« 玄侑宗久『中陰の花』 | トップページ | そうだ 東京、行こう。 »

2005.03.02

長嶋有『猛スピードで母は』

長嶋有の小説を何か読んでいると思っていたが、よくよく考えてみると、これが初めてであった。島本理生の小説『シルエット』(講談社文庫)の解説を書いていたのが頭に残っていたらしい。その解説では同年にデビューした島本を「同期の桜」のように感じるなどというたぐいのことが書いてあったと記憶するけれど、一回り以上年齢の違う「おじさん」からそんな風に言われて、今時の大学生は何を思うのだろうかと、これは余計なお世話であった。

さてこの本には表題作「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」の二編を収める。両編に共通するのは片親に育てられる子供の視点からの物語ということである。それぞれの親は自分の世界をしっかりと生きており、時には子供の存在などないものであるかのように振る舞ったりもする。そういう親を観察し、子供なりにつかんだものが情報として断片的に提示される。親の内面もいっさい語られることはない。感情や思考はあくまでも振る舞いや行動として提示されたところから判断するしかない。

子供の目から見た親の生活は、もちろん全貌が明らかにされることはない。むしろ隠されたままになっている部分が圧倒的であろう。しかし、子供にとってはそれこそが真実の世界である。知り得ない部分について、子供は想像力を働かせ、感情を震わせる。子供と同化する私たち読者も、同じように心細さや嬉しさを味わうことになる。物語の世界をすべて把握する全知視点からの語りでないがゆえの新鮮さがあった。直木賞受賞作のように軽く読める。そういうことが褒めていることになるのかどうか、難しいところだが。重松清との違いがよくわからないという物言いは、あまりにも大雑把に過ぎるか。

それにしても私たちは親のことをどれくらい知っているのだろう。家族のことをどれくらい理解しているのだろう。第126回芥川賞受賞作。(文春文庫、2005年2月)

|

« 玄侑宗久『中陰の花』 | トップページ | そうだ 東京、行こう。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11234/3054137

この記事へのトラックバック一覧です: 長嶋有『猛スピードで母は』:

« 玄侑宗久『中陰の花』 | トップページ | そうだ 東京、行こう。 »