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2004.11.08

蛇イチゴ

私たちは意識しようがしまいが、常に何者かになりながら毎日を過ごしている。家では子供として、父として、妻として……。外では友人として、上司として、同僚として、客として……。さらにそれぞれのキャラクターに色を付けるべく、優しい父として、物わかりのよい子供として、貞淑な妻として……と、これはもうあげていくとキリがないほどである。「蛇イチゴ」はある日突然家族がそれまで演じていた役割を捨て、仮面を脱ぎ去ったらどうなるかという物語である。何が真実であるかが厳しく問われる。

ベテランサラリーマンの父は、堅固で誠実な人柄で、周囲からも厚い信頼を得てきた人です。父は一家の要、敬い、慕ってやまぬ大樹のような存在です…ということになっていました。 そんな忙しい父を支え、家庭をきりもりする母は、ここ数年痴呆の重くなってきている祖父の介護を厭うこともなく、強く朗らかに毎日を受け止めています…ということになっていました。 温かい家族に見守られながら、幼い頃からの夢だった小学校の教師として働いている私ですが、職場で出会った優しい恋人と、もうすぐ結婚…ということになっていました。(公式サイトより)

「ということになっていました」との文言からわかるように、これらはすべて「仮の姿」である。父(平泉成)はリストラされ、あちこちに多額の借金を抱えながら、今も会社に勤めている振りをする。母(大谷直子)は気の休まらない家庭に不満を持ち、介護にも心底疲れ果て、ひどい円形脱毛症に悩んでいる。そして祖父の死をきっかけにして、それまでの隠された真の姿がすべて表に出る。葬儀に押しかけてきた金融業者によって父の秘密はばれてしまうし、祖父の死の危機に見て見ぬふりをした母もすっかり居直ってしまった。温かい家庭だと「勘違い」していた倫子(つみきみほ)の恋人は、「だまされた」といって離れていった。家庭崩壊である。そこに現れたのが、父から勘当された生来の詐欺師である長男、周治(宮迫博之)だった。

周治はいろいろな「顔」を使い分けることで、世間を渡ってきた。それは家族に対しても同様である。彼こそが人間関係とは互いにある役割を演じ合うことであるというのを、最もよく理解していた。周治の多面的な生き方は父のよくするところではなかったが、結局、そこにこそ真実があったのである。「蛇イチゴ」の実のある向こう岸、周治が飛び越えた川を倫子は飛び越えることができなかった。それはいつも「よい子」で生きてきた倫子だけが、仮面を脱ぎ捨てられずにいることを象徴しているのかもしれない。少しもの哀しいラストシーンは、しかし、なぜか温かい気持ちになるものでもあった。

西川美和監督はこれがデビュー作である。脚本も監督の手による。今年は「誰も知らない」でよい年となったであろう是枝裕和監督がプロデュースする。佳作。

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コメント

>Muさん
人間も所詮はレゴブロックの集積体のようなものですか。パーツは没個性、でも集め方は千差万別というように理解しました。そういえば仮面(ペルソナ)や顔については、いろいろな分野の人が論じていましたね。

投稿: morio | 2004.11.09 22:54

morioさん
 あなたのコメントだけで、少し日頃考えていたことを記します。
 つまり、仮面は肉に融合し、仮面が素面になるという事実というか、寓話。
 以前、NHKのスペシャルで「自我」かな「アイデンティティー」かな、それについて深い話がありました。
 「自分そのもの」と思っているものが、モザイクのような組合せ。子細にみていくと、特異性はなにもなくなる。要するに、素面も仮面の一つ。
 と、そんなことを思い出していました。
 ただ、このコメントは、蛇イチゴ作品とは無関係なことです。

投稿: Mu | 2004.11.08 21:24

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