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2004.06.28

ペーパークラフト

紙工作ちょっと息抜き。暑気払いに楽しめたらいいかと思って、エントリーを立てる。作り始めてもっと熱くなっても責任は取れませんが。

右の写真は通天閣のペーパークラフトである。入場者に無料で配られるパンフレットについている。ただしこれを貰ったのは1年以上前なので、今も配布しているかどうかは不明である。

ネットを彷徨っているとJR西日本人気列車ペーパークラフトというのを見つけた。私は特に「鉄道マニア」ということではないが、乗り物は基本的に好きである。懐かしい蒸気機関車から最新鋭の電車まで、しかもパノラマを作るために背景やら構造物(駅・踏切・トンネル)まで用意されている。これはよほど鉄道が好きな人でないと、ここまで企画はできまい。さすがJR西日本、か?

あとこんなのも見つけた。ネットで見かけるあのキャラのペーパークラフトである。脱力感満点で、まぁ何となく和んでしまう。どれかを作ったら、また写真をアップしてみようと思う。

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2004.06.26

嶽本野ばら『それいぬ 正しい乙女になるために』(文春文庫PLUS)

魅力ある警句といえば芥川龍之介の『侏儒の言葉』を思い出す。あまりにもメジャーすぎて気恥ずかしい気もするけれど、それはお許し願いたい。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わなければ危険である。」などは特によく知られているものだろう。ただ警句というのはだいたいにおいて説教臭くていけすかない。天の邪鬼の私はついそう感じてしまう。

 ある女学生はわたしの友人にこういう事を尋ねたそうである。
「いったい接吻をする時には目をつぶっているものなのでしょうか? それともあいているものなのでしょうか?」
 あらゆる女学校の教科の中に恋愛に関する礼法のないのはわたしもこの女学生と共にはなはだ遺憾に思っている。

どうでもよいことをまじめに論じるこんなのは好き。

嶽本野ばらの『それいぬ 正しい乙女になるために』は、もともと「花形文化通信」というフリーペーパーに連載されたエッセーをまとめたものである。当時から静かに熱くファンの支持を集めていたらしいが、私は読んだことがなかった。この文庫版には当時入れられなかった文章まで収録されており、嶽本自身が完全版と宣言するものになっている。

副題の「正しい乙女になるために」が示すとおり、ここには今やどこにもいないのではないかと思われる乙女の作法や心得が満載されている。一見、一般人には遠い世界の話であるかのように見える。しかし、一本筋の通った主張と論理は、優れて警句となって立ち現れてくる。それらは実に魅力的である。月並みな言い方になるが、「目から鱗が落ちる」とはこういうことかと思った。たとえば「努力と根性」。

「努力」とは、目標があってそれに達する能力が不足な際、目標に到達出来る為の実力を身につけようと精進する、けなげな秀才論的方法論のことです。一方「根性」とは、目標に達する実力がないにも拘らず、何とか欲望を充たそうとする横紙破りな意志力のこと。つまり「根性」には「努力」と違い、正当な順序を経て目標に到達しようという常識の手順が欠落しているのである。

座右の銘を「根性」とする嶽本は両者をこのように規定する。

「努力」は自分のいたらなさを克服しようといたしますが、「根性」は自分ではなく、状況のいたらなさを捻じ曲げようとする自分勝手なパワーです。(中略)面倒くさい「努力」よりも、時空を歪ませワープするダイナミックな「根性」のほうが、ラクチンでドラマチックです。

嶽本や彼のファンにおもねるわけではないが、私はここで快哉の声を上げる。いくら「努力」を積み重ねても極みに達することのないサリエリに対し、遺作となる「レクイエム」とオペラ「皇帝ティトの慈悲」の二作と並行して、「根性」で傑作オペラ「魔笛」を二か月弱で作曲してしまうモーツァルトのことを思い出すのもよいだろう。どう考えても「努力」ではなしえない離れ業である。「根性」万歳。

「いい張る」「思い込む」「反省しない」は生活の三原則。祈れば奇跡はおきなん、です。

参りました。今度、観光地へ行ったら、「根性」と焼きの入った木刀でも買ってくるか。

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2004.06.24

CCCDでなくなった人々

ちゃんとお金を払って買ったのに自分のパソコンに取り込むことすらできない、変な信号のために音質が劣化している、場合によってはまっとうなオーディオ機器さえ破壊する可能性があるなどと言われるCCCD(Copy Control CD)。音楽業界が自分たちの利益を守るだけのために編み出したくだらない技術である。最初に始めたのはエイベックスであったかと記憶しているが、さもありなんである。もちろんこのレーベルのものは買わない(というか、幸い買ってまで聴きたい人はいない)。しかしながら、CCCDの流れはとどまるところを知らず、他のメーカー、ミュージシャンにまでどんどん広がっていった。愛聴してきたミュージシャンの新譜がCCCDになっていると知った時の絶望感はいいようのないものであった。

今日、ギター奏者の新作CDを2枚買ってきた。押尾コータロー「Be Happy」と小野リサ「NAIMA -meu anjo-」である。実はこの二人のアルバムは前作がCCCDだった。それ以前はそうではなかった。酷く落胆しながら小野のは買うのを諦め、押尾のは怒りに燃えながら仕方なしに買った。他にもCCCDになって買うのをやめたミュージシャンのCDは数知れず。何というか、メーカーの思惑の前に敗れ去った心根が許せないという感じがした。「正規盤の売上を守るため」という大義名分を掲げるCCCDであるが、私と同じように買うはずのものを見送る人も多数いると思う。この仕様にしたからといって売上が伸びるとは到底思えない。

#他に買ってしまったCCCD→クラフトワークとノラ・ジョーンズ……。

何があったのかは知らない。とにかく通常盤に戻っている。大好きなBonnie Pinkも前作はCCCDになって泣いたが(大袈裟)、新作は通常盤になった。会社もミュージシャンもCCCDの不毛さと馬鹿らしさにようやく気付いたということだろうか。まずは喜びたいと思う。エイベックス以下追従する金の猛者たちは、せいぜいバベルの塔でも築いてくだされ。

ところでギターといえば、村治佳織。彼女はなんとクラシックの名門レーベルであるデッカへの移籍を果たしていた。演奏のすばらしさとともにうっとりとみとれてしまう美貌にやられっぱなしである。その村治のデッカでのデビュー作が7月21日に発売になる。待望の一枚である。まさかCCCDじゃないよね……。

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2004.06.22

ピンホール写真を愛する −針穴友の会−

とあるところで興味深い話を聞いた。

写真家は最先端のテクノロジーを享受して新しい芸術を形成していった。

確かにそういう面はあると思う。たとえばライカの出現は、街中の至るところにカメラを持ち出す機会を生み出し、さらに高速で切れるシャッターは見えないはずの瞬間まで絵として固定してしまう。アンリ・カルティエ・ブレッソンの揺るぎない「決定的瞬間」は、このカメラの存在なくしてありえないのである。

ついでにいうならば、写真の出現により写実の世界を追われた美術界(絵画)が、革新的な手法で世界を描写する「印象派」を生んだことも興味深い。

現代においては、言うまでもなくデジタルカメラの存在を無視することができない。日進月歩の技術的改革を貪欲に吸収し、怪物的存在にまで急成長したデジタルカメラを抜きにして、もはや表現としての写真のありようを考えることはできないだろう。あわせて「明るい暗室」であるコンピュータのことも忘れてはならない。現代の「打ち出の小槌」は今やどんな映像でも生み出せるような錯覚さえ起こさせる。

しかしながら、一方でカメラの原形であるカメラ・オブスクラの流れを汲むピンホールカメラとその表現を愛する人々がいる。最先端のデジタルカメラとは対極にあるピンホールカメラ。コンピュータを飲み込んだ脅威の箱であるデジタルカメラに対し、ピンホールカメラは空っぽの箱に小さな穴がたった一つ空いているだけである。これを「ハイテク対ローテク」というわかりやすい二項対立の図式で比較することはしまい。両者は対立するものではなく、写真の表現手法として共存共栄すべきものだと考えるからである。そして今だからこそピンホールで撮影する写真の表現性や芸術性を考えることができるのではないかと思う。私は、「癒し」「スロー」「懐古趣味」といったお決まりの文句の呪縛からピンホールカメラを解き放ち、最先端のデジタルカメラに伍するデバイスとして捉えたいのである。そのうえで自分にできることを模索していきたいと思う。

赤い花 【激しい風に揺れる赤い花(これってハイビスカス?)】

ピンホール写真を愛する人々への開かれた場として、友人たちと針穴友の会を立ち上げました。興味のある方はぜひご参加下さい。

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2004.06.19

懐かしくて好きなお菓子

おにぎりせんべい 猫

きさ家の日記でおにぎりせんべいがローカル菓子なのか、全国区なのか、ということが話題になっていた。製造メーカーのマスヤが三重県にあるので、中部ローカルであっても不思議ではないが、大阪生まれ大阪育ちの私も子供の頃から大好きで、よくおやつに食べていたので、その旨を書き込んだ。そうこうするうちに食べたくなって買ってきたのであった。

それにしてもこのお菓子も息が長いと思う。マスヤのサイトによれば、1969年(昭和44年)7月に誕生したとのこと。皆さんもご存じですよね。キャラメルコーン、ココナッツサブレ、カール、かっぱえびせん、ぼんち揚……、まだあるかな。懐かしくて、でも今も食べているお菓子。枚挙に暇がない。

おにぎりせんべいの写真を撮っていたら、愛猫が足下に近づいてきてスリスリし始めた。ついでにパチリ。

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2004.06.17

ネットの整理整頓

気がついたら手を広げすぎている。

自転車に乗って愉悦を思う(自転車サイト:ニフティ)
1/365*morio0101(一般ブログ:ココログ)
photo 1/365(写真ブログ:ロリポップ・Movable Type)
Osaka GR Diary(一般写真:Fotolog)
Osaka Pinhole Diary(針穴写真:Fotolog)
オオサカハリアナツウシン(針穴ブログ:jugem)

実はこれ以外にも仕事絡みのブログやサイトをいくつか動かしている。まぁ、それは本業だからいいとして。

自転車のサイト「自転車に乗って愉悦を思う」はデータベース的に使えたらいいということで、このまま続けるつもりである。ポタリングや自転車旅行にでかけたら、何か書きたくなるに決まっているから。決して放置しているわけではない(汗)。ココログに作った「1/365*morio0101」は日々つぶやかなければならないので、やはり必要である。兼好法師が「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつやりすつべき物なれば、人の見るべきにもあらず。」と徒然草で言うとおりである。なくすと自分がとても困る。ロリポップにMTをインストールして立ち上げた「photo 1/365」は、不具合続出&画質劣悪なFotologを補完するためのものとして運用を始めた。もともと自己満足のための写真ブログであるから、コメントがつこうがつくまいが、もっと言えば、人が見ていようがいまいが、いっこうにお構いなしである。出したい写真を出したい大きさと画質で出す。残す。「オオサカハリアナツウシン」は、ピンホール写真専門ブログとして半月ほど前に始めたばかりである。これを起点にして針穴写真家の人たちと交流やネットワーク作りができたらと目論んでいる。これも必要。

となると、問題は残りの二つの写真サイトである。Fotologだ……。言いたいことはあれこれあるが、今は措いておく。とりあえずピンホール写真専門の「Osaka Pinhole Diary」は「オオサカハリアナツウシン」に全面移行する。ここにコメントを下さっていた方々は「オオサカハリアナツウシン」を見て下さっているようだし、特に問題はなかろう(もともとコメントも少なかったし、笑)。そしてメインだった「Osaka GR Diary」を「photo 1/365@fotolog」と改題して、レンズカメラ・ピンホールカメラを問わず出すことにする。ちょうどMT版「photo 1/365」と対になる。Fotologを通じてのコミュニケーションのすばらしさは多くの人の指摘するところだが、私もそれは強く思う。窓口を一つにして出したい写真を気ままに出すというのは、自分にとっても気楽である。「Osaka GR Diary」という名前はとても気に入っていたので、これをなくすことはひっかかるのだけれど、まぁこれも流れということで諦めることにした。

以上、ネットの整理整頓のご報告。これからもおつき合いのほど、よろしくお願いいたします。結局、一つしか整理してませんね……。

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2004.06.16

世界の終わりという名の雑貨店

このところ嶽本野ばらづいているので、デビュー作『ミシン』(小学館)に収められている小品を原作とする2001年公開の映画、「世界の終わりという名の雑貨店」を借りてきて観た。しかし、これは最後まで見続けるのが辛かった。

社会や現実とうまく折り合いをつけることのできないフリーライターの雄高(西島秀俊)は、自分のための雑貨店「世界の終わり」を始める。ある日、雄高と同じように周囲に馴染めず、一人で生きていこうとする女子高生(高橋マリ子)が店を訪れる。似たものを抱える二人にとって、この店は唯一の居場所となる。しかし、店のあるビルが取り壊しとなり、「世界の終わり」も閉店を余儀なくされる。居場所を失った二人は雑貨店にあった古い写真に写る場所を探す旅にでかけていく……。

緊迫感のある退屈は、時にスリリングであるし、あれこれと考える余地がある。しかし、時間だけがだらしなく伸びきった退屈は、ただの退屈でしかない。「嶽本野ばらが原作だ、きっと何かある」と待ち続けたのだが、結局、何も起こらなかった。何も起こらないことに大いに意味を持たせる映画もあるが、これはそうではなかったらしい。監督はこれがデビュー作となる濱田樹石。この後はもうないようである。

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2004.06.15

澤田知子展 ID400

澤田知子展第29回木村伊兵衛写真賞の話題をエントリーとして立てたのは3月4日のこと。それ以降の澤田知子の各種メディアへの露出はすさまじいものがある。さすが写真界の芥川賞である。そして今回の受賞の集大成として写真集『ID400』(青幻舎)が5月のゴールデンウィークに刊行された。なにゆえにそこまで持ち上げられるのかの分析は専門家に任せるとして、一度、全貌を見てみたいと興味は持っていた。

折しも澤田をデビュー時からサポートし続けてきたThe Third Gallery Ayaが、淀屋橋から江戸堀に移転することになった。その新しいギャラリーのオープン記念展として澤田知子展が企画された。さっそく仕事帰りに立ち寄った。ほどよくくたびれた感じがよい雰囲気を醸し出している若狭ビルの2階に、新しいThe Third Gallery Ayaはある。中に入ると、真っ白に塗られた壁一面に「澤田知子」の顔、顔、顔!! 壁中が「澤田知子」である。正面に丸坊主の澤田知子の大パネルが4枚、左右の壁に『ID400』の全作品が額に入って並んでいる。すごい迫力。ちょうどディレクターの綾智佳さんがいらっしゃったので、ひとしきり話を聞いた。となりの事務所では澤田知子が取材を受けている最中……。

すべての作品を見ての感想は、得体の知れない力は感じるけれど、それは圧倒的な量によってもたらされるものであって、決して写真そのものに心を動かされてのことではないということである。澤田の言う「内面と外見の関係」というのも今ひとつよくわからない。もともとが自身の容姿へのコンプレックスが出発点であったらしいが、こうした変装によって現代社会の何を暴き立てたいのか。「人は何にでもなれる」「人は外見で判断してはいけない」「外見重視の皮相な現代文化への風刺」などというつまらない結論が飛び出さないことを祈る。そのあたりの理論武装はどうなっているのか、おおいに気になるところである。

90年代後半を席巻した若手女性写真家たち。HIROMIX、長島有里枝、蜷川実花、川内倫子、野口里佳……。彼女たちとともに澤田知子は日本の写真史の中にどのような位置を占めることになるのだろうか。

澤田知子展 ID400
The Third Gallery Aya
大阪市西区江戸堀1-8-2 若狭ビル2F
2004.6.14〜7.8
12:00〜19:00(土17:00) 日・月休

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2004.06.13

『長田弘詩集』(ハルキ文庫)

公園の空1

最初の質問
 今日、あなたは空を見上げましたか。空は遠かったですか、近かったですか。雲はどんなかたちをしていましたか。風はどんな匂いがしましたか。あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。  窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ちどまったことがありますか。街路樹の木の名を知っていますか。樹木を友人だと考えたことがありますか。  このまえ、川を見つめたのはいつでしたか。砂のうえに坐ったのは、草のうえに坐ったのはいつでしたか。「うつくしい」と、あなたがためらわず言えるものは何ですか。好きな花を七つ、あげられますか。あなたにとって「わたしたち」というのは、誰ですか。  夜明け前に啼きかわす鳥の声を聴いたことがありますか。ゆっくりと暮れてゆく西の空に祈ったことがありますか。何歳のときのじぶんが好きですか。上手に歳をとることができるとおもいますか。世界という言葉で、まずおもいえがく風景はどんな風景ですか。  いまあなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聴こえますか。沈黙はどんな音がしますか。じっと目をつぶる。すると、何が見えてきますか。問いと答えと、いまあなたにとって必要なのはどっちですか。これだけはしないと、心に決めていることがありますか。  いちばんしたいことは何ですか。人生の材料は何だとおもいますか。あなたにとって、あるいはあなたの知らない人びと、あなたを知らない人びとにとって、幸福って何だとおもいますか。時代は言葉をないがしろにしている——あなたは言葉を信じていますか。

嶽本野ばらの『下妻物語』と一緒に買ってきた。以前、谷川俊太郎「朝のリレー」についてのエントリーで、谷川の熱心な読者ではないことを書いたが、そもそも詩自体に親しむ機会が少ない(自慢にならない……)。詩の場合は、多く高度に抽象化された表現を選び取っているため、小説などの散文よりも積極的に関わっていかないとその世界に入り込めない。そういう基本的性質が、私には荷が重いからである。

長田弘の詩は一見エッセイであるかのような姿を持つ。とても読みやすい。しかし、この詩集の巻頭に置かれた「最初の質問」を一読して、考え込んでしまった。なんでも中学生の国語の教科書にも採用されている詩らしいが、これはある程度年を重ねた者にこそ染みてくるものではないだろうか。疲弊した気持ちに新鮮な空気を送り込まれたような清々しさを感じた。

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2004.06.11

嶽本野ばら『下妻物語』(小学館文庫)

下妻物語映画がおもしろかったので、新刊として出ていた文庫本を買ってきた。これまたたいへんおもしろい。映画では表現できない背景や細かなディテールがわかって、いっそうおもしろい。とにかくおもしろい、おもしろいと思いながら、一気に読み切った。

視点人物をロリータ娘の竜ヶ崎桃子に固定することで、この小説の価値観は何があっても揺れることがない。切れ味鋭い桃子の「ロリータ的発想」(たとえそれが彼女の独断と偏見に満ちた考え方であろうとも)によって、世間のいびつさや気味悪さが、これでもかというくらい暴き立てられる。鮮やかである。そして一本筋が通っているという点で、「ロリータ」桃子と「ヤンキー」イチゴは、海より深い共通点を持っているのであった。

「嶽本野ばら、侮りがたし」の印象を強く持った。

なお「下妻物語」の続編がWEBきららに掲載されている。PDF形式である。興味のある方はぜひ。

ところで、某Mマークのファーストフード店で『下妻物語』を読み切ったのですが、家に帰ってから鞄を見ても本が入っていません。どうやらそこに忘れてきたようです。うむむ……。

追記:仕事に使う書類入れの中から『下妻物語』が出てきた。なんで紛れ込んだんだろう。ということで、写真撮影して、上に追加した。

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2004.06.09

a portrait of postcard

project ishigrollで「ポストカード交換会(Postcard Project)」企画が告知されたのは5月のこと。そして先日、私のところにも綺麗なカードが送られてきた。

ポストカード

moonisupさんのポストカードである。レゴのキャラクターが楽しいとても涼しげなグラスの写真である。食べ物も飲み物も上手に撮れない私には、羨ましくなるような写真である。そのうえカレンダーまでついているし、とりあえず写真だけ貼り付けた自分のポストカードの情けなさが、ちらちらと脳裏をよぎる。ああ、君はいったい誰の元へ?

ともあれ、moonisupさん、素敵なカードをありがとうございました。それから事務局を務めて下さったsuguluさんにも、心からお礼申し上げます。

さて、moonisupさんのポストカードとともに、この日は写真仲間からの贈り物も届けられた。一つはyoさん謹製のガム! すでにあちこちのブログで話題になっている一品である。食べるのが惜しいけれど、このまま鑑賞して終わりにするわけにはいかないので、遠慮なくモグモグしたい。ありがとう。それからもう一つは、mi4koさんから「二眼友の会」の缶バッチのお裾分けである。デザイン(きまたさん御製)は渋いし、とてもかっこいい。さっそく大阪コード君のストラップにくっつけた。謝謝 :-) 今度は「針穴友の会」でも立ち上げて、会員証代わりに作ってみたいと思った。

なんだかとてもいい気分である。Postcard Projectに関わった皆さんに心から感謝申し上げて、このエントリーの締めとしたい。またやりましょうね。

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2004.06.08

深呼吸の必要

篠原哲雄は好きな監督である。出世作となった「月とキャベツ」に始まって、「洗濯機は俺にまかせろ」「きみのためにできること」「はつ恋」「けん玉」などは、どれも身近な生活を題材にし、淡々とした描写で家族や恋人たちのかすかな心の揺らぎを感じさせてくれた。

しかしながら、ここのところの篠原監督は豪華キャストを擁した大作に取り組むことが多く、しかも映画の出来が派手なだけであとに何も残らないという寂しいものであった。「命」(江角マキコ・豊川悦司・筧利夫・麻生久美子・寺脇康文・平田満・樹木希林)、「木曜組曲」( 鈴木京香・原田美枝子・富田靖子・西田尚美・加藤登紀子・浅丘ルリ子・竹中直人)の2本が最たるもので、そのほか「オー・ド・ヴィ」(岸谷五朗・鰐淵晴子・小山田サユリ)や「昭和歌謡大全集」(松田龍平・安藤政信・樋口可南子・岸本加世子・池内博之・細川ふみえ・近藤公園・鈴木砂羽)なども賑やかなだけで冴えたところがなく、焦点が定まらない。この映画と同時に公開されている「天国の本屋 恋火」(竹内結子・玉山鉄二)もこちら側か。

深呼吸の必要」は久しぶりに篠原監督が原点に回帰した映画であった。沖縄の離島にそれぞれの事情を抱えた若者が集まり、約一ヶ月間、ひたすらサトウキビの収穫をするだけの話である。物語の中で若者たちの参加の動機が描かれることはほとんどないし、1か月後に彼らの問題が解決したのかどうかも明らかにされない。つまりドラマがない(もちろんちょっとしたものはある)。あざとい設定もない。若い男女が集まれば、お決まりのように描かれるはずの恋愛や葛藤もない。スクリーンに現れるのは淡々と繰り返される日常であり、その積み重ねが一人一人の生活となるという、誰にでも心当たりのある当たり前の時空間である。

これがたいへん心地よい。

沖縄の美しい自然が彼らの時間に静かに寄り添い、鑑賞者もまた彼らとともに安心して身を委ねることができる。「ならんあれぇ、はじめからしぃなおしぇしむさ(ダメになったら、最初からやり直せばいいさ)」というおじいとおばあのことばに導かれるまま、カメラは7人の若者の生活だけをシンプルに切り取っていく。等身大とは言うまい。ラストの盛り上げ方や人物の設定にややステレオタイプ的な臭さを感じないではないが、よけいな語りやエピソードを入れない展開には好感が持てた。音楽を担当した小林武史、マイ・リトル・ラバーの楽曲も映画の空気にぴたりとマッチしている。梅田ガーデンシネマで鑑賞。

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2004.06.07

下妻物語

全編、これ、ギャグ漫画である。いや、原作は嶽本野ばらの『下妻物語』という小説であるが、この映画の表現手法は漫画またはアニメのそれを踏襲している。そしてそれは物語の内容と見事にマッチしており、楽しさはいや増すばかりである。

茨城県下妻市。のどかな田舎町を全身ロリータファッションに身を固めた女子高校生、竜ヶ崎桃子(深田恭子)が一人歩く。桃子は妻(篠原涼子)に捨てられた筋金入りのダメ親父(宮迫博之)とともに、ジャージ文化の町兵庫県尼崎市から、ヤンキー文化花盛りの下妻へ移り住むことになったのである。桃子は憧れのブランド商品を買うために、父親の扱っていた偽ブランド商品を売りさばくことにした。果たして買い手が現れた。同じ高校2年生の白百合イチゴ(土屋アンナ)である。イチゴは下妻最強レディース『舗爾威帝劉(ポニーテール)』所属のヤンキーであった。ロリータ娘に極悪ヤンキーの取り合わせ。気合いの入った二人組を前にして、何も起こらない方が不思議である。かくして桃子とイチゴの熱い日々が始まる……。

ギャグドラマを解説したり、講評したりするほど野暮ではない。だから何も言わない。これはポカーンと観て、ただひたすら楽しむ映画である。主演の二人はもちろん、俳優陣も皆はじけた演技で楽しそうである。宮迫博之・阿部サダヲ・小池栄子・荒川良々・篠原涼子・生瀬勝久、そして樹木希林。達者な人々が集まって物語をしっかり支えている。それにしても「ジャスコと尼崎」、最強である(笑)。監督は中島哲也。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。

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2004.06.05

大沢たかおの顔を見るなり「リリイ・シュシュのすべて」を思い出して胸がざわざわした。しかし、柄本明とのやり取りですぐに映画の中に引き込まれて静かな気分になっていった。はこの二人の「記憶」を巡るロードムービーである。

優秀な成績を誇る銀行営業員の野崎陽一郎(大沢たかお)は、ある日酷い眩暈に襲われて病院に運ばれる。脳に動脈瘤ができており、そのままではいつ死を迎えるかわからない状態であると宣告される。しかも手術を受けても、今度は記憶を失う虞があるという。生きていても自分を自分たらしめる記憶を失うことは、死んでしまうことと同じではないか、そう思った陽一郎は世間との関わりを絶って孤独に生きようとする。1週間後、近所の男からアルバイトを紹介された。冤罪事件の裁判に勝訴した鳥越(柄本明)という弁護士と一緒に、東京から鹿児島までドライブするというものであった。そのドライブは鳥越が別れた妻との思い出(記憶)を取り戻すための旅だった……。

記憶を失うことは死と同じと考える野崎は、亡き妻との記憶を取り戻すことで己を回復しようとする鳥越の姿を見て生きる力を得る。旅の中で徐々に変化していく二人の様子を、鑑賞者もまた車に同乗し、寄り添う形で見つめ続けることになる。そして彼らの行動や思考を通して、「自分を自分たらしめているものは何か」ということについて深く考えさせられる。藤村志保・西田尚美・樋口可南子・南果歩・椎名桔平・仲村トオル・遠藤憲一……。脇役陣も豪華である。スタッフには相米慎二に縁の深い人々が集まっている。音楽を担当した村治佳織のギターも特筆すべきであろう。監督はNHKのディレクターとして多くのドラマを手がけてきた西谷真一。隅々までかっちりと作り込まれた映画で、安心して画面に身を委ねられた。

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2004.06.03

赤瀬川原平・山下裕二『日本美術応援団』(ちくま文庫)

正統派超大作からポルノ映画まで、日本映画のあれやこれやを説得力のあることばで語るリリー・フランキーの「日本のみなさんさようなら」(情報センター出版局、現在は文春文庫PLUSにも入っている)は大好きな一冊で、時折書架から取り出しては眺めている。曰く、日本人は舶来のありがたいものを高く評価し、身近でなんということもない(と思い込んでいる)ものをちっとも見ようとしない、洋画ばかりを持ち上げてどうするのだ、ここはあまり顧みられることのない日本映画の表と裏をぞんぶんに味わうのだ……。異論なしである。しかもただ「日本映画、万歳!」というのではなく、是は是、否は否をはっきりと打ち出しており、その切り口がユニークで読んでいてちっとも飽きることがない。けだし名著というべきであろう。もったいつけた凡百の映画評論は悦楽と知見に満ちたこの本の敵ではない。

赤瀬川原平と山下裕二の『日本美術応援団』を読んだ印象も、まさに「日本のみなさんさようなら」と同じものであった。教養主義や美術史の伝統といった呪縛から解き放たれた自由な鑑賞眼と語りは、美術品とのつきあい方が本来「まずは快楽ありき」であることを教えてくれる。そして歴史的に見ないことに徹していると、退屈なはずの日本美術がアバンギャルドで刺激に満ちたとてつもないエンターテイメントに思えてくる。

「雪舟は長嶋茂雄だ」というところから始まって、読み進めるほどに目から大量の鱗がぽろぽろと落ちました。

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2004.06.02

パブリック空間で遊びたい 「ミーツ」7月号

期間限定抹茶ミルクキャラメルコーンコンビニで見つけた期間限定発売の抹茶ミルクキャラメルコーンなどをつまみながら、今日仕入れてきた本を眺めている。ロバート・フランク『The Americans』(SCALO)と柴田武『ホンモノの敬語』(角川ONEテーマ21)については、いずれ別にエントリーを立てようと思う。

「大阪人」とともに毎月楽しみにしている「Meets Regional」、今月号は「ミーツ者、パブリック空間を遊ぶ。」と題する特集を組んでいる。近頃、小洒落た造りの公共建築物が目立って増えてきた。高名な建築家の名前もよく聞く。美しいものに縁の深い美術館や博物館はもとより、市役所や図書館までもが、ちょっと格好良すぎるのではないかという感じがするほどである。もちろん不必要に無駄なお金を投入するのはどうかと思うが、ここのところ利用者側の利便性や興味関心をよく考えて造られているところが多くなっているように思われる(旧態依然としたところが残っているのも否定しないけれど)。併設されるカフェやレストランは、キタやミナミに打って出ても十分通用するようなインテリアと料理を誇っている。また逆に世間で一流とされる店や有名店がこうした公共施設で商売を始めている。何ともおもしろいことになっている。

そこで「ミーツ」。とにかく「これはぜひ順に廻らなければ」と思わされるところが目白押しである。単調でつまらない、そして退屈だと思って敬遠していた場所を見直すきっかけになる、いい特集であろう。

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