世界初「レンジファインダー式デジカメ」

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「文藝春秋」が100万部突破

綿矢りさと金原ひとみの両芥川賞受賞作が載った「文藝春秋」2004年3月号が100万部を突破したという。通常の発行部数が65万部らしいから、やはりこの二人の史上最年少芥川賞作家の威力はすさまじいものがあるということか。単行本を買って蔵書に加えるのもいいけれど、「文春」だと選評者のことばや受賞者のロングインタビューも掲載されているから、そういう意味でもお買い得だと思う。いずれにしてもまともな出版物で業界が賑わうのはいいことだ。

asahi.com : 文化芸能

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柴崎友香「きょうのできごとのつづきのできごと」

行定勲を特集した「文藝」2004年春号については、以前このブログに書いたことがある。

1/365*morio0101: 行定勲を特集する「文藝」

そして来月公開の「きょうのできごと」の続編がこの雑誌に掲載されている。

物語は、主人公の真紀とけいとという若い二人の女性の、コンビニへの買い物の道すがら交わされた何気ない会話だけで作られている。誰もが普段誰かと交わしているようなどこにでもある会話である。おそらくこれまでの小説では取り上げないようなささやかなこと。わざわざ小説にするほどのことかという考え方もあるだろう。しかし、それが新鮮である。すぐそこにあるものは紛れもなく我々の生活や世界の真実の一面であるから、それがこうして提示されていることに驚きを覚える。私は二人の女性の醸し出す空間の雰囲気や空気感を喜び愛する。とても心地よい。

なお映画の原作となった本編「きょうのできごと」は3月4日に文庫化(河出文庫)される。もちろん読む。

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金原ひとみ「蛇にピアス」

「文藝春秋」の芥川賞受賞作掲載号はお得だなぁと思いながら、よく買ってくる。発売中の2004年3月号も綿矢りさ、金原ひとみの両受賞作が全文掲載されている。どこの本屋に行っても大量の「文春」が積み上げられていた。

「蹴りたい背中」はすでに単行本で読んでいたので、「蛇にピアス」に取りかかる。冒頭から痛みを伴う描写の連続で、はっきりいって好みではない。体のあちらこちらに穴を開けたり切り裂いたり。あとは飲む、喧嘩する、殺人がある、セックスがある、拒食症がある、SMがある……。そういうくだりに嫌悪感を抱きながら、というより嫌悪感をどこかではらしてくれるだろうと思いながら読んでいったら、終わってしまったよ。

これも愛の形といってしまえばそれまでだが、とにかく描き出す世界、物事が私にとって異世界のものなので、そういう部分での衝撃がまず最初にある。図らずも選評を寄せる高樹のぶ子の「作者の人生の元手がかかっているであろう特異な世界を実にリアルに描いている」ということばが、とても素直に飲み込めた。ただその「特異な世界」を納得するほどには私は物わかりがよくなくて、普段は大嫌いな東京都知事の選評「私には現代の若もののピアスや入れ墨といった肉体に付着する装飾への執着の意味合いが本質的に理解できない。(略)私にはただ浅薄な表現衝動としか感じられない」というのにも、ついそうだと思ってしまった。いや、その程度で「身体改造」なんて言うなよとも思うのである。千手観音とか阿修羅みたいにしたというのなら、立派な身体改造だけど。誰が見てもすぐにわかる。

小説とは関係のない話になってますね(苦笑)。

愛情を感じる相手のしていることに共感し、同じことをしようとする。さらに相手が気に入るようなことを、自分が積極的に行おうとする。「蛇にピアス」で描かれている恋愛を単純化すると、実に古風な関係が出現する。昔ながらの恋愛小説だとは言わないけれど、あまり変わっていないかなとも思った。あと気になったのは結末とそこへの持っていき方が陳腐であること(ネタバレになるからここでは書かないけれど)。受賞後、新聞記事で読んだ金原ひとみの頭のよさそうな文章から、かなり楽しみにしていたのだが、読後に残るのが「痛い描写」だけというのはちょっと残念であった。次に期待したいと思う。

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2004.02.12

大阪合衆国 びっくり24区

いつも濃い地元情報が嬉しい「Meets regional」。今月号の特集は「大阪合衆国 びっくり24区」と題し、大阪市内24区の今を教えてくれる。定番の食べ物系はもちろん、それ以外の興味深いスポットの紹介がいろいろあって楽しめる。同じ大阪市といっても、実にさまざまな表情があるのがよくわかる。散歩好き、自転車好きの皆様、ぜひ。

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牛丼がなくなる

牛丼はほとんど食べたことがない。

まるでこの世の終わりかのような報道がここ数日続いているけれど、日本中の人が牛丼の消えることを惜しんでいるかのような報じ方には大いに疑問に感じる。食べ物の味の感じ方や好き嫌いというのは極めて個人的な問題なのに、どうしてこうも皆が大好きであるかのように見せるのだろうか。牛丼の魅力や牛丼好きな人たちの思いはそれとして、「国民食(変な名前)」の消滅という一大イベントは、マスコミの煽りで盛り上がっている単なるヒステリックな祭りにすぎないと思う。何ヶ月かして牛肉の輸入が再開すれば、どうせ復活するのはわかりきっているんだから。

復活してもたぶん食べない。

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2004.02.11

島本理生『リトル・バイ・リトル』(講談社)

今回の芥川賞でノミネートされた史上最年少組の中で、残念ながら一人落選してしまった島本理生。彼女の小説が読んでみたくなって、「生まれた森」ではなくて前作「リトル・バイ・リトル」を買ってきた。彼女はこれで野間文芸新人賞を史上最年少(こればっかり)で受賞した。ちなみに第一二八回芥川賞の候補作にもなっており、その時に受賞していたら、史上初の高校生芥川賞作家の誕生になるところだった。

「明るい小説にしようと、最初から最後までそれだけを考えていた。淡々と流れていく日々を照らす光を書きたかった。」と島本自身があとがきで語るとおり、小説は隅々まで明るい雰囲気で満たされている。しかしながら、作中人物を取り巻く状況そのものは決して明るいものではない。そして「そういう状況に対抗できる唯一の手段は明るさではないかと思う」とも語る。あまりにも素朴すぎて鼻白むほどである。描かれる世界は両手を広げたほどの極めて狭い日常生活で、そういう意味では高校生の日記を読まされているような感じすらしたのであるが、こういう少し風変わりな状況の中で、ささやかな幸せや感情の揺れのようなものをもれなく掬い取るのが、この世代の小説の共通する要素であるように思われる。

私はこの小説が綿矢りさの署名で発売されても決して驚かないし、「蹴りたい背中」が島本理生の作だと言われても、疑うことはしないだろう。

それでもどこまでも微温的な島本に対して、感情の襞をチクチクと刺激する毒(淡いけど)を含み持つ綿矢の文章を比べると、おのずと進む道が分かれていくような気もする。さて次は一番毒の強そうな金原ひとみを読むことにする。

なお「リトル・バイ・リトル」の表紙写真は川内倫子が撮影している。川内も若くして木村伊兵衛賞(カメラ界の芥川賞でしょうね)を受賞している。ふむと一人うなづいたりしてみる。

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2004.02.10

「きょうのできごと」の予告編

「ドラッグストアガール」が始まる前に流れた「きょうのできごと a day on the planet」の予告編に釘付けになった。これの方が本編より印象に残ったくらい(よく似たことはこれまでにもしばしばある)。行定勲監督による関西を舞台にした八人の大学生の群像劇である。三月公開のこの映画、矢井田瞳の主題曲と相まって、雰囲気がものすごくよいように思った。詳細は以下の公式サイトで。予告編も見ることができる。

きょうのできごと 公式サイト

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ドラッグストアガール

バグルスの「ラジオ・スターの悲劇」がエンディングで流れてきた時、なぜこの曲がこの映画の締めとなるのかと、軽く混乱しながらそんなことを考えていた。旧来のメディアで活躍してきたものが、新しいメディアによって徐々に駆逐されていく悲劇。確か歌詞はそういう内容であったと思う。懐かしいあのコンピューター処理された歌声。

同棲中の相手の浮気にショックを受けた女子大生、大林恵子(田中麗奈)は、行くあてのないまま飛び乗った電車で見ず知らずの街に流れ着く。駅前には寂れた商店街があるばかりで、その先には真新しい巨大ドラッグストアがオープンしようとしている。恵子はなりゆきでこのドラッグストアでバイトを始めることになる。一方、商店街のくたびれた店主達(柄本明・三宅裕司・伊武雅刀ら)は、このドラッグストアの脅威に怯え、襲撃しようと計画する。ところが、恵子の魅力に一人また一人と骨抜きされていき、やがては彼女と仲良くなりたい一心で、彼女のやっているラクロスを始めることになる。何もわからない中年親父達の始めたラクロスは、意外なことに町おこしにまで広まっていき、そしていよいよ下心に満ち満ちたバンブーボーイズの試合が始まる。「大林さんとデートしたいかぁ! 一泊旅行に行きたいかぁ! 一緒に風呂に入りたいかぁ!」という冴えないかけ声とともに……。

コメディーである。田中麗奈の作りすぎた役柄と演技は、脚本の宮藤官九郎の狙いによるという。田中のファンであることを公言する宮藤は、彼女が可愛く映っているだけでオーケーという姿勢で、まさに田中麗奈のためにこの脚本を仕上げた。ただこれまで自然体という面で評価されてきた田中麗奈が、明らかに作っていると感じさせる役にどこまでマッチしているのか、少々疑問が残った。「GTO」や「好き」でも作り込みすぎた役で見事に失敗していたことが思い出される。いや、この2作よりは遙かにましではあるのだが。

またドラマとしてもラクロスというスポーツを取り入れ、新しさを狙っているが、これも今ひとつ消化しきれていないように思う。「Shall we dance?」の社交ダンス、「ピンポン」の卓球、「ウォーターボーイズ」のシンクロナイズドスイミングなどは、どれも分かちがたくドラマの中心と結びついている。ところが「ドラッグ〜」のラクロスはそうではない。上達というリアリティがない。中心としておかれているが、必然ではないのだ。だから最後の試合も心情的に盛り上がらない。しかも無理矢理盛り上げようとしているから、よけい痛く感じられる。ここが最大の弱点だろう。コメディであってもその笑いを保証するリアルさは必要不可欠である。中年親父達の怪演がとてもよいだけに惜しいところである。

もう少し細かな掘り下げがあればよかったのにと思う。よい映画を作り上げるのはかくも難しいことなのかと、公開三日目にもかかわらず、わずか五人の観客しかいない劇場の座席で、「ラジオ・スターの悲劇」を聞きながら、そんなこともぼんやり感じていた。駆逐されるものは何で、駆逐するものは何なのだろう。心斎橋パラダイス・スクエアで鑑賞。

ドラッグストアガール公式サイト

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ノラ・ジョーンズ「フィールズ・ライク・ホーム」

昨年聴き込んだいくつかのアルバムの中でもとりわけ気に入っていたのが、ノラ・ジョーンズのデビュー作「カム・アウェイ・ウィズ・ミー」である。グラミーでも多くの賞を獲得するなど高い評価を得ているのは周知のことであろう。乾いたハスキーボイスと穏やかなリズム、メロディーがとても心地よくて、飽きることがなかった。

「フィールズ・ライク・ホーム」は待望の第2作目である。日本盤は例のごとくくだらないコピーコントロールがかかっているのでパス(値段も高いし)、輸入盤が入るまで一週間ほど待っていたが、ようやく手にすることができた。ところが、こちらもコピーコントロールが! がっかりしたけれど、なぜかマックでも取り込みが可能になっているので、そこで少しは救われた思いがする。

前作の核となる曲を提供していたジェシー・ハリスは今作では登場していないものの、全体のムードは変わることがない。スローなテンポの上で踊るアコースティックな演奏と抑制の効いた歌声が、とてもいい気分にさせてくれる。(Blue Note Records/EMI/2004)

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2004.02.09

ついにMovableTypeに手を出した

どうせなら綺麗な画質でかつストレスなく自分の写真を見てもらいたくて、とうとうMovable Typeを使った写真ブログを立ち上げてしまった。ここにも何度もご登場願っているmi4koさんのお導きで、どうやら公開できるところまで漕ぎ着けたのである。ありがとう(^^)/

photo 1/365

多くのFotologgerが自分のブログを立ち上げて、そちらに重心を移しつつあるように見える(左サイドバーのリンクを参照)。今のところ優勢なiBlogと、にわかに追い上げを始めているMovable Typeの覇権争い、果たしてどちらに凱歌が上がるのか。……いや、別にどちらでもいいんですけどね。

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2004.02.08

なぜ自転車を何台も買うのか

にちさんのところで、「自転車の棲み分けはどうするのか」という話題が盛り上がっている。それを受けて@nakさんのところのBBSでも侃々諤々となっている。つまりは「なぜ自転車好きは複数台を所有するのか、残すとしたらどれか」ということなのであるが、五台所有している私も改めて考えてみると、これがなかなか悩ましいのである。

手持ちの自転車を種類で分類すると、マウンテンバイク(VTT305)・ランドナー(エンペラー)・ファンバイク(ロデオ)・お気楽折り畳み(ブロンプトン)・ややスポーツ折り畳み(BD-1)の五種類である。これを購入順に並べてみると、なぜこうも増えてきたかがよくわかる。

まずマウンテンバイクを買った。次に気楽に輪行したくてブロンプトンを手に入れた。さらに本格的なツーリングがしたくてエンペラーに手を出した(これは過ぎ去りし少年の日の憧れを手に入れるということでもあった)。しばらく物欲が収まっていたが、十か月後、「乗れるものなら乗ってみろ」という名物お遊びバイク、ロデオが生産中止になったというので、ヤフオクで落札してしまった。そして今回スポーツライクに走ることのできる折り畳みBD-1を知人から譲ってもらった。とまぁ、用途や目的に照らしてみると、見事に重なるところがないのである。そして一台だけなんて無理であるという結論に達し、自分を納得させていることに気づかされる。多くの方もそういうことではないかと愚考する。

もっともロードレーサーだけ、ランドナーだけ、折り畳み自転車だけなど、同じ種類の自転車を何台も所有している人々(複数です!)を知っているので、真の理由についてはそれぞれの方に聞かない限りわからないのだけれど(笑)。

……ちなみにこれ、自転車のところをカメラにしても同じです。XD

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2004.02.07

初めての写真画質

card.jpg長く年賀状作りのためにプリントゴッコを使ってきた。決して少なくない枚数をペタンペタンと印刷した後、今度は表の宛名をすべて手書きである。やめればいいのだが、やめることのできない年末の嫌な作業であった。それでエプソンのカラープリンターを買った。ついでに写真も綺麗に印刷できるからという都合のいい理由をつけて。

感動的なまでに作業の手間も時間も節約された年賀状作りを終えた後、プリンターは再び元の箱の中で眠りについた(何をやってるんだか)。仕事用には別にモノクロのポストスクリプトレーザーがあるため、わざわざカラーを使う必要がないからである。いったんしまい込むと、次は出すのが億劫になるのは人の心の常であろう。デジタル化された写真もハードディスクの肥やしになるばかり……。

そんな折、いつもfotologでお世話になるmi4koさんからエプソンの写真画質カード用紙を譲ってもらった。私にとって初めての「写真画質」である(それくらいさっさと買えよと言わないで)。その成果が上の写真である。名刺のようにさりげなくここのアドレスを配したりして、すっかりいい気分に浸っている。これは大きいサイズも印刷したくなるなぁと思いながらも、再びプリンターは箱の中へ。次はいつ出すんだろ。

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2004.02.06

三島靖『木村伊兵衛と土門拳』(平凡社ライブラリー)

昨年、日本映画専門チャンネルでは黒澤明監督の映画を連続して放映していた。「七人の侍」以下すべての代表作が予定されていたので、この機会にと思っていたが、結局ほとんど観ることがなかった。何か惹かれるものがないのである。一方、2003年は小津安二郎監督の生誕百年にあたる年でもあった。それを記念して松竹で撮影した作品がDVD化されたり、NHK衛星放送で連続して放映されたりした。こちらは自分で高価なDVDセットを買い込み、熱心に鑑賞した。黒澤と小津の違いはどこにあるのか。

小津映画は関心を持って観るものにすら、アレとコレの差がわかりにくいという特徴(?)を持つ。つまり特別な事件が起こったりドラマがあったりするわけではなく、淡々とした市井の生活がいつも描かれるだけなので、強烈な印象が残るということがほとんどない。そのかわり、曰く言い難いムードというか、雰囲気に酔わされてしまう。それに対して黒澤映画はもう演出、演出、また演出で、とにかく派手である。もちろん小津映画もあの静謐さを手に入れるために演出を施しているはずであるが、それを見せないし、感じさせることがない。どちらがいいということではない。私はあざとい黒澤映画的な世界が苦手なのである。

同時代に生きた二人の写真家、木村伊兵衛と土門拳の関係を小津と黒澤に喩えることは、あながち的外れではないと思う。「絶対非演出の絶対スナップ」などと唱えながら、執拗に対象を追いつめてカメラに収めようとする土門に対して、木村はあくまでも軽妙洒脱に世界を切り取る。この本ではそうした二人の対照的な作風や生き方をうまく浮き彫りにしている。被写体、カメラの選択、他の写真家への意識など、こうも違うものかと思わされた。

淡泊な私は「念写」とか「拳魂」などと言われると、「ごちそうさま」と言うしかないです。

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写真はコピーか・続

mi4koさんからトラックバックをもらった。サンクス。で、お返し :D

慣れないことについてたくさん語りすぎて、実はくたびれてます(あかんなぁ、笑)。写真を撮る時にいちいち深いことを考えているわけではないしね。それでatcyさんのブログにも書いたことだけど、簡単にまとめて終わりにしておこう。私にとっての写真は、今のところ「世界の発見と再構築」ということになるだろうか。被写体を複写するけれども、決して被写体にのみ寄りかかるのではなく、見つけた対象を自分なりに意味づけ再定位して切り取る。美しさや楽しさは私たちの中にあるのだと思う。だから自分の写真で見てもらいたいのは、写っているモノだけでなく、なぜそれが写っているのか、どう写っているのか、ということになる。下手くそなのに、カッコつけすぎ!

でもその楽しさがあるから、自己満足な写真を今日も今日とて大量生産しているのであります。

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2004.02.04

生きている商店街

大型スーパーや郊外型ディスカウントストアの影響で、街にある昔ながらの商店街は廃れる一方である。品揃えや価格の面で太刀打ちできないというのが主たる要因だろうが、昼間でもシャッターが閉まった商店ばかりになっている廃れきった薄暗い商店街は、あたかも現代のゴーストタウンのようであり、悲哀の色が染みついている。

それでも大阪の商店街はまだ活気があるようで、日本一長いという天神橋筋商店街や、NHK連続テレビ小説の舞台にもなり全国的にも有名な黒門市場(形態は商店街)などは、いつ行っても賑わっている。大阪市旭区の千林商店街もこの二つに負けず劣らず賑やかで大きな商店街である。たまたまポタリングをしているときに通り抜けたのであるが、平日午後の時間帯でも買い物客でいっぱいであった(もちろん自転車に乗って走ることはできない)。狭い道の両側に実にさまざまな商店が軒を並べ、元気な声を発している。買い物客と店の人との会話も活気があってうきうきさせられる。ちなみにこの商店街は天下のダイエー(かなり落ちぶれたか)の発祥の地でもある。すばらしき商店街文化。けだし愛すべきものであろう。

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写真はコピーか

森山大道を信奉するからではないけれど、この命題となると、彼の語ったことばが思い出される(「=森山大道」より)。
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アートは無から有を作るもの。写真はあるものを複写するところから始まっている。だからアート、アートというのはなじまない。複写を前提に始める方が写真の本質に行きやすい。自分の美意識とか観念で作品を作ったと言ってもしょうがない。結局バラバラに存在する世界の断片を複写するだけである。もちろん撮影者の記憶や美意識や観念は紛れ込むが、観念的美的アートでもないし、事実べったりの報告でもない。本当の意味でのオリジナリティは写真にはない。
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だいたいこういう主旨である。

美しい風景写真を見て、「美しい」と感じるその時、私たちはその写真そのものに感動しているのか、それとも現実の風景に心を動かしているのか。オードリー・ヘップバーンのスチールを見て、写真を綺麗だと思うのか、彼女が綺麗だと思うのか。多くの場合、我々は写真の向こう側に存在する現実に心を馳せている。男性が飽きもせずヌードグラビアを眺めるのは、写真の向こうの現実に欲情しているからである。

撮影者の主観により露出やシャッタースピード、被写界深度、構図、アングルなどが決められるとしても、写されるもの、被写体自体は変わることがない。大幅な画像加工をしない限り、変えようのない現実世界を切り取るだけである。そういう意味で言えば、写真は現実世界のコピーでしかない。もちろん写す側である程度操作することのできる上記の要素(露出云々)に、撮影者の個性のようなものを認めることにやぶさかではない。でもそれは技術であって芸術ではない。字の上手い人が誰でも書道家になれるわけではないのだ。私は技術を作家性(さらには芸術)と読み替えることはしたくないし、できない。

フォトログを眺めていると、そういう人は確かにいる。ものすごく綺麗で上手い。技術は完璧。世界中の人からたくさんのコメントももらっている。でも私はちっとも心が動かされない。まぁ単にこちらの感性が鈍いだけなのだろうが、そういうカタログやデザイン誌あたりに小綺麗に並べられそうなものを無理にわかろうとする気はさらさらない。

閑話休題。

視覚に特化した営為である写真ゆえに、「見る」ことにどれだけ執着したかが最も重要なことではないのかと、素人ながらぼんやり考える。それは単に「私はこう見た」ということではない。つまりは被写体(もしくはそれを含む世界)から時空間を超える普遍的な何者かを引き出し定着させる行為であることを意識させること。それは美であったり感情であったり時代そのものであったりする。「見る」は「読む」と言い換えてもよい。それはもうカメラの操作などとはまるで次元の異なる営みである。

古代日本語の「見る」は対象を支配することをも意味する。「国見」ということばは天皇が日本の各地を謁見することだが、それは同時にその地を支配したという宣言でもある。平安時代においては女は男に「垣間見」されることで、男の愛を受け入れ支配されることになる。支配とは穏やかならざる言葉であるが、対象をきちんと読み取らないとできるものではない。写真を撮るとは、つまりはそういうことではないのだろうか。カメラはコピーしかできない。しかし、コピーに何を残すのか、そこから何を読み取れるのか。複写するのは目に見える現象だけではない。

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2004.02.02

村上春樹・和田誠『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)

村上春樹が作家としてデビューする前にジャズハウスを経営していたのはよく知られている(のかな?)。毎夜、閉店後にキッチンのテーブルでデビュー作『風の歌を聴け』を書き続けていたことは、エッセイなどで何度か語られていた。そういう商売をプロとしてやっていたわけであるから、ジャズに関しての造詣は相当深いものがある。事実、彼の小説には多くのジャズが登場し、またジャズ的な世界が展開する。

この本は、かつて『ポートレイト・イン・ジャズ』『ポートレイト・イン・ジャズ2』として刊行されたものを一冊にまとめ、さらに書き下ろしを加えたものである。イラストレーターの和田誠がジャズ・ミュージシャンをピックアップして絵を描き、それに村上が文章をつけるという体裁である。二人のジャズ好きによるコラボレーションは、対象への愛情にあふれており、極めて個人的なジャズ観が展開する。しかし、である。時に優れた個人的感想(偏見だらけ)は無味乾燥な客観的批評を超えて普遍的な力を持つものである。凡百のジャズ解説本を読むくらいなら、村上・和田の語りに耳を傾け、ついでに本物にも触れてみるのがよいと思う。

イラストはすべてカラー。とても暖かい気持ちになる一冊である。

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末期的症状かもフォトログ

murmurでもぼやいたFotologの重さ。ここのところ特に酷い。自分の写真のアップロードはおろか、他の人のページにもちっとも入ることができない。月5ドルのドネーションを支払って金カメラ付き(ちょっとだけ特典あり)になったのになんていうことは言うまい。まして重い原因をサッカー王国の人々に押しつけても仕方がないし。とにかく普通につながり普通に閲覧させてもらえたら、それで満足である。

しかし、こういう状況(つながらないという理由だけではないだろうが)にしびれを切らし、多くのフォトロガーがFotologから去っていると聞いた。私自身はそれほど多くを回っているわけではないのであまり実感がなかったのであるが、ついに大好きな写真を見せてくれていたある日本人ロガーがいなくなった。過去の写真をすべて消し、真っ黒な絵と「ナンセンス!」の一言を残して……。オー・マイ・ガーである。

私自身も時間ばかりを強奪される状態には耐えられない。今のところはFotologで知り合った多くのすばらしい写真愛好家の人たちとの関係を失いたくない一心で続けているが、もしこれに代わる別のよいシステムがあるのなら、移ることにやぶさかではない。実際に個人的にフォトブログを立ち上げ、試験的に運用を始めている人もいる。そういう人たちで小さなコミュニティーを作り、風通しのよい活動をするのもいいかと思う。しばらくはその種の情報収集をしながら、相変わらず鈍重なFotologにつきあうことになるのだろう。

#atcyさんとmi4koさんのところへトラックバックを送りたかったのだけれど、iBlogって受け付けてくれないのかなぁ。

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2004.02.01

シービスケット

大恐慌時代のアメリカに多くの人々が夢を託したサラブレッドがいたという。その名はシービスケット。必ずしも日本での知名度は高くないと思うのだが、この馬を巡るドキュメンタリーが全米で400万部を超えるベストセラーになっているらしい。そしてその日本語版も売れているそうである。映画を見終えて読んでみたいと思わせられた。映画「シービスケット」は基本的にこのドキュメンタリーに書かれたエピソードを映像化している。

物語は、一言で言えば、どん底の者どもの復活劇を描く。不況のため一家離散の憂き目にあったジョニー・レッド・ポラード(トビー・マグワイア)。西海岸の自動車ビジネスで大きな成功を収めながら、最愛の一人息子を自動車事故で亡くし、ほどなく妻にも去られたチャールズ・ハワード(ジェフ・ブリッジス)。自動車産業の隆盛により職を失ったカウボーイ、トム・スミス(クリス・クーパー)。この3人がシービスケットと名づけられる馬によって結びつけられ、やがてこの馬とともに歩むことで生きる喜びを取り戻していく。鍵を握るシービスケットもまた飼い主や調教師から見放された問題児であった。この三人の男と一頭の馬が勝利と敗北と挫折を繰り返しながら、見事に全米ナンバー1の頂きへ駆け上がっていく。まさにアメリカン・ドリームである。

ストレートな感動を売りにするこの作品はハリウッドらしいわかりやすさと結末を持っている。いつもはこの手の映画は避けているのであるが、2時間半もの間、飽きずに見通せたのは、つまらないドラマ(特に恋愛や家族愛など)をいっさい紛れ込まさず、ただひたすら男達の行為と思いを全面的に描いているからである。それに尽きる。そして彼らの思いや行為の具現したものとしてシービスケットの勝利がある。このシンプルな味わいが意外なほど心地よかったのである。旧来の価値観にしがみつく保守支配階層の代表であるウォーアドミラルと、不況のどん底にあえぐ一般市民が熱狂的に応援するシービスケットのマッチレースは、そのまま当時のアメリカの状況を映すものである。我々観客はシービスケットに強く感情移入し叫ぶ。「ゴー、レッド! ゴー、シービスケット!」。たまにはいいものである。

なお競馬のシーンの迫力は特筆すべきであろう。これだけはビデオでは味わえない。ワーナーマイカルシネマズ・茨木で鑑賞。

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