玄侑宗久『中陰の花』
羽生未来が亡くなったことをニュースで知った。小さい子供を持つ親が否応なしに見てしまうNHK教育テレビ。ご多分に漏れずわが家も同じ道を辿っていた。娘は保育園に通っていたので、あれこれと見ることはなかったけれど、定番の「おかあさんといっしょ」や「おじゃる丸」などは好きでよく見ていた。
当時の「おかあさんといっしょ」のおにいさんとおねえさんは速水けんたろうと茂森あゆみで、歴代の中でも高い人気を誇る二人であると思う。このコンビによる「だんご三兄弟」のヒットは記憶に新しいところであろう。そしてもう一つ忘れられない番組が「英語であそぼ」である。この幼児向け英語番組の当時(95年〜98年)のおねえさんが羽生未来であった。画面から飛び出さんばかりの溌剌さは、うすらぼけた私の頭に強烈に飛び込んできた。「Welcome to Planet Paradise!!」の掛け声で始まるやいなや、巨大な渦にどんどん巻き込まれるかのような思いのまま、あっという間に番組終了の時間を迎えている。衣装やかぶり物がちょっと変なところもほほえましく好ましかった。まさに「明朗快活」が服を着て歩いているような人で、子供向け番組のナビゲーターとしてはまずはえがたい人物であった。妙な色気を発散し「父親キラー」と呼ばれた茂森あゆみより、断然、私は羽生未来が好きであった(ああ、またそこへ行くかと思った方、期待通りの展開で申し訳ない)。
第125回の芥川賞を受賞した玄侑宗久『中陰の花』。「中陰」とは物語の主人公則道によれば、「この世とあの世の中間」ということである。霊感の強いウメという老婆の死をきっかけにして、彼女に関わりのある人々がそれぞれの生活や人間関係、さらに命そのものを見つめ直すというものであるが、現役の僧侶でもある著者が日々の説法で触れざるを得ない「人は死んだらどうなるの」ということをテーマに、一編の中編として編み上げているのであった。「霊」や「魂」といった物質や数値にできないもの、また生と死の間という体験することのできない時空間、これら決して現代科学の分析対象とはなりえない現象を、なにゆえ宗教や信仰は実体化したもののように捉えてきたのか。むろんこの小説にはその答えはないし、それをわかりやすく解き明かす義務もない。そういう「不確かな存在」とともにある我々の生活とはどういうものか、それを娯楽として一書にものしたことに価値があると思われる。内容は固いが読後感は柔らかい。なお玄侑宗久には『死んだらどうなるの?』(ちくまプリマー新書)という、その名もズバリの新刊もある。こちらについてもいずれ述べてみようと思う。(文春文庫、2005年1月)
羽生未来のファンサイトの掲示板は、惜別のことばであふれかえっている。49日で迎える満中陰、とすれば、「みくおねえさん」は今「中陰」の真直中で「花」に包まれながらこの世のことを思い、彼岸の旅への支度をしているということか。長く番組を楽しんだ者として、心からご冥福をお祈りする。
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第1回、
昨年の4月から大阪府吹田市にある彩都メディア図書館が主催する
「広告」2004年11月号は二大特集が組まれていた。一つは戦後高度成長期の象徴である新幹線の存在意義を考える「天才! 新幹線」。そしてもう一つが「女の子のための日本映画講座」である。なにゆえ「女の子」に限定するのか、私にはよくわからない。この雑誌って女性誌なんですか? いや、それはともかく、まず特集のアタマに麻生久美子のオールカラー6頁記事があるのがよい。さらに本編に寄稿している人も一癖二癖ある強者が揃っていて読み応えがある。穏当な日本映画史紹介では決してないけれど、当たり障りなく並べてもおもしろくないですしね。
さて1968年の京都を舞台にした井筒和幸監督の「
「真珠の耳飾りの少女」はむしろ「青いターバンの女」というタイトルで知られているのではないだろうか。十七世紀に活躍したオランダの画家フェルメールの代表作である。もう4,5年も前のことである、天王寺にある大阪市立美術館でフェルメール展が開かれた際、この絵も展示されていた。残念ながら私は行けなかったのだが、観てきた人に聞くと、それはもうたいへんな混みようであったという。同時代の巨匠であるレンブラントやルーベンスはもとより、日本で高い人気を誇る印象派の諸作家並の注目度であるといえよう。しかし、その人気に比してフェルメールには謎が多く、この「青いターバンの女」の成立事情に関しても、ほとんど何もわかっていない。英国の小説家トレイシー・シュヴァリエはこの絵から受けたインスピレーションを虚構の物語としてまとめた。映画「
行こう行こうと思いながら、雑事が積み上がったり、寒かったり、寝坊をしたりで、気がついたら終了まであと10日しかないということになってしまった。最低気温が氷点下という予報をものともせず(嘘、ちょっとめげていた)、
草間作品との悦楽の時間を過ごした後は、ついでに常設展示会場でアンセル・アダムスの美しいがちょっと単調な写真(不遜!)なども眺め、締めくくりにショップで図録と持ってもいない携帯電話用ストラップ(どうする気だ)を購う。夢心地で美術館を出ると、待っていたのは強烈な寒さ。いきなり現実世界に引き戻された。ああ。三条あたりまで戻り、古書店などを冷やかしてからイノダコーヒーに向かった。またそこで図録などを広げ一人ニヤニヤ。帰りの阪急電車でもニヤニヤ。
二月一日。「映画の日」だから何か見に行こうと考えてはみたものの、あまりの冷え込みと強風にその気力をどこかに持っていかれてしまった。たまった仕事を片付けたり、積み上げた本を読んだり、「グランツーリスモ4」でニュルブルクリンクを走ってみたり。何となく一点に集中できない気分で午後を過ごしていた。そこに……。つれあいが注文していたiBook G4が配達されてきた。ああ、うう(自分もほしいらしい、と他人事のように言ってみる、でも昨日発売されたPowerBook G4にもっとクラクラしている、iMac G5 20inchもほしい、言うだけならタダ、ついでにバイクフライデーのポケットロケットプロもほしいと言っておこう)。呻きながら頼まれていたセットアップをする。新しいマシンに触るのは気持ちがいい。合わせてAirMac Extreme Base Stationも届いたので、さっそく家庭内LANに組み込む。あっという間に無線環境が完成した。なんて簡単なのだろう。ワイヤレスの快適さはきっと癖になる。とても未来的。
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