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2004.11.27

小谷野敦『評論家入門』

なんだか身につまされる話が多くて、それが本当に他人事とは思えなくて、でもおもしろおかしくて、一気に最後まで読み切った。小谷野敦の『評論家入門』

「清貧でもいいから物書きになりたい人に」という副題を持つこの本、あまたの文章読本を読んでも決して文章がうまくならないのと同じように、これを読んだからといって物書きになれるわけではない。むしろ物書きを目指す気持ちが萎えるような話が満載で、そうした小谷野自身が体験した裏話的恨み節こそが、本書の勘所であろう。型通りの文章修行の話などはまったくおもしろくない。ひたすら彼の体験した悲惨な話や他の評論家への批判や悪口(!!)を拾い読むべし。そしてそれをもって他山の石とするのである。

小谷野は「これからはエッセイだ」という。いわゆる随筆である。確かにこれだけネット上に「(自称)随筆」があふれかえっている状況を鑑みると、それだけ需要があるのかと勘違いしそうである。しかし、実際にはほとんど読まれもしないまま消え去る文章が大半であろう(自らは棚上げ)。自分のなしえることは、虚空に向かって力なく言葉を紡ぐのみか……。

小谷野は言う。

現代においては、逆に言うならば、インターネットを使ってどんどん言いたいことを世間に公表できてしまう。私はむしろ、そんなことに自己満足しないで、たとえ安くてもいいから、原稿を売ることを目指してもらいたいのである。

変な下心を持っていると、耳が痛い。

売れる文章を書くこと、それが、学者と、評論家やエッセイストの違いなのである。そしてこの「売れる」というのは、「儲かる」ということではない。

もっと耳が痛い。この文言が一書の締めなのだから始末に困る。実感と一言で片付けてしまうには、あまりにも重すぎる。(平凡社新書。2004年11月)

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コメント

>m4
そうです、衆生有情は全力で生きるものなのです。その姿はあたかも「金魚が水面で口パクパク」。迷わず行けよ、行けばわかるさ(アントニオ猪木)。ダー!!

投稿: morio | 2004.11.30 00:48

山下達郎氏は唄う時、8割のパワーを出すそうです。
10割を出しきってしまうと、聞き苦しく、余裕のないものになってしまうからだそうです。かといって2割手を抜いているということでは、ない。

いやもう、いっばいいっぱいです。

投稿: mi4ko | 2004.11.29 22:51

>Wind Calmさん
この本はいろいろな意味で楽しめると思うので、お暇があればぜひ。

>Muさん
この本は評論家になるための方法を書いたものというより、若い頃の思惑がはずれた小谷野の恨み節が読み所です。文壇にデビューするとか、文章修行とか、ハウ・トゥ・売り込みなど、現実的な方途についてはほとんど触れられていないと言ってよいでしょう。たまっていたものを吐き出した感じです。褒めていただき嬉しく思いますが、この先も「清貧」を楽しむしかないと覚悟を決めております。

>winter-cosmosさん
もはや郊外型の駐車場つき書店とコンビニ、そして大都市の大書店しか生き残れないのではないかという惨状ですね。お母様のお話、切ないですね。

>み姐
推敲不足で泣きを見るのは常のことです。:-P
不快な文章。いわゆる衒学的なものですね。該博な知識を持ちながら、その2〜3割で悠々と文章をものすのが夢です。しかし、いつもいっぱいいっぱい。しかも格好をつけようとするので、知ってることをみな書こうとして変な文章にしてしまいがちです。しかし、そのたとえは強烈すぎ!

投稿: morio | 2004.11.28 22:55

売れるねぇ…。
お金をいただく文章と、そうでないものの境界線は、推敲にかける時間かなぁ。それがいつもあだになり、送信ボタンを押してから「ありゃりゃ推敲どころか誤字脱字満載」というありさま。
それでも、万人の目に触れる文章。極力下品にならないよう、失礼にならないよう自分なりのモラルコードを引いているつもりです。
広いネット上には、行きずりで目に触れたとはいえ、ものすごい不快になる文章ってありますよね。
ワタシが苦手なのは、ひとつのテーマについて、持っているだけの情報と単語を垂れ流しにして、結果的に自分の知識を誇示し自己顕示欲を満足させているような文章です。いかに小出しにしながら読む人を引きつけ納得させるか、全く考えていない、こういう仕事を「自慰行為に使ったティッシュを開いて人に見せているような」と形容させていただいています。おっと、御食事時に失礼。

すべての本が電子本になっても私は古本屋や闇ルートで紙の本をあさるでしょう。紙の本を淘汰しようとする動きがあります。資源の問題もありますが、電気をつけないと読めないようなことでは困ります。トイレ、お風呂、渋滞の車、布団の中。本を読みたい場所ってパソコンを駆使できないところが多いですよね。

投稿: miu | 2004.11.28 19:53

 上のコメントの流れにのってないかもしれませんけど・・・。
 今、手元に鶴見俊輔さんの「本と私」(岩波新書)があります。
 まえがきに「本は、今までの歴史の終わりに立たされている。本は今、人気がない。敗戦後、出版社の前に行列ができたころにくらべて、今は、本に打ち込む人が少ない。・・・」とあります。
 私が子供の頃、母は趣味が高じて、自宅で小さな書店を営んでいました。
 でも大型書店が大阪に出来たのを機に、閉めてしまいました。大型化の波がくるのを見越しての事です。
 本はとても利益の薄い商品です。町の小さな書店はよく頑張っておられるなと思います。
 こんな話いつか記事に、と思っていたのですが、つい書いてしまいました。

投稿: winter-csmos | 2004.11.28 10:48

morioさん
 古来、売文というのは才能も必要だけど、商売なんであって、うれそうな地域に店を構えるとか(雑文需要の多い東京に住む)、売れ筋の品揃えをするとか(編集さんとかと行き来がないと需要も掴みにくいでしょうね。一歩先)、資金とか(霞くってはいけないから)、なんやかんやと商売を始めるにはそれなりの見えない気配りや努力が必要なんだと思います。

 しかし齢を重ねると、時間が限られてくるし、限界も把握しますよね。で、売文がなりたっても決して満足できないことも多かろうと想像もするし、小遣い稼ぎにはもっとスマートな方法もあるだろうし。

「趣味」は大切だと思います。趣味で模型飛行機を飛ばしたい人が、全員模型屋さんになるわけでもなし。
 売れた原稿だってすぐに塵芥。
 blogは趣味と思えば気楽かな。趣味で生きて、趣味でblog開設している。ネット広告提携したら、blogが売れたことになるかな。あはは。
 
 で、さいごに数言。
 morioさんの写真と文章とはセットで売れると思っています。
 きっかけとか、運不運とかあるけどね。

 一記事50円程度なら、週に何回か読みに来ます。
 だからMuだけで一ヶ月で50x4日x4週=800円
 10人で8000円。100人で8万円。
 まあ、千人読者がつけば、年収1千万円だね。

と、妄想してみました。それだけ、妄想を喚起するだけの値打ちある、morio書評なんです!

投稿: Mu | 2004.11.27 19:04

 実は、2003年まで、「売れない文章は書かない」と気取って、サイトを作っていなかったのでした。でも、才能のなさは言うまでもなく、売ろうとすらしてないんだから、どうしようもない。
 今は、何人かでも読んでくれていれば、という心境になりかかっています・・・

投稿: Wind Calm | 2004.11.27 18:28

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