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2004.02.04

写真はコピーか

森山大道を信奉するからではないけれど、この命題となると、彼の語ったことばが思い出される(「=森山大道」より)。
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アートは無から有を作るもの。写真はあるものを複写するところから始まっている。だからアート、アートというのはなじまない。複写を前提に始める方が写真の本質に行きやすい。自分の美意識とか観念で作品を作ったと言ってもしょうがない。結局バラバラに存在する世界の断片を複写するだけである。もちろん撮影者の記憶や美意識や観念は紛れ込むが、観念的美的アートでもないし、事実べったりの報告でもない。本当の意味でのオリジナリティは写真にはない。
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だいたいこういう主旨である。

美しい風景写真を見て、「美しい」と感じるその時、私たちはその写真そのものに感動しているのか、それとも現実の風景に心を動かしているのか。オードリー・ヘップバーンのスチールを見て、写真を綺麗だと思うのか、彼女が綺麗だと思うのか。多くの場合、我々は写真の向こう側に存在する現実に心を馳せている。男性が飽きもせずヌードグラビアを眺めるのは、写真の向こうの現実に欲情しているからである。

撮影者の主観により露出やシャッタースピード、被写界深度、構図、アングルなどが決められるとしても、写されるもの、被写体自体は変わることがない。大幅な画像加工をしない限り、変えようのない現実世界を切り取るだけである。そういう意味で言えば、写真は現実世界のコピーでしかない。もちろん写す側である程度操作することのできる上記の要素(露出云々)に、撮影者の個性のようなものを認めることにやぶさかではない。でもそれは技術であって芸術ではない。字の上手い人が誰でも書道家になれるわけではないのだ。私は技術を作家性(さらには芸術)と読み替えることはしたくないし、できない。

フォトログを眺めていると、そういう人は確かにいる。ものすごく綺麗で上手い。技術は完璧。世界中の人からたくさんのコメントももらっている。でも私はちっとも心が動かされない。まぁ単にこちらの感性が鈍いだけなのだろうが、そういうカタログやデザイン誌あたりに小綺麗に並べられそうなものを無理にわかろうとする気はさらさらない。

閑話休題。

視覚に特化した営為である写真ゆえに、「見る」ことにどれだけ執着したかが最も重要なことではないのかと、素人ながらぼんやり考える。それは単に「私はこう見た」ということではない。つまりは被写体(もしくはそれを含む世界)から時空間を超える普遍的な何者かを引き出し定着させる行為であることを意識させること。それは美であったり感情であったり時代そのものであったりする。「見る」は「読む」と言い換えてもよい。それはもうカメラの操作などとはまるで次元の異なる営みである。

古代日本語の「見る」は対象を支配することをも意味する。「国見」ということばは天皇が日本の各地を謁見することだが、それは同時にその地を支配したという宣言でもある。平安時代においては女は男に「垣間見」されることで、男の愛を受け入れ支配されることになる。支配とは穏やかならざる言葉であるが、対象をきちんと読み取らないとできるものではない。写真を撮るとは、つまりはそういうことではないのだろうか。カメラはコピーしかできない。しかし、コピーに何を残すのか、そこから何を読み取れるのか。複写するのは目に見える現象だけではない。

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コメント

yukihisaさん、こんにちは。私もちっともよくわかっていないので、日々、いろいろな方の素敵な写真を見て学んでおります。それもまた楽しです。:D

投稿: morio0101 | 2004.02.08 02:28

とても興味深く拝見させて頂きました..

私はFotologを知ってから写真を撮り始めたので、写真技術や理論などはよく解りませんが、morio0101さんの深い考察には唸らされました 全面的に賛同します.


いつもコメントありがとう:)
ドラマチックな一枚を撮ってみたいなと思う毎日です

投稿: yukihisa | 2004.02.07 22:34

かっこつけてますが、実際にシャッターを切る瞬間にあれこれ深く考えているわけではなく、ほとんど反射的に撮っています。意識するとしたらせいぜい「一期一会」ということでしょうか。誰でもそこに行けば撮れるものでも、その時にしかない要素を含めたいとは思っています。

投稿: morio0101 | 2004.02.05 02:07

読みごたえのある文章です。特にオードリー・ヘプバーンを例に出して解説している辺りはとても分かりやすく、論旨に迫力もあると思いました。
そしてmorioさんが写真の本質を深く考えられていることに敬意を持ちます。
私も行きがかり上、この宿題に関して、何か書かなきゃならないのですが、morioさんの文章を読むと、もう十分かな、と思いました。拍手。

投稿: atcy | 2004.02.04 20:00

デジ一眼で写真をはじめて1年と少々の自分には、写真とはなんぞや?などと考えてみたことはありませんでした。単純に、自分が感じるままのものであり、それ以上でもそれ以下でもなかったです。
しかし、考え込んじゃいましたね。美しいと思っていた写真の何が美しかったのか・・・ 
これから常にそのことを意識してしまう自分が想像できます。

投稿: sugulu | 2004.02.04 13:39

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