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2004.03.31

あまりにも個性的な質問コーナー

以前、キャラメルコーンの内容調査で爆笑させてもらったintpさんのINFINITYで、またしてもおもしろすぎるネタを紹介している。

メーカーや企業のサイトに行くと、よく訪問者向けに質問受付用の入力欄が設置されている。たいていは「〜のサポートはどこ?」「〜の使い方は?」などと入れて検索するわけだが、このチワワをCMに使う某消費者金融サイトのはどうも様子がおかしい。一言で言えば、担当者が茶目っ気一杯である。どうでもいいことを入力しても、それにきちんと答えてくれるのである。普通はありえないでしょ、そんなこと。intpさんも楽しい問答を繰り広げている。私も負けじとやってみた(一部重複しているが、どうしても私も見たかったので入れた)。

【注】も:morio、あ:アシスタントのお姉さん。

も:こんにちは。
あ:こんにちは。アイフルのサイトやサービスについてご質問はございますか?
※ちなみに「こんばんは」とすると、「こんばんは」と返ってきた。
も:名前は何ですか。
あ:はじめまして。安田美沙子と呼んでくださいね。
も:お元気ですか。
あ:おかげさまで、好調です。
も:結婚してますか。
あ:もちろん独身です。結婚は、まだまだ考えていません。
も:好きな色は何色ですか。
あ:特にお気に入りはありません。
も:ニックネームはありますか。
あ:昔はすごくやせていて「ヘタ」って呼ばれたことがあります。「ナスのヘタ」の「ヘタ」だったんですよ!そのほかは「やっすー」とか「みちゃ」とかです。
も:生年月日は?
あ:私ですか?私は昭和57年4月21日生まれです。
も:ご家族の構成は?
あ:私の家族は、父・母・弟・私の4人です。弟とは双子なんですよ。
も:年収はいくらですか。
あ:それは秘密です。
も:3サイズは?
あ:ごめんなさい。それはちょっと教えられません。
も:好きなものはなんですか?
あ:私の趣味は、旅行やドライブです。それから、温泉が大好きなので、休みの日にはよく出かけます。
も:ドライブは好きですか。
あ:申し訳ございませんが、別の表現で言い直していただけますでしょうか?
も:今、ドライブが好きだと言っただろう!
あ:サイトからは出れませんが、いつでもここへ遊びに来て下さい!
も:デートして下さい。
あ:サイトからは出れませんが、いつでもここへ遊びに来て下さい!
も:結婚して下さい。
あ:ありがとうございます。でも、私はアイフルのオンラインアシスタントですので、アイフルのサイトやサービスに関する事しかお応えできません。
も:疲れていませんか。
あ:私は24時間働いていますので・・・。
も:大変じゃないですか?
あ:そんなことありません。適度にリラックスしてお仕事させていただいております。
も:小説は読みますか。
あ:書籍について詳しくありません。
も:ばかやろ!
あ:お客さまを失望させてしまったようで申し訳ございません。
も:座右の銘は?
あ:「愛」「やればできる!」この言葉が私に元気を与えてくれます。
も:私は金持ちだ。
あ:そうなんですか?
も:やったー
あ:楽しんでいただけて何よりです。

ほとんどセクハラおやじになっていて、われながら情けない思いがするが、あくまでもお遊びなので、これをもって糾弾するとか、つるし上げるとか、しないでください。それにしても見事な会話になっている。他の企業のサイトではどうなんだろうか。大いなる疑問がわきあがる一時であった。

intpさん、楽しいネタをありがとうございました。

ご自身で確認されたい方はこちらへどうぞ

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針穴で見るKansai Lives Meetup

先日のmeetupで撮影したピンホール写真ができあがった。どこに出そうか、しばし悩んだ。そしてFotolog/morio0000に出した。実に一ヶ月半ぶりのアップロードである。今日はFotologが荒れに荒れている日、どうしてもそうしたい気分なのだ。


【all you need is love】

I love you

【大阪城で愛を語る人々1】

I love you

【大阪城で愛を語る人々2】

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2004.03.30

永遠のマリア・カラス

ちょっと売れる女性歌手が登場すると、すぐにディーヴァ(歌姫)ということばが氾濫する。同じようなことばにカリスマもある。これもちょっと人気が出たら、すぐにカリスマ扱いだ。いずれも思慮が足りなくて軽薄すぎる。そしてたいていはつまらない人物である。ディーヴァやカリスマなどというものは、本来個人の思い入れや一時の現象だけで決められるようなものではないだろう。本人の資質はもとより、社会(共時的)や歴史(通時的)に多大な影響を与えているかどうかを抜きにして語ることはできない。

さて今さらマリア・カラスをディーヴァと呼ぶこと自体、浮ついた感じがして憚られる。1950年代から60年代にかけて活躍した、このクラシック界きってのソプラノ歌手は、強烈な個性と歌唱、そして奔放な生活、突然の死などとあいまって、紛れもなくディーヴァの名にふさわしい人生を送ったといえる。

1974年の日本公演を最後にすべての音楽活動を絶ったマリア・カラス(ファニー・アルダン)は、蓄えた資産で日々の生活を送るだけの存在になっていた。敏腕プロデューサーのケリー(ジェレミー・アイアンズ)はそれを惜しみ、カラスを今一度芸術の場に立たせることを企図する。それは現在のカラスの演技に、絶頂期の彼女の声をかぶせたオペラ映画を撮影するというものだった。一度は拒否するカラスだが、往年の美声で歌う自分のビデオを観て、撮影に同意する。しかし、完成した映画を観たカラスの下した判断は……。

「永遠のマリア・カラス」は生前のカラスと親しかったフランコ・ゼフィレッリ監督が、事実と虚構を織り交ぜて創作した映画である。観るまでは多少の脚色を含むドキュメンタリーだとばかり思っていたので、拍子抜けしたというのが正直なところである。実際に映画もふわふわした掴み所のないものになってしまっており、単にカラスを芸術に厳しくあろうとする人物としてステレオタイプ的に提示するだけである。また肝心の音楽も細切れに流れるばかりで、とてもカラスの魅力を伝えるものにはなっていない。

薄命のチェロ奏者デュプレを描いた「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」も同じく脚色された映画だったが、作品に重厚さがあり、大きな満足感が得られた。逆に稀代のソプラノ歌手という好素材を扱いながら、その魅力を描ききれていない「永遠のマリア・カラス」は、すべての点において物足りなさを感じさせるものである。

余談:日本のディーヴァは美空ひばりと山口百恵しかありえないと思う。

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ヴァイブレータ

夜の新世界を歩き、フェスティバルゲートに向かう。ここはゴーストタウンかと見紛うほどの静けさである。固く閉ざされたシャッターが、ますます人を遠ざけている。遊興施設もメリーゴーランドくらいしか動いていない。8時35分からのレイトショーなので、先に軽く食事でもと思ったが、入る気になる店がモスバーガーくらいしかない。これではね。映画館も閑散としている。「ヴァイブレータ」最終回の客数は7名。

ある雪の夜のコンビニに、フリーライターの早川玲(寺島しのぶ)が酒を買いに来る。玲は日頃から頭の中で聞こえる声の存在に悩まされ、不眠、過食、食べ吐きをし、アルコール依存症になっていた。酒を見繕っている時に長靴の男(大森南朋)に目がとまり、「あれ、食べたい」と言葉が頭の中で踊る。後を追う玲は、その男のトラックに迷わず乗り込み、ゆきずりの関係を結ぶ。朝になり、一度はトラックから降りたものの、玲は岡部に言う、「道連れにして」と……。

梨園のしがらみを断ち切るかのような激しい演技を見せた寺島しのぶが圧倒的によい。また共演の大森南朋もたじろぐことなく寺島を受け止める。寺島のヌードや濡れ場がずいぶんと話題になったが、それらは男女の関係の深化を暗示する象徴的な意味を持つだけで、エロティックな印象はほとんど与えない。映画の大半を占める会話が生きたものになっているのは、この二人の俳優の力量が並々ならぬものであることを強く印象づける。

登場人物は寺島と大森以外ほとんどいない。舞台もほぼトラック内部に限られる。孤独に過ごすことが当たり前だった岡部と玲という二人の登場人物が、東京と新潟を往復する間、閉じられた空間で生きた会話をひたすら続ける。それによって二人の精神が柔らかく解き放たれていく。そこに主人公が転生を遂げる貴種流離の話型を透かし見ることができるだろう。かぐや姫は地上に舞い降り、地上で贖罪を果たし、元の世界へ帰っていく。かぐや姫を受け入れた人々もまた、かぐや姫によって人生の転機を迎える。岡島と玲の関係もそうした話型のバリエーションとして捉えられる。

ラストシーンで、岡島は玲を最初のコンビニで降ろす。物理的には物語の振り出しに戻っている。しかし、二人の人間の精神は確実に変化していた。「彼を食べて、彼に食べられた。ただ、それだけのことだった。ただあたしは自分が、いいものになった気がした。それだけでよかった。」という玲のモノローグで終わるエンディングは、実に深い余韻を感じさせる。字幕を多用する手法も言葉に支配される玲の意識を強く印象づけておもしろかった。

廣木隆一監督は「東京ゴミ女」でも倒錯した男女の意識をうまく描き出していた。赤坂真理の原作はかつて芥川賞候補になっている。最大の不満点はパンフレット掲載の上野千鶴子による「私は何でも知っているのだ」と言わんばかりの解説とその文体。玲ではないが、吐き気がした。動物園前シネフェスタで鑑賞。

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2004.03.28

フォトロガー、春の大阪meetup

いかにFotologの調子が悪くとも、そこで培われたものは素敵であったと思った一日。その顛末を備忘録代わりに書き記しておく。括弧内は参加者。途中参加、途中離脱あり。一部、敬称略。

■朝の部(ponkan・akinoringo・freeplay・morio)

朝10時にJR大阪環状線桜ノ宮駅に集合である。約束はそれだけ。ところが、とてもクリティカルな問題に駅で気付く。私は集まる人をまったく知らないのである。改札が二つあることもちょっとした混乱を呼び込んだが、花見をするという前提があるので、これは大川側でおそらく間違いないだろう。とにかく問題は誰が関係者かがわかっていないということである。片っ端から声をかけることもちらりと脳裏をかすめたが、気弱な私にはできそうにない。

しかし、神は私を見捨てなかった。すぐ目の前に見覚えのある顔が!! south parkよ、ありがとう。そこで作られた似顔絵とほぼ同じ方がいるではないか。よく見ると、ベッサまで肩にぶらさげている。安心して声をかけた。結局、朝の部は上記の男性四人組で行動することになった。

大川で桜を申し訳程度に鑑賞し、すぐに天神橋筋商店街に向かう。写真を撮りながら散策し、ドトールで一休み。その後、カンティプール(ネパール料理)でお昼を食べる。ponkanさんがうまい屋でたこ焼きを買おうとしたが、残念ながら待ち時間の関係で断念した。天満駅から環状線に乗って、午後の部の待ち合わせ場所である大阪城公園駅に向かった。

■昼の部(ponkan・akinoringo・freeplay・rav・qoo・haruru・tearoom・ayano・kabun・daimaou・indigoworks・balbarock・runner・weblog244・leonarhodo・morio)

大阪城公園駅前の階段に続々と集結するFotologgers。多くて吃驚である。だいたい揃ったところで簡単な自己紹介をして、天守閣の方を目指して出発する。みんな思い思いに撮影しながらなので、なかなか前に進まない。西の丸庭園でポラロイドな人が待っていることなどお構いなしの牛歩戦術である。

自分ではピンホール以外あまり写真は撮らず、他の人の様子をうかがう怪しい人物になっていた。ハンドル名通りの体躯に似合わず軽快に動き回る人(失礼!)巨大なレンズを取り付けた巨大な一眼を抱える小柄な人どこでもしゃがんだりひっついたりしている人(またしても失礼!)観光バスの向こうにダッシュしている人など、実に様々で見飽きない。

桃園や大道芸、天守閣などを見ながらゆるゆると歩を進め、ようやく西の丸庭園で全員揃う。6時に京橋駅で集結だが、時間があまりないので、京阪で天満橋から京橋へ移動する。駅までの道すがら、ravさんの買ったドラちゃんカステラでプチ盛り上がりを見せる。

■夜の部(ponkan・akinoringo・rav・qoo・haruru・tearoom・ayano・yokodo・mamma_mia・kabun・daimaou・indigoworks・balbarock・runner・weblog244・morio)

「グランシャトーがおまっせ〜」の近所の店で飲み会となる。私の座ったテーブルは女性率が高かったのであるが、酔っぱらって変なことを口走っていたとしたら、この場でお詫びいたします。weblog244さんから憧れだったIDプレートをいただき感激する。tearoomさんにはphotobackを作るように強く勧められる。qooさんやharuruさんからは「morioちゃん(!!)」と呼ばれることになり、何とも……。あっという間に熱い時間は過ぎ、二次会の喫茶店でクールダウンする。

私自身はあまり写真を撮らなかったのだけれど、上記参加者のFotologやblogには、順次、この日の様子がアップされるはずである。あわせてお楽しみいただきたいと思う。企画立案してくださったponkan & akinoringoの両氏にあらためてお礼申し上げます。みなさん、また一緒に楽しみましょう。今回お会いできなかった方々、次回こそは。

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2004.03.27

岡本太郎『今日の芸術』(知恵の森文庫)

恥ずかしながら、岡本太郎の書いたものをこれまで読んだことがなかった。近所の書店に岡本のコーナーが設けられていて、手軽に読めそうなこれを手に取ったのだが、警句に満ちた言説を巧みに操る筆力に舌を巻いた。発想や感覚の勝った人で論理的な部分はいささか欠いているのではという先入観を、この書によって見事に打ち壊された思いがする。

芸術は「きれいであってはならない」、「うまくあってはならない」、「ここちよくあってはならない」と言い、わからないことの魅力や芸術における新しさの意味を説くあたりは、目から鱗が落ちる記述がよどみなく畳みかけられて痛快である。一つ一つについて思うところを述べたい誘惑に駆られるのだけれども、ここでは自転車仲間のブログでにわかに盛り上がっている書き手の匿名性と記事の関連について、岡本のことばを借りながら思うところを書いてみたい。

問題点を整理すると、ブログやウェブの十全なる理解のために記述者の名前や紹介が必要かどうかということである。他人を俎上に載せるのは憚られるので、私を例にすると、この「1/365」というブログに来てくださる方々が、「morio0101」という人物の名前(実名またはハンドル)なり実在人物としての私のありようを知ることが、記事の理解にどれだけ寄与するかということである。

個人的にはなくてもまったく問題なしというスタンスをとる。あればあったで幾許かの理解の支えにはなることを否定するわけではないが、ネット上では誰でも何者かになりすますことができるため、自己紹介とて完全に信憑性があるとは言い切れない。となると、誰が書いたかよりも、何を書いたか。ネットでは目の前に提示された表現こそが重要であり、唯一にして最大の手がかりである。おもしろければ通い続けるし、おもしろくなければ去るのみ。

そして岡本太郎は言う。

たとえば、腕を前に突き出しているところを、真正面から描こうとすると、その突き出している拳と肩との関係が、どうもうまく描けません。握りこぶしが前に出てこないで、肩のところにかさなって二重マルになってしまったり、穴が開いたように見えてしまったりして、ひじょうにむずかしい。はじめて絵を描く人や不器用な人はずいぶん悩まされ、もてあますものですが、セザンヌの描いたデッサンがまさにその調子でした。すわっている裸婦を正面から描いたものですが、前にでているはずの膝小僧が下腹にめりこんでしまって、きのどくなほど不手ぎわでした(このときいっしょに行った日本人画家が、これを見て、「さすがセザンヌ、うまいもんだ」と奇妙に感心してみせるので、バカバカしい気がしました)。

時には名前がニュートラルな評価を妨げることすらあるということも忘れてはならない。日々の生活の中で「あの人の言うことだから……」というわけのわからない理由で納得させられた経験は、一度や二度では済まないし、自分自身も意識しないでそういう判断をしていることが多々ある。しかし、匿名であることが優先されるネットでは、そういう呪縛から逃れたところで享受する愉楽を味わえるのである。これを楽しまない手はないと思う。

古代の日本文学には署名がない。状況証拠で作者を推定するのみである。源氏物語はそれでも世界に誇る文学として評価されている。まずは表現ありきである。『紫式部日記』には、一条天皇が源氏物語を人に読ませて、「この作者は日本記を読んでいるだろう」と述べたという記事が見える。一条天皇の批評や享受の仕方は、表現の背景に透けて見える記述者の資質を射抜こうとする点で、まことに正しいものであったのである。岡本太郎の芸術享受の方法もまた同じ地平に立つ。

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2004.03.26

武豊とハルウララの共演

まずは自分自身のことを棚上げして言ってみるのであるが、いろいろなブログを見て回っていると、「ネタがないなら無理に書かなきゃいいのに」と思わされる記事がないこともない。特にニュースサイトあたりで何とかネタを拾ってきたんだろうと思わされるものは、「別にそこまでしなくてもなぁ、あなた、ほんとにそのニュースに興味や関心、一家言があるの?」と聞いてみたくなるが、もちろん聞いたりはしない。で、今日のお題。

連敗記録ゆえに人気を博しているハルウララに、武豊が騎乗した。

競馬のことはほとんど知らない。ギャンブルの対象としてつきあうこともない。しかし、稀にぽっかりと日曜午後に時間が空いたりすると、競馬中継を見ることがある。美しい緑の芝を舞台にして、鍛え上げられたサラブレッドの肢体の踊る姿が、ことのほか輝いて見えて心地よいからである。それが新聞の一面を飾るような名馬ならなおよい。速いものはそれだけで美しいのだ。

それでもたいていは見て終わりである。その中にあって、強く記憶に残る馬が一頭だけいる。1998年秋の天皇賞で非業の死を遂げたサイレンススズカである。この栗毛の美しい馬は稀代の快速を誇り、スタートから逃げに逃げて、誰にも影を踏ませないレースで勝利を収める(仏・凱旋門賞で2位となったエルコンドルパサーも封じた)。駆け引きなど無用で、ただ図抜けた能力を他の馬に見せつけ、「競うためのレース」を破壊し続けていたのである。その爽快感たるや、めったに得られるものではない。鞍上には武豊。天才と天才の邂逅であった。

ハルウララのことに移る。武豊は自身の日記で、自分の競争生活について語っている。あれだけ忙しそうにしているのにもかかわらず、日をおかず更新をしているところなど、見習うべき点が多い(笑)。その日記の3月22日の記事にハルウララに騎乗した感想が書かれていた。結果はすでに報じられたように、11頭中10位と惨敗である。ある意味、負けることを期待されている馬なので、この成績についてはさしたる感想はない。驚くべきはその賞金額である。日記から引用する。

もう一つ書いておきたいのは、ハルウララの今日のレースの1着賞金が僅かに11万円だったこと。勝ったとしても、騎手の取り分は5500円。仮に5着だったとすると、6000円ですから、騎手は300円にしかなりません。結果がブービーだったので何もらえないのは仕方がありませんが、命をかけて乗るジョッキーにとって、それは酷な見返りではないでしょうか。

確かに酷である。スターである武豊が手ぶらで帰ったとは思えないけれど、本業で保証される金額がこれでは、やはり地方競馬や並レベルのジョッキーは大変であると言わざるをえない。

さて今日のエントリ、無理に拾ってきたように見えたのだろうか(笑)。

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2004.03.25

ポラロイドの針穴

mi4koさんのところのミニ掲示板で、ishiguroさんがまずいもの(笑)を紹介していた。

ポラロイドから新しいピンホールカメラが発売されたそうである。ポラロイドのピンホールカメラといえば、以前から紙ボディのやつが出ていたけれど、ちょっと安っぽすぎて、「ほしい」という気にはならなかった。ところが、今度のピンホール80は違う。プラスチック製だ(と力を込めるほどのことはないね)。ピンホール、真四角、ポラロイドと、三拍子揃っている。しかもこんなうれしいアナウンスもされている。

セーフ&セーブ(失敗写真交換)サービスを開始しました。失敗にめげることなく撮影を楽しんでいただけるよう ピンホールフォトキット で撮影した写真の内、失敗写真をフィルムに交換できる券を愛用者カード返送と引き換えに郵送しています。詳細は交換券に記載されています。

ちょっと気になるなぁ。カメラ店で見たら……。

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2004.03.23

eiko

eiko.jpg「信じていれば、幸せになれるよね」はいい。でも「アメリのような女の子」はいけない。eikoはアメリでは決してない。両者は似て非なるものである。大ヒット作にあやかるのは宣伝という意味でわかりよいが、借りた看板によって失うものは相当大きい。そもそも成功したものに露骨に寄り添うさもしい根性が嫌らしくて情けない。

デザイン事務所に勤める秋森エイコ(麻生久美子)は、気弱でお人好しな性格である。彼女は疑うことを知らない性格で、キャッチセールスや訪問販売でがらくたばかりを売りつけられている。今日も人生の転機となるという変な石を買わされた。その翌日、勤めていた会社は社長が夜逃げし、給料未払いのまま倒産した。借金がかさむ彼女の自宅には、町金の取り立て屋が張り付いているし、恋人を訪ねても金を持っていないことを知ると冷たく追い返される。行くあてのなくなったエイコが会社の社長宅を訪れたところ、江ノ本という見知らぬ痴呆老人(沢田研二)が住んでいた。成り行きでエイコは江ノ本のマンションで共同生活を始めることにする。しかし、実は江ノ本は詐欺師だったのだ……。

話の行きがかり上、アメリとエイコを比べてみる。アメリが自分の意志で積極的に世界と関わろうとしていた女性であったのに対し、エイコはひたすら純真無垢な精神を持つ内向的な女性である。彼女は決して自分から他人の人生に関わろうとはしない。自分の積極性や関与する意志、計画を巧妙に隠し通し、主体的に匿名の幸福をばらまいたアメリと、そういうことをまったく考えていないエイコとでは、生きる力の向いている方向が180度異なっている。

また他人を信じて人間不信になったエイコは、最後にやはり人を信じて救われる。エイコの周囲の人も彼女と関わることで、自らの考えや生活を清められる。ただしエイコ自身は自分の存在が他者を救っていることに気付いていない。一方のアメリは人間不信になっているわけではなく、自分が周囲に幸福を振りまいていること(見方によっては善意の押しつけにも思えるほど)を強く自覚していた。これも両者の違いの際立つ部分である。

つまりはヒロインのあり方が根本的に違うのである。エイコを「日本のアメリ」と言われてもとうてい頷くことはできない。

アメリの色を抜いてこの映画を観た場合、ヒロインとそれに関わる人々の成長物語として、とてもわかりやすい物語になっている。しかし、その分、深みを感じさせないし、かといってファンタジーとして軽みに徹しているということもない。麻生久美子の美しさと可愛らしさにおんぶにだっこという、何とも惜しい映画であると思った。加えて沢田研二ももう少しうまく使えるんじゃないのか。脇役も豪華なわりに、単なる顔見せに終わってしまった。これも惜しい。監督はテレビ(「いいひと」「HERO」「恋愛詐欺師」など)で活躍してきた加門幾生。やはり素性は隠せず、2時間テレビドラマ風になってしまったか。シネ・リーブル梅田で鑑賞。

麻生久美子は演技もうまいし、容姿も優れている。画面での存在感も抜群で華もある。なのに「麻生久美子といえばこれ!」という代表作に恵まれていない。ファンとして残念である。そういう状況にあって、現時点で最も評価されているカンゾー先生がようやくDVDとして発売されるのは喜ぶべきことであろう。

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私もやってみた似顔絵遊び

morio.jpgmegane.jpgFotologgersのブログで見かけるイラストチックな似顔絵。ここのサイトで作ることができる。パーツの種類が限られているから、ずいぶんと若々しくなってしまう。左の写真のニットキャップとメガネが実際に愛用しているものである。

本人を知っている方、妙なつっこみは受け付けませんのであしからず。いくつか種類があるけれど、流行なのかなぁ。お遊びということでひとつ笑い飛ばしてください。

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2004.03.22

きょうのできごと

botamochi.jpg公開初日の昨日は、行定勲監督や田中麗奈らが舞台挨拶に来たため、大賑わいだったというテアトル梅田。二日目の日曜日の昼、予想に反してやや空席の目立つ劇場で映画に見入った。単館上映のB級邦画だから、いくら話題作といってもこんなものであろうか。映画自体は期待に違わぬもので心の隅々まで暖かく満たされた気持ちになった。

京都にある大学院に進学した正道(柏原収史)の引越祝いに、中沢(妻夫木聡)や真紀(田中麗奈)、けいと(伊藤歩)らが駆けつける。そこには同級生の西山(三浦誠己)や坂本(石野敦士)、後輩のかわち(松尾敏伸)も来ていた。7人は料理を食べ、酒をのみ、テレビを見たり、言い寄ったり、ゲームをしたりして、思い思いに過ごす。テレビのニュースには、ビルに挟まれた男(大倉孝二)が映し出され、浜に打ち上げられたクジラが登場する。真紀はほしいスカートが買えず、かわちは彼女であるちよ(池脇千鶴)に愛想を尽かされそうになっている。西山は真紀に変な髪型にされ、正道は当て逃げされて怪我をする。そして何ごともなかったかのように今日が終わり、明日がまた来る。

我ながらいい加減なあらすじだと呆れかえっている(笑)。

正道の下宿、座礁クジラのいる海岸、警察から逃れようとした男が挟まれるビル。この映画は異なる場所で同じ時間に起こっているある夜の出来事を描く。そしてそれぞれはまったく関係ないはずなのに、どこかでつながり微妙に影響を及ぼし合う。行定は、豊かで平凡な日常を捨て、過激なドラマばかりを求める映画作りに疑問を持ったという。そしてさらりと通り過ぎてしまう事象に気付く幸せと、どこかでいろいろなことがつながっていることを、映画として形象化したかったと述べる。

この何もドラマチックなことが起こらない映画が自分の好みに合うことは、原作を読み、撮影ドキュメンタリーを見、活字メディアの情報に接した、その時々の感触からすでにわかっていたことで、最後に映画本編を見て、それを確認するだけという状態であった。人にはどうでもいいことなのに、自分にとっては人生を左右するほどのどうでもよくないことというのは、確かにある。こうした愛すべきちっぽけなことの集積こそが人の生活そのものになるであろう。「どこにでもある日常は、捨てたものじゃないよ」という行定の伝えたかったということを反芻してみたい。

日本映画界の実力派若手俳優が揃って登場しているが、池脇千鶴と松尾敏伸の二人が最も輝いている。池脇の存在感とうまさには舌を巻いた。動物園でもエンディングでも、佇まいや台詞回しが秀逸で唸らされる。伊藤歩の切れた演技もいい。田中麗奈は演じた真紀がまともすぎて、この二人の魅力ある女性(ちよ・けいと)に比べて損をした感じがある。柏原収史、三浦誠己、大倉孝二らも個性をよく発揮していた。

ユーモラスでちょっと切ない思いを感じさせる、とても幸せな青春映画であった。テアトル梅田で鑑賞。今週末までは行定監督が撮った矢井田瞳「マーブル色の日」のPVも上映される。書き残したという思いが残ったが、ひとまずここまで。映画に明解な山場と結末を求める方にはお薦めできない。ご注意を。

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2004.03.21

ピンホール写真と私

Fotologでいつも素敵なピンホール写真を見せてくれるしきはんさんが、「アサヒカメラ」のコンテストで入選を繰り返していらっしゃる。ついに来月号分(2004年5月号)では特選をお取りになったそうだ。すばらしいの一言である。このことについてはご自身のサイトの日記コーナー(あとは掲示板でも)で書いていらっしゃるから問題なかろうと思い、紹介する次第である。コンテストに応募する意味やその先の夢のことにも少し触れていらっしゃる。ついて見られたい。

私がピンホールカメラで写真を撮るようになったのは、ここにもよくコメントをつけてくださるatcyさんの影響による。昨秋からニコマートに自作ピンホールを取り付けたカメラでさまざまな町の表情を切り取って、世界中の多くの人々を楽しませていらっしゃった。atcyさんの向き合う光景の魅力と同時に、それを掬い取る方法やセンスにすっかり魅せられた。視神経や記憶に直結しているようなピンホール写真がおもしろそうに思えたので、ちょうど彩都メディア図書館で開かれたピンホール写真講座を受講して、その後立て続けに2台のピンホールカメラを手に入れた。同じ頃、しきはんさんのサイトに行き当たり、まったく違うピンホール写真の表現を知った。そこにはちょっと現実離れした高度に抽象化された世界が広がっていた。あたかも針穴によって夾雑物がふるい落とされたかのような写真である。お二人のピンホール写真は幾度見ても尽きることのない深い魅力を湛えている。

転じて自分のものはどうか。まだ「ピンホールで撮ってみました」という域から出ていない。方法やテーマについて考えを深め、「ピンホールで撮った写真」から「ピンホールである必然性を持つ写真」というのを、いつか撮ってみたいと思う。ということで、Fotologには出していない「ピンホールで撮ってみました」という写真を2枚、ご披露。

umeda1
【横断歩道を行く人々】
umeda2
【ストリートライブに聴き入る人々】

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2004.03.20

『もうひとつの、きょうのできごと』(河出書房新社)

千里中央に行った。ここは御堂筋線の始発駅で豊中・吹田・箕面・茨木と直結している。いわば千里丘陵一帯の起点ともなる場所である。とはいえ、少し前まではセルシーやダイエーを中心にする、少し時代遅れのうら寂れた商業ゾーンであった。それがここ数年、あか抜けた店や若者向けの店が次々とオープンし、瞬く間に活気のある町に変貌してきた。昨年ついにスターバックスも進出し、これで名実ともにメジャー入り(笑)である。

大きなショッピング街には書店の存在が欠かせない。千里中央には北摂一帯で大きな勢力を誇る田村書店がある。せんちゅうパルに一軒、そしてセルシーの1階と4階に一軒ずつと計3店舗あったのだが、つい先日、セルシー1階以外の2店舗が1店舗に統合され、せんちゅうパル3・4階の2フロアに北摂一の広さを誇る店舗としてリニューアルオープンした。キタやミナミにある旭屋・紀伊国屋・ジュンク堂の品揃えには比べられないものの、近所の書店にはないような本も置いてあって、なかなかよいと思った。文庫や新書、選書あたりが特に充実している。

その田村書店で買ってきたのが、本日発売の『もうひとつの、きょうのできごと』(河出書房新社)である。いよいよ公開が明日に迫った映画「きょうのできごと」関連の写真集である。野口里佳、森山大道、野村佐紀子、吉永マサユキの撮り下ろし写真と、それに連動する柴崎友香の短編が組み合わされる。映画の原作となった小説の持つエッセンスがそのまま凝縮されたような内容で、期待に違わぬものであった。個人的には敬愛する森山大道の新作が拝めるだけでも満足である。

それにしても、柴崎友香の描く世界の空気感は親密で、体によく馴染んでくる。賞を獲ることがすべてではないし、獲ったとしてもそれはあくまでも作家個人のものであることは承知しているけれど(さらに可能性があるかどうかもこの際問題にしない)、かくなる上は、柴崎から遙か年長の高校同窓生の名を冠する、日本大衆小説最高の文学賞を獲得し、「きょうのできごと」にも描き込んだ母校の名を大いに広めてほしいと、やはり彼女の同窓の一人としてひそかに願う。

一緒に買ってきた本。赤瀬川原平・山下裕二『日本美術応援団』(ちくま文庫)、辻原登『遊動亭円木』(文春文庫)。感想は読後に。

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2004.03.18

「アサヒカメラ」を買ってきた。

いつもは近所の書店か、図書館ですませてしまう「アサヒカメラ」を、今月は買ってきた。先に発表された木村伊兵衛写真賞の講評が掲載されているからである。受賞者である澤田知子の手法は、さまざまな人物に変装し、プリクラや証明写真機などでセルフポートレートとして撮影するというものである。これを選考委員がどういう捉え方をしているかに興味があった。

都築響一は言う、「『普通の女の子になりたくてたまらない、普通じゃない私』の、痛切な心情が染み出ているようで、その叫び声の濁りのなさが、僕らすれっからし選考委員のこころに響いたのである。もしかしたらこれは、映像による自傷行為ではないかと思ってしまうほどに。」と。澤田はいかなる意味において普通ではないのか。「リストカット写真のような」というタイトルをつけた藤原新也も、同じような捉え方をしている。「自己写真を撮る彼女はそのツラ構えの存在感とは裏腹に、その『身体性』は90年代のそれよりさらに『空っぽ』な子である。まるで自傷行為のようにその空っぽのアイデンティティーを傷つけ、変身させ、自己確認に至る、という延々たる私不在の煉獄が次々作品として結晶化している。」

両氏ともに澤田のあまりにも強烈すぎる自己否定的映像行為に今日的な意味を見出しているのであろう。つまり一般的にセルフポートレート写真から読み取れる「自己に陶酔する=ストレートなナルシシズム」とは対極にある「元の自分を殺す=自己否定の毒」を評価していると言い換えてもよい。作品の底に沈められている「自己否定の毒」が、澤田自身の言う「外見のコンプレックス」にあるのは間違いないところである。ただその「毒」は「笑い」という糖衣(変装)に巧妙に包み隠されているし、彼女自身、どこまで意識化しているかはよくわからない。

土田ヒロミは澤田知子を推さなかった。そして別のことを読み取ろうとする。「自己を無差別に他者へと無限に増殖(インスタレーション効果を多用)させていくことで均一へと向かうかのようにみえる日本を顕し出している、と評価する。」発表された作品は享受者によって新たな価値や意味を付与されるものであるから、こうした解釈も的を射たものとして首肯できる。

篠山紀信のことば。「不細工な顔写真からここまで4年がたっていることが制作年度からわかります。それにしてもなんと魅力的な女性に変身したのでしょう。もうここまでくれば怖いものなしです。」篠山は受賞パーティーで澤田に会うことをこれまでにないほど楽しみにしているらしい。撮るか、篠山!?

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2004.03.17

喜八洲総本舗のぼた餅

botamochi.jpg「食い倒れの町」と呼ばれる大阪ではあるが、あんがい絶品とされる名物には恵まれていないように思える。もちろん金に糸目をつけなければ、全国有数の味を楽しませてくれる店も数多くあるには違いない。しかし、生粋の大阪人は「美味い」だけでは納得しない。なにより「安さ」がないと、「大阪らしい」という感覚が得られないのである。これはもう宿命と言ってもよい。したがって、何か買い物をしても、「これ、ええやろ」という言葉の次には、必ずと言っていいほど「安かってんで」というのが続く。高ければよくて当たり前なのである。「そこそこええもんを安く」という感覚は拭い去りようがないほど、根強く息づいている。

写真は十三の老舗「喜八洲総本舗」のぼた餅である。ここは何と言ってもみたらし団子と酒饅頭が名物である。店の前を通ると、ほんのり漂う香りが食欲をそそる。お彼岸ということもあって、今日はぼた餅にしてみた。どっしりとした重量感があり、食べ応え十分である。写真の三個で441円(税込)である。他にはきんつばもおいしい。

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『きょうのできごと』というできごと

いわゆる映画のメイキングである。通常であれば、映画公開終了後に発売されるDVDやビデオなどの特典として収められるはずのものを、こうして本編の公開直前に単独の商品として発売した。もちろんこれまでにそうした例がなかったわけではない。たとえば田中麗奈が主演した「はつ恋」や、麻生久美子が出演した「Red Shadow 赤影」などでも同じようなものが先行発売されていた(またこの二人かというつっこみは受け付けません、笑)。

しかし、この「『きょうのできごと』というできごと」はそれらとは少し性格が違うように見える。というのも、この映画の「毎日の何でもないことの積み重ねこそが生活」という主題は、そのままこの映画を撮影した人々にとっても日々向き合わなければならないものであるからである。その結果、これは単なる映画のメイキングやプロモーションであることを越えて、この映画に関わった人々の日常生活のドキュメンタリーになっているのであった。だからこそこのタイトルなのであろう。

「なにもないけれどおもしろい」、行定勲監督の言葉に期待させられる。充実の125分間。映画自体に明確な筋があるわけではないので、ネタバレの心配はほとんどないと思われる。一緒に購入した「きょうのできごと」の主題歌は、矢井田瞳の「マーブル色の日」である。歌詞もメロディも心に染み入る。彼女もまた作中人物たちと同世代で大阪出身であった。

  同じようなことで泣いて笑う だからぶつかる だから素敵(マーブル色の日)

以下のサイトで映画の予告編、主題歌の試聴、出演者のインタビュービデオなどが楽しめる。
TSUTAYA online / きょうのできごと a day on the planet

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2004.03.16

ココログがバージョンアップ、でも高い

ココログにプラスとプロという上位ツールが登場する。

登場! ココログ・プラス/プロ

ブログの自由なカスタマイズやアクセス解析など、これまでになかった機能が盛り込まれているものの、料金が高い。プラスは容量50MBで月額450円、プロは150MBで同じく950円である。これだけの料金を払って乗り換えるほど魅力的には思えない。感覚的には30MBが100円、50MBが150円、150MBが300円といったところが妥当かと思う。今、写真用のphotoblogを設置しているロリポップは、自分でMTを設定しないといけないけれど、100MBで月額250円である。

人目を惹くには機能よりまず料金だろう。特に初心者向けとか簡単を売りにするブログなら、なおさらシンプルかつ安価に始められることが大切ではないだろうか。もちろんそれで高機能であれば言うことはない。しかし、高機能だから格段に高くなるのはどうかと思う。一方、高機能を望む人は、下手な助けなどなくても、概して自分でいろいろとアレンジをするものである。ならば、安価で容量だけ増やすという選択肢の方をありがたがるのではないか。つまり今回の二つのコースは初心者にも熟練者にもいまひとつなものだと思われるのである。

一番ほしかったファイル削除機能はこれまでのサービスでも使うことができるので、乗り換える必要性はますます感じられない。このままだと、ここがいっぱいになった時点で、MTベースのブログに引っ越しすることになるに違いない。

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2004.03.15

淀川の右岸、十三から赤川鉄橋まで

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03156.jpg十三大橋から赤川鉄橋までの淀川河川敷をよく自転車で走る。明るい雰囲気の左岸は、グラウンドやテニスコート、児童公園などが整備され、たいていは多くの人で賑わっている。毛馬閘門や与謝蕪村の生誕地碑などの見所もある。しかし、私は少し寂れた気配の漂う右岸の方が好きである。十三大橋のたもとにいくばくかのグラウンドと、荒れた感じのミニゴルフ場がある以外は、ほとんど何もない。伸びるに任せた植物と自由な鳥の姿と広い空があるだけである。それがとても心地よい。

03151.jpg一年ほど護岸工事のためにこの区間の一部を走ることができなかった。それも半年ほど前に解除になり、以前のように誰でも通れるようになっている。近くの予備校生が河原でのんびり昼寝をしている。広大な花畑では愛らしい花が揺れている(冬はもちろんないけど)。川岸近くで黙々と体操するおじさんがいたり、外国人がゆったりとジョギングをしていたり、若いお母さんが小さい子供に自転車の練習をさせていたり、実にのどかである。そうした風景を横目で見ながら、ゆっくりとしたスピードで走り抜けるのである。

03155.jpg見知らぬ野鳥も数多くいる。彼らは不思議な声を響かせる。それを聞くともなしに聞いていると、ここが大阪有数の繁華街である梅田からほど近い場所であることをすっかり忘れてしまう。梅田方面に出る時は、十三大橋を南に渡り、中津にあるカンテ・グランデでお茶を楽しむことが多い。ここのチャイがおいしいのだ。こういう時間も手の届くちょっとした幸せと言ってもいいだろうか。お近くの方はどんな自転車でもいいので、一度、淀川右岸を走ってみて下さい。いろいろと発見できること、うけあいである。

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2004.03.14

「エースをねらえ!」を大人買い

堂島のジュンク堂書店で本探しをしたあと、ふらりと一階の文房具屋に立ち寄ったときに思い出してしまった。ご存じない方のために説明すると、その文房具屋の隣には大きなコミックコーナーがあるのである。思い出したものは仕方がない。山本鈴美香『エースをねらえ!』(ホーム社マンガ文庫、全10巻)を大人買いである。Wind Calmさんに「たぶん、「大人買い」なさるでしょう・・・」と書かれたとおりの結末であった。我ながらおかしく感じる。かつてアニメに興奮し、先日までドラマを楽しんでいただけに、原作本の世界がいかに描かれているのか、とても楽しみである。

テレビ朝日の「エースをねらえ!」公式ホームページによれば、総売上が1500万部にも達するという。驚くべき数字である。

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2004.03.13

ドラえもん のび太のワンニャン時空伝

春恒例のドラえもん映画に行ってきた。劇場で観るのは1997年の「のび太のねじ巻き都市冒険紀」から数えて8作目、それ以前の作品もすべてビデオで観ている。もちろん子供を連れているので、劇場で不審な目では見られない(笑)。

ドラえもん映画25周年記念作品である。映画の冒頭には「ドラえもん アニバーサリー25」と題されたダイジェストが流された。それなりに懐かしさを感じる。本編はいつもの王道パターンが踏襲されている。ドラえもんとのび太たちが異次元空間に落ち込み、その世界での問題に巻き込まれる。そしてヒーローとなって問題を解決し、元の世界に戻って来るというものである。今回は命あるものの大切さをテーマにしているとおぼしく、捨て犬や捨て猫とのび太たちの心の交流を描く。

DORAEMON THE MOVIE 2004 公式サイト

ある日、のび太が捨て犬を拾ってくる。イチという名をつけてこっそり飼っていたが、他にも街には多くの捨て犬や捨て猫がいた。そこでイチたちを3億年前の世界に連れて行き、自分たちで生きていけるようにした。翌日、タイムマシンでイチたちの世界へ向かったのび太たちは、時空のねじれに巻き込まれ異世界に放り出された。そこは犬や猫が高度な文明を持つワンニャン国であった。しかし、その世界は存亡の危機に晒されようとしていたのである……。

去年公開された「ドラえもん のび太とふしぎ風使い」でも感じたことだが、夢を見るのが楽しいはずのアニメなのに、場当たり的に道具を取り出し問題解決するだけなので、すこしも夢を感じることができない。タケコプターやどこでもドアのような「あればいいのに」と思わせる喜びがまるでないのである。長くやっていると難しいことも多いだろうと思う一方、藤子不二雄の偉大さと存在感をいまさらながら感じさせられた。公開6日目の最終回(19時5分スタート)、観客は20名足らずであっただろうか。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。

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2004.03.12

続「オノマトペ」研究中です

昨年末に自分の自転車ホームページに柔道選手井上康生のことを書いた。いちいち参照してもらうのも面倒なことなので、以下に引用する。

■「オノマトペ」研究中です
新聞に日本語や日本文学関連の記事が出たら、仕事絡みということもあるが、熱心に読んでしまう。この表題は朝日新聞12月14日のスポーツ欄に出ていた見出しである。書いたのはシドニー五輪柔道金メダリストの井上康生。オノマトペとは擬音語、擬態語を意味する術語であるが、東海大学大学院体育学研究科に通う井上の修士論文のテーマになったそうである。「はぁ?」という感じがした。体育学の院生がどこで日本語学の勉強をしたのかという根元的な疑問があるが、それはさておき、井上の語るところを読み進めると、ますます謎が深まる。なんでも柔道の動きを段階に分け、それぞれにあてはまるオノマトペを東海大学柔道部の69人(たったこれだけかよ!)にアンケート調査してまとめたという。曰く、その結果「グッ」「ガッ」などはパワー型、「スッ」「サッ」はスピード型であることがわかった、促音「っ」が多いこともわかった……。思い切り脱力した。こんなことで修士号がもらえるのか。小学生でも知っていることだろう。東海大学は何でもありなのか。こんなくだらない学問ごっこで修士号を出すと、大学の価値を大きく下げるだろう。むしろオリンピックで金メダルを取ったから、無条件で修士号を与えるという方が、かえって大学の見識の高さを知らしめると思う。新聞を読みながら、久しぶりに別の意味で熱くなってしまった。

その井上が04年3月12日付の朝日新聞朝刊の同じ欄「ボイス・オブ・アスリート」に再登場している。しかも懲りずに「オノマトペ」ネタを炸裂させていた。記事にはこうある。

3月は卒業の季節でもあります。東海大大学院体育学研究科を無事修了することができました。4月からは文学研究科(コミュニケーション学専攻=博士課程)に進んで、心理学の勉強を続ける予定です。オノマトペ(擬態語)の研究をステップアップさせ、また論文を書いてみたいと考えています。

何かおかしくないですか?

体育学研究科でオノマトペ(日本語学)を勉強したとする井上が、博士課程では文学研究科に進んで心理学の勉強を続けるという。しかも心理学の勉強の傍ら「オノマトペ」も研究するらしい。この脈絡のなさは何なのだろう。東海大学の修士課程とか博士課程には高度な専門性はないのだろうか。そもそもわずか69人にアンケートを取っただけの作文(論文では断じてない)に修士の学位を出すところだから、こういう問いかけをすること自体が無意味かもしれない。本人は文武両道を気取っているのだろうが、単に恥をさらしているだけであることを知るべきである。

誰か、止めてやればいいのに。あとビデオを見るとき、部屋を真っ暗にしているらしいが、目に悪いからやめた方がいいです、井上さん。

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2004.03.11

1年ぶりの讃岐うどんポタ

sanukifuji.jpgすっかり春の陽気であった。自転車で長距離を走ると左足首がまだ少し痛むけれど、存分に香川の自然と味覚を満喫してきた。春の陽に映える讃岐富士も実に見事であった。

讃岐うどんの魅力に取り憑かれてからというもの、「いつかは香川へ!」の思いを抱き続け、ついにその野望(笑)を達成したのが、ちょうど一年前であった。中西・なかむら・松岡・山越・たむら・さか枝の六軒を巡り、文字通り讃岐うどんで食い倒れた。昨年夏には家族旅行でまたしても香川を訪れ、この時は長田・小縣屋と中野うどん学校に行った。やはり満足した。そして今回は再び自転車(相棒はBD-1、通称バディ介)で、うどん帝国に上陸である。

yamashita.jpg深夜0時30分神戸三宮発高松行のジャンボフェリーは、関西在住の讃岐うどんマニア御用達便である。これに乗船すると、早朝4時10分に高松東港に到着する。香川のうどん屋の朝は早い。いいうどんが食べられるかどうか、勝負は午前中で決まるのである。人気のある店、おいしいと評判の店は、ほぼ昼過ぎには営業を終了する(麺がなくなるのだ)。したがって早朝から活動できる時間を与えてくれるこのフェリーはとてもありがたいのであった。そしてめぼしい店が営業終了した昼下がり、午後3時30分高松発のフェリーで神戸に戻ってくる。到着は午後7時10分である。つまり「ほぼ日帰り」で関西から本場讃岐うどんを味わう旅が可能なのである。もちろん今回もこの時間割で行動したのは言うまでもない。素敵だぜ、ジャンボフェリー。ちなみに往復の料金は2990円! 驚異的である。

平日深夜に高松へ向かう旅行客は、もちろんほとんどいない(笑)。半ば貸し切り状態の船室でゆっくり眠り翌日に備えた。予定通り高松に到着したが、昨年の反省からフェリーターミナルで夜が明けるのを待つことにした。むやみに暗くて寒い中を飛び出しても仕方がないのである。そして順調に中西・坂出山下うどん・がもう・なかむら・長田in香の香の五軒を回った。いずれの店もそれぞれの特徴を存分に味わわせてくれた。

中西〜しっぽくうどん(330円)。おばちゃんにあれこれ指南してもらう。
坂出山下〜釜揚げうどん(150円)・海老のかき揚げ(130円)。おばあちゃんに生醤油はやめて出汁をかけるように指導される(笑)。店の和み度がすばらしすぎる。地元のおばちゃんたちと一緒に「てるてる家族」を見た(爆笑)。村上春樹のサイン色紙あり。写真参照。
がもう〜かけうどん冷(100円)・さやえんどう天(70円)。ロケーション最高。
なかむら〜かけうどん冷(100円)・ちくわ天(100円)。脅威ののびる麺を堪能。筆舌に尽くしがたい魅力がある。
長田in香の香〜釜揚げうどん(250円)。もちもちした独特の食感がよい。
しめてうどん代930円、オプションが300円である。自転車で前傾姿勢を保つのが苦しくなった。腹出過ぎかも。ほんとうはあと1〜2軒回りたかったところだが、あきらめて善通寺散策をして帰ってきた。

ブラボー! 讃岐うどんである。それに尽きる。詳細は自転車HPの方に書いた。その2が今回ので、その1は昨年の報告である。

まとめて走った 香川・讃岐うどん巡礼 その2
まとめて走った 香川・讃岐うどん巡礼 その1

また御覧いただければ幸いである。

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2004.03.09

二つの小さいBBS

気分転換に時々ブログのデザインを変えている。昨日、左右の欄を総入れ替えした。タイトル部分の写真も背景に張り込んでそれらしくしてみた。ちなみにこれは大阪ミナミ、湊町リバーサイドプレイスにあるオープンカフェである。カウンターがなんとなく馴染んでいないように見えるが、前のよりはましになったかと自分に言い聞かせている。

さて以前から小さいBBS「chitchat BBS」をつけて、見に来て下さる方々から気軽に書き込みをいただいていた。自分でもとても気に入っている。そして昨日、デザイン変更に合わせて新たに「ishigroll BBS」というのを設置した。これは3月5日のエントリ「いしぐろーる計画」で紹介したプロジェクトの具現化したものである。Fotologに集う人々によって始められたproject ishigrollの第一歩目がこの共有掲示板ということになる。すでに多くのfotologgerのブログで同じ内容の掲示板が表示されている。どういう人々が参加しているかなど、詳細はproject ishigrollを参照していただきたい。

二つも掲示板があってややこしいとお感じになる方もあるだろうが、「ishigroll BBS」の方は基本的に上記のプロジェクトに絡むものゆえに、これまでどおり拙ブログやmorio個人に関わることは、従来の「chitchat BBS」をお使いいただければよいかと思う。もちろんproject ishigrollもオープンなものを目指しているので、こちらにどんどん書き込みをしていただき、仲間に加わってもらうのも大歓迎である。

ご不便をおかけしますが、どうぞこれからもよろしくお願いします。

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2004.03.08

ローライのデジタル二眼

きまたさんのところにヤシカフレックスが巡って来、しきはんさんも同じヤシカのルーキーを手に入れた。「二眼、いいなぁ」という羨みの声をあげたところ、一部(誰?)を中心に妙な煽りを受けたのは毎度のことなのでいいとして、とうとう二眼レフタイプのデジカメが登場した。しかもローライブランドだ。

PRESS RELEASE 『MiniDigi(ミニデジ)』新発売

おそらく性能的にはたいしたことがないと思われる。しかし、このスタイルである。痺れる人には痺れると思う(はい、それは私です)。サイズがちょうどCybershot U20と同じくらいというのが、物欲を刺激して危険である。とりあえずこのエントリを罠として設置し、誰がひっかかるか、観察してみることにしよう。:D ……デジタルで正方形フォーマットですよ(ぼそっ)。

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ビルヌーブ・ラブ その1

今シーズンのF1が始まった。恐怖の大王ミハエル・シューマッハが勝利し、2位には手堅く忠犬バリ公(ルーベンス・バリチェロ)が入った。フェラーリのワンツー・フィニッシュという、最悪の予定調和的開幕戦である。

F1ウォッチはニキ・ラウダが初めてドライバーズ・チャンピオンを獲得した1975年から続けている。当時は今のようにテレビ中継などなく、「オートスポーツ」を毎号買い込んで熱心に読んでいた。1976年と1977年には富士スピードウェイにF1がやってきた。これはTBS系列が中継し、夢心地で観戦した。何せ動くF1を観るのはほとんどないことだから。残念ながら77年のレースで不幸な死亡事故が起こったため、日本でのF1はそれきりになった。F1情報はまたしても活字媒体のみとなったが(散発的に欧州のレース中継はあった)、ついに1987年からフジテレビ系列で全戦の中継が始まることになる。アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、中島悟らを中心に、日本でも爆発的なF1ブームを迎えたのは、記憶に新しいところであろう。

しかし、そのあたりのF1史を語ることはまたの機会にする。ここでは私の最も愛するF1ドライバー、ジル・ビルヌーブとジャック・ビルヌーブについて書こうと思う。ひとまず予告編としてこのエントリはここまで。続く……。

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2004.03.06

おおいなるぼやき

今日でFotologのゴールド・カメラがはずれる予定であった(なぜ「であった」かは後述)。近頃の対応の悪さにとてもじゃないがドネーションを続ける気はなかったからである。明日からはすっきりするぞと思っていた……。

注釈:Fotologのシステムをご存じない方のために説明をする。通常は無料で一日一枚の写真をアップロードできるのだが、月に5ドル支払うと、1日に6枚までアップすることができるようになる。またそれぞれの写真につけられるコメント数も無料だと上限10のところ100まで拡張される。そして自分の名前の頭に燦然と金色のカメラアイコン(通称金亀)が輝くようになる。

ところが、さっきメールで「5ドルをFotolog様にお支払いしておきました〜」と引き落とし代理人PayPalから連絡が入っているではないか! なんということ。すぐさま確認しに行ったら、設定を自動引き落とし自動更新にしていた……。まったくもって「おーまいがー」である。そんな設定にしたつもりはないのに、やってたんでしょうね、きっと。ということで、あと1か月はゴールド・カメラがひっついたままの亀男になります。今はぜんぜん嬉しくない。

ついでに嫌々使っていたネットスケープだが、そうした気持ちを察してか、なぜかちょっとずつ増やしていたブックマークが消失している。なぜ? 誰かの嫌がらせか(そんなわけない)。murmurに収まらないんで、エントリにして憂さを晴らすことにする。全然晴れないけど。

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柴崎友香「きょうのできごと」(河出文庫)

この空気感やなにげなさはとても心地よいと思う。大阪や京都が舞台だから、せりふはすべて関西のことばで、読んでいてもあのイントネーション(非関西圏の方はとりあえず吉本のタレントを思い出して下さい)が頭の中を駆けめぐる。文学史に残る傑作ではないけれど、こういう日常生活を描く風通しのよい小説は、心の滋養のために必要である。

2月13日の記事で紹介した柴崎友香「きょうのできごとのつづきのできごと」の本編が文庫化された。5つの短編に加えて、この続編も収められている。

事件も結論も何もない世界。時々、ちょっとした山や谷がある。まさに私たちが日々経験するような日常生活そのものである。それを淡々と描いている。5編の視点人物は、けいと、真紀、中沢、かわち、正道と移り変わる。同じ時間、同じ場所(ちょっとずつずれるけれど)を違う人物の目からとらえている。あたかも芥川龍之介の「藪の中」のように、何が真実かは各自の見たところにしかないのである。それを日常生活の描写に活かしているところがおもしろい。

手の届く幸せに気づくことは大切なことである。そうでないとやりきれない。

■関連するもの

映画 行定勲監督「きょうのできごと a day on the planet」 3月20日公開
写真集 野口里佳・森山大道・野村佐紀子・吉永マサユキ『もうひとつの、きょうのできごと』(河出書房新社) 3月中旬発売
音楽 矢井田瞳「マーブル色の日」 3月17日発売

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2004.03.05

二つの王朝日記文学

2003年末に角川文庫から刊行された近藤みゆき遍『和泉式部日記』と原岡文子編『更級日記』を早く買わなくては思いながら、もう春になってしまった。忘れるつもりはなかったが、実際は忘れていた。ようやく書店で見かけて思い出し、手に入れることができた。

これまでの文庫版の古典文学作品は、功なした大家が蘊蓄を語りながらおおらかに編み上げているのが大半であるが、この二書に関しては最前線で研究活動を続けている学者によるものなので、とても期待していたのである(なら早く買えという感じ……)。

とりわけ国語学を専門とする近藤によって訳注と解説を付された『和泉式部日記』は、新しい知見に満ちており、読み応えがある。たとえば、これまで物語的とされてきたこの日記であるが、そこに使用される「語りの助動詞」は、物語であることを特徴づける「けり」ではなく「たり」であるという指摘には、目から鱗が落ちた。

すなわち「たり」で語られる過去とは、その時の出来事が、現在の「私」(=出来事の体験者、あるいは語り手)にまで継続的な影響を及ぼし、その結果として現在の「私」があるという意味をあらわすものに他ならないのである。客観的・非体験の過去をあらわす「けり」ではなく、現在の「私」と関わりを持つ過去を意味する助動詞「たり」とは、日記文学という「私」の過去を語る叙述になんとふさわしいものであろうか。(解説、208頁)

近年の文法研究では「たり」が単純な完了や継続を表すだけではなく、現在と何らかの関わりを持つ過去を表すパーフェクト的な性質を持っているものであるとされている。そうした新しい研究動向を踏まえた解説なので、たいへん説得力があり首肯される。とはいえ、廉価で手に入る文庫本である。小難しいことばかりが書かれているわけではない。底本にも最善本とされる宮内庁書陵部蔵本が使われている。古典に興味のある人にぜひお薦めしたい一冊である。

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いしぐろーる計画

meets0404.jpgatcyさんが自分の旧ブログと新ブログで共用できるミニBBSを取り付けた。ものじたいは私のブログにひっついているのと同じなので、「んじゃ、皆で共用できるBBSができるんじゃないか」と軽〜く言ったら、ほんとにそうなる勢いで話が進んでいる。恐るべし、いや、すばらしきネット社会! ブラボー Fotolog!(注)

(注)これはFotologの仲間を褒め称えているのであって、Fotolog自体を褒めているのではありません。

今回の計画の名前はサーバーを提供しようと言って下さったishiguroさんに敬意を表し(仕事丸投げともいう、笑)、atcyさんが「Project Ishigroll」と命名した。「いしぐろーる」に異存はない。ということで、近々、私のブログにもちっこいのがもう一つつく予定である。

なおこの写真と本文はまったく関係がない。新世界の某有名食堂の看板であるが、mi4koさんが変な食堂(めちゃくちゃ失礼!)の看板を出していたので、対抗上やむなく出したのである。学研ピンホールで撮ったやつで、Fotologには出していない。というか、出すような写真じゃないな、こりゃ。

all that atcy: Project Ishigroll! 始動!
Still Life: project ishigroll

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2004.03.04

第29回木村伊兵衛写真賞

木村伊兵衛写真賞が発表された。29回目の今年度は澤田知子が受賞した。20代の女性となると、つい先の芥川賞のことを思い起こしてしまう。両賞ともに新人賞的な色が濃いので、実績や年齢は問題にはならないが、女性が非常に目立つのは最近の傾向といってよいだろうか。先日見に行った写真表現大学の修了展でも、女性の方が圧倒的に多かったのも偶然のことではないのだろう。

澤田のプロフィールのページで確認できる活動は実にユニークである。今回の受賞は昨年末に開かれた個展「Costume」が対象になっているけれども、基本的に「変装」がこの人の持ち味であり個性であり活動の主要テーマである。彼女の写真は被写体側のおもしろさが徹底的に追求されているのであって、写す側の技術(写真として完成させるところまで含む)はほとんど二の次であるといえる。おそらくアイディアや方法論が高く評価されての受賞なのであろう。講評は「アサヒカメラ」4月号に掲載されるらしいが、どのような評価で受賞が決まったのか、たいへん興味深い。

澤田の大学の卒業制作はプリクラ写真で構成されたという。その後の制作活動では証明写真撮影機も使っている。そもそもプリクラや証明写真機に技術など必要ないし、ハード的に何を語ることがあるのか(いや、語れるのかもしれないが……)。この種の街頭インスタント写真機で磨かれた感性が、写真界の最も大きな賞を獲得したことに意味があるのだろう。澤田の受賞はそういう意味でエポックメイキングなことだと思われる。

「自分の手で撮影していないのに」と語る澤田の言葉は実に奥深い。

木村伊兵衛写真賞、神戸の澤田知子さんが受賞

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2004.03.03

ゴジラ映画50年

懐かしい東宝チャンピオン祭り。小学生の頃、長い休みの大きな楽しみの一つがこれであった。目玉はもちろんゴジラ。初期ゴジラはリアルタイムで見たわけではなく、すべてこのチャンピオン祭りで見た。

正義の味方として活躍していた昭和40年代のゴジラ映画は、一般的には評価の低いものばかりである。娯楽映画としては1954年に公開された初代「ゴジラ」が一番優れていると思うし、実際好きでもある。しかしながら、チャンピオン祭りで親しみ、記憶として体の奥底に刻み込まれているちょっと緩い表情のゴジラには、子供の頃の甘く切ない思い出が凝縮されている。決して忘れることはできない。

そのゴジラも今年で生誕50年を迎える。何でもひとまずシリーズとして区切りをつけるらしい。監督は「あずみ」で名を上げた(下げた?)北村龍平が担当する。報道によれば、これまでの人気怪獣がオールキャストで登場するとのこと。何となく散漫な脚本になりそうで心配だが、お手並み拝見といきたい。公開は今年末。またハム太郎に援軍を頼むのかな……。

Mainichi INTERACTIVE「映画「ゴジラ」ついに完結?」

■私的ゴジラ映画ベスト5(全28作中)
1 ゴジラ(1954年、本田猪四郎監督)
2 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年、金子修介監督)
3 モスラ対ゴジラ(1964年、本田猪四郎監督)
4 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年、本田猪四郎監督)
5 ゴジラvsビオランテ(1989年、大森一樹監督)
次点 ゴジラ対ヘドラ(1971年、板野義光監督)

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Fotologのその後

日本語使用者からの再三の抗議にもほっかむりを決め込んでいたFotologのcypher氏であるが、ついにこの問題を無視できなくなって早急に改善するとのコメントを出した。これまでについぞなかったことなので、大いなる前進だと考えたい。何が重要かといえば、日本語を含む2バイト文字の扱い以上に、Fotolog参加者の声に耳を傾け、それに対応しようとする姿勢を管理側が見せたことにある。

3/2 - Update on Guestbook Japanese/Foreign Characters issue - www.ezboard.com

この間、blog/fotolog/mail/BBSなどでそれぞれのメッセージを発し続けた方々の真摯な態度や行動に心から敬意を表するものである。さらに注意深く今後の展開を注視したい。

一方、いまだこの問題に対して、日本語が使用できなくてヒステリックに騒いでいると見る向きも、一部ではあるようだ。また標準コードを無視し続けるIEで不具合が出て、比較的素直なNetscapeなどがうまく表示できるところから、むしろ今回のトラブルを歓迎するかのような意見もある。確かにそういう見方もあるかもしれない。しかしながら、そうした考え方は今回の問題の核心からはずれるものであり、抗議行動を起こした人々の一番言いたいこと(管理側の不誠実な対応への不満)からは遠いものであると言わざるをえない。日本語の表示問題はあくまでも現象的なものであって、それだけを解決するならNetscapeでも何でも使えばすむことなのだから。そのあたりのことをぜひとも察し取っていただきたいと思う。

とりあえず一番意見がまとまっているらいだ(6弦)さんのところ。
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fotolog...無限に成長すると思われる巨大コミュニティ続報

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2004.03.02

写真表現大学の修了展

吹田市の万博公園にある写真表現大学の修了展を見てきた。昨秋、彩都メディア図書館で開かれたピンホール写真講座を受講した時に、ずいぶんと親切にしてくれた学生さんがいた。その彼女も修了予定で作品を展示しているので、どんな写真を撮っていらっしゃるのかと思って出向いたのである。

梅田に近い西天満あたりには古美術商やギャラリーがたくさんある。散策すると物欲が刺激されて困ってしまう場所なのだが、今回の修了展はこの地区の4つのギャラリーで開かれている。このあたりの雰囲気を味わうだけでも楽しくなってくる。

4つのうち2つ(千スペース・The Third Gallery Aya)だけ回った。手作りだけれど、アイディアや愛情にあふれる空間と展示だった。もちろんどの写真も素敵で、こういう形で自分の作品を出せることのすばらしさも味わわせてもらった。写真展を見る機会があまりないので、とても充実した一時であった。お近くにお立ち寄りで、写真に興味のある方は、ぜひ御覧になってみて下さい。

#感想ノートの中にFotologのravさんの名前を発見! 奇遇だ。

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2004.03.01

大阪の近代建築

meets0404.jpg「Meets regional」の4月号は「京阪神建築マップ 近代建築という街の遊び方」という特集である。これまでも自転車でたびたび巡ってはいるけれども、実際に行ったところをこうした雑誌で確認するのも楽しいことである。もちろん行ったことのない建物もたくさん掲載されているので、これを手にしてのんびりとポタリングをしてみようと思う。目的となる建物のことだけでなく、その周辺の情報もなかなか詳しいのが嬉しい。

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