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2005.05.24

お父さんのバックドロップ

中島らもの同名小説を原作とする映画「お父さんのバックドロップ」を観た。原作の小説については、かつてこのブログで述べたことがある。収められている4つの短編はいずれも「ちょっと変わり者の父親がマジになって何かを解決する」というパターンを繰り返すばかりで、ありていにいえば面白味に欠ける小説だと思った。それを原作とするこの映画は果たしてどうなることか。残念ながら原作以上に語るべきもののない映画というのが正直な感想である。

小説とは異なる父子家庭という設定には含むところはない。小説は小説、映画には映画の世界があってよい。しかし、父子の強い情愛を軸としてお涙頂戴という、作り手側の安易な意図があからさまに透けて見えるのがいやらしい。展開として父子の不和から感動のエンディングというのも、なにを今さらという感じである。随所にちりばめられる幼なじみとのラブロマンスもありきたりだ。どこかで見たようなお約束の展開がこれでもかという形で繰り広げられる、なんとも陳腐で凡庸な90分であった(ひどい言いよう)。また小説では悪役プロレスラー一家の様子が子供(息子の友人)の目から相対化されるという新鮮さがあった。それが映画では第三者的な全知視点からの描写となり、ただでさえどこにでもあるような物語をより一層平凡なものにしてしまっていた。大阪を舞台としながら、俳優の下手な大阪弁がいっそう見る者の感情の温度を低くする。

そもそも「読むたびに涙する伝説の名作」などと自ら語られると、天の邪鬼ゆえに思い切り斜に構えてしまうのだ。原作文庫本の帯にある「読むたびに、観るたびに、涙が出る。」というキャッチコピーは、少なくとも私にとってはまったく説得力のない虚言であった。さらに鼻白むのが同じ帯に書かれた中島らもの映画に寄せた一言である。

この映画はプロレス界を背景にしているが、凡百の「格闘技映画」ではない。父と息子の繋がり、情愛を描いた感動の名作である。

違うと思う。

格闘技部分の映像も同時期に公開された田口トモロヲ主演の「マスク・ド・41」に遠く及ばないし、もちろんドラマを支える脚本自体の練られ具合も比ぶべくもない。「マスク・ド・41」がプロレスへの愛(オマージュやパロディ満載!)をひしひしと感じさせるのに対して、こちらはたまたまプロレスラーを役割として登場させてみたという程度の重みしか感じさせない。「おお!」と思わされたのが大日本プロレスの面々が登場したところくらいではなぁ。

なんてちっともほめたくならないのは、きっと私が中島らものことをなんとも思っていないからだろう。ちなみにこの映画の中にもちらりとご本人が登場しています。今となってはそれが貴重か。

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