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2005.10.03

サマー・タイムマシン・ブルース

ドラえもんの道具ならタイムマシンよりどこでもドアがほしい。

時間を行き来するより空間を行き来する方が人生をより豊かにしてくれそうだからという物言いは気取りすぎかもしれないが、やはり人生は一回的に生きるものではないかと思うからである。もちろん本人の意志や努力とは無関係に悲劇的状況におかれた人々が世界中に存在しているのも確かなことであって、タイムマシン不要とは一概には決めつけられないことも承知している。あくまでも個人的感想ということで。

「サマー・タイムマシン・ブルース」は、とある地方大学のSF研究会の面々が壊れたエアコン用リモコンを奪ってくるために時間を行き来するという、一発芸もしくは身内受けネタのような映画である。もともとは京都の小劇団「ヨーロッパ企画」の演目であったのを、「踊る大捜査線」の本広克之監督が映画化した。映画自体はそれなりにおもしろいところもあるのだが、劇団に所属している俳優たちの見せる大仰な芝居臭さが鼻につき、その点がなんともあざとくて冷めた気分になった。演出の時点で何とかならなかったのだろうか。「それをおもしろいと思っているのは、あなたたちだけではないの?」というものがあまりにも多すぎるように思われた。せっかくの上野樹里や真木よう子がちっとも生きていない。もったいない。

けだし、これは生の演劇で見る方が数段楽しいのではなかろうか。タイムマシンを観客の想像力で存在するものとして脳裏に思い描く。CGでそれらしく見せるよりその方がはるかにリアルに感じられると思う。タイムマシンが本当に必要なのはこの映画自体なのかもしれない。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞(約1か月前に見たのに今の今まで記事に書かなかったのは……以下略、察してください)。

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