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2004.07.31

鉄人28号

仮面ライダー私のヒーローは、まずウルトラ兄弟。初代ウルトラマン・ウルトラセブン・帰ってきたウルトラマン。それ以降はエースの途中で見なくなった。仮面ライダーは1号と2号で、やはりV3は途中で見なくなった。それから巨大ロボットのマジンガーZとグレートマジンガー。ジャイアントロボにマグマ大使、ミラーマン、ガッチャマン。もちろんゴジラも忘れてはいけない。宇宙戦艦ヤマトにも夢中だった。

何の疑いもなく正義を信じていた頃の話である。

鉄人28号鉄腕アトムと鉄人28号は少し早すぎた。知っているようで実はよく知らない。原作漫画を読んだ記憶もない。アトムは好きではないからひとまずおくとして、鉄人は知らないといいながら主題歌は歌えるし、操縦者の正太郎の名前もよく覚えている。でも人物設定はほとんどわからない。きっと再放送をぼんやり見ていたのだと思う。

そしてなぜか近頃熱中しているのがプレイステーション2用の鉄人28号のゲームである。その名も「鉄人28号」(そのまま!)。かつてこのゲームを開発したサンドロット製のロボットゲーム「リモートコントロール・ダンディ」のマニアックさにすっかり心酔し夢中になっていたことがある。「鉄でできた重厚なロボットを操縦する(鉄人28号へのオマージュが満載)」という点にかけては、このメーカーの右に出るものはなく、その情熱と志の高さは比類なきものである(大袈裟)。たとえばロボットを歩かせるのに右・左・右・左と交互にボタンを押す、パンチはロボットの腰をひねって出す、操縦するロボットが見えにくくなったら操縦者自身を移動させる、操縦者がビルやロボットの下敷きになるとゲーム中断、ビルを壊すと修理費を払わされるなど、実に馬鹿馬鹿しくも納得させられるような造りであった。そのサンドロッドがついに操縦ロボットの原典を出したのである。おもしろくないはずがない。

そういうわけで、今日も今日とて正太郎少年となり、「行け、鉄人、メガトンパンチだ!」「アイアンストレート!!」などとやっているのであった。本棚には「タイムスリップグリコ 鉄人28号編」のフィギュアがどっさり(笑)。

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2004.07.29

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ

これも観ようと思いながらそのままになっていた映画。

ヴィム・ヴェンダースとライ・クーダーは、古き良き時代に生きたキューバ音楽の巨人たちを集め、とても素敵な音楽ドキュメンタリー映画に仕立て上げた。ここに登場するミュージシャンは、齢60を越える人ばかりで、主人公格のコンパイ・セグントにいたっては92歳にして現役ミュージシャンである。すごい(なんて月並みなことば!)。映画は世間からすっかり忘れられた存在になっている元ミュージシャンたちのこれまでの人生を語り、彼らがアムステルダムとニューヨークで開いたコンサートのライブ映像(1998年)につながっていく。欲も得も忘れた老ミュージシャンが、自身の楽しみのために最高の音楽を奏でる。その姿はどこまでも崇高である。彼らを捉えるカメラワークがとても巧みで、南国特有の色彩もことのほか美しく描かれていた。

昨年公開の「白百合クラブ東京へ行く」は、まさにこの映画の舞台と人々を沖縄に置き換えたものだと思った。彼らを大都会に導くのが有名なミュージシャン(THE BOOMの宮沢和史)と映画監督(中江裕司)であることも同じ。しかしながら、音楽を奏でる人々がプロの自恃と気概を示す「ブエナ・ビスタ〜」の厳格さと、沖縄で本業の傍らボランティア的に音楽活動を続ける「白百合クラブ」の穏やかさには、明らかに異質なものがある。どちらがよいということではない。皆、それぞれに愛すべき人々である。なおキューバ、沖縄ともに対アメリカという視点が欠かせないことは十分承知しているが、ここでは政治的な話は抜きにしておく。

暑い夏にキューバや沖縄の音楽を楽しむ。発想が貧しくて申し訳ないけれど、これだけ暑いとそんなことしか思いつかないのであった。

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2004.07.27

蜷川実花の写真展

蜷川実花と本大阪で開催中の蜷川実花の写真展「over the rainbow」に行ってきた。HEP FIVEの8階にあるHEP HALLで開かれている。1階からエスカレーターで8階まで導かれるのであるが、次第に回りは若い女性だけになっていく。男は皆どこへ行ったのだ。結局、会場内にいた30名くらいの人のうち、男性は私と若いお母さんが連れていた男児(推定4歳)のわずかに二人だけであった。落ち着かないこと、この上なし! 先般の澤田知子の展覧会とは客層が(ついでに言えば集客力も)かなり違う。

蜷川実花の写真は特に好きでも嫌いでもない。しかし、あの他の誰とも違う強烈で独特な色遣いだけは強く印象に残っている。なんでもあの発色はデジタル処理ではないらしい。そしてその色が会場内のいたるところで炸裂していた。被写体は有名な歌手、俳優、モデルらで、大半は女性である。ところが、意外なまでに彼女たちの存在感は希薄である。一般的に有名な芸能人を撮影したポートレイトは「某の肖像写真」という面でしか捉えられないのに(つまり被写体の価値=写真の価値になる)、蜷川実花のポートレイト写真はすべてninamikaブランドで統一され、被写体の個性が完璧に封印されているのである。これはすごいと思った。ある意味、蜷川実花にポートレイトを撮らせることは、自身の存在感を試される試験のようなものになってしまうだろう。したがって彼女の写真の中で存在を主張できる人は、よほど強いオーラを発していると考えられる。たとえば草間彌生……(あの写真、ほしい、あと麻生久美子と田中麗奈のも)。

木村伊兵衛写真賞を取った『Pink Rose Suite』(エディシオン・トレヴィル)を買い求め、ついでに紀伊國屋書店で『フォトグラファーの仕事』(平凡社)も手に入れる。この本は、佐内正史・長島有里枝・蜷川実花・野口里佳・藤代冥砂の5人の写真家にインタビューを行い、写真とはどういうものか、写真家とはどういう職業であるのかなどを、各自の仕事を語らせることで浮き彫りにしようとしている。普段、表に出ないことを知ることのできる興味深い本である。

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2004.07.26

奥田英朗『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』(文藝春秋)

直木賞のすべて」というサイトに出会った。おそらく多くの文学好きに早くから知られているところなのだろう。およそ直木賞に関する情報を網羅的に集積している。受賞作についてはもちろん、候補作についても詳細な記事があり、また直木賞の沿革やあまたの文学ファンによる候補作に関する書評など、とても読み応えのあるサイトである。あれだけの量のデータを集めて整理し、ネット上に美しく公開する圧倒的な熱意を少しは見習いたいものである。

『空中ブランコ』(第131回受賞作)は、奥田英朗にとって『邪魔』(第125回候補)、『イン・ザ・プール』(第127回候補)、『マドンナ』(第128回候補)に続いて4度目の直木賞候補作であった。この度の受賞は、何となく「ご苦労さん」的なニュアンスが感じられなくもない。そういう見方をすれば、次は東野圭吾の番か!?

ずいぶん前に『最悪』を読んだきりで、あの作品も筋立て勝負の小説だと思ったが、『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』の精神科医伊良部シリーズはよりいっそうエンターテイメントに徹している。細部の精緻な描写より、物語の展開の妙やステレオタイプ化された作中人物の行動を楽しむものになっている。帯に踊る「爆笑小説」というのはいただけないし、実際そこまで笑うことはなかったけれど、これだけ暑い夏には少し軽めの読み物がいいねなどと不遜にも思う。そして市民プールではしゃぐ夏休みの子供たちの姿を目の端で捉えながら、小説を書くのって大変だなぁとぼんやり考え、プールサイドの安物臭いビーチパラソルの下で、迫り来る蚊を撃退しつつ読み終えたのであった。

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カルロス・クライバーを悼む

カルロス・クライバーの姿少し思い出話をすることをお許し願いたい。

クラシック音楽をきちんと聴きだしたのは、二十歳も過ぎた頃であった。それまではせいぜいNHK-FMの番組をエアチェック(懐かしい!)するくらいで、自らCDを買ってまでということはほとんどなかった。通っていた高校は毎年三学期の始業式を大きなホールでのクラシック演奏会(もちろんプロ)にしていたけれど、いずれもふまじめな鑑賞態度で、今から思えばもったいないことをしていたと少しだけ後悔している。

最初に勤めた職場に大変なクラシックマニアの人がいた。自宅のオーディオルームにも何度も招かれ、それはそれはものすごい装置でレアなレコードを聴かせてもらった。その頃の私はもっぱらモーツァルトを好んで聴いていて(CDも大量購入……)、その人にベートーヴェンがいまいち好きになれないという話をしたところ、「これを聴いてみよ」とかけてもらったのがウィーンフィルによる「交響曲第七番」であった。あまりのスリリングな展開に総毛立った。続けて「交響曲第五番 運命」(ウィーンフィル)と「同第四番」(バイエルン国立管弦楽団)を。ただ息を飲んだ。指揮者はカルロス・クライバー。

カルロスのCD以来、クライバーに関わるものは何でも手当たり次第揃えていった。幸か不幸か、クライバーのレパートリーは極端に限られており、しかも商業ベースに乗るものも極めて少ない。正規盤CDはもとより海賊盤、映像関係の類にまで手を広げても、破産に追い込まれることはなかった(笑)。演奏そのものも素晴らしいが、ほとんど舞踏とでも形容すべきクライバーの優美でしなやかな指揮姿は必見である。1994年秋にウィーンフィルとともに来日したカルロス・クライバーの指揮姿を、今から思えば何としてでも観ておくべきであった。

私はクライバーの音楽(というか、クラシック音楽全般)を適切に語る言葉をもたない。表現するものに惹き込まれるか否か、その一点において、対象を判断するのみである。同時代に生きた指揮者たちの多くは、総じてスマートで美麗で心地よい音楽を奏でる。しかし、それ以上のものが伝わらない。もちろんそれは私の側の問題であろう。ただ、だからこそ得体の知れない興奮と絶頂感と幸福を味わわせてくれたクライバーが、私にとって特別な存在であるとも言えるのである。カラヤンやアバドには決してカルロスの代わりは務まらない。

正規に発売されたCDはわずかに12組。クライバーが自家薬籠中のものとした「ラ・ボエーム」「カルメン」「ばらの騎士」の三つのオペラは、ついにCD化されないままに終わった(海賊盤ではある、「ばら」はLD/DVDになっている)。多くの人々から待ち望まれたモーツァルト「フィガロの結婚」(父エーリッヒ・クライバーの十八番)やベートーヴェン「交響曲第九番」もはかない夢と化した。

今は未発表音源の出現することを願い、手元に残された演奏を静かに熱く楽しむだけである。心から冥福を祈りたい。

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2004.07.25

夏向けのお遊び

日本の一部を除き(きーっ!)、連日、心も体も溶けてしまいそうなほどの猛暑である。この炎天下では、自転車に乗るのはもちろん、屋外で写真を撮ることさえ命取りになるかもしれない。それでというわけではないが、ネット上を彷徨っていて、おもしろいソフトを発見した。STUDIO-蔵からダウンロードできる「心霊写真工房」である。これは何かというと、任意の写真に好きな数、濃さの心霊を加えてくれるという、実に馬鹿馬鹿しくも愉快な機能を持った画像処理ソフトなのである。たとえばこんな風になる。

通常 心霊

FOTOLOGにもphoto 1/365にも出した写真である。左が加工前、右が加工後である。何か新たに加わっている。左下にははっきりと嫌なものまで見える。この写真に写る人々は、もともと表情や特徴のない無機的な存在になっているが、心霊が加わることでますます不気味である。涼しいお遊びということでお楽しみ下さい。なお同じサイトでダウンロードできる「風鈴」「ししおどし」「ひぐらし」の環境音ソフトもお勧めである。三つ同時に鳴らすと、完全に避暑モードにトリップできる。

なおこれらのソフトはすべてマック用である。「ウインドウズをお使いの方は、マックを購入してからまたお越し下さい。」(「新しもの好きのダウンロード」のことば)

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2004.07.22

村治佳織「トランスフォーメーション」

村治佳織カルロス・クライバーの訃報に接したその日の夕刻、村治佳織の新作を手にした。これが英デッカでのデビュー作となる。デッカといえば、独グラモフォンと並ぶクラシック界の超メジャーレーベルであり、ここからアルバムを出せるということは、それだけで世界的な実力を持つ演奏家であることを認められたといっても過言ではない。そういう意味でこれまでのアルバムとは価値や重みがまるで違う。まずは若い日本人演奏家の国際的な活躍を喜びたいと思う。

デッカの村治佳織スペシャルサイト

さてアルバム名の「トランスフォーメーション」は変化とか変容という意味であるが、今回のデッカからのデビューを象徴的に表したようなタイトルである。曲目はご挨拶の色合いがやや濃く、誰もが知っているような曲が多く収められている。戦略的(というか商業的)な部分があるのだろうが、あまりにもなじみのある曲なので、安心して聴くことはできるものの新鮮味には乏しい。もちろん演奏そのものに問題があるわけではない。だからこそビートルズやスティングよりも、クラシックギターの王道を行くような曲目もしくはどこまでもマニアックな曲で勝負してほしかったと思う。それだけが残念な部分である。

とはいえ、村治の演奏は私にとっての小確幸、ジャケットの写真も素晴らしく(上のは裏ジャケットの部分拡大、笑)、聴いて、見て、幸せになっている。

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2004.07.21

ポケットモンスター 裂空の訪問者

これで7作目となる夏恒例のポケモン映画「ポケットモンスター 裂空の訪問者」に今年もでかけた。訪れたシネコンでの上映回数やチケットの売れ行きを見ると、「ハリーポッター3」「スパイダーマン2」の両大作に対抗する日本映画の一番手となっている。来春のドラえもん映画は製作されないことがつい先日発表されたばかりで、猫型ロボットの威光ももはやこれまでかと思われる中、ポケモンの人気はまだまだ衰えを見せていないようである(本編終了後には来夏の新作予告も流れた)。

ストーリーを追っても仕方がないので、そういうのはすべて公式サイトにまかせたい。映画で描かれるのは、各々の論理からなる正義は相対的なものでしかなく、しばしばそれが原因で無益な闘いが起こるということである。絶対的な悪者はいないはずなのに、いつの間にか回避不能な諍いが発生し、ために人々は不幸となる。確かに宇宙からの侵入者であるデオキシスと、地球の守護神的なレックウザの対立があり、見かけ上、善悪の立場ははっきりしているようである。しかし、物語においてはどちらも正義であり、どちらも悪である。世界の捉え方およびその描き方は、極めて今日的な視点からのものになっているが(とはいえ、最近の対決物ではこうした見方が提示されているので、すでに目新しさはない)、子供たちはどちらに肩入れして見ているのか、気になるところである。あとはお約束の友情と勇気の大切さが示される。ううむ、どうも道徳臭いな。

絵と音は相変わらずすごい迫力であった。日本のアニメーションの技術力を感じ取ることができる。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。夏休みの子供たちでごった返してます。ああ、疲れた……。

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2004.07.20

自転車仲間とあれこれ

それらしき土台?暑い時期になると自転車に乗るのも一苦労であるが、苦労を苦労だと思わないようにしないと、好きなものは楽しめない。ということで、汗も日焼けも熱中症もなんのその、今日も今日とて自転車で走り回ることになる。ぽた郎さんから連絡があって、旧「万国博西口駅」遺構探訪をしないかとのこと。ちょうど別の用事の後に時間が取れるので、ご一緒させてもらった。

現在、阪急電車千里線の山田駅と北千里駅の間に駅はない。しかし、1970年の日本万国博覧会開催当時は、そこに万国博西口駅があったらしい。もちろん私は生まれていたが、万博へは中央口へ乗り付ける大阪市営地下鉄(北大阪急行)で行った記憶しかなく、この駅のことはまるで知らなかった。二人で探すこと小一時間、それらしいもの(かなり微妙)は見つかるけれど、決定的な遺構は残念ながら探し出せなかった(上の写真は当時の歩道橋の土台? 今は水道配管が通っている)。何か情報をお持ちの方はぜひお教え願いたい。

doghouseinn

翌日は大阪市内で突発ポタリング(なんでも6〜7つほど商店街を巡ったらしい)がある。しかし、昼の部は家庭内争議と親子断絶を防ぐため断念(笑)、夜の部だけ参加することになった。以前から噂に聞き、一度行ってみたかった鶴橋の英国風パブ「the doghouseinn」に赴く。鶴橋といえばコリアンタウンとして名高く、今や大阪の代表的な観光名所の一つとして広く知られる存在である。このパブは鶴橋駅の北東部、一般住宅地に近く比較的静かな場所にある。

24時間ぶりにぽた郎さんに会い(笑)、ぽた子さんQyouさんまあやさんは春以来である(まあやさんには忘れられてましたけど、苦笑)。TETUさんとは去年の千里竹林ポタから1年ぶりの再会。ミニベロ界では有名な新倉さんともお話しできたし、ブロンプトンの「いもん式ローラー」で知られるいもんさんともご一緒できた(この機に乗じて1セットお願いした、とても嬉しい)。

お酒に詳しくないので、店の人に勧められるまま、嬉しがって飲む。フィッシュ&チップスも食べる。ヨークシャープディングも食べる。不思議なキノコ(料理名失念)も食べる。とても気持ちよく時間を過ごすことができた。顔の見える付き合いはやはりよいものだと再認識する。満足して大阪環状線に乗り込んだ。

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2004.07.19

森山大道『彼岸は廻る』(現代企画室)

「写真を撮る」ためにカメラを買ったのはちょうど一年前になる。2003年6月28日の自分の日記に「GR1vを買う。嬉しい」と、まるで小さな子供の絵日記であるかのような記述が見える。人がある世界に入り込んでいくのにはさまざまな理由があると思われるが、私の場合、カメラを持つことを日々の楽しみとするきっかけになったのは森山大道の写真集『新宿』であった。

「混沌、氾濫、欲望、卑俗、悪徳、猥雑、汚濁などなどと、手あかにまみれチープな単語をずらずら並べてみると、どれもこれも皆新宿そのもので、ついぼくは笑ってしまう」と森山自身の語るところが、この写真集に描かれる新宿の姿と見事に重なっていく。そのありようは圧倒的としか言いようがなく、写真に対して古くさい固定観念を持っていた私は、とても驚きながら次々とページを手繰っていた。いまもって見れば見るほど心がざわめいてくる写真集である。GR1vを手に入れたのも、もちろん森山大道と同じカメラを使いたいという思いからである。いつものことながら、形から入る私……。

『彼岸は廻る』は越後妻有で開かれた「大地の芸術祭」をめぐる写真集である。2003年の夏にオランダ政府と文化機関の協力で実現した越後妻有版「真実のリア王」。クリスチャン・バスティアンスが新潟県越後妻有の老人たちにインタビューを重ねながら翻案した「リア王」を、そのインタビューを受けた老人たち自身が演じるというものであった。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2003」のオープニングイベントとして上演され、大きな反響を呼んだという。この舞台を森山大道が撮影し、写真集としてまとめられた。合わせて森山の撮影した越後妻有地域のカラースナップ写真や、そこに住む人々の大切な写真が挟み込まれる。

静かな村に秘められたドラマ。それを感じさせる数々の写真。ああ、この村に行き、この舞台を見たかったなぁ。

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2004.07.18

『関西の風景を歩く』(淡交社)

『風景を歩く』つまらない記事も多くて、好きなのか嫌いなのか、よくわからない朝日新聞であるが、土曜日夕刊(大阪本社発行)の連載コラム「風景を歩く」は大好きである。2003年4月から続いていて、2004年7月17日付の「東灘」で58回目を数える。この度、その連載が一冊の本としてまとまった。当初はせっせと切り抜きを集めていたけれど、やがて一回、二回と取り損ねていくうちにうやむやになってしまった。ありがちな話である。だからこの出版はとても嬉しい。

〇三年四月に始まった連載は、よくある名所案内や観光ガイドとは少し違います。著名な観光地も出てはきますが、描こうとしているのは、そのまちで暮らす人たちの心意気や、そこに根付いた精神とともにある「風景」です。

あとがきから引用した。ここにあるとおり、このコラムはとても人間くさい内容である。市井の人の語る関西の街が心から愛おしく感じられる。観光ガイドとしてはあまり役には立たないけれど、観光ガイドにはない街の姿は確かに描かれていると思う。「風景」はまさに人と時間が造り上げたものであることを再認識させられる。また添えられている写真はどれも街の空気感をよく伝えていて、それを見ているだけで充たされた気持ちになれる。小さな幸せを感じ、とても心が軽くなる一冊である。

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2004.07.16

渡部さとる『旅するカメラ2』(えい文庫)

えい出版の「えい」は木偏に世と書く。これだけインターネットやパソコンが一般化したご時世に、機械で表示できない文字を会社名にしているのはどうなんだろう。昔ながらの老舗ならともかく、新興なら何らかの方策をとる方がよいと思うのだが。第一これでは検索してもひっかからないよ。

とはいえ、えい出版の出す文庫本には好きなものが多く、気がついたら何とはなしに買い込んでいる。渡部さとるの前著『旅するカメラ』も読んだ。もともとは渡部のサイト「studio monochrome on the web」のコラムコーナーを活字化したもので、この2も基本的には同じ作り方をしている。2にはカラーの作品も多数収められ、写真集的色合いも強くなった。カメラや写真が好きだからカメラマンになるという、いい意味での単純素朴なアマチュアっぽさが感じられた。最大の問題は読んでいるうちに彼の使うカメラ(ライカやハッセルブラッド)が猛烈にほしくなってしまうことであろうか。

追記:いくつかの誤植や、記述に誤りのあるのが惜しい。35頁の冒頭、数行脱落して意味不明。「御巣鷹山」の項で、墜落した日航機は「大阪発羽田行」ではなく、その逆。二度も同じ間違いをしているので、そう思い込んでいるのだろうが、当時、渡部が新聞社(日刊スポーツ)のカメラマンであったことを思うと、お粗末すぎて笑えない間違いである。

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「コピーの時代」と琵琶湖針穴

コピーの時代先週の土曜日、大雨のために行くのを諦めた滋賀県立近代美術館。梅雨も明け、好天に恵まれたので、さっそく出かけてきた。9月5日まで開館20周年記念展として「コピーの時代−デュシャンからウォーホール、モリムラへ−」という展覧会が開かれている。看板はよく知られている森村泰昌の作品「Mのセルフポートレイト(あるいはマリリン・モンローとしての私)」である。JR瀬田駅から自転車を走らせ、汗だくになって到着した。

滋賀県立近代美術館芸術のみならず、創作や研究の世界において、何より重視されるのは独創性やオリジナリティーである。人真似、複写、模倣には価値は与えられず、存在そのものも公には認められない。しかし、20世紀の「ポスト・モダン」以降は状況が一変する。特にマルセル・デュシャンの一連の衝撃的な作品は、その後の現代美術の流れに大きな影響を与えたのは間違いないところである。そのデュシャンの代表作「L.H.O.O.Q.」や「自転車の車輪」「泉」、アンディ・ウォーホールの「マリリン」「キャンベル・スープ」をはじめ、ロイ・リキテンスタイン、シンディ・シャーマン、赤瀬川原平、福田美蘭、森村泰昌ら、複製や模倣、引用といった現代芸術に欠かせない表現の可能性を示す作家の作品を一挙に見ることができた。知の組み替えによってあらたな命を吹き込まれるこれらの芸術作品は極めて刺激的かつ挑発的で、凝り固まった頭の中を激しく揺さぶられる思いがした。比較のために展示されるオリジナル(モネ、マチス、北斎、黒田清輝ら)もありがたい。はからずも東京の森美術館で開催中の「モダンってなに?」も同趣旨の展覧会であった。なんだか楽しくなってくる。

なおこの美術館のレストランは琵琶湖ホテルが経営する。私ももちろん偵察した(笑)。いただいたのはビーフと海老のピラフ。和風出汁で炊きあげたライスをバターで風味付けした一品。おいしゅうございました。

すっかり満足して美術館をあとにし、今度は琵琶湖畔をポタリングである。大阪以外でまとまった距離を走るのは春以来である。瀬田から湖畔を北上し、烏丸半島を経て琵琶湖大橋へ。そして対岸の堅田まで走る。

さざなみ街道 琵琶湖

道中はよく整備されたさざなみ街道を走るので、何も問題はない。右手には青々とした水田が広がり、空は高い。そして左手には穏やかに水を湛える琵琶湖がどこまでも広がっている。実に爽快。今回は新しいピンホールカメラ(ZERO2000)の試し撮りのために、きちんとした三脚も持ってきた。ブロンプトンのリアキャリアにくくりつけて走る。

烏丸半島の蓮 zero2000

今日のもう一つの目的は、道中にある烏丸半島の蓮をピンホールで撮ることだった。ここの蓮の群生地は日本最大級の規模だそうで、左上の写真のようにずっと蓮の葉と花が続いている(ちょっとよくわからない?)。その場に立つと、まことに圧巻である。平日とあって人もほんのわずかしかいないし、こんな素敵な場所をほとんど独り占めである。私は自転車でしか来たことがないが、公共交通を利用するなら、JR草津駅からバスが出ているようである(水生植物公園みずの森で下車)。

あとはひたすら琵琶湖大橋を目指して走る。空と湖面がオレンジに色づいてきたところで、針穴撮影もした。右上の写真、カメラがちょっと黄昏れています(笑)。この空と雲と水がどう針穴に吸い込まれているのか、とても楽しみである。ご披露はまた別の機会に。

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2004.07.15

最相葉月『なんといふ空』(中公文庫)

ありえないものの代名詞として有名な「青いバラ」が誕生したと、つい先日のニュースが報じていた。なんでもバイオテクノロジーで青色色素をバラ自身に生み出させるようにしたそうである。そして最相葉月は今回の青いバラの生みの親のサントリーを取材して、かつて『青いバラ』(小学館)を上梓していた。その時にはまだ誕生していなかった「青いバラ」、それが今は現実に存在する。

『なんといふ空』は著者初のエッセイ集である。巻頭に置かれた「わが心の町 大阪君のこと」は映画「ココニイルコト」の原案となったもので、全編の中でもとりわけ深く静かに心に残る。映画はこの小品のエッセンスをうまく掬い取り、これもまた印象深い作品になっていた。惜しむらくは主役を演じた真中瞳が、その後鳴かず飛ばずになってしまっていることか。大阪出身だし、がんばってほしいのになぁ。閑話休題。

しかし、このエッセイ集は全体としてはあまり好きではない。どうも文章に無駄な飾りやひねりが多くて、読んでいて鼻につくのである。特に各編の最後の一節、一文がいただけない。現実を描いているはずなのに、それを読んだ瞬間、すべてが芝居がかって見えてしまうのである。大阪弁で言うところの「ほんまかいな」である。

解説をものした重松清によれば、「本書の一編ずつを『感動』しながら読み進めた」そうである。重松の感動を疑ったり、否定したりするものではないが、「初読の時はもちろん、何度読み返しても『感動』は減じるどころか、ますます深まっていく」とまで言われると、最近の重松自身の小説がつまらなくなっていることをつい思い返してしまった。二人合わせてマイナス効果である。最相のデビュー作『絶対音感』(小学館)はそれなりに楽しんで読んだのだけれど。

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2004.07.13

スパイダーマン2

「ハリーポッター3」と並ぶこの夏の話題作である。前作のスピード感やちょっとダークで人間臭いヒーローが好ましくて、続編も楽しみにしていた。「スパイダーマン2」については、いくらでも感想や批評が見つけられると思うが、私もいいたいところだけまとめておくことにする。ストーリーなどはすべて割愛(ただしネタバレはある、ご注意!)。

続編は「ヒーローとして生きるか、人間として生きるか」というスパイダーマンの深い悩みがテーマとなっている。敵を徹底的に叩きのめすことに専心し、戦う理由は二の次であった過去のヒーローものとは大きく異なる部分である。しかしながら、今時のヒーローは洋の東西を問わず単純な勧善懲悪からの脱却を図っているので、さほど目新しさは感じない。むしろヒーローの悩める心を描こうとして、アクション娯楽映画にとって重要な爽快感を失ってしまったことが問題ではないだろうか。ヒーローであることを捨てたピーターの見逃す犯罪が街角のカツアゲではちょっとね。もちろん犯罪に大きいも小さいもないのだろうが(青島刑事の台詞か)。

そのあたりが重要視されなかったためか、敵役のドック・オクに魅力がない。そもそも彼の目的はスパイダーマン抹殺ではない。あくまでも天才科学者たる自己の研究を成就したいという欲求が第一なので、ドック・オクとスパイダーマンの対立の図式が見えにくくなっている。最終的な決着の付け方も、戦闘ではなく説得となってしまった。説得するヒーローの行動に、爽快感はもちろんない。むしろ前作からスパイダーマンへの復讐の炎を燃やし続ける親友の方がゾクゾクさせてくれる。あとは幼なじみとの恋愛物語もどこかで見たような展開で意外性がなかったなぁ。

お金と時間と手間暇をかけて作った映画であることはよくわかる。そうしたハリウッド映画らしい豪華さを楽しむにはいいかもしれない。すでに「スパイダーマン3」の制作も決定しているとのこと。敵は今度こそ親友であろう。そのあたりの伏線はぬかりなく示されていた。見ている間はそれなりに楽しいけれど、見終えたらすぐに次のことを考えてしまうような映画だった。作品の出来はひとまず措くことにして、どちらが好きかと聞かれれば、迷わず前作と答える。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。

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2004.07.12

チルソクの夏

昨冬公開された「ジョゼと虎と魚たち」に主人公の妻夫木聡の恋人役として出演していた上野樹里。彼女のことが気になって観賞後に調べてみると、NHKの「てるてる家族」の他に「チルソクの夏」という映画に出演したとあった。しかし、公開は未定とあり、またしてもB級邦画の悲哀を感じていた。それがタイトルの「チルソク(韓国語で七夕)」に合わせるように、この夏の公開が決定した。喜び勇んで公開初日の劇場へ足を運んだ。

1977年。年に一度開催される下関・釜山親善陸上競技大会で、郁子(水谷妃里)は安(淳評)と出会う。親善の名の下に行われる大会ではあるが、両国を隔てる壁は以前高いままである。七夕の日に翌年の大会での再会を約束した二人は、それぞれの国から相手のことを思い続ける。二人の淡い恋心は海を越えて成就することになるのだろうか。

自分の思いを信じてまっすぐに生きる郁子や、それを支える陸上部の仲間たち(上野樹里・桂亜沙美・三村恭代)の姿がことのほか輝いて見えた。その清々しさは同じ女子高校生を主人公にした「がんばっていきまっしょい」に通じるものである。もちろん「チルソクの夏」は初恋がテーマであるから、ひたすらボートに自らの高校生活を捧げた「がんばっていきまっしょい」とは質を異にするが、まっすぐに対象に向き合い、そのために努力を惜しまないという点において、両作の訴えかけるものに同じ色を見るのは難しくない。「恋をする」ということがどういう情動であったのかということを、人は長く生きていくうちに次第に忘れていく。その忘れかけているまっすぐな気持ちを、生々と蘇らせてくれた。結末部分はそれもありだなと思わされる仕掛けがあった。

劇中の音楽は1970年代の日本の歌謡曲が満載である。ピンクレディー、沢田研二、山口百恵、キャンディーズ……。映画の中でキーになる曲はイルカの「なごり雪」。携帯もメールもない時代は、私の生きてきた時間そのものでもある。懐かしすぎて胸が苦しくなるほどであった。主人公は上野樹里ではなかったけれど、満ち足りた気持ちで劇場をあとにした。佐々部清監督作品。心斎橋パラダイススクエアで鑑賞。

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2004.07.11

プロ野球は老耄の金蔓

近鉄とオリックスの合併という出来レース発覚後、民主的ないっさいの手続きを排除して、事態は巨人のオーナーの渡辺恒雄(以下ナベツネ)の思うように進んでいる。大嫌いなナベツネのことに時間を費やすのは馬鹿らしいので(といいながら、あちこちで愚痴っている)、私の敬愛するお三方のブログをご紹介する。そこでの私の発言を引用することで、怒りを記しておきたい。

■atcyさん all that atcy: パ・リーグなんて、やめちめえ!
 長年の阪神ファンではありますが、今、プロ野球が消滅してもぜんぜん構いません。いくらよい方向に持っていこうと思う人が出てきても、ナベツネ&氏家がいる限り、そしてそれに追従する馬や鹿がいる限り(虎のオーナーも相当馬や鹿)、もはやどうにもならないと思います。
 「加盟できないんだよ。おれが知らない人は入るわけにはいかない。」と言うナベツネのどこに、プロ野球ファンや将来への展望があるというのでしょう。「おれが知らないとダメ」なんて、この人は何様のつもりでしょうね。そしてなぜこんな品性のかけらも感じられないオーナーの球団に人気があるのか、私にはさっぱりわかりません。

■Wind Calmさん 空と旅と風景と: ●無礼なオーナー
 ナベツネと氏家(日テレ)がいる限り、プロ野球は衰退の一途を辿るでしょうね。まるごと消滅したらいい。ざまぁみろって感じです。野球を志す少年少女は、世界を夢見る方がいいと思います。
 あと、ライブドアが買収を公にした時に、こやつは「自分の知らないものは入れるわけにはいかない、金があればいいってもんじゃない」とも言ってます。それはお前のことだと言いたいですね。まぁ、自分でパソコンを触ったことのない人間には、知らない世界でしょう。
 ナベツネには「老耄」ということばがとてもよく似合います。そしてそんな下らない輩がオーナーである球団を応援する人間がたくさんいることも信じられないです。

■ぽた郎さん ぽた郎の超軟弱形而上日記: みなさん,投票行きましたか?
 怒りはWind Calmさんのところでぶちまけたので(笑)、こちらでは控えさせていただきますが、何度読んでもナベツネの暴言は許し難い思いがします。過去のことまで含めると、存在そのものが醜悪で、一刻も早く表舞台からさるべきだと思います。
 その後、日本シリーズに替わる「スーパーチャンピオンシップ(たかがローカルな1リーグ野球に大仰なネーミングだこと)」に「天皇杯」という名前を付けたいと言ってます。選手やファンを小馬鹿にし、今さら「天皇」を持ち出してくるところに、あの老人の時代錯誤的馬鹿さ加減がよくうかがえます。よほど「格」や「身分」や「階級」がお好きなんでしょうね。「差別」も大好きだと思います。新参者のライブドアを仲間に入れないわけだ……。
 何かのニュースで見たのですが、「ストされると巨人戦が見られなくて悲しい」と言っている人もいました。巨人ファンは近鉄やオリックス、ひいてはパリーグがどうなったって関係ないんでしょうかね。不買運動や観戦拒否なんて夢のまた夢。なぜかナベツネに追従するオーナーも多いし、やっぱり日本のプロ野球は一度根こそぎ倒れてしまうべきではないでしょうか。

それぞれのブログにはすばらしいご意見があるので、ぜひ御覧いただきたい。

ファンや選手を蔑ろにし、金儲けのことしか考えていないナベツネや他球団オーナーに天誅が下ることはあるのだろうか。少なくともこの老人に他者の品格を論じるような知性も品性も常識もないことだけは確実である(ナベツネは横綱審議会の委員)。

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今日の徘徊

謎のツボ久しぶりに徘徊記をものする。

寝る前に立てた予定では、今日は自転車を持って滋賀県大津方面へ繰り出し、滋賀県立近代美術館で「コピーの時代」という展覧会を見るつもりだった(マルセル・デュシャンの便器を見なければ!)。ついでに琵琶湖畔を自転車で走り、新しく手に入れたZERO2000で真四角なピンホール写真も撮ろうと思っていた。ところが、朝起きて天気予報を確認すると、関西一円で大雨が降っているではないか。しかも滋賀県は警報まで出て、道路が川になっている……。諦めました。

昼過ぎまで暢気に過ごす。読みかけだった最相葉月『なんといふ空』(中公文庫)を読み終えて、ネット遊びをしたりする。その後、鞄にピンホールカメラ2台、GR1v、デジカメを突っ込んででかける。今日から公開の映画を観るために心斎橋へ向かう。いつもは地下鉄御堂筋線一本で行くところだが、今日はいったん梅田に出て、そこから針穴写真を撮りながら歩いて行くことにする。しかし、暑すぎる……。カメラを構える気力を失い、まったく撮れなかった。ああ。上の写真は地下鉄本町駅構内の謎のツボ。蓋の赤とシャッターの緑と壁のオレンジが妙である。結局は今日はサイバーショットで全部撮った。

アメリカ村三角公園目的地の映画館は心斎橋パラダイススクエアである。アメリカ村のビッグステップにある。アメリカ村はいつ行っても汚くて五月蠅くて臭くて落ち着かない場所である。小腹が空いたので、三角公園でメロンパンを食べ、ジュースを飲む。

チルソクの夏」はとてもよかった。もうずいぶん前にこの映画のことを知って、早く公開してほしいと思っていたのだが、ようやく観ることができた(これはまた別にエントリーにするつもりである)。世は「スパイダーマン2」や「ハリーポッター3」で賑わっているけれど(もちろんこれはこれでいいのだけど)、こういうしみじみとしたB級邦画のよさというのは、何物にも代え難いと思うのだがなぁ。予告編が流れた「誰も知らない」、わずか数分の映像で目頭が熱くなった。困ったことである。

心斎橋ビッグステップ映画が終わったのが午後7時前、心斎橋方面に出る。数日前にFotologで見たカルロスさんの写真にあった看板を見つける。ナイキのロベルト・カルロスだ。そういえば、ここの看板が福助のパンストだった時の写真をatcyさんが出していた。大丸の近所に行った方は要注意。そのまま戎橋へ。週末とあってすごい人である。参議院比例代表に立候補している女性プロレスラーがいて、ますます人だかりでたいへんなことになっていた。グリコの看板の前で流れゆく人波をしばらく眺める。

キタのヨドバシ、ミナミのビック。関西フォトロガー御用達の店である。そのビックを冷やかしてからジュンク堂書店へ。森山大道の新しい写真集『彼岸は廻る』(現代企画室)が出ていたので買った。森山には珍しい花を被写体にしたカラー写真がたくさんある。夜の針穴をと思ったら、またしても大粒の雨が落ちてきた。今日はそう言う日だと思い、カレーを食べて帰ってきた。帰りの電車では渡部さとるの『旅するカメラ2』(えい文庫)を読み切る。

やっぱり長くなる。この中のいくつかの事項については、後日、別にエントリーにする予定である。

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2004.07.07

ネット上の図書館

青空文庫」の収録作品が、七夕の今日、ついに4000点を突破した。記念すべき4000点目は折口信夫の「たなばたと盆踊りと」であった。

1997年7月7日に開設されてからちょうど7周年となる。著作権の切れた作家(死後50年経過)の作品をボランティアの力を借りて次々と電子化してきた。夏目漱石や芥川龍之介、森鴎外などの著名な作家から、専門家しか知らないようなマイナーな作家まで、集められた総数は約400名に達する。明治から昭和初期に活躍した作家で、ここに見当たらない人物を探す方が困難であろうと思われるほどである。

こうした膨大な電子化テキストがすべて無料で読めることがなによりすばらしい。知られるように、文庫や単行本として刊行されるものは売れることが優先されて、文化的歴史的に重要であるという観点からは、一部を除きなかなか取り上げられることがない。ましてそういった価値すらないような作品であれば、出版計画の俎上に上ることもほとんどない。しかし、青空文庫では玉石混淆とでもいう形でとにかく電子化する。ここではテキストの価値の判断は読者に委ねられている。それは正しいやり方だろう。作る側がフィルターをかけてしまうより、とにかく出して、使う側がその善し悪しを判断する方が、はるかに多様なものが生み出される可能性を秘めている。ただの一編では無価値に近いものも、大量に集められることで、にわかに重要な意味を帯びてくる。それらも紛れもなく日本の文学(または文化)の一側面であるからだ。

青空文庫と関係の深いボイジャー社は、テキスト閲覧のためのソフトを早くから開発してきた。エキスパンドブックに始まり、T-Time、そして今はazurである。どれもパソコンの画面でいかにテクストを読むか、仮想的な書籍として見せることができるかに腐心してきたものである。最新のazurは縦書きはもちろんルビや各種の傍点・傍線、漢文の訓点(レ点、返り点)まで表示することができる。普通に読書をするということに限って言えば、もはや完成の域に達していると思われる。もちろん紙メディアの持つ伝統的な力とそのまま比較することは無為なことである。双方のよさを活かしつつ、うまく活用すればよい。おもしろい時代になったものである。

なお今月になって「新書マップ」という新しい検索サイトが開設された。国立情報学研究所が関わっているもので、指定した言葉と関連する内容を「連想」して拾い出すという興味深いシステムを採用している。新書というジャンルで主要出版社を横断する形で、約7000冊から検索をする。これも便利。

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2004.07.05

101年目のツール・ド・フランス

第91回Tour de Franceが開幕した。これから約1ヶ月間、フランス各地で連日激しいレースが展開される。昨年の100周年大会では、ランス・アームストロング(アメリカ)が苦しみながらも大会5連覇を達成した。文字通り手に汗を握りながらテレビ観戦してからもう一年が経つ。早いものである。そして今年、彼は前人未踏の6連覇を目指す。アームストロングの所属するトレックのレースレポートは以下のサイトで読むことができる。出だしはまずまずのようである。

Tour de France : TREK

全ステージを生中継するJ Sportsのサイトのレポートも見やすくてよい。「やっぱりスポーツは生」なんてひとりごちながら、忙しくてもつい中継を見てしまうんだよなぁ。

去年もそうだったが、今年もいらぬ物欲に惑わされないように気を引き締めながら見ることにしよう。ロードレーサーなんかに心を奪われた日には……。

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2004.07.04

ファインディング・ニモ

暑くて暑くて、小難しい映画を観る気にならない。でも何か観たい。という気分で借りてきたのがこれである。レンタル店で大量に並んでいた。制作したピクサー社はスティーブ・ジョブズが設立に関わった会社(でしたよね)なので、マック派である私には近しい気分を抱かせてくれるが、これまでに観たものといえば、トイ・ストーリーだけである。なめらかすぎる動きは少々違和感を感じるのだけれど、海のもので納涼気分が味わえていいかと思ったのであった。

果たせるかな、とても涼やかで気持ちのよい映像であった。あの海の描写をぼんやりと眺めているだけで熱も冷めそうである。物語は良くも悪くもディズニーらしいもの。主人公が窮地に陥り、それを克服することで成長を果たし、最後はみんなが幸せに包まれながら大団円を迎える。ファインディング・ニモは親側の事情と子供の側の事情が交互に描かれ、最後に両者を止揚する形でまとめあげる。これはちょうど劇場版「クレヨンしんちゃん」の手法と同じであるが、まさかピクサーの連中が「しんちゃん」を楽しんで、自分たちのものにしているということではないだろうね。

日本語版の木梨憲武(ニモの父親マーリン)と室井滋(ドリー)の掛け合いがたいそう楽しかったことも付け加えておこう。

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永井豪『キューティーハニー』(中公文庫)

ハニー&ハニー映画公開に合わせて3刷が出ていた。当然、映画のことを宣伝する派手な帯付きである。こうして何十年ぶりかで原作に接したのであるが、ほとんど忘れている。情けないほどに。映画の方は原作の大枠だけを借りたまったく別の物語であることは理解していたけれど、ここまで違うとは。本当に原作を読んでいたのかすら、こうなってはもはや定かではない。まぁいいや。

もちろん変身シーンで全裸になる、戦闘シーンでは衣装が破れるというのはお約束。青臭い少年時代はそういうところにときめいていたのだろう。しかし、いろいろなものが枯れ果てつつある今になって読み返すと、そういう場面はたいしたことがなく、むしろ残虐にすぎる戦闘シーンの描写がたいへん気になる。ほとんどスプラッター。そのまま映像になったら、私は絶対に見ることができない種類のものである。

また、これは原作者の永井豪が映画のパンフレットの中で語ってもいることなのだが、物語の展開が実に場当たり的である。なんでも週刊での連載があまりに厳しすぎて、「綱渡り」でとにかく描いたという。確かに親友の秋夏子が生きながらにして目の前で焼き殺され(ああ残酷……)、「この身が夜叉に化そうとも、パンサークローをひとりのこらず滅ぼしてみせる!」と復讐に燃えたかと思うと、翌週はいきなり風呂場を覗かれ「きゃー!」である。なんじゃそれ。こうしたアバンギャルドな展開は庵野監督の映画版にはない。あちらはあくまでも娯楽作品としてきちんとまとめあげられていた。

とはいえ、そういうなんでもありなところが「キューティーハニー」という漫画の魅力であると、ひとまず結論らしい締めくくり方でこのエントリーを終えることにする。よろしいでしょうか(って、誰に聞いてるんだろう……)。

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2004.07.03

嶽本野ばら『カフェー小品集』(小学館文庫)

喫茶店にはよくお世話になる。しかし、ここ数年もっぱら利用するのは、昔ながらの喫茶店ではなく、スターバックスやシアトルズ・ベストコーヒーなどの、小綺麗なセルフ形式の店である。タリーズコーヒーやドトールコーヒーにも入るけれど、紫煙の濃い場合があるので、完全禁煙の店があったら、そちらに入るようにしている。煙草そのものには含むところはなく、マナーの悪い喫煙者の存在や煙の臭いが体につくのが大嫌いなのである。だから禁煙どころか分煙もままならない喫茶店をついつい避けてしまうのであった。

それでも近所には行きつけの喫茶店がある。そこは喫煙ができる店で、どこに座っていても紫煙が流れ込んでくる。防ぎようがない。ではどうしてそこに通うのか。客同士の会話が滅法おもしろいからである。地元民に愛されているその店には、おっちゃんやおばちゃんが来店しては、日がな一日いろいろな世間話をしている。それを聞くともなく聞いていると、「世の中にはいろいろな出来事があるなぁ、自分の知らないところで世界は動いているのだなぁ」などとしみじみ思う。まさに「きょうのできごと」の世界である。あまり声高に話をする人のいないスターバックスでは、そんなことはほとんどない。皆、静かにコーヒーをのみ、静かに本を読んだり、考え事をしたりしている。どちらがよいとか悪いとかではない。多様な店があって、単一化されない世界のありようを感じられるのが肝要であろう。

嶽本野ばらの表題の本も楽しく読み切った。ここに登場するカフェーは、つまりは伝統的な喫茶店のことである。頑なに古き良き時代の喫茶店文化を守り続ける店を取り上げ、そこから「インスパイアされた物語(あとがきより)」が描かれている。小洒落たカフェにはあるはずのない、そういう物語を堪能することができた。

追記:3冊続けて嶽本野ばらの本を読んだが、この人の文章は確かに読ませる力があると思った。

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