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2004.12.20

ゴジラ・ファイナルウォーズ

楽しみにしていたヘドラの登場時間は、おそらく10秒ほどだろう。10分ではない。10秒である。エビラとともに東京湾から出現したとたんに、ゴジラの熱線で雲散霧消した。

キングシーサーもアンギラスもラドンもクモンガもカマキラスもハリウッドゴジラも、まともにスクリーンで暴れる怪獣は皆無である。怪獣はゴジラの前に出てきた瞬間、熱線や尻尾の一撃で退場させられる。出番はゴジラに遭遇するまでのせいぜい数分間。千切っては投げ千切っては投げの繰り返しである。これはいったい何なのだろうか。これほど多くの怪獣を登場させる必然性がどこにもない。懐かしい面々の単なる顔見せだった。

そこではたと気がついた。監督の北村龍平は「あずみ」で上戸彩に百人斬(二百人だったかも)をさせていた。それとまったく同じ結構ではないか!

たくさんの怪獣を出して最初から最後までバトルシーンを並べれば盛り上がるのだと勘違いした世紀の大失敗作。さすが上戸彩の百人斬しか話題にならなかった「あずみ」の監督、北村龍平の考えることである。同じことをゴジラでやろうとしても駄目である(どうせやるならキングギドラを百匹、モスラを百匹出せばよい、ド派手でよろしい)。ゴジラ全作品の中でも最低の出来だと思う。東宝チャンピオン祭後期の「アイドル・ゴジラ」、混迷の平成ゴジラシリーズよりも圧倒的に酷い。怪獣のプロレスの合間に、地球人とX星人のプロレスが入る。ドラマはなきに等しい。ひたすら人間の格闘と怪獣の格闘が交互に描かれるのみ。こんなダイジェスト以下の映画の何を楽しめというのだろう(ちなみに楽しめたのはX星人役の北村一輝の怪演技のみ)。

興味深い記事がある。12月9日の朝日新聞朝刊「文化総合」欄に江戸木純なる映画評論家の評が掲載された。「ゴジラ・ファイナルウォーズ」公開直後のことである。私は江戸木の文章を読んで、さほど期待していなかった本作が大いに楽しみになった。曰く「2作目以降、シリーズ中最も面白いゴジラ映画の誕生」「究極の格闘技映画と捉えた今回の方法論は極めて正しい」「人間の登場人物にも怪獣並みのアクションをさせることで、怪獣シーンとドラマの間にあった違和感の解消に成功した」、そして「ここには怪獣映画に求められるものがすべて詰まっている」等々。書き並べていて空しさだけが残る。これほど酷い提灯記事を読むのも久々である。映画観賞後の怒り(いや、本当に怒ってました)は、おそらくこの江戸木の騙し討ちのような記事のせいもかなりある。

社会や歴史への痛烈な批判者として誕生したゴジラ。常に時代のメタファーを体現しながら存在し続けたゴジラ。物語そのものの巧拙はあっても、制作者や鑑賞者に愛されたゴジラ。そういうものがすべて欠落した最新作にして最終作のゴジラ映画に存在意義などない。消えろ北村、そして消えろ、ゴジラ。

公式サイト
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コメント

>くるとん
思いたくない……。でもこんなのだったら、もういらない。

>み
がるる〜。

>ふりぷれ
想像通りだと思います。イマイチどころかイマヒャクくらい。「あずみ」の予習をするなら、原作漫画でいいのでは? 金子監督なら前作を知らない人にもわかるように作ってくれますよ。

投稿: morio0101 | 2004.12.22 00:21

アレてますね^^;
「ファイナルウォーズ」も観てませんし、「あずみ」も観てませんが、だいたい想像はつきます。マイナ時代の北村作品にはB級のパワーがあって結構好きだったんですが、メジャー作はどうもイマイチっぽいので手を出してません。
「あずみ2」は金子監督に変わったのでちょっと観たいと思ってのですが、果たして一作目を観ておいた方がいいのか悩ましいところ…。

投稿: freeplay | 2004.12.21 21:05

ちんさんご乱心でござる。
どうどうどう。

投稿: miu | 2004.12.21 19:10

「あれが最後の一作とは思えない…」

投稿: crouton | 2004.12.21 07:33

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