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2004.07.26

カルロス・クライバーを悼む

カルロス・クライバーの姿少し思い出話をすることをお許し願いたい。

クラシック音楽をきちんと聴きだしたのは、二十歳も過ぎた頃であった。それまではせいぜいNHK-FMの番組をエアチェック(懐かしい!)するくらいで、自らCDを買ってまでということはほとんどなかった。通っていた高校は毎年三学期の始業式を大きなホールでのクラシック演奏会(もちろんプロ)にしていたけれど、いずれもふまじめな鑑賞態度で、今から思えばもったいないことをしていたと少しだけ後悔している。

最初に勤めた職場に大変なクラシックマニアの人がいた。自宅のオーディオルームにも何度も招かれ、それはそれはものすごい装置でレアなレコードを聴かせてもらった。その頃の私はもっぱらモーツァルトを好んで聴いていて(CDも大量購入……)、その人にベートーヴェンがいまいち好きになれないという話をしたところ、「これを聴いてみよ」とかけてもらったのがウィーンフィルによる「交響曲第七番」であった。あまりのスリリングな展開に総毛立った。続けて「交響曲第五番 運命」(ウィーンフィル)と「同第四番」(バイエルン国立管弦楽団)を。ただ息を飲んだ。指揮者はカルロス・クライバー。

カルロスのCD以来、クライバーに関わるものは何でも手当たり次第揃えていった。幸か不幸か、クライバーのレパートリーは極端に限られており、しかも商業ベースに乗るものも極めて少ない。正規盤CDはもとより海賊盤、映像関係の類にまで手を広げても、破産に追い込まれることはなかった(笑)。演奏そのものも素晴らしいが、ほとんど舞踏とでも形容すべきクライバーの優美でしなやかな指揮姿は必見である。1994年秋にウィーンフィルとともに来日したカルロス・クライバーの指揮姿を、今から思えば何としてでも観ておくべきであった。

私はクライバーの音楽(というか、クラシック音楽全般)を適切に語る言葉をもたない。表現するものに惹き込まれるか否か、その一点において、対象を判断するのみである。同時代に生きた指揮者たちの多くは、総じてスマートで美麗で心地よい音楽を奏でる。しかし、それ以上のものが伝わらない。もちろんそれは私の側の問題であろう。ただ、だからこそ得体の知れない興奮と絶頂感と幸福を味わわせてくれたクライバーが、私にとって特別な存在であるとも言えるのである。カラヤンやアバドには決してカルロスの代わりは務まらない。

正規に発売されたCDはわずかに12組。クライバーが自家薬籠中のものとした「ラ・ボエーム」「カルメン」「ばらの騎士」の三つのオペラは、ついにCD化されないままに終わった(海賊盤ではある、「ばら」はLD/DVDになっている)。多くの人々から待ち望まれたモーツァルト「フィガロの結婚」(父エーリッヒ・クライバーの十八番)やベートーヴェン「交響曲第九番」もはかない夢と化した。

今は未発表音源の出現することを願い、手元に残された演奏を静かに熱く楽しむだけである。心から冥福を祈りたい。

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コメント

>atcyさん
あの人の指揮ぶりを見ていると、神妙に拝聴することがどれだけアホらしいかよくわかりました。まだまだ話は尽きないのですが、今後発表される(かもしれない)新譜が出たら、またあれこれと書いてみたいと思います。

ところで、大学の講義を聴くようといえば、携帯でメールを打ちながら、ジュースを飲み、隣の人と話をするということでしょうか(苦笑もしくは涙)。

>makiさん
ご丁寧にありがとうございます。これからもどうぞよろしく。

投稿: morio | 2004.07.27 23:53

こんばんわ、モリオさんのカード届きましたよ〜。
めっちゃ素敵!どうもありがとう!
UPさせてくださいねー。

投稿: maki | 2004.07.26 22:59

それまでクラシック音楽というのは大学の講義のように聴くものだと思っていた先入観は、クライバーの陶酔の前に銀河の果てまで飛んでいってしまいました。やはりこの人の絶頂期は70年代で、それ以降は付録のようなものだったのでしょうか。ついにはこれ以上ないほどのカリスマとなってしまい、最後の公演となった「薔薇の騎士」のチケットブースから伸びる長い徹夜の行列を見ながら、「これは正しいクライバーの聴き方ではない」と、悔しさまぎれに上野で立ち食いカレー食って帰ったのが昨日のことのようです。バーンスタインや山田一雄のように自らが音楽の神となり、体中から放射される音楽の全てを、シャワーのように浴びることを許される特権は、果たして再来するのかどうか。天才の死は常に時代の終焉を意味します。合掌。

投稿: atcy | 2004.07.26 22:07

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