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2005.08.29

「ペ」と言ってもヨン様ではない

どこで知ったか、もう忘れてしまったけれど、あるライターが韓国の俳優ペ・ヨンジュンのことを「ペ」と書いたところ、一部の熱狂的なファンから烈火のごとき怒りを買ったらしい。話の流れや調子とも関わりがあるので一概には言えないが、新聞や雑誌において芸能人著名人を呼び捨てにするのは一般的ではないのか、ナベツネのことを「渡辺さん」なんて言いたくないなと、これはまったく関係のない話でした。

さて「ペ」と言えばヨン様以外にはまったく思いつかなかった。(他をまったく知らないだけ……)。少なくとも先だっての「リンダ リンダ リンダ」を見るまでは。でも今はヨンジュンではなくドゥナだ。「冬のソナタ」の大ファンのわが母上には「ごめんなさい」と言うしかない(頼むから冷蔵庫に写真を貼るのはやめてくれ)。最近「ペ(=ヨン様)」が髪型を変えたところ、「前の方がいい!」などという声が続出、大騒ぎになったとかで、あっという間に元に戻したというのも関係のない話でした。

閑話休題

■ほえる犬は噛まない
ペ・ドゥナの名を一躍世に知らしめた作品(らしい)。あるマンションで連続小犬失踪事件が発生する。事後処理をする事務職員ヒョンナム(ペ・ドゥナ)は、小さな正義感から自らの手で犯人をつかまえようと奔走するのだが……。犯人は最初に明らかにされているから、そこにどうやって至り着くか、その過程が見所である。胡散臭い人物や挙動不審な人々に囲まれて活躍する彼女の、コメディエンヌとしての才能を存分に楽しむことができた。ゆるゆるだらだらどたばたしても、決して品を失わないのがこの人のいいところだろう。韓国社会と犬の独特の関係は、ペットとしての犬しか知らない者には少々刺激が強いかも。原題は「フランダースの犬」。意味深だなぁ。映画の主題歌はもちろん「ラッタッタ〜、ラッタッタ〜」である。

公式サイト http://www.hoeruinu.com/

■子猫をお願い
DVDのパッケージ裏に記された蓮実重彦の評、「映画の歴史を揺るがせる希有の処女作である」とまで書く理由が奈辺にあるのか、ぜひ知りたいものである。疑っているわけではない。私自身もこの佳作のよさに感心したし、できれば多くの人に観てもらいたいと思っている。なんでも公開時は折からの韓流ブームとこの蓮実の煽動的言辞によって、ずいぶんと観客動員を延ばしたらしいのだ。すでにこの評を掲載した公式サイトはなくなっている。残念。

物語は仲良し5人組の女子高校生が卒業を期にそれぞれの道を歩き始め、それとともに永遠に続くかと思われた友情が徐々に崩壊していくさまを淡々と描く。美しいものだけを映しているのではないのに、美しいと感じる場面がとても多い。控えめな音楽もよし。人物造形がややパターン化されている嫌いはあるけれど、彼女らの立ち位置を暗示する服装や小物の使い方がよく練られている。たとえば彼女らの差異を無効化していた制服が高校卒業と同時に各自の私服になる。そこで露わになる5人の生活や趣味の違いが、そのままその後の友情の行方を示唆する。特に説明はされないが、見るだけで了解された。その種の道具の使い方がうまいと思う。とりわけ「繋がり」として象徴的に機能する猫と携帯電話は秀逸である。ペ・ドゥナは、唯一の求心点として立ち回るテヒのやるせなさを、彼女の行動の中に透かし見せた。

「アイドルではなく俳優として生きていくためには必要だから」と、本国では汚れ役なども積極的にこなしているという。次はどんな演技を見せてくれるのか、楽しみに待つことにしたい。

ペ・ドゥナ公式サイト http://www.doona.net/

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2005.08.27

夏の天王寺動物園

Tennoji Zoo #1 Tennoji Zoo #2
僕も町が象を飼うことには賛成だった。高層マンション群ができるのはうんざりだけれど、それでも自分の町が象を一頭所有しているというのはなかなか悪くない。
 村上春樹「象の消滅」(『パン屋再襲撃』1986年、所収)

8月18日のエントリー「どこかへ行きたい」を書いた後、動物園に行きたい気持ちが抑えられなくなった。ローライを持って天王寺動物園に行ってきた。真夏の午後、園内はひっそりと静かである。どの動物も好きなだけ眺めることができた。とてもよい気分だった。

天王寺動物園 http://www.jazga.or.jp/tennoji/

まずはペンギンときりんの2枚をFlickrにアップロードした。これからしばらく続けようと思っているので、よろしければ御覧下さいませ。上の2枚とも、クリックするとFlickrにジャンプします。

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2005.08.25

斎藤美奈子『誤読日記』

森村泰昌斎藤美奈子の著作を読むと、目の付け所や対象への切り込み方がいいなとたいてい思わされる。この印象はデビュー作の『妊娠小説』(ちくま文庫)以来変わらない。最新作である『誤読日記』でも随所に斎藤節が炸裂している。

「本を読む」イコール「正しい解釈を心がけて読む」という姿勢が一般的であるとおぼしい。これは画一的な解答が要求される学校教育の悪しき弊害でもあるだろうが、そうした文字通り「教科書通りの読み」というのはたいていありきたりでつまらない。本の向こう側に生身の作者はいないのだから、もっと自由に読んでもいいのではないか。

斎藤は本書で「本は誤読してなんぼです。深読み、裏読み、斜め読み。(中略)さらに一歩先を行く誤読の方法をご紹介いたしましょう」と言い切る。私たちは自分の感性と解釈力、想像力を信じ、思うがままに読めばよいのである。そこにこそ読書の楽しみはあるだろう。自分自身の心で感じ、自らのことばで語ったものは、価値の有無優劣を抜きにして、無条件にすばらしいものである。一見、荒唐無稽な読みであっても、それを見た人が納得したり説得されてしまったら、いつの間にかその読みが「定説」になるのだ。

「週刊朝日」と「アエラ」に掲載された162回分175冊に関するコラムが収められている。タレント本から純文学まで、硬軟取り合わせて飽きさせない。胡散臭いあの人この人の著作物が、ものの見事に化けの皮を剥がされております。(朝日新聞社、2005年7月)

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2005.08.24

劇団四季「マンマ・ミーア!」

御贔屓の保坂知寿が主演(もっとも四季の場合は一つの役柄に複数の俳優を割り当てているので、当日お目当ての人が出ているかどうかは運次第)する「マンマ・ミーア!」を早く見たいと思いながら、大阪での開幕からすでに半年以上が過ぎ去ってしまった(チケットが取れないのだ……)。それでもなんとか夏休み中の座席を確保することができ、お盆明けの過日、真新しい大阪四季劇場に嬉々として出かけてきた。

ストーリーはこちらで。

一番の特徴は音楽であろう。1970年代後半に一世を風靡したABBAの曲の数々(全22曲)を一つのミュージカルとして再構成している。しかも驚くことに歌詞はオリジナルのままであるという(もちろん日本語訳されているが)。つまり劇のために歌詞を恣意的に変更することをせず、もともと無関係に成立していた曲を無理のない形にまとめあげているのである。脚本を作る段階では相当な苦労があったと思われる。

象徴的に機能する簡素なセットを背景にして、俳優たちの歌と踊りは破綻がなくまずまずであった。もっとも劇団四季の扱うミュージカルの常として、あざといほどの演出が目立ち、物語自体が深く心に染みるということはない。これについては「ジェットコースターに乗せられている」と思えばよい。欠点ではなく、そういうものなのだ。懐かしいメロディに気持ちよくなりながら、(一部の配役を除き)ひとまず最後まで楽しむことができた。

キャスト
ドナ:早水小夜子  ソフィ:五十嵐可絵  ターニャ:前田美波里
ロージー:青山弥生 サム:渡辺 正  ハリー:明戸信吾  ビル:松浦勇治
スカイ:田邊真也  アリ:八田亜哉香  リサ:宮崎しょうこ
エディ:川口雄二  ペッパー:丹下博喜

ドナ役で保坂知寿が出ていなかったのが残念だった。早水は容貌と歌の節回しが演歌歌手のようで、なんだか萎えてしまった(吉本新喜劇の浅香あき恵にも見えた)。ソフィを演じる樋口麻美も見たかったなぁ。前田美波里と青山弥生はさすがの貫禄と存在感を見せつけていた。保坂ドナならもう一度見たいけれど、そうじゃないならもういいか……。

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2005.08.22

森村泰昌『時を駆ける美術』

森村泰昌森村泰昌。古今東西の有名絵画の登場人物に扮したり、世界的な活躍をする映画女優になったり、そのユニークかつ実験的なパフォーマンスで広く知られている。近年開催される現代美術を扱う展覧会では欠かせない作家の一人であろう。

黒いマリリン
肖像ゴッホ

本書は、既存の体系や価値観、評価の枠組みを解体し、自在な精神で美術を楽しもうという態度で語られる。それはまさに森村自身の活動そのものである。

むしろ私は、年表のなかのお定まりの時間と空間に固定されることから自由の身となった、「時を駆けるゴッホ」が見たいと思う。

たとえばドラクロワの「民衆を導く自由の女神」。なぜ戦時下のリーダーがおっぱい丸出しなのか。たとえばピカソの「ゲルニカ」。あの絵にまつわるエピソードや思想を取り除くと、果たして美的価値はあるのか。たとえば岡本太郎の「太陽の塔」。これは「埴輪になったウルトラマン」である。etc etc...

個々の作品の勘所への迫り方、目の付け所がおもしろくて、一気に読み切ってしまった。アカデミックな態度を否定するわけではないが、美術史の確認をするためだけの鑑賞ほどつまらないものはない。名作を教養としてありがたがるのではなく、「今そこにある楽しいもの」として教えてくれる一冊であった。(知恵の森文庫、2005年7月)

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2005.08.19

ポケットモンスター ミュウと波導の勇者ルカリオ

夏休み恒例の劇場版ポケットモンスターも「ミュウツーの逆襲」(1998年)から数えて8作目となる。子供たちで賑わう映画館に今年も出かけてきた。映画好きではあるが、子供たちに囲まれて観る機会というのは「ポケモン」と「ドラえもん」くらいで、それもどうやら今年で終わりになりそうである。嬉しいような寂しいような……。歳を取るわけである。

「ドラえもん」映画は年々観客動員が落ちてきて、とうとう今年は公開されなかった。本編の声優も一新され、来年新たに仕切り直しとなる新作が公開されるという。一方の「ポケモン」も5年くらい前までの爆発的なブームはもはや過ぎ去り、誰もが観るようなものではなくなっているとおぼしい。性別を問わず受け入れられそうな「ドラえもん」はともかく、見る人を選ぶ「ポケモン」の方はこの先かなり厳しそうに思える。

最新作のテーマは「信頼」である。悪や敵のいない「それぞれが善」のストーリーには今を感じたが、対立がないため内省的で起伏が少なく爽快感に乏しい。子供たちはそれをどのように見ているのだろうか。

ポケモン映画公式サイト(音が出ます)

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2005.08.18

どこかへ行きたくなる

コヨーテ7号創刊号(森山大道特集)と第2号(星野道夫特集)を買って以来、しばらくその存在を忘れていた雑誌「Coyote」。旅と写真をテーマにするこの雑誌の第7号を書店で見かけた。なんとも魅力的な「動物園で会いましょう」という特集を組んでいるではないか。動物園で「いかに素敵な時を過ごすか」という部分をしっかり考えさせてくれる。動物を眺めながら、気のおけない友人ととりとめのない話をするというのがいいなぁ。ピンホールカメラや二眼レフを持って、のんびりした気分で動物たちの写真を撮りに行きたくなった。

旅心を呼び起こす書をもう一つ。六月から刊行開始になっている『In-between』というシリーズものの写真集がある。日本の写真家13人がEU加盟国25カ国を写すというもので、全14巻のうち7巻までが発売された。どれも興味深いのだが、野村恵子と松江泰治の2冊を買ってきた。野村はイタリアとスウェーデンを、松江はイギリスとスロバキアをそれぞれ担当する。

沖縄を写した『Deep South』が印象的だった野村のイタリアとスウェーデンは、やはり彼女の強い色が炸裂している。野村の写真の特徴は濃密な空気感とそれを伝える強烈な色彩であると思うが、ここでもそれは健在である。いかにも色彩に溢れていそうなイタリアだけでなく、やや淡泊なイメージのあるスウェーデンでも同じような調子で見せるところに、野村の個性と力が横溢している。実に力強い。

一方の松江は大型カメラで地上のありようを丁寧に掬い取るスタイルを得意とする。彼の精緻な写真から私が思い出すのは、かつて大流行した「SimCity」というゲームである。手前から奧まで一つの文様として立ち現れる都市の図。松江の写真はまさにそういうものとしてある。固有なのに匿名。永遠にやむことのない人間の営みの結果としての都市を、普遍的な「絵」または「図」として提示する。野村と同じく松江もまた自身のスタイルを貫いている。

涼しい部屋でこれらを繙いていると、どこかに行きたくなる気持ちを抑えがたい。暑さに負けずにね。

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2005.08.15

東京を観光する

「暑くて気怠い」というにはあまりにも厳しすぎる酷暑の中、春から累積した家族サービスを消化すべく、7泊8日の東京観光に挑戦した。友人・知人・同僚・顧客の皆さんに種々有益な情報をいただいたので、ここでそのご報告をしておきたい。時系列では「東京たるび」で既に報じた。ここでは印象深かったものを任意に列挙し、思いつくままに印象を書き付けておくことにする。

■ 江ノ島
これまで江ノ島はメディアの中だけ、または知識として脳内に存在するだけの場所だった(もちろん江ノ島に限らず、関東各地のどこもかしももそうなんだけど)。藤沢駅から乗り込んだ江ノ電の車両は思っていたよりもずっと新しいものであった。一方、降車する江ノ島駅の佇まいは「あえて古い雰囲気を残した」とおぼしきものだった。海岸まで続くこれまた一昔前の風情漂う商店街もおもしろい。商店街を抜けて江ノ島を目前に臨む場所に新江ノ島水族館がある。展示については特徴的なものはなく、一通り押さえているという感じだった。余所にはいないであろう巨大なゾウあざらし「みなぞう」には大いに目を惹かれた。イルカショーのお姉さんたちの変な衣装やダンス(アイドル崩れの臭いがする)はやめた方がよいのでは。

■ 富士急ハイランド
「ネズミーランド(富士急ハイランドで見かけた呼び名)」が夏休みの繁忙期のため、回避することにした。代わりに選んだのが絶叫系マシンが豊富に揃っている富士急ハイランドである。天気がよければ富士山も見ることができるかという目論見もあった(果たせず……)。噂に違わぬ強烈なアトラクションの数々で大満足である。ドドンパ・フジヤマに続く第3弾が予告されていた。その名もキョウト(ゲイシャではない)。いったい何が京都なんだろう。全体的に少し鄙びた感じがするところはご愛敬か。あちこちに散りばめられた親父ギャグ的センスの看板は必見である。ちなみに嘘看板には「富士急ローランド」とある……。最前列で乗ったフジヤマからの眺望と迫力は忘れられない。

■ 六本木ヒルズvsランドマークタワー
成金対日本一の眺望対決は、ひとまず「見応え」「気持ちよさ」という点で六本木ヒルズに軍配を上げる。ちなみに入場料はヒルズが1500円、ランドマークが1000円である(いずれも大人料金)。単純な高さ比べでは後者の方が上回っているのだが、中に入った時の爽快感が今ひとつなのである。大きな顔をしている土産物店やよくわからない展示物などが雰囲気をぶち壊しているのだと思う。その点、ヒルズの方は大きなガラスの向こうに広がる東京の街をお洒落に見せるという演出がなされているとおぼしい。同じチケットで森美術館の常設展と東京パノラマ模型が見られるのもよかった。隣接するテレビ朝日の展示も小学生には受けがよい。

■ 浅草
東京らしい観光地ということでピックアップした。浅草寺の雷門なら関西の小学生でも知っている。6月にここを訪れた時には仲見世を通り抜けずに裏道から寺の方に向かったので、今回は大勢の人でごった返す参道の突破を試みた。猫関係の店と扇子関係の店、人形焼きの店が多い。おみくじは吉だった。浅草寺西側に広がる遊興地帯はなぜか人通りが少なく、うら寂れた風情であった。はなやしきの味わいは小学生には難しいらしく、パスすることにした。うんちビルもついでに鑑賞。

■ 国会議事堂
郵政問題で衆議院が解散した翌日に行く。ものものしすぎる警備体制だった。これは前日の騒動があってのことか、それともいつもこうなのか。ただ参観ツアーに関わる職員は総じて親切で腰が低く、丁寧な対応をしてくれた。見学できるのは参議院の中で、議会場にも入ることができる。中では子供以上にこちらが興奮した。国会議事堂の建設にはさまざまなよからぬ噂があるけれど、もちろんそうしたことはいっさい説明されない。莫大な金がかけられていることは、一目見ればわかる。正面での記念撮影の時間をもう少し取ってほしかった。記念撮影をしながら急いで針穴写真も撮った。

■ グルメ?
そんなにすごいものは食べていない。娘に好評だったものをいくつかを挙げてみる。
・みなとみらい、古奈屋の「バナナ・カレーうどん」
・月島もんじゃストリート、えびすの「もんじゃ焼」2種
・新江ノ島水族館の「ラムネソフト」
・富士急ハイランドの「山梨限定葡萄ソフト」
・鶴川、コメダ珈琲店の「氷イチゴ・ミルク」
・鶴川、正ちゃんラーメンの「塩ラーメン」と「餃子」
・浅草、藪蕎麦並木の「天ざるそば」
・鶴川、デニーズの「ビビンバーグ定食」(^^;
・新横浜駅の駅弁「横浜チャーハン」
あとはたいてい「今日の自炊くん」で乗り切った。

行ったところはものめずらしさも手伝って、どこも楽しめた。あと付け加えるとしたら、近所の散策か。二人で鶴見川沿いや自宅近辺を自転車でゆっくりとポタリングしたのもよかった。非日常の中で感じた久しぶりの日常生活である。

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2005.08.14

リンダ リンダ リンダ

ザ・ブルーハーツの曲にまつわる個人的な思い出などはないし、彼ら自身に思い入れや愛着もない。私にとっては、80年代後半から90年代前半までの「バンドブーム」という看板で一括りにされたミュージシャン、グループの一つでしかなかった。もちろん当時ヒットしていた曲のいくつかは知っている。なかでもこの映画のタイトルにもなっている「リンダ リンダ」は、印象的なさびの部分が強く記憶の中に刻み込まれている。そこだけだけど。あとは「トレイン トレイン」とか、「キスしてほしい」とか。

#バンドブームに関係するミュージシャンでは、先駆けとも言えるレベッカとブームの申し子(異論はあるかも)であったリンドバーグが好きだった。Nokko・ラブ、渡瀬マキ・ラブ。

「リンダ リンダ リンダ」公式サイト

文化祭前日にメンバーの怪我と喧嘩で空中分解してしまった女子高校生バンドの三人が、新たなボーカルを迎え入れ、わずか3日でステージにあがろうとにわか仕立ての新バンドをスタートさせる。彼女らが選んだのは、たまたま部室にあったカセットテープから流れてきたブルーハーツ。これならできると「リンダ リンダ」で盛り上がる。急遽キーボードからギターに転向した短気な恵(香椎由宇)、素敵なクラスメイトにうつつを抜かす響子(前田亜紀)、熱いのか熱くないのかよくわからない望(関根史織)、そしてなんとなくバンドに巻き込まれてしまった韓国からの留学生ソン(ペ・ドゥナ)。四人組のロックバンド「パーランマウム」は果たして無事にステージに立つことができるのか!?

「その時にやりたいことを全力でやる」という物語である。大切なのは「できること」ではなく「やりたいこと」である。しかも明日ではなく今日である。この刹那的な感情の高揚感は、まさに中学、高校あたりでしか体験できないものであろう。小学生だとちと早すぎるし、大学生になると、もう将来のことを考え始めて、どうにもいけない。そうした時間や気持ちのありようのことを「青春」と呼ぶのであれば、まさにこの映画は青春映画以外のなにものでもない。これまでにもこのエッセンスを詰め込んだ名作は多々あるが、この映画もそれらに肩を並べるであろう出来映えであると思う。

ラストにコンサートがあって必ず盛り上がるというお約束のエンディングは容易に予想される。したがってそこに至る過程をいかに見せるかという点が重要になる。こうした結構は昨年大ヒットした「スウィングガールズ」と同じものである。ただ「ウォーターボーイズ」で興行的にも大成功を収め、メジャーのなんたるかを知った矢口史靖監督が手がけた作品は、手際よく整理されあか抜けたものになっていた。それに対し、山下敦弘監督の「リンダ〜」は必ずしもテンポよく進んでは行かない。むしろバタ臭いといってよい。しかし、そこがなんともいえないリアル感を醸し出している。「スウィングガールズ」が一種のファンタジーとなっているのとは異なり、「リンダ リンダ リンダ」はある意味で劇中人物の成長を記録したドキュメンタリーになっているとも言える。それくらい味わいが異なる。

#それでも名の通った俳優が多数出演しているので、山下監督の作品にしてはずいぶんとメジャー感の漂う作品になった。これまで韓流には興味はなかったが、ペ・ドゥナはとてもいい。

「リンダ リンダ リンダ」は一義的には青春映画である。それに加えて、もう一つ言い添えておくべきことがある。ソンが「パーランマウム(青い心=ブルーハーツ)」のメンバーの似顔絵の落書きを日韓文化交流研究会の宣伝チラシの裏にすること、日本人男子生徒がソンに下手くそな韓国語で愛の告白をすること、4人のメンバーが日・韓・英の入り乱れた会話をすることなど、それらがこの映画でさりげなく主張される「裏テーマ」としてとても象徴的に見えた。某国某首相などよりよほどすばらしい交流と相互理解をしているといえよう。

感情に引っかかってくる細かなフックがたくさん用意された映画である。無人の体育館でソンのするメンバー紹介はすばらしかった。萌役、湯川潮音の天使の歌声も耳をそばだてて聴くべし。まだ書き足りぬ思いが残るがひとまずここまで。それにしても軽音楽部の顧問として出演する甲本雅裕の実兄がブルーハーツの甲本ヒロトだったとは! テアトル梅田で鑑賞。

#映画からの帰りに、ブルーハーツのCDと映画のサントラCDをレンタルしました。

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2005.08.07

角田光代『あしたはうんと遠くへいこう』

たいそうおもしろく読むことができた『夜のピクニック』の前日譚が収録されているというから、恩田陸の『図書室の海』(新潮文庫)を買ってきたが、これが実に難敵であった。結局、いくつかを読んだきりで投げ出してしまった。興味を持って読めたのは目当ての一編「ピクニックの準備」だけで、あとは習作のごとき文章の羅列に、すっかりくたびれてしまったのである。どんなに辛くてもたいていは読み切るのですがね(貧乏性なもので)。

角田光代の『あしたはうんと遠くへいこう』もまた途中で……、となりかけたものの、なんとかこちらは読み通すことができた。角田の直木賞受賞作『対岸の彼女』に格別惹かれたり感心したりしたわけでもなく(参照)、いや、むしろ腐したといった方が適切なのであるが、なぜ彼女の小説を再び手にしたかといえば、扉ページに自筆サインが付されていたからに他ならない。なんとミーハーな。

この小説は一人の女性の17歳から32歳まで15年間の恋愛遍歴を描く。「若者の今時の性と恋愛」とでも名付けた方がよいのでは思わされる内容で、しかもそれらはいつかどこかで見聞きした典型的かつ偏向的若者像をつなぎ合わせたようなものでしかない。とにかく間に合わせの道具仕立てと設定で、物語全体が安物臭いのである。今時の「働く女」をテーマにした『対岸の彼女』でもそうであったが、角田の小説を読むと、彼女なりに掘り下げたとおぼしき部分が見えてこないことがどうにも物足りなく感じられるのである。すべてが既視感に包まれた小説。(角川文庫、2005年2月)

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2005.08.06

亀は意外と速く泳ぐ

自分の立ち位置はよくわからないものである。ある人にとっての「普通」や「平凡」は、往々にして他者にとっての「特別」「非凡」であることも珍しくはない。この場合の「特別」「非凡」というのは、もちろんよい意味だけでなく「えっ、それはちょっと……」という方面も含む。優劣などという価値観を持ち出したいわけではない。かっこよさげな人たちが歌う気持ちの悪い「世界に一つだけのナントカ」じゃないけれど、それぞれに存在理由があるはずだから(なんか偽善ぽいな)。

家に自転車が7台(家族のも含めて)あるとか、カメラがあれこれ合わせて14台(家族のも含めて、しつこい、笑)あるとか、「世間にはもっとすごい人もいるから、きっとこれはたいしたことではない」などと思いたいがため、自分を正当化するため、そしてさらに数を増やすために、比較対象をあらぬ方向に求めたりするのだった。ああ。

平凡が視点を変えることによって突然平凡でなくなる。平凡な日々の生活の中にも、実は驚くべき不可思議な事象が満ちあふれている。「亀は意外と速く泳ぐ」はドラスティックとはいいがたいけれど、「市井の人の生活」という枠組みを微妙にパラダイム変換するおもしろさを見せてくれる。小ネタ的な出来事に気付くことが、どれほど生活に彩りを添えることになるのか。

平凡な主婦がちょっとしたきっかけから、ある日スパイ活動を始める。「カメハヤ」はこの設定をぽかーんと楽しむ映画である。

片倉スズメを演じる上野樹里は、この脱力感満点の主婦(そもそも主婦らしいシーンはないのだが)そのものである。そう見える。上野自身が演じた「スウィングガールズ」の鈴木友子が、そのまま主婦になったのかと思わされるほど、両者の間には連続するものが感じられた。計算してのことかどうかはわからないが、この緩さは上野樹里という俳優あってのものであろう。一方、スズメの幼なじみであるクジャク(蒼井優)は平凡からは遠い存在の女である。従来はクジャクのような「ドラマに溢れた非凡な人物」が主役として描かれたはずである。それがここでは平凡なスズメを相対化する人物として、やや戯画的なまでにデフォルメされた人物として登場する。まわりが激烈であるほど、中心の平凡さが際立つ。そこがおもしろい。

二人の若い俳優を取り巻くベテラン勢もそれぞれに持ち味を発揮して、この平凡な世界を愉快に盛り上げてくれる。物語は絵空事に近いけれど、暑い夏にはほどよい緩さであった。テアトル梅田で鑑賞。

「亀は意外と速く泳ぐ」公式サイト

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