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2005.02.07

橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』

筑摩書房から新しい新書シリーズが創刊された。ちくまプリマー新書である。第1回発売分として、内田樹『先生はえらい』、玄侑宗久『死んだらどうなるの?』、最相葉月『熱烈応援! スポーツ天国』、吉村昭『事物はじまりの物語』などとともに橋本のこの敬語本もラインナップに加えられた。装幀がとても洒落ているなと思ってよくよく確かめてみると、クラフト・エヴィング商會が担当しているではないか。つい全部買いたくなったけれど、さすがにそれはやめにした。キリがない。

「ちくまプリマー新書」は、「プリマー=入門書」という名にふさわしく、これまでの新書よりもベーシックで普遍的なテーマを、より若い読者の人たちにもわかりやすい表現で伝えていきます。彼らの知的好奇心を刺激し、それに応えられるものを目指します。学校でも家庭でも学べない大事なことを、「近所のおじさん、おばさん」のような立場から、わかりやすく、まっすぐに伝えていきます。そして、若い読者にもちゃんと伝わるような本は、他の年代の読者にとっても有意義なものになるはずです。

「創刊のあいさつ」にはこうある。これまでの教養主義の「オカタイシンショ」とは一線を画し、いわゆる啓蒙的入門書として位置づけているようである。岩波ジュニア新書とかぶる部分も多そうだが、あちらよりも幅広い話題を扱い、より広い年齢層を狙っているとおぼしい。今後の刊行予定を見ても、一般受けしそうなタイトルが居並んでいる。もちろんそれはそれで悪くはない。内容の確かな読み応えのある本が刊行されるなら、喜ばしいことである。ただ橋本のこの本を読んだかぎりではかなりあやしいかもと思わされるのも正直なところである。

敬語については、日本語学、言語学のことばの専門家はもとより、哲学・歴史学・社会学・民俗学など広範な分野からの発言がなされており、これに関する書籍や論文も枚挙に暇がないほどである。「日本語の乱れ」といえばまず取り沙汰されるものでもあり、マナーや面接関連の実用書では必ずと言っていいほど取り上げられている。我々のすぐ傍にありながらそれについてよくわからない、嫌な感じがするけれど、さりとてまるっきり無視するわけにもいかないというのが日本語の敬語ではないだろうか。

「正しい敬語の使い方を教える本」ではないと橋本は言い、「いったい敬語ってなんなんだ?」ということを考える本であると続ける。その趣旨をとやかく言うものではない。むしろ日本語および日本の歴史や社会を考える上で、きわめて重要なことであろう。敬語を「敬意」ではなく「人と人の距離」を表すことばとするくだりは広く知られるべきである(もっとも術語「待遇表現〈=人をどう位置づけるか、どう距離を取るかの表現、上げる場合も下げる場合も含み持つ〉」に触れないのはどうかと思う)。しかし、肝心の橋本の開陳する知識と説明があまりにも杜撰に過ぎる。

突っ込みどころが満載の本書、たとえば敬語を素朴に尊敬語・謙譲語・丁寧語の三分法(日本語学ではすでに荒い分類としても成立しないとされる、便宜的な利用価値があるという一点でのみ生き残っている)で説明するのはまぁよしとしよう、ところがその三分法の説明で「尊敬の敬語と謙譲の敬語は、自分よりワンランク上の人に使うが、丁寧の敬語は、相手のランクとは関係がない。」とするのはいかがなものか。橋本は丁寧語を自己の品格保持を目的とする美化語(「お」菓子、「お」酒など)や「今日」を「本日」などとする改まり語などと完全に混同しており、「対話の中に現れる話し手の聞き手への配慮の表現(です・ます・ございます)」という本来の性質を軽く扱ってしまっている。また別の例では、「申し上げる」を「申す」+「あげる」と分解し(ここからすでに?)、「申す」より一段高い敬意があるなどとするくだりなどにも驚かされた。ここでは啓蒙どころか、誤った知識を大きな声で叫ぶという罪作りなことまでしている。この両語は使い方に質的な差があり、決して単純な敬意の差で分別されているのではない。次の例を見られたい。

○私は弟にそう申しました。
×私は弟にそう申し上げました。

前者は成立するが、後者は成立しがたい。これは「申す」と「申し上げる」では話し手の待遇意識の指向する先が明らかに違うからである。「申す」は補語(この例では弟)に向かわない。一方の「申し上げる」は向かう。後者に違和感を感じるのは、私が弟に向けて待遇意識(敬意とひとまず言い換えてもよい)を働かせているような表現をしてしまっているからである。平民が床に土下座して殿様に「申し+上げる」などと説明するようなことばではない。他にも人称代名詞の話題なども相当怪しいと思うが、こういう誤りは少し関係の文献をあたれば避けられるものである。そういう当たり前の手続きを踏まないという姿勢に、なんとなく「プリマー=入門書」だからこの程度でよいだろうという意識が見え隠れし、結果「学びの初心者」を馬鹿にしているように思ったのであった。

橋本治は筑摩にずいぶん気に入られているようで、3月に刊行になる第2回発売分にも『勉強ができなくても恥ずかしくない』がある。東大卒の小説家にそんなことを言われてもなぁ。皮肉にしか聞こえない。なお念のために申しておくけれども、橋本治の一連の日本古典文学に関する仕事(『桃尻語訳枕草子』『窯変源氏物語』など)には大いに敬意を表するものである。だからこそこの本でもきちんと敬語を扱ってほしかったと残念に思う。このエントリー、長すぎ……。(ちくまプリマー新書、2005年2月)

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コメント

>み
他国語を母語とする人への日本語教育に日々取り組む姐さんに乾杯! ぜひとも『問題な日本語』(大修館書店)を読んだ感想をお聞かせ願いたい。客を不愉快にさせるサービス業って???

投稿: morio0101 | 2005.02.16 16:18

そもそも謙譲思想のない外人に使用法を説明する私の苦労よ(感嘆)
「お皿の方お下げして…」(最後まで言えよ)
「コーヒーの方はいつお持ちしますか」(どっちの方角だよ)
「おタバコの方は禁煙になっております」(だれが命令してるんだよ)
乱れに乱れたサービス業界。

投稿: miu | 2005.02.16 12:29

>みひこさん
おお、これはこれは。一度某所事務室ですれ違ったとベスさんから聞きましたが、その時はぜんぜんわかってませんでした(笑)。ご活躍ぶりはいつもブログその他で拝見しております。飲酒話、とてもおもしろいので、これからもどんどん飲みまくって大暴れして下さい。期待しています。

投稿: morio0101 | 2005.02.11 22:02

うわあ!読んで思わず叫んでしまいました。
この本、立ち読みでチラッと見て、いずれ買って読もうと狙ってたところだったのです。
題名とコンセプトにけっこう惹かれたんですが…。
先にこちらを拝読してて良かった。

ご挨拶が遅れました。昨年、虹写真に評を頂いた体育館の者です。その節はありがとうございました。なかなかご挨拶に伺えず不義理を通しており、そしてこのまま通しきってしまいそうな年度末でございます。残念です。ご恩はきっと忘れません、とベスにメッセンジャーしてもらいます。

投稿: mifiko | 2005.02.09 23:54

>Wind Calmさん
橋本はなぜ敬語なるものが生み出されたのかを考えるために、ランクランクと何かに取り憑かれたように繰り返しています(聖徳太子の冠位十二階や孔子の長幼の序まで召還しながら)。それでそういうランクが現代社会でも意識化に存在し続けるため、「アブナイ人(橋本の用語)」と思われないように、相手を尊敬していなくても敬語を使いましょうという論の展開になっています。

あんまりな本です……。ご一読下さい。

投稿: morio0101 | 2005.02.09 22:35

 ↑論文拝読しました ^^;
 本は未見ですが、「尊敬の敬語と謙譲の敬語は、自分よりワンランク上の人に使う」ということ自体、それで説明が終わってしまっているのでしょうか。「親しくない間柄なら「ランク」が同じどころか下でも使う」ということに触れていないとすればあんまりな・・・

投稿: Wind Calm | 2005.02.09 21:29

「敬語とは何か」という本質を考えようとする姿勢にはおおいに賛同したいのですが、いかんせん前提となるはずの部分があまりにもお粗末に思えたもので……。怖いもの見たさで読んでみるというのもよろしいかと(笑)。『上司〜』は本屋で気にしておりました。おもしろいのなら買ってみようっと。

エントリの長さ、ぽた郎さんのミトラ君には完全に負けています。字数を勘定したら(ははは)、六千字オーバーですよ!! お互いに早く寝るのが吉(笑)。

投稿: morio0101 | 2005.02.08 23:24

「上司は思いつきでものを言う」(集英社新書)はなかなに感銘をうけましたが(笑えました),これはう〜ん・・・,なわけですね。書評有り難うございます。ウッカリ手を出さなくなくてよかった。(^^)

それにしても,最近私もエントリ長くなりまくりです。(汗)

投稿: ぽた郎 | 2005.02.08 02:18

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