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2005.02.26

玄侑宗久『中陰の花』

羽生未来が亡くなったことをニュースで知った。小さい子供を持つ親が否応なしに見てしまうNHK教育テレビ。ご多分に漏れずわが家も同じ道を辿っていた。娘は保育園に通っていたので、あれこれと見ることはなかったけれど、定番の「おかあさんといっしょ」や「おじゃる丸」などは好きでよく見ていた。

当時の「おかあさんといっしょ」のおにいさんとおねえさんは速水けんたろうと茂森あゆみで、歴代の中でも高い人気を誇る二人であると思う。このコンビによる「だんご三兄弟」のヒットは記憶に新しいところであろう。そしてもう一つ忘れられない番組が「英語であそぼ」である。この幼児向け英語番組の当時(95年〜98年)のおねえさんが羽生未来であった。画面から飛び出さんばかりの溌剌さは、うすらぼけた私の頭に強烈に飛び込んできた。「Welcome to Planet Paradise!!」の掛け声で始まるやいなや、巨大な渦にどんどん巻き込まれるかのような思いのまま、あっという間に番組終了の時間を迎えている。衣装やかぶり物がちょっと変なところもほほえましく好ましかった。まさに「明朗快活」が服を着て歩いているような人で、子供向け番組のナビゲーターとしてはまずはえがたい人物であった。妙な色気を発散し「父親キラー」と呼ばれた茂森あゆみより、断然、私は羽生未来が好きであった(ああ、またそこへ行くかと思った方、期待通りの展開で申し訳ない)。

第125回の芥川賞を受賞した玄侑宗久『中陰の花』。「中陰」とは物語の主人公則道によれば、「この世とあの世の中間」ということである。霊感の強いウメという老婆の死をきっかけにして、彼女に関わりのある人々がそれぞれの生活や人間関係、さらに命そのものを見つめ直すというものであるが、現役の僧侶でもある著者が日々の説法で触れざるを得ない「人は死んだらどうなるの」ということをテーマに、一編の中編として編み上げているのであった。「霊」や「魂」といった物質や数値にできないもの、また生と死の間という体験することのできない時空間、これら決して現代科学の分析対象とはなりえない現象を、なにゆえ宗教や信仰は実体化したもののように捉えてきたのか。むろんこの小説にはその答えはないし、それをわかりやすく解き明かす義務もない。そういう「不確かな存在」とともにある我々の生活とはどういうものか、それを娯楽として一書にものしたことに価値があると思われる。内容は固いが読後感は柔らかい。なお玄侑宗久には『死んだらどうなるの?』(ちくまプリマー新書)という、その名もズバリの新刊もある。こちらについてもいずれ述べてみようと思う。(文春文庫、2005年1月)

羽生未来のファンサイトの掲示板は、惜別のことばであふれかえっている。49日で迎える満中陰、とすれば、「みくおねえさん」は今「中陰」の真直中で「花」に包まれながらこの世のことを思い、彼岸の旅への支度をしているということか。長く番組を楽しんだ者として、心からご冥福をお祈りする。

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