笑の大学
月に一度の「映画の日」である。たまたま空いた時間があったので、何かを見に行くことにした。ちょうど「笑の大学」と「オーバードライブ」の2本が公開直後で狙い目である。ところが、後者を上映しているテアトル梅田は、独自に第1水曜日を「映画の日」にしている。ちぇ。仕方がないので、ワーナーマイカルシネマズ茨木で上映している「笑の大学」にする。混雑して座席がなくなると困るので、e席リザーブで予約をした(あいかわらず手数料を100円取るのはどうなんだろ)。
平日昼の時間帯にしては観客が多いのは、やはり1000円の威力だろう。私の真後ろに座っている人からの見えない圧力(おそらく120キロ超)と耳に喧しい鼻息が気になったが、それは言ってはいけない。しかし、映画が始まるやいなや、この巨躯男、大きな鼾をかき始めるではないか。それはもう映画館では言語道断だろうと思えるほどの「大音声」である。おそらく人よりは映画館によく出かけているはずだが、ここまで大胆不敵に熟睡する人に出くわしたのは初めてである。彼は1000円で仮眠場所を求めていたのだと思うことにする。「心頭滅却すれば火もまた涼し」である。
閑話休題。
三谷幸喜の関わる映画は「12人の優しい日本人」「ラヂオの時間」「みんなのいえ」「竜馬の妻とその夫と愛人」に続いて5作目となる。「笑の大学」はテレビドラマ「古畑任三郎」でコンビを組んだ星護に監督を任せ、自身は脚本を担当する。三谷といえばまず舞台ありきで、過去のテレビや映画になった作品も、もともとは舞台用であったものが多い。「笑の大学」もそうした作品の一つであるが、他の作品と決定的に違う点がある。それは「笑の大学」が三谷作品のベスト、最高傑作であるという評価がすでにできあがっていることである。このハードルは極めて高い。しかも登場人物がたった二人の密室劇である。これをいかに2時間の映画として見せるのか。
昭和15年、警視庁保安課取調室。検閲官向坂睦男(役所広司)は、劇作家である椿一(稲垣吾郎)の書いてきた新作の検閲をする。「喜劇など上演する意味がない」とする向坂は、椿の試みをことごとく否定するが、椿は椿ですべてを受け入れながらさらにおもしろいものを作り上げてくる。期せずして、向坂の否定的発言は、皮肉にも脚本をどんどんおもしろくする方向に働いてしまうことになった。やがて芽生える友情。そして完璧な喜劇台本が完成する。ところが……。
密室でのドタバタ劇(つまりは演劇的な舞台設定)は「12人の優しい日本人」や「ラヂオの時間」でお馴染みのスタイルであるが、出演者の少ない「笑の大学」は、さらに濃密な演劇的時空間を意識させる。二人だけでどうなるかと思われた点については杞憂に終わった。舞台となる場面を変えるとか、新しい登場人物によって別の人間関係を構築するなどの方法が取れないだけに、すべては二人の器量にかかってくる。役所広司と稲垣吾郎の話芸、腹芸、演技が実に知的でスマート、さらに熱意も感じられ、しっかりと画面に惹き込まれた。冷徹な向坂が椿という触媒によって次第に変化していく様が破綻や飛躍することなく丁寧に描かれている。そしてこの映画にとってはそれがすべてであろう。星監督と三谷の挑戦は成功していると思う。
もちろん映画は映画であり演劇では決してないのであるが、そういうジャンル分けをひとまず忘れてもよいのではないかと思わされた2時間であった。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。
余談:ところで、三谷脚本の大河ドラマ「新撰組!」は、御贔屓の麻生久美子(おりょう役)が出ているのだけれど、一度もチャンネルを合わせたことがない。おもしろいのかなぁ。
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