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2004.12.11

世界の中心で、愛をさけぶ

とてもよくできた予告編である。全編を見終えた後、DVDに特典として収められているものを見て、そう思った。そして同時に、「これだけでいいではないか」という身も蓋もない感想を持った。ありていに言うと、本編はこの予告編を2時間18分に引き延ばしたものでしかない。「泣かせよう、感動させよう」という饒舌なあざとさがない分、素直に物語の山場を並べる予告編の方が本編より遙かにできがよい。

興味深い記事がある。「文藝」2004年春号(2004年2月)は行定勲監督の特集を組む。この雑誌の巻頭に行定のロングインタビューが掲載されている。まもなく「きょうのできごと」と「世界の中心で、愛をさけぶ」が続けて公開開始となる時期のことである。行定は言う。

『きょうのできごと』が一番ドラマがない(注:行定作品を振り返ってのこと)。でも一番やりたかったのはこういう映画だっていう感じはすごくしているんです。今のところこれが自分のベストワンだっていうことは言えると思います。多分しばらくは超えられない。

もちろん直後に公開される作品の批判などできるものではない。しかし、少なくとも行定の中で「きょうのできごと」と「世界の中心で、愛をさけぶ」の序列または愛情のかけ方に結論は出ている。私はここで行定の撮った東映の大作「GO」を思い出す。

「GO」では要するに、自分のスタンスとか自分のポジションとかはまったく何も考えなかった。ただ東映っていうプレッシャーだけ。東映が満足するものって。

このことばの「GO」を「世界の中心で、愛をさけぶ」に、「東映」を「東宝」に置き換えれば、実にうまく理解できる。それくらい「世界の中心で、愛をさけぶ」は行定作品の色から遠く異質なものである。「世界の中心で、愛をさけぶ」は行定が最もやりたくないはずの「ドラマにあふれた」物語であるのはいうまでもないだろう。行定の持ち味である日常生活のあるかなきかの微妙なうねりを掬い取るような繊細さは、この映画にはまったくない。これは純愛の名を借りたジェットコースタームービーであり、いったん乗ったが最後、涙を無理矢理流すまで止まってくれない。涙を流せない人は度し難い不快感を胸一杯に溜め込んで終わる。

アテネオリンピックが佳境を迎える頃に掲載された朝日新聞の文芸時評で、担当の島田雅彦は片山恭一(「世界の中心で、愛をさけぶ」原作者)に対して「世界を舐めきった態度に唖然とした」と言い放った。片山の何が島田の言を呼び込んだのか。9・11を迎える時期に多くの文学者が社会との関係性についての態度表明を行った。その一人に片山がいたのである。片山は、テロリズムのはびこる世界情勢をアメリカ的価値観がもたらした閉塞感、空虚感が導き出したものだとし、だからこそそういうものとは異なる生の様式=純愛を人々は求め、『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーとなったと言うのだそうだ(私はオリジナルは未見、島田の要約に仮に従う)。この「自分も改めて生と死を見つめていく」という作家は、白血病でヒロインを殺し、その死を見つめながら、「自分探し」をするメロドラマで巨額の富を得たのであった。どこが9・11とつながるのだ? テロリズムはメロドラマが解決するのか。片山にはぜひ「イラクの中心で、愛をさけんで」もらいたい。

監督の手を離れた作品は観客のものになっているから、最終的な評価を下すのは享受者である。その意味では「世界の中心で、愛をさけぶ」は成功した映画である。物語にすべてを預けてひたすら泣きたい人にはお勧めするが、しかし、自分の想像力と感性で対象を味わいたい人には、決して勧めない。考える余地を残した数分の予告編を私が褒める理由もおわかりいただけようというもの。なお片山恭一の原作本はまったく読みたいと思わないが、川内倫子の空の写真を使った表紙だけはほしいと思う。

いたずらに長くなった。後日、整理するかもしれません。ひとまず閉じる。

肯定派のためにファンサイト
もうひとつ。大量の感想リンクあり。Kazuakiの映画日記

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コメント

>あきりん
「別冊宝島」だったか、今年のベストセラーを斬るとかいう特集号で、島田雅彦が朝日に行った事情を語っていまい他が、忘れました(笑)。もっとも片山に辟易するのは島田だけではないので、これはこれでいいと思います。

さけんで金がもらえたら、私にもライカかローライを買うくらいの資金を分けて下さい。GRデジタル基金でも可。

投稿: morio | 2004.12.29 00:04

島田は毎日から姿を消したと思ったら朝日にいたのね。
「舐めきった態度に唖然」とは、いかにも彼が言いそうな言葉ですね。今更ながらに「愛をさけぶ」と世界平和になるのだと云うステロタイプな片山の態度に、島田は辟易したんでしょう。

世界の中心で「金くれ」とさけびたい(笑)

投稿: akinoringo | 2004.12.26 19:09

>winter-cosmosさん
この話のどこで癒されるのか、私にはよく理解できませんでした(映画だけですが)。人を難病で死なせるという状況でしか愛を描けないとしたら、筆力の点で貧しいことだと思います。もちろん愛する人を死なせるような恋愛はしたくありません。

>m4
御意。このおせっかいぶりはワードやエクセルのお節介にも似て、苛立たされました(笑)。いちいち俺の文章にチェックを入れるな、マイクロソフト!

マイナー、万歳 :-P

投稿: morio | 2004.12.12 23:46

某韓国ドラマもこの映画も観ていないけれど、とかく世の中でメガにヒットなさるものには縁を感じないでこのまま来ました。簡単にこれらを一つに括る事が出来ないのは判っていますが、さあどうぞ、とハンカチを差し出されると遠慮しちゃうのよねぇ。

投稿: mi4ko | 2004.12.12 12:06

 私は原作本を読んで、映画は見ていません。
 原作は、口当たりの良い言葉の洪水のようで、人は癒しを求めにこの本の世界へ浸るのかな、と言うのが率直な感想です。
 帯に書かれた「こんな恋愛をしてみたい・・・」と言う言葉には何かすっきりしない気持ちがします。
 白血病で自分の愛した人の髪が抜け、やせ衰えていくのをあなたは正視できますかと。

投稿: winter-cosmos | 2004.12.11 11:43

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