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2005.03.10

重松清『流星ワゴン』

先日エントリーした玄侑宗久『中陰の花』は、「死んだらどうなるのか」ということを生者の側から描いた小説であった。重松清の『流星ワゴン』はその先、つまり生と死の狭間に落ち込んだ人々の物語である。

不幸な事故により命を落とした父子の乗るホンダ・オデッセイが、「もう死んでもいいかな」という思いに囚われる人の前に現れる。家庭崩壊、リストラに見舞われ、生きる意欲をなくした主人公がその車に乗り込み、人生の分かれ目に連れて行かれる。しかし、やり直しはいっさいできない。できるのは、見て見ぬふりをしてきた過去の出来事の意味を噛み締めるだけである。妻や息子、そして長く仲違いしていた父親らとの関係があらためて問い直される。

『流星ワゴン』の中心には三組の父子が置かれる。いずれの父子も現実の世界では決定的なズレを感じたまま、もはや修復不能なところまで来てしまっている。それが生と死の狭間というギリギリの地点に立たされたことで、虚心に互いを相対化し素直な感情を取り戻すことができた。しかし、それを現実の世界には反映できないところに哀しさがある。実現することのないもう一つの人生。

生者と死者が一つの乗り物で旅をするという枠組みは、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラの旅を思い起こさせる。賢治の傑作はもちろんファンタジーである。小市民的な『流星ワゴン』をファンタジーと呼ぶにはいささかためらいもあるけれど、これが今時のファンタジーなのかもしれない。結末には希望への階があって救われる。もっともご都合主義的な臭いがしないでもない。先を急がせる力はあると思った。空き時間の埋め草にはなる(酷い言いよう!)。講談社文庫、2005年2月。

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