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2004.08.19

伊藤たかみ『ミカ!』(文春文庫)

児童文学の想定する読者層というのはどのあたりなのだろうか。

もう子供からはすっかり遠くなってしまった(と言うこと自体が不遜)今の私であるが、時折この種の書物を手に取って懐かしがったり違和感を覚えたりさっぱりしたりしている。そういうのは他の人も感じるようで、この小説の解説をものしている長嶋有も、「この解説は、一体だれに向かって書けばよいのだろう。子供にだろうか。大人にだろうか。」と困惑しながら吐露している。結局、長嶋は小説そのものの評価には踏み込まず、「大人とは何か、子供とは何か」とカテゴライズして、該当する箇所を小説から抜き出す作業に専心することにしたようである。騙された思いで本を閉じたが、そもそも彼は解説を頼まれるまでこの小説を読んでもいなかったのだから、それも致し方なしか。芥川賞作家の筆力でこなした頼まれ仕事なのだろう。

第49回小学館児童出版文化賞を受賞した「ミカ!」は、小学校6年生の少女を主人公とする。主人公ではあるが、彼女は徹底的に外部の目から語られ、彼女自身の心中が一人称の視点から明らかにされることはない。物語はすべて彼女の双子のきょうだいユウスケの目を通して語られる。この時期の少女を取り上げる時に、肉体と精神のバランスがうまく取れず、ためにさまざまな悩みを抱えている、そしてそれを克服して大人になるという陳腐な成長物語を描いてみせたとしても、いまさらどれほどの今日的な意味があるのか。個人的には疑問なしとはしない。『ミカ!』もそういう気配がなきにしもあらずなのだが、この小説には少々謎めいた結構がある。それはオトトイの存在である。

オトトイはミカとユウスケが大切に育てる謎の生物である。この生物の解釈が本作の勘所であろう。オトトイはミカの流した涙を食べて大きく成長する。これは何を意味するのか。生活の中で流されるミカの涙は、彼女の過ごした時間の喩的存在である。したがってそれを吸収して成長するオトトイは、ミカの記憶または思い出の集積したものと見なすことができるだろう。何よりオトトイ(=一昨日)という名前がそれを象徴的に表している。やがてオトトイは大雨とともに消え去る。ミカに激しく涙を流させたオトトイの消失は、すなわち幸せな子供の時間への決別である。自らの過去を客観視し、精算することで次の段階へ進むということを、オトトイの成長と消失という形で描いたと思われる。そして新しいミカが誕生した。オトコオンナと言われたミカがオンナになったという結末には拍子抜けするしかないが、それは言っても詮ないことか。

ところで、かの長嶋有は解説でオトトイのことにまったく触れていないのだが、果たして彼は本当にこの小説をきちんと全部読んだのか、少し疑いたくなる。

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