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2004.03.06

柴崎友香「きょうのできごと」(河出文庫)

この空気感やなにげなさはとても心地よいと思う。大阪や京都が舞台だから、せりふはすべて関西のことばで、読んでいてもあのイントネーション(非関西圏の方はとりあえず吉本のタレントを思い出して下さい)が頭の中を駆けめぐる。文学史に残る傑作ではないけれど、こういう日常生活を描く風通しのよい小説は、心の滋養のために必要である。

2月13日の記事で紹介した柴崎友香「きょうのできごとのつづきのできごと」の本編が文庫化された。5つの短編に加えて、この続編も収められている。

事件も結論も何もない世界。時々、ちょっとした山や谷がある。まさに私たちが日々経験するような日常生活そのものである。それを淡々と描いている。5編の視点人物は、けいと、真紀、中沢、かわち、正道と移り変わる。同じ時間、同じ場所(ちょっとずつずれるけれど)を違う人物の目からとらえている。あたかも芥川龍之介の「藪の中」のように、何が真実かは各自の見たところにしかないのである。それを日常生活の描写に活かしているところがおもしろい。

手の届く幸せに気づくことは大切なことである。そうでないとやりきれない。

■関連するもの

映画 行定勲監督「きょうのできごと a day on the planet」 3月20日公開
写真集 野口里佳・森山大道・野村佐紀子・吉永マサユキ『もうひとつの、きょうのできごと』(河出書房新社) 3月中旬発売
音楽 矢井田瞳「マーブル色の日」 3月17日発売

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コメント

意識的に現代芸術に与する人ならば、もはや引用やコピーという問題から逃れられないということを強く自覚しているはずで、無から有を生むという不遜なことなど思いもしないのでしょうね。歴史に名を残すほどの偉大な芸術家にしても、タゾウさんの紹介なさったようなことばで「創造」について懐疑的なスタンスを取っているようだし、結局は「対象の発する声を自分の耳でしっかり聞き届ける」ことが唯一なすべきことなのだろうと思いました。

柴崎さんが京都の鴨川での撮影を見て、「自分の書きたかったことはこれや」と思ったということを、どこかで言うか、書くかしていたと記憶していますが、行定監督と柴崎さんがあの場面で「同じ声を聞いた」幸せな瞬間だったと思います。

投稿: morio | 2004.08.30 01:18

アルベルト・ジャコメッティの彫刻はやたらとひょろ長いフォルムが特徴ですが、ある時、ジャコメッティは誰かに「どうして貴方の彫刻はあんなにもひょろ長いのですか?」と聞かれたそうです。するとジャコメッティは、「私にもその理由がわからない。私には人の顔や身体のパーツのひとつひとつ(鼻や頬骨や顎や額など)がすべて鋭いナイフの切っ先のように見え、私はただそれを忠実に再現しようとしているだけなのだが、そうして行くと結果的にああいう形が浮かび上がって来る。これは全くの神秘だ」と答えています。
あるいはミケランジェロは彫刻を制作する際、「私は何も作っていない。ただ大理石の固まりの中に人が閉じ込められているのが見えるので、その人物を救出しようとしているだけだ」と言っていて、また同じようなことを遠く海を隔てた鎌倉時代・日本の大仏師運慶にしても「木の表面は豆腐のような柔らかいもので出来ていて、その部分を無心で取り除くと仏の姿が現れる」みたいなことを言っています。(そういえば、先日放映された「プロジェクトX〜奈良東大寺金剛力士像を救え!」では、金剛力士像の手には指紋のようなものがあり、それは木の木目を巧みに利用して作られたものだということを伝えていましが、その辺りを見る限り、金剛力士像の指や手は然るべき木の然るべき部分から然るべく発見され、然るべくそれが取り出され形成されたことがわかります。僕はこれを見て震えが止まらなかったのですが)

要するに何を言いたいのかと言うと、彼等と自分を比較する気は全然ありませんが、本質的にものを作るという行為は何かを「創造」するというよりも、それそのもの自体が本来あるべき姿に可能な限り近付けて行く、その戦いの作業なのではないかと思うんです。
(引用だらけというのもどうかと思いながら、今日はやたらと引用が多いんですけど、そういえば音楽家の武満徹さんも「私は作曲という作業を無から有を作る出すことだとは考えていない。これまで音楽になって来なかった世界中の音や声をもう一度聞き返す作業なのだと思う」と言ってましたね)
で、僕は僕なりに柴崎さんの作品の持つニュアンスのようなものを可能な限り引き出して、可能な限り効率が良いだろうという見せ方を模索したつもりで(今でもかなり模索中ですが)、また、映画『きょうのできごと』の行定監督も、おそらく同様に試行錯誤したんだと思うんですが、そうして導き出された結果が同じようなものになったということは不思議でもなんでもない気がします。

『きょうのできごと』の写真集の、そのカワチ君とチヨちゃんの写真は僕も見ましたが、あれは何ていうか、二次創作物というか、『きょうのできごと』と、そこに登場する役者を素材に、5人(でしたっけ?)の写真家が、多様な面白い形に料理し直すというようなニュアンスの企画のように思えたんですけど、ものを作る際のスタンスの置き方ひとつで、作品の完成時の形はこうも大きく変化するんですね。いやぁ、面白いです。

投稿: タゾウ | 2004.08.28 16:30

>タゾウさん
またまた興味深い話をありがとうございます。そう言われてみると、あの映画に合わせて刊行された写真集では、野村佐紀子がモノクロでかわちとちよを撮影しているのですが、それがずいぶん映画と違う雰囲気になっているのです。もうまさしく「かっこいい二人の若手俳優」で、映画の世界観とはちょっとずれているなと思いました。ああいう色やトーンを捨象すると、別の印象を与えるんだということに、あらためて気付かされました。

投稿: morio | 2004.08.26 23:36

おお、購入されたんですか。あの映画は僕もまた観たいなって思います。でもあの映画を観たあとって猛烈にビールが飲みたくなりませんか?(笑
ところで、映画『きょうのできごと』と言えば、ちょっと思い出すことがあります。……今僕が自分のblogでああだこうだ言ってる『いつか、僕らの途中で』の全体のカラー構成についてなんですが、この『いつか〜』という作品は春夏秋冬春の季節の移り変わりをモチーフにした5編の短編から成っていまして、その「秋」のカラープランとして用意してたチャートの色が、何ともうほとんどそのまんま、劇中のカワチ君とチヨちゃんの動物園デートの画面の色構成と一緒だったという。これ結構公開当時、担当の編集者の方と二人でビックリしました。

たぶん、柴崎さんの小説を丁寧に慎重にイメージ化して行こうとすると、ああいう色彩・結論になって行くと言うか、そんな風に思いました。単なる偶然じゃないんだろうなぁって。

投稿: タゾウ | 2004.08.25 08:13

>タゾウさん
ということで、発売された「きょうのできごと」のDVDをさっそく買ってきました。劇場でも4回観ましたが、今晩、じっくりと楽しみたいと思います。

投稿: morio | 2004.08.24 22:18

実はそんなことを、最近編集者の方とも話してたんです。でも、本当に近い内になにがしかの賞は取られる方なんじゃないかと、僕も思います。

投稿: タゾウ | 2004.08.22 16:02

>タゾウさん
とても興味深いお話、どうもありがとうございました。文学賞のことになるとずいぶん俗っぽくなるのですが、柴崎さんの文章を読むにつけ、やはり同窓の大先輩の名を冠した日本大衆小説向けの最高の賞を取ってほしいなぁと夢想しています。『いつか、僕らの途中で』も期待しております。柴崎さんにもこういうところで密やかに応援している者がいるとお伝えいただければ幸いです。

投稿: morio | 2004.08.18 02:33

柴崎さんと、同じ高校に通われてたんですか……。何かの御縁かもしれませんね。
ちなみに僕が柴崎さんと知り合ったのは、去年の5月に僕が『フォトグラフィア』というタイトルの長い絵本を書いて(http://ytzo.com/fotografia/fotografia.htmlに詳細)、そこから派生する形で僕のブログにもちょくちょく登場する編集者の方から紹介していただいた。というかたちです。
それで『京都観光2024』という柴崎さん原作の作品をご一緒させていただいて、それがまあなんとか形になって、今回の『いつか、僕らの途中で』の共著という話になりました。

「感性」という言葉を使うのは何となくイージーだし、またあまりに無遠慮な気がするんですけど、柴崎さんと一緒に作業していると、その言葉が唐突にポカっとあてはまることが非常に多いんです。あの観察力は紛れも無く「感性」なんじゃないかと。
これは、『きょうのできごと』の映画版を撮られた映画監督の行定勳さんも同じようなことをおっしゃってたんですけど、あれだけ超個人的なことをこれほど鮮やかに、克明に、ある意味でドラマチックに描き切ることは僕にはたぶんできません。だから、そんな柴崎さんと一緒に仕事をするということはとっても面白いんです。

もうすぐ柴崎さんから次回分の原稿が届くんですけど、それがいったいどんなものにってるのか、僕自身まったく想像もつかなくて、それがいま非常に楽しみです。
この『いつか、僕らの途中で』という作品の執筆作業も、1話16頁・全5話完結のうち2話を消化して、ようやく長い迷走と試行錯誤を乗り越え、進むべき方向性がきちんと見えて来たところです。だからこれからがもっと面白くなるんじゃないかと。
そんなところで、ちょっとばかりでも期待していていただけると嬉しいです。粛々とがんばりますので。

投稿: タゾウ | 2004.08.17 01:52

>タゾウさん
コメント、トラックバック、ありがとうございました。柴崎さんの観察眼についてのご意見、なるほどと思いました。描いている世界が個人的に近しいものなので(私、学年は違いますが、柴崎さんと高校の同窓です)、共感することが多々あります。ご一緒になさっているお仕事もぜひ見せていただきたいと思います。

投稿: morio | 2004.08.16 00:23

柴崎さんて、自分のまわりで起こるいろいろなことを、いつの間にかものすごく微細に観察してて、軽やかに作品に還元しているような気が個人的にします。お会いした時にそう思いました。
ところで、いま僕のサイトからトラックバックさせていただいたんですが、文字化けした、おかしな送信ミスを立て続けてしまいました。お許し下さい。

投稿: タゾウ | 2004.08.15 01:02

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