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2005.02.07

真珠の耳飾りの少女

concorde「真珠の耳飾りの少女」はむしろ「青いターバンの女」というタイトルで知られているのではないだろうか。十七世紀に活躍したオランダの画家フェルメールの代表作である。もう4,5年も前のことである、天王寺にある大阪市立美術館でフェルメール展が開かれた際、この絵も展示されていた。残念ながら私は行けなかったのだが、観てきた人に聞くと、それはもうたいへんな混みようであったという。同時代の巨匠であるレンブラントやルーベンスはもとより、日本で高い人気を誇る印象派の諸作家並の注目度であるといえよう。しかし、その人気に比してフェルメールには謎が多く、この「青いターバンの女」の成立事情に関しても、ほとんど何もわかっていない。英国の小説家トレイシー・シュヴァリエはこの絵から受けたインスピレーションを虚構の物語としてまとめた。映画「真珠の耳飾りの少女」は、このシュヴァリエの小説を原作とする。

失明した父親に代わって家計を支えるために、グリート(スカーレット・ヨハンソン)はフェルメール(コリン・ファース)家へ奉公に出された。忙しい上に辛いことも多い日々ではあったが、アトリエで目にする絵の美しさに慰められている。グリートが優れた色彩感覚の持ち主であることに気づいたフェルメールは、自身のアトリエで絵具を調合する仕事を手伝わせるようになる。やがてグリートの存在はフェルメールの創作意欲そのものを高めるようになっていく。ついに彼の芸術的感覚は主人と使用人の関係すら乗り越えようとする。しかし、その行為は破滅的な結末に至ることを意味していた。フェルメールの妻の耳飾りを着け、絵のモデルとなるグリート。二人の関係はどうなるのか、そしてこの絵の運命は……。

最大の謎である絵のモデルの少女をフェルメール家の使用人とする。そして彼女とフェルメールを取り巻く人間たちの愛憎劇として全編を構築している。ここでは絵の少女の謎めいた表情をフェルメールとの禁断の悲恋に悩むそれと読み取っているのであった。この趣向は奇を衒うことがないものの、恋愛ものとしてはあまりにもストレートすぎて(意外性がないとも言える)、やや物足りなさを感じさせる。フェルメールの芸術活動が一家の生計の支えであることを強く自覚する義母以外の者たちからグリートが迫害されるのも、いわばお約束の展開であろう。このように脚本部分は古典的手法が踏襲されており、あえて語るべき点はあまりないように思った(もちろんそれが悪いということではない)。

一方、画家を中心に置く映画らしく、光と影、色彩の配置に関して、非常に細やかな心配りがなされている。映画の冒頭でグリートが野菜を調理する場面の色遣いの瑞々しいこと! 美術やセットなども中世ヨーロッパを彷彿とさせる重厚さ、美しさがあった。俳優ではグリートを演じたスカーレット・ヨハンソンの知的な佇まい、抑制の利いた演技がすばらしい。「ロスト・イン・トランスレーション」とはまるっきり異なる役柄だが、どちらも違和感なく見せるということは、この俳優の力のほどを知らしめていると思う。それにしてもヨハンソンと「青いターバンの女」、作り込んでいるとはいえ、本当によく似ている。

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コメント

>みちこさん
何度か出てくる調理のシーンやアトリエでのやり取りは、本当に光や色が綺麗に見えました。ヨハンソンは待機作品もいくつかあるようで、公開が楽しみになりますね。「ロスト・イン・トランスレーション」、まだ御覧になっていなければ、ぜひ見てみて下さい。

投稿: morio0101 | 2005.02.08 00:09

私が最近見た映画の中で一番好きな映画です。
あの光、を、うまく出してたと思います。
スカーレット・ヨハンソン。本当に良かったです。
ぽってりした唇が可愛くて。

二人の「抑え」が、きゅう、とさせられました。

投稿: みちこ | 2005.02.07 17:36

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