« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »

2004.09.29

田口ランディ『ひかりのあめふるしま屋久島』(幻冬舎文庫)

ああ、屋久島に行きたい。

日本の島ガイド シマダス』(日本離島センター)を手にして以来、すっかり「島フリーク」な毎日である。1000以上の島の情報を読み込む楽しさにすっかりまいっている。どんな島でも等しく文字と数字でその姿と生活を浮き彫りにしようとする。その潔さと奥深さから、読書とはまさに行間を読むことにほかならないことを、あらためて教えられるような気がする。

さて上で「どんな島でも等しく」と述べた。確かに扱い方は同じである。しかし、よく知られたメジャーな島の記事の行間からは、やはり独特のオーラが発せられている(もちろん記事として名もなき島も同じようにおもしろいのはいうまでもない)。北の利尻、礼文や伊豆・小笠原の島々、さらに瀬戸内、そして九州南海の島々。圧倒的な情報量からそれらの島が憧れの対象たる所以をうかがい知ることができる。なかでも世界遺産に指定された屋久島は、スター中のスター、いうなれば日本の島界のスーパースター(変な表現)であろう。

あの大きな淡路島の592平方キロメートルに対して、屋久島の面積が505平方キロメートルもあるのは意外であった(ちなみに日本一は佐渡島855平方キロ)。とても広い。そこに標高1800メートル級の山が連なる。その様はあたかも「モスラの島」というのは田口ランディのことばである。私は『シマダス』の屋久島の記述に導かれて、田口のこの書を手に取った。非アウトドア人間であった彼女が、いかにして屋久島の魅力に取り憑かれてしまったかを語る、「屋久島への深い愛」に満ちた書であった。

描かれることは田口の個人的な屋久島体験なのであるが(『シマダス』のドライな記述とは対極の位置にある)、そのどれもがとても興味深く、ぜひ自分の目で見、耳で聞き、体で体験してみたいと思わされるものばかりである。正直に告白しておくと、私はアウトドア的なものが嫌いである。ハイキングや釣り、バーベキューなどはぜんぜんダメ。自転車に乗るのはアウトドアが好きだからではなく、乗り物好きだからである。そんな私が山登りやダイビングに魅力を感じるとは、自分で自分に驚いている。それくらいこの書によって屋久島が魅力的に思わされた。

 #変な虫や生き物は苦手なんですが、大丈夫か>自分
 #屋久島でピンホール写真を撮る、考えただけでもぞくぞくする。

「もののけ姫」を見ればいいと田口は言う。このアニメ映画には屋久島の森そのものがあるという。さっそくDVDを取り出して見てみた。あのシシガミの森が屋久島にそのままあるのなら、これは確かに奇跡的なことだと思った。何度かこれまで見ていたのに、屋久島のことなど考えもしなかったから、あれはすべて宮崎駿の創作物であると思い込んでいた。どうしてもあの深い緑の森に出会いたいと強く思う。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2004.09.27

山本一力『あかね空』(文春文庫)

好んで時代小説や歴史小説を読むわけではない。したがって『あかね空』がこのジャンルでどれほどの水準にあるのか、よくわからない。時代小説にするからには、なぜそういう設定をしたのかという明確な理由が要求されるはずである。むろん内容や構成そのものがおざなりであっていいわけはない。この小説は、江戸時代の京風豆腐店という魅力的なモチーフを存分に生かし、市井の家族物語を見事に描いていると思った。

京都の老舗豆腐店で修行を積んだ永吉が江戸深川の長屋に店を構えた。しかし、永吉の作る京風の柔らかい豆腐は、江戸の固い豆腐に慣れた人々の口に合わない。永吉は同じ長屋に住む桶職人の一人娘おふみを妻とし、困窮の中にあっても希望を失わず、やがて仲見世に店を構えるまでになった。永吉とおふみには三人の子ができたが、年月を重ねるに連れて、家族の絆に微妙な亀裂が入り始めた。永吉が亡くなり、おふみも逝った。残された子らと店の将来やいかに……。

文庫本にしてはやや厚めの四〇〇頁、一気に読み切った。基本的には時間軸に沿った親子二代の編年体であるが、おもしろいと思ったのは、子どもたちの物語が親の物語の種明かし的な位置付けになっている点である。つまり第一部で語られた永吉とおふみの視点から見た世界が、実は子どもたちからはこう見えていたのだとするのが第二部なのである。単に二代をつなぐだけのものならば、目新しさはない。描かれる人情話もしかり。しかし、芥川龍之介の「藪の中」の仕掛けを、内側に長い時間を抱える歴史小説の結構の中で見せられたのには驚いた。これによって一般的な意味でよくできた人情ものである『あかね空』に、あたかも良質のミステリーのごとき緊張感のある謎解きが加わることになった。あわせて物語には重層感や深い奥行きも生まれた。第126回直木賞を受賞。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2004.09.26

太陽の塔の光る目

待つ人たち34年ぶりに目を光らせる太陽の塔を見に行ってきた。リュックにカメラや露出計、三脚などを放り込み、自転車を走らせる。10分ほどで到着。太陽の塔前の広場の人出が4000人を越えたら入場制限をするということであったが、そこまでの人は集まっていない。念のためにと1時間前に来たので、カメラをセッティングしたあとは、時間になるまでのんびりと田口ランディの屋久島本を読み耽っていた。集まってきた人も普段入れない芝生の部分に腰を下ろして、涼しい風に吹かれていた。

18時15分、いよいよ点火式が始まった。某代表とか、大阪副知事とか、誰も聞いていないような挨拶が15分ばかり続いたあと、ようやく太陽の塔の目に火が入った。

光る太陽の塔強烈、荘厳、そして感動。

1970年の日本万国博覧会の時は、毎晩このように点灯していたのであるが、残念ながら記憶には残っていない。確かに見ているはずなんだけれど。塔の向こうには盛大な打ち上げ花火が舞っていた。

関連ニュース
毎日新聞
読売新聞
産経新聞

長時間露光が必要だったので、ピンホールカメラでは2枚しか撮影できなかった。どういうできあがりになっているのか、とても楽しみである。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2004.09.24

届いたもの

来た来た届いた。

【STAR WARS TRILOGY】
思ったよりも早く届けられた。週末はこれでお楽しみだ。

【Office:mac 2004】
発売からもう数ヶ月が経っている。好き嫌いを言えないソフトなので、買っておくしかないのだが、とりあえずうっちゃっておいていいかと思い、そのままOffice:mac v.Xを使っていた。ずるずるとアップグレードのタイミングを逃しかけていたところ、ATOK17のバージョンアップに合わせて、Office:mac 2004アップグレード版が売り出されているのを見つけた。少しは安くなっているのかと思いながら、確認するのも面倒なので、そのままついでに申し込んだ。WordもExcelもPowerPointも出るたびに新しい機能が追加されているようだが、結局、使い慣れた部分しか使えないので、「なんだかなぁ」である。それにしても私がパソコンを使い始めた頃には、ジャストシステムがマイクロソフトの商品を売るなんて、絶対に考えられなかったぞ。

【ATOK17 for Mac OS X】
気持ちよく文章が書けないとストレスがたまる仕事をしているので、日本語入力システムについては神経質になる。マック用にはことえりという標準入力システムがあるが、それは使わず、Windows機と合わせて長くATOKを使っている。鍛えた辞書は大事な財産ゆえ、簡単に乗り換えることはできない。バージョンアップする時に前の環境をそのまま引き継げることも大きい。要は慣れということになる。手に馴染んだペンが手放せないのと似ているだろう。今回は初めて電子辞典とセットになっているものにした。大修館書店の『明鏡国語辞典』『ジーニアス英和/和英辞典』が自在に使える。ちょっと使ってみたところ、とても便利である。

それにつけても新型iMac G5 20inchに心惹かれる今日この頃。言ってみただけなので突っ込み、煽りは受け付けません(笑)。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2004.09.22

三題

■その1
marinさんの「自転車でおいで」で、とても素敵なサイトが紹介されていた。Fujifilmの「FORESTS FOREVER」という世界各地の森を紹介するサイトである。さまざまな森の魅力を美しい写真で見せてくれる。濃密でどこまでも深い緑は哲学的ですらある。紅葉した樹木の赤、黄、オレンジに燃えさかる様子に目を奪われ息を飲む。静止画を動画のように表示するのも洒落ているし、静かで穏やかな環境音楽は森の世界に自然に誘い込んでくれる。また関連資料も充実していて、森の紹介(地図もあり)から始まって、環境を巡る問題、撮影した写真家のコラムなど、どれも読み応えがある。今のところ、「屋久島」「カリフォルニア」「コスタリカ」「ニュージーランド」「カナダ」の5つが公開されている。インデックスの世界地図を見ると、まだまだ数多くのポイントが示されているので、これから先の展開がとても楽しみである。

■その2
大好きな太陽の塔の目が光った。22日付の朝日新聞の一面に「34年ぶり、両目に明かりともる 万博公園「太陽の塔」」という記事があった。なんということか。知っていたら見に行ったのに(試験点灯だから事前告知はなし、当たり前か)。なんでも愛知県で開かれる「愛・地球博」の開幕半年前PRイベントの一環で点灯するとのことで、25日の本番にはぜひとも駆けつけたいと思う。4000人を越えたら入場制限するらしいが、そこは地元民として、地の利を活かした機動力を発揮したいと思う。目の光った太陽の塔をピンホールするのだ!

■その3
いよいよというか、ようやくというか、「スターウォーズ」エピソード4・5・6のDVDが発売になる。予約で出遅れた私が手にできるのは、おそらく週明けだろう。「まぁ、いいや、と9月22日はやせ我慢記念日」(俵万智風)。お粗末……。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.09.21

『日本の島ガイド シマダス』(日本離島センター)

小学校の頃から地理という科目が大好きであった。なぜか。「思いを馳せる」という行為をこれほどまでに知らしめてくれるものが他になかったからである。

ご存じの通り、地理は客観的(無味乾燥ともいう)に示されたデータや記述を丸暗記するものというイメージが強く、あまり人気のある科目ではない。しかし、私にとっては、一つの数字、一片のことばが、無限の広がりを持つ世界の貴重な切れ端のように思われた。そしてそれを手がかりにして、自在に想像の世界に遊び、かの地へ思いを馳せることをもっぱらにする。何という愉悦。どこの土地がとか、あそこに行きたいとか、そういう具体的現実的な欲求はなく、ただひたすら知らない土地に「思いを馳せる」のである。

日本の全有人島と主要な無人島、計千島以上のデータを整理した『日本の島ガイド シマダス』は、まさに私のような地理好き人間のための書物である。寡聞にしてこれまでその存在を知らなかった。「人口・面積」「交通」「プロフィール」「みどころ」「特産物」「やど」「生活」「学校」「お医者さん」「ひと」など、島とそこでの暮らし全般に関する情報が、文字通りデータとして並べられている。読者はそのデータを手がかりにして、島の人や生活のことを思う。一言一句疎かにしてはいけない。

たとえば本の中ほどを適当にひもといてみる。愛媛県宇和島市の「日振島(ひぶりじま)」が現れる。「歴史と神秘の島」と銘打たれたこの島の人口は483人。産業の75%は漁業である。高速船、普通船合わせて一日四便が宇和島港へ運行している。児童数27名の小学校がある。中学はない。特産物は、ハマチ・スルメイカ・タイ・アワビ・サザエ・ヒジキ・テングサ。

ああ、なんだかわくわくしてきた(笑)。

そしてこの島の「くらし」。「生活」の項を引用してみる。「島では漁業が盛ん。若い人たちも増えている。ソフトボールチームがあり、夕方になると船に乗り込み宇和島に試合に出かけたりする。」生活の中心は漁業とソフトボール! 船は一日四便だから、おそらくソフトボールチームの面々はそれぞれの持ち船で宇和島へ行くのだろう。まるで私たちが自転車や自家用車で草野球をしに行くようにだ。しかも普通船で三時間弱かかる距離である。帰りはどうするのだろう……、いやいや、その心意気やよし、である。漁を終えたら同じ船でソフトボールをしに行く、そして帰ってくる、すぐにでも小説か映画になりそうである。ちなみにこの日振島、承平・天慶の乱を起こした藤原純友が本拠とした島としても有名である。

とにかく楽しくてやめられない。執筆担当者によって文章に愛情の温度差があるのも、リアルな人間模様を感じておもしろい。こんな素敵な書物の存在を教えてくれたぽた郎さんに、心から感謝申し上げます。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2004.09.20

大西みつぐ『下町純情カメラ』(えい文庫)

日常生活をスケッチしたような写真を貼り付け、それにまつわる文章を書く。

そういうスタイルのブログやホームページをよく見かける。よく見かけるというか、それこそが主流である。どれがどうだと言い始めると、最後は好みに行き着くだけだし、きりがない。私としては、次の4つのうち、ひとつでも充たしてくれたら満足である。

 1 話として楽しめる。
 2 文章が上手い。
 3 写真が素敵。
 4 新しい知見が得られる。

逆に最も苦手で敬遠したいものは、適当な写真に自己陶酔しきった独りよがりな文章がついているものである(書いていて自分の胸が苦しくなるが、ひとまず棚上げ)。むやみに改行を施した「詩もどき」は特に受け付けない。こういうのを見た時は、モニタに向かって悪態をつきながら、延々と続く画面をスクロールさせている(しかもたいてい長い……)。我ながら品のないことである。いや、あくまでも好みの問題です。

『下町純情カメラ』は、大西みつぐが東京の下町をスナップした写真に、彼の視点から見た生活や歴史や文化についての文章がふされている。どれを取っても親密で温かいものを感じる。なにより空気感がいい。こういうさりげない写真を撮って、いい文章を書けたらいいなと、うらやましく思うほどである。一読の価値あり。巻末には丁寧な下町ガイドマップも付される。

言わずもがなの説明:大西みつぐは1952年東京深川生まれの写真家。第22回太陽賞、第18回木村伊兵衛写真賞などを受賞している。街のスナップ写真を得意とする。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2004.09.17

ビルヌーブ・ラブ その2

今日はF1のお話。

ビルヌーブ・ラブ その1というエントリーを立てたのが3月8日。その最後に「ここでは私の最も愛するF1ドライバー、ジル・ビルヌーブとジャック・ビルヌーブについて書こうと思う。ひとまず予告編としてこのエントリはここまで。続く……。」と書きながら、半年間、完全に放置状態である。忘れていないことをアピールするために、左のサイドバーの予告編にそれらしいことを書いてはみたものの、やっぱり筆は進まない。

3月8日のエントリーを立てたのは、今シーズンのF1からジャックの姿が消えたことによる。おそらく復帰はないだろうと踏んでのことだった。それで大好きな親子鷹のことを書いておこうと思ったのだ。しかし、またしても専制君主(シューマッハ)と忠犬ハチ公(バリチェロ)によって繰り返されたくだらない予定調和的進行を見るにつけ、もうどうでもよくなってしまったのである。今さら亡くなったドライバーや引退同然のドライバーについて書いたところでどうなるのか。やれやれ。

ところが、夏頃からジャックの復帰が取り沙汰され始める。当初はウイリアムズから、その後はBARやルノー、そして今週になってついにザウバーからの復帰がアナウンスされた。

最悪。

よりによってザウバーとは。こんなチームで走っても、何も得られない。そもそもフェラーリのお下がりエンジンをもらっているような二流チームに何ができようか。もし万が一ザウバーが素晴らしいマシンを造ったとしても、そしてフェラーリを脅かしたとしても、あの専制君主がその状況で黙っているはずがない。下克上などありえない。魑魅魍魎が棲むF1世界、すでに勝負はレース以前についてしまっているのだ。ザウバーに乗るくらいなら、まだ誰からも束縛されないミナルディの方がはるかにましである。

私は天衣無縫のジャックがシューマッハを完膚無きまで叩きのめす夢を見続けて、ひたすら応援してきた。しかし、それはどうやら白昼夢として永遠に消え去りそうである。1997年の最終戦が行われたヘレスサーキットのドライサックコーナーで起きた事件を静かに思い出す。あの一瞬こそが、物理的にも象徴的にも二人が最も接近した瞬間だったのだろう。

補足:今年の残り三戦、ジャックはルノーから出場するようである。現ザウバーのフィジケラが来期ルノーに移籍することになっているけれど、両者がそのままルノーとザウバーに留まるようになったら、来期のF1は俄然おもしろくなると思う。フィジケラではシューマッハに対して明らかに格負けしている。フェラーリ・シューマッハ対ルノー・ビルヌーブ。現時点で考えられる最もスリリングな組み合わせである。まずは残り三戦(上海、鈴鹿、インテルラゴス)、要注目である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004.09.14

華麗過ぎて情けない楽器遍歴

今日の空音楽が好きとか好きでないとか、そういうことを考えもしなかった時期にオルガンを習っていた。幼稚園の頃である。あまり熱心に練習することもなく、小学校に上がったら自然に止めてしまった。その後は長く楽器演奏からは離れていた。せいぜい学校の音楽の授業で習うハーモニカリコーダーを手にするくらいである。

中学校ではフォークギターである。これは長く続いた。いわゆる日本のシンガーソングライターと呼ばれる人の曲からビートルズ(念のために言っておくと、リアルタイムではつきあってません)などの洋楽まで、何でも弾いた。高校時代はサッカーをやりながら、友人とくだらないバンドを組んで、学校の音楽祭に出たりした。実に青臭い日々であった(笑)。ちなみに芸術の選択は美術でした(爆)。

大学では軽音楽系のサークルに入っていた。一方、卒業単位を揃えるために鍵盤楽器が弾けないといけなかったため(バイエル終了程度)、やむなくピアノの練習に取り組んでいた。ところが、そのうちギターよりピアノの方が楽しくなってしまった。安物の電気ピアノ(ヤマハ)を買う。続けて名機の誉れ高いDX7の後継シンセサイザーも手に入れる。これは今でも手元に残してある。もはやまともに指が動かないけれど。

五線紙のような空最初に勤めた職場では同僚とまたしてもくだらないバンド(キーボードで参加)を組んでいた。その一方、クラシック音楽と深くつきあうようになり、自分でも弾いてみたいと思い出す。本当はバイオリンやチェロに憧れていたのだが、さすがに今さらという感じがして、クラリネットに手を出した。初心者が使うにはどうなのよというほどの値がしたが、独身社会人の物欲(&財力)の前には我慢ということばは存在しない。演奏の腕前についてはノーコメント……。クラリネットは一人でこっそり楽しむ。

そしてウクレレである。伝統的なハワイアンはもとより、オータサン、関口和之、iwao、ペティブーカらから最近のつじあやの、ジェイク島袋らまで、ウクレレの音色そのものが好きで何でも聴く。折しもウクレレがクローズアップされ始めた時期でもあった。最初に普及価格帯のフェイマスを手に入れた後、しばらくしてハワイのメーカー、カマカのものを求める。ここ数年では最も長い時間つきあっているものの、人様にお聴かせするほどのものはない。せいぜい子どもの保育園時代に、保護者の出し物で披露したくらいである(よく出たなと自分でも思う……)。

こうしてあらためて振り返ってみると、もう誰がどう見ても「下手の横好き」でしかないことは明らかである。今日のエントリーは「スウィングガールズ」に大いなる敬意を表して、恥も外聞もなく記してみた。こういう情けない過去(今も続いてますけど)を持つ私だから、小澤先生(竹中直人)が吹けもしないサックスをぴかぴかに磨き上げて飾っている気持ちは、とてもよくわかるのであった。

このエントリーの写真、上はノスタルジックな夕焼け、下は五線紙のような電線。いずれも本日夕刻に撮影。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2004.09.12

スウィングガールズ

エンドロールが終わって劇場内が明るくなると、観客の多くがニコニコしていた。そして歩きながら口々に印象に残った場面の話をしている。そんな幸せな映画である。

矢口史靖監督の映画が好きである。脱力感満点(ついでに低予算度満点)の「ひみつの花園」でやられ(主人公を怪演した西田尚美にもやられた)、「ワンピース」「アドレナリンドライブ」「ウォーターボーイズ」「パルコフィクション」など、どれも気に入っている。「くだらない」と言ってしまえばそれまでかもしれないが、矢口の娯楽に徹する方法論が個人的なツボをストレートについてくるのである。新作の「スウィングガールズ」もまた、これらの系列に連なる快作であった。「ウォーターボーイズ」で相当儲けたはずなのに、持ち味のチープ感漂う雰囲気を失っていないのは、ファンとして嬉しい限りである。矢口は嬉しくないかもしれないけれど。

夏休みの補習をサボるために、友子(上野樹里)は12人の仲間を食中毒で倒れた吹奏楽部の助っ人に引きずり込む。しかし、誰も楽器などできない。そこにリコーダーとエレキギターとベースしかできない3人が加わる。難を逃れた唯一の吹奏楽部男子生徒である拓雄(平岡祐太)は、苦肉の策として彼女たちにビックバンドジャズを叩き込もうとする。ようやく形になってきて音楽の楽しさを感じ始めた頃、吹奏楽部の部員が復活してくる。不完全燃焼のまま活動を終えたガールズ……。一度スウィングする楽しさを覚えたら、もう止めることなどできない。東北学生音楽祭出場を目指して、暴走気味に彼女たちのビッグバンドへの愛は動き出す。

最初の動機は不純だが、やっているうちに本気になる、そして最後は感動的なフィナーレとくれば、これはもう大ヒットした「ウォーターボーイズ」とまったく同じ結構である。そこここに配されるコミカルなシーンと吹き替えなしで驚くほど聴かせるジャズの名曲の数々。一人一人があの年代にしか存在しえないキュートさや一途さや馬鹿っぷり(いい意味で)を見せつけてくれた。ふざけ半分の軽薄な演技や演出に見えるのだけれど、その背景には初めて手にした楽器であそこまで音楽として聴かせるほど集中的に練習してきたという真剣さがある。そういうものは自然と演技にも滲み出てくるだろう。だから結果的にただ軽くておもしろいだけの映画にはなっていない。愛すべき秀作であると思う。上野樹里と豊島由佳梨が特に光る。

それにしても土手を転がる自転車の中学生と、ルイ・アームストロングの名曲に乗って展開する猪のシーンには、本当に腹の底から笑わせてもらったなぁ。屈指の名場面(笑)。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。

| | コメント (9) | トラックバック (2)

2004.09.10

村上春樹『アフターダーク』(講談社)

『アフターダーク』が作家デビュー25年目の記念作となる村上春樹。数年に一度の新作長編だし、書店でも賑々しく販売促進活動が展開するはずだが、今回は英国魔術少年の続編に押されてか、やや控えめな扱いに見えた。発売直後でもあるし、未読の方も多くいらっしゃるだろうから、このエントリーではなるだけ物語の筋に関する話題は控えることにする。詳細はもう一度読み返した後で記すつもりである。

村上春樹お得意の二つの物語が交互に進行するスタイルで描かれた『アフターダーク』は、闇の世界の支配者たる時間を絶対的な領導者として軸に置き、何一つ自律的なものを持たない人々を描く。主人公は浅井マリという19歳の大学生である。物語は彼女の過ごしたある一晩の出来事を描く。ここでは徹底的に女性が活躍する。いや、この作品では物語自体を強力に展開させるものは存在しないので、活躍というより中心に据えられているという方が適切であろう。マリはもとより、彼女の姉エリ、ラブホテルのマネージャーカオル、そこの従業員のコオロギとコムギ。すべて女性である。そしてこれらの女性の間を橋渡しする高橋という男子大学生が登場するが、彼はあくまでも狂言回しとして存在するのみであった。存在は重いが、中心ではない。もっとも女性を中心に据えるといっても、ステレオタイプ的に捉えられた歴史的社会的存在としての女性を問題にするのではなく、時空を越えた「何か」を象徴する存在としての女性を描いているとおぼしい。その「何か」を読者それぞれが考えることが、この作品を読み解く上でとても重要であると思われる。

もう一つ気になるのは、視点人物として明示的に登場する「私たち」とは何者かということである。これまでの村上春樹の小説では、登場人物の一人(たいていは作中の僕)が語りを担当するスタイルになっていたが、『アフターダーク』のそれはなじみのないものである。作中人物から離れたり、時には一体化したりする鵺のごとき語り手は、全知視点を持つ神に喩えられたりもするが、こうした語り手は、実は日本の古代物語にはよく見られる形式である。『アフターダーク』においては、神というよりはむしろ世界を監視する意識の総体、または生と死の狭間の存在として定位するのがふさわしい。いずれにしても彼岸の世界の存在を強く意識させられるであろう。何度か物語中で触れられる輪廻とか転生もいくばくかの関係を持っていると思われる。そうすると、女性が中心に置かれているという先の点についても、此岸と彼岸を行き来するシャーマンもしくは巫女が女性のものであることも関連するのかもしれない(作中、エリがこちらとあちらを比喩的に往還する)。今は印象として述べておくにとどめる。

エリとマリの姉妹が抱える問題をはじめとして、いつものように最後まで答えを提示しないのが村上春樹の小説の常である。しかし、わかりやすい答えなどはどこにも見つけることはできないだろうし、見つけたら見つけたできっとたいそうつまらないものになると思う。内容に触れずに語ろうとすると、どうしても抽象論になってわかりにくい。まとまりが悪いけれど、ひとまずここまで。力不足を嘆くのみ。

余談:「アフターダーク」と聞くと、かつて「これのためにマックを買う」とまで言わしめたマッキントッシュ用のスクリーンセーバーを思い出す。古い!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2004.09.08

天保山までポタ

海のピンホール写真を撮りたいと思いながら、強烈な日差しに負けっぱなしの夏となってしまった。それでもようやく先週末にその気になって出発したのであるが、今度はなにわ自転車道(吹田から大阪港まで行ける自転車道)を走行中、警官に止められた。別に悪いことや無法走行をしていたのではなく、すぐそこで水死体が浮いているという。ああ、見てしまったよ……。亡くなった方にはたいへん申し訳ないけれど、とても水のあるところを走る気分でなくなったので、服部緑地の馬を見に行くことにした。またしても海は遠かった。

そして今日。目を覚ますと台風一過の青空が広がる。今日を逃せば、おそらく当分行くことはないだろう。でもなにわ自転車道はちょっと嫌。ということで、梅田から御堂筋を南下し、淀屋橋で西に転じる。そして堂島川、安治川に沿って天保山(大阪港)へ向かうことにする。リュックにコンパクトカメラ・デジタルカメラ・ピンホールカメラ・中型三脚・予備フィルム6本・ワイヤ鍵3本・村上春樹『アフターダーク』・手帳その他を入れると、重いのなんのって。肩にのしかかる重みに堪え、バディ介(BD-1)を走らせる。そういえば、こやつに乗るのは一ヶ月ぶりくらいかも。

修行のように走りまくり(荷物を降ろすのが面倒)、安治川まで一気に走る。ようやく撮影開始。安治川の風景やヴォーリズの日本基督教団大阪教会(1921)などを針穴撮影する。そしてわが青春の地、弁天町。クラブ活動(サッカー部でした)でやたら走らされた公園で遠い目をしながらハリアナする。

天保山まではそこからあと二駅分の距離である。下町情緒あふれる裏道をちょろちょろと走り、巨大な阪神高速道路の集合体が見えてきたら、その向こう側が天保山である。海遊館やサントリーミュージアム周辺を歩き回り、ピンホール写真を撮った。空も海も昨日の風に吹き払われたかのように澄んでいた。

海遊館 hello

左はカラフルな海遊館(ほんとにいい天気)、右はペイントされた壁と一緒に「シェー」(笑)。

空

最近、お気に入りの小さな飛行物体写真。これはヘリコプター。ぜんぜんわからないけど。中突堤の先でやっぱり遠い目をしていたら、あっという間に時間が経ってしまった。せっかく持ってきた重い本でも読みながら帰ろうと思い、地下鉄の駅で自転車を畳んだ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004.09.07

写真集を眺めて過ごす

女性写真家上から。

澤田知子『ID400』
蜷川実花『Pink Rose Suite』
長島有里枝『Pastime Paradise』
川内倫子『うたたね』
野口里佳『鳥を見る』

いずれ劣らぬ個性を持つ女性写真家の代表作である。野口以外の4冊は木村伊兵衛写真賞受賞作であるが、だからといって『鳥を見る』だけが質的に劣るとは到底思えない。目を悦ばせてくれるこれらの写真集をためつすがめつ手に取っていると、実に多様な視点と表現があるという当たり前のことを思い知らされる。何より奇を衒ったようなところのないのがいいと思う。見たものを撮る、写真にしたいものを撮る。誰にでもできそうでできない、彼女たちの「秘術」を思う。

#川内倫子の日記サイトを発見。それから澤田知子も自分のサイトを開設していた。

ちょっと前のmurmurで「珍しいものではないけれど、探していた本が見つかって嬉しい」と書いたのは、この野口の写真集のことであった。なぜかあちこちの書店で品切れになっていたのだ。強い風の唸る音を聞きながら、気に入った写真家の作品を並べて鑑賞する。おいしい珈琲か紅茶があればもっとよかったのだが、あいにくそれはかなわなかったのでパックの牛乳を飲んだ。村上春樹の『アフターダーク』も読み始める。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2004.09.06

香川でやなぎみわを鑑賞する

香川県にはもっぱら讃岐うどんを食べに行くばかりであった。しかし、今回は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催されているやなぎみわの「少女地獄極楽老女」を鑑賞するために行ってきた。いつもは自転車をフェリーに積んで行くところ、雨の予報が出ていたため、丸腰で高速バスにする。大阪梅田から丸亀まで約4時間半である。

JR丸亀駅 猪熊弦一郎現代美術館

丸亀駅前は恐ろしいほど匿名性が強い風景である。その没個性ぶりは本当に際立っており、典型的などこにでもある駅前の風情が漂う。駅名表示を掛け替えれば、どこの名前を付けても通用するのではないかと思わされる。妙に広い空間に閉められたシャッターが目立つくたびれた商店街と空き店舗だらけのショッピングセンターがあった。きっと多くの地方都市が同じような状況になっているのだろう。ただし丸亀駅前には一つだけ際立った個性がある。それが猪熊弦一郎現代美術館である。駅から徒歩一分、いささか場違いな印象を与えるほどモダンな建物がそれである。

美術館前面 猪熊弦一郎の作品

丸亀市と縁の深い猪熊弦一郎の名を冠するこの美術館には、彼の作品が多数収められており、常時公開もされている。今回は特別に地下の作品収蔵庫も見学することができたが、広い室内(室温23度、湿度50%で管理)には猪熊の作品が無造作にかつ大量に保管されていた。2階の常設展示ギャラリーは撮影可能とのこと。空間を贅沢に使った気持ちのよい美術館である。3階に併設されるカフェもよい雰囲気で、特別展に合わせてアレンジされるメニューもおもしろい。現在はやなぎみわが型どりしたカップを使ってのゼリーが供されている。

気持ちのよい空間 併設のカフェ

やなぎみわの「少女地獄極楽老女」。国内外で活躍する美術作家の初の大規模美術館での個展である。やなぎの詳細についてはキャノンのサイトにあるトップ・クリエーター・インタビューに詳しい。書籍やネット上で見覚えのある写真が、巨大な姿で眼前に展開する。その迫力。やはり実物の持つオーラというのは独特であると改めて感じ入る。

余談:やなぎみわ展を担当したキュレーターが解説、案内してくれたのだが、この女性が某フォトロガーにそっくりなのであった! 容姿も服装の感じも話し方も年格好も何もかもである。最初に見た時、わざわざここまで来ているのかと思ったほど(笑)。

やなぎみわを堪能した。←なんという締めくくり方。

ダンシングクイーン 昔ながらの写真店

その後、帰りのバスの時間まで丸亀を散策する。しかし、お目当ての讃岐うどん店はすでに営業終了……。しかも日曜ゆえ一般のレストランや食堂も定休日で開いていない。香川に来てなぜコンビニおにぎりやパンばかりを食べなければならないのかと悲しくなった(大袈裟)。おまけに激しい夕立にも襲われ、それはまぁ予想していたからいいものの、結局、あたりをフラフラ歩き回って、早々に駅前に戻ってきた。上の写真は散歩途中で見つけたフィリピンパブ「ダンシングクイーン」と昔ながらの写真屋「田中写真館」。18時前のバスに乗り込み、高松市内に向かっている頃、関西の方では大きな地震があったらしい。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004.09.02

忍者ハットリくん・ザ・ムービー

今年公開された日本の漫画やアニメを原作とする実写版映画は、思いの外、よい出来であった。特に「CASSHERN」(紀里谷和明監督)と「キューティーハニー」(庵野秀明監督)はそれぞれの世界観を存分に活かした佳作であろう。何より監督やスタッフ、俳優がその世界を愛していることがきちんと伝わってくるのがよい。そして今度の「忍者ハットリくん・ザ・ムービー」もまた、負けず劣らず制作者や出演者の愛が感じられる映画になっていると思う。

伊賀の里で修行を積むハットリカンゾウ(香取慎吾)は、父ジンゾウに命じられて東京へ最後の修行に出ることになった。「主以外に姿を見せてはならない」という掟を守りながら、主に選んだ小学3年生のケンイチ(知念侑李)とともに共同生活を送る。ケンイチの担任サトーが元甲賀忍者のケムマキ(ゴリ)であることを知ったハットリくんは、かつての恨みを晴らすべく勝負を挑むが、多くの甲賀忍者がもはや忍びの道を捨てたという。サトーもまた同じであった。同じ頃、都内では謎の連続事件が発生していた。被害者はいずれも外傷がないまま意識不明の重体になっている。やがて彼らは元甲賀忍者であることが判明、ハットリくんとケムマキはケンイチを連れ去った謎の事件の犯人と戦うべく、山中の廃寺へと向かう。「ハットリカンゾウ、ただいま参上!」。

特撮とCGを駆使した冒頭のアクションシーンからスクリーンに目が釘付けである。当初は香取慎吾のためのプロモーション映画かと危惧していたが、ハットリくんの世界が完全に香取を取り込んでおり、素直に物語を楽しむことができた。また全体の構図が単純な勧善懲悪でないことも好ましく感じた。ビジュアル面での演出は、異形異世界のものをあたかも現実の存在としてリアルに見せる方向で味付けすることもできるだろうが、ハットリくんではあえて変な雰囲気、世界観を隠そうとはしない。そのリアリズムからの決別や割り切り方が実に潔くて好感が持てる。きちんとハットリくんに感情移入ができるように仕向けられているため、「やりもしないで諦める方が格好悪いでござる」とか「掟だから守るのではなくて、自分が守ると決めたから守るのでござる」などというお約束のクサイ台詞も、天の邪鬼な気持ちにならず、すんなりと受け入れることができた。途中で目頭を熱くしていたのは秘密(笑)。

鈴木雅之監督はフジテレビの人気テレビドラマを数多く手がけている。思えば「王様のレストラン」「ショムニ」「古畑任三郎」などは好きでよく観ていたのだった(レンタルビデオでだが)。これなら続編も観たいと思う。TOHO CINEMAS 高槻で鑑賞。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004.09.01

ディープ・ブルー

毎月1日は映画の日である。先月は夏休み中の日曜日とあって、とんでもない混雑であったが、今回は夏休み直後の平日で比較的ゆったりとしているはずだ。「なんでお前がそこにいる」という突っ込みは受け付けません(笑)。

先週末に公開された二本の映画「ディープ・ブルー」と「忍者ハットリくん・ザ・ムービー」を観ることにする。いつも利用するワーナーマイカルシネマズ茨木では「ハットリくん」しかやっていないので、梅田に出てナビオ・シネプレックスへ行こうかと思ったのだが、ネットで公開劇場を調べてみると、開館間もないTOHO SINEMAS 高槻で両作とも上映中であった。近いのでそちらにする。

ワーナーマイカルシネマズには「e席リザーブ」というインターネット上で座席を購入できるシステムがあり、よく利用する。せっかく観る気で行ってもチケット売り場が長蛇の列だと気分が萎えるからである。ただ座席を指定できなかったり、手数料を取られたりする。楽にチケットを手に入れられるのだから、それについては仕方がないかと思っていた。しかし、TOHO SINEMASのネット予約は両方ともクリアしているのである。これはいい。考えてみれば当たり前のサービスではないのか。嬉々として2作分2000円(映画の日だから)のお買いあげである。

劇場はJR高槻駅に直結である。新しくできた商業ビルの5階にある。1階にはそれなりの規模の書店(新刊書中心)があるし、2階にはスターバックスやタリーズもある。高槻は隣町なのに梅田とは反対方向になるため、これまでほとんどまともに来たことがない。でもこれならしばしば来てもいいかと思わされた。肝心の劇場は今時のシネコンと大きく異なるところはない。いつも思うのだが、これだけスクリーン数があるなら、一つ二つはマイナーな邦画・洋画に割くことはできないのだろうか。どこもかしこも同じプログラムというのは、これまた文化的ファシズムを生むことになるのに。もちろん商業的側面を抜きにはできないのはよく承知しているけれど。

ゆったりとした座席に身を沈め、「ディープ・ブルー」を観る。ベルリンフィルの演奏する美しい旋律が流れ、ひたすら青い世界がスクリーンに展開する。「WATARIDORI」にあった人的演出はなく、海の生物の生きる姿がそのまま映像に絡め取られている。海洋生物好きは必見であろう。私はあまりの心地よさにしばし夢の世界に旅立ってしまったこと(しかも複数回……)をこっそり告白しておく。

シャチの狩りのシーンではアザラシやクジラが可愛そうでした(まるで子どもの感想文)。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

« 2004年8月 | トップページ | 2004年10月 »