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2004.10.19

吉田修一『パーク・ライフ』

10月18日の「オオサカハリアナツウシン」で「服部緑地はいいところ」というエントリーを立てた。そこで「特に何があるというわけではない。広い敷地には「緑地」の名の通り、緑豊かな空間が広がる。季候のよい時期には木陰のベンチでのんびり読書をしたり、公園遊びに興じる人たちを眺めたりする。何の生産性もないけれど、そういう時間はとても大切である」と書いた。この「何もしなくてもいい場所」という公園の魅力をなかなか味わえないことをもどかしく思う。たいていは自分自身の問題である。

吉田修一のこの作品の舞台は日比谷公園である。地下鉄で偶然話しかけてしまった見知らぬ女性が、公園のベンチでスターバックスのコーヒーを手にして座っている。何かに押されるように衝動的に彼女のもとに走る「ぼく」は、しかし、なぜそうしたのか、その理由さえ考えていなかった。改めて話しかけてみると、彼女もまた「ぼく」が公園で過ごす姿が気になっていたのだという。もっとも恋愛感情とか何か特別な気持ちによるものではなく、ただ公園の一風景として……。

村上龍は芥川賞の選評で『パーク・ライフ』について、「何かが常に始まろうとしているが、まだ何も始まっていないという、現代に特有の居心地の悪さ」や「あるのかどうかさえはっきりしない希望のようなもの」がこの作品には存在するという。確かに『パーク・ライフ』には物語を強力に前に運ぶ推進力のようなものや、腑に落ちる展開、結末などはない。代わりに「何もしなくてもいい場所」で点景として存在する人々のかすかに揺れる感情の残滓だけが方々に投げ出されている。もちろんその感情の行方は記されることなく物語は閉じられる。おそらく直木賞候補になるような作品だと、ここから物語が広がるのだろう。

思わせぶりな結末と揺曳する気配から何が始まるかは、私たちが考えるしかない。それこそが楽しみであろう。いや、展開よりもそこにある「公園の生活」そのものを味わうのがよいか。いずれにしても何もしないために公園に行く贅沢を味わいたい今日この頃。第127回芥川賞受賞。文春文庫。

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コメント

>m4
重くなりすぎて腕が上がらなくなる頃には、たぶん懐が寒くなって首も回らなくなるでしょう。

投稿: morio | 2004.10.27 23:05

折り畳んで、袂に仕舞い込むのでせう。ない袖は振れぬと申しますが、重くなりすぎて腕が上がらなくならないよう、お気をつけください。嗚呼、地図ばっかりで貨幣でないところが泣かせどころで御座居ます。

投稿: mi4ko | 2004.10.26 00:09

>m4
だから同時にたくさんの地図を開くと、人は修羅場に落ち込み血迷うものなのですね(爆)。あまりに日常が広がりすぎると手に余って困りそうなので、適当に折り畳みます :-P

投稿: morio | 2004.10.25 01:33

あ、つぶやいている(笑)
山田詠美の著書の中で「新しく恋人が出来ることは、自分の中に新しい地図が出来る事だ」といった事が書かれていましたが、非日常から日常へのスイッチの一つにはそんな不可抗力も潜んでいるような気がします。新しい地図が日常になるか、非日常のままになるのかは、誰にも判らない事ですが。

投稿: mi4ko | 2004.10.24 10:10

>m4
これはまたぴったりの東京土産です。それなりに生きていると、日常がある日突然非日常になったり、またその逆もあったりで、本当に不思議な気分になります。ああ、東京(となんとなく言ってみる、笑)。

投稿: morio | 2004.10.24 02:13

この本は銀座の本屋さんで買いました。その場、東京に居る事の証のつもりで買いました(まあ、ほかにも色々と動機があったりするのだが)。
東京に居る間に読んでしまったのですが、東京に居ることの非日常を感じつつ、周囲の日常を客観的に見ながら読む事が出来、とても不思議に思えたのを思い出しました。

投稿: mi4ko | 2004.10.23 16:35

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