« 生活とは食べることなり | トップページ | あなたの日本語力は »

2005.04.09

島本理生『ナラタージュ』

『シルエット』や『リトル・バイ・リトル』に比べて、筆力や構成力が格段に高まっていると感じた。これまで島本理生は同年代(高校生、大学生)の世界を狭く深く描く若手作家の一人という印象が強く、それ以上のものではなかった。ありていに言えば、島本がいなくても、綿谷りさや金原ひとみがいれば、それでもよかったのだ。しかし、この『ナラタージュ』で完全に独自の場所に到達したのではないか。開巻わずかなところで、作家が現役大学生であることを忘れ、物語の中に強く引き込まれた。さらに読み進めるうちに、生身の島本がどういう年齢でいかなる人間であるかは、いっさい意識に上らなかった。それくらい小説が自立している。

壊れるまでに張りつめた気持ち。そらすこともできない——二十歳の恋
大学二年の春、片思いし続けていた葉山先生から電話がかかってくる。泉はときめくと同時に、卒業前に打ち明けられた先生の過去の秘密を思い出す。今、最も注目を集めている野間文芸新人賞作家・初の書き下ろし長編。

出版社のサイトから引用した。ネタばれを懼れ、これ以上のことは書かないようにする。紛う方なき恋愛小説である。しかし、流行の恋愛小説というカテゴリーに括られて、十把一絡げにされてしまうことを強く恐れる。この小説はそうした「猫も杓子も」とか「雨後の筍」という軽いノリで書かれたものでは決してない。難病や幻想といった大技に頼ることなく、恋愛そのものに正面から向き合っている。そして人を愛することの痛みをリアルに伝えようとする。この痛みは深爪とかささくれとか軽い虫歯とか、とにかく始終忘れることができず、さりとてそのためにまったく何もできなくなるわけでもないという微妙なものである。チリチリとした断続的な小さな痛みは、かえって誰にとっても生々しい。そして痛みとともに揺曳する恋愛特有の甘美な心持ちももちろんここにはある。展開も穏やかな序盤と急激にハイテンションになる中盤から終盤の切り替えが見事であった。

成熟した文章をものすためには、意識的な訓練とともに積み重ねた経験が必要であると考える。芥川賞では綿谷や金原に遅れを取ってしまった感があったが(芥川賞を逃したことが遅れかどうかはひとまず措く)、この一作で島本は驚くほどのあざとさのないうまさを身につけている。自己の立ち位置をきちんと定めたと思われるだけに、次作がとても楽しみになった。(角川書店、2005年2月)

島本理生インタビュー
池上冬樹による朝日の書評

|

« 生活とは食べることなり | トップページ | あなたの日本語力は »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11234/3620460

この記事へのトラックバック一覧です: 島本理生『ナラタージュ』:

« 生活とは食べることなり | トップページ | あなたの日本語力は »