« ビートキッズ | トップページ | リリー・フランキー『美女と野球』 »

2005.11.06

嶽本野ばら『エミリー』

エミリー嶽本野ばらの『下妻物語 完』(小学館)を読み進めているところである。正編は深田恭子と土屋アンナのコンビで映画化され好評を博した。これはその続編である。ロリータ&ヤンキーのコンビネーションにますます磨きがかかっており、ページを繰る手が止まらない。これについてはいずれまた。

さて本書は「レディメイド」「コルセット」「エミリー」の三編を収める嶽本野ばらの短編集である。やや高踏的に過ぎるかと思われる前二編は、大人の男女の恋愛を描く。「レディメイド」では近現代の芸術家が、「コルセット」では内外の服飾ブランドが、それぞれあらかじめ理解されていることを前提として、小説の核心に関わる形で登場する。大雑把な言い方が許されるならば、ここには強烈なバイアスがかかったある種の美意識が濃密に充満しており、それは読者の誰もが無条件に招き入れられる性質のものではないと思われる。鍵になるのは固有名詞である。

固有名詞の力に強力に依存する嶽本野ばらの小説。固有名詞は強い磁場を形成し、それに反応するものを強く引き込み、そうでないものを遠く退ける。和歌の世界における歌語のごとく、固有名詞には各々が育んできた歴史や伝統が凝縮されており、それを知ることによって物語に一段の厚みや深みがもたらされる。もっと言うならば、喩として機能する固有名詞を読み解くことこそが、嶽本野ばらを楽しむ唯一にして最大の楽しみかもしれない。

たとえば「レディメイド」ではタイトルが示すようにマルセル・デュシャンが重要な位置に置かれる。さらにはMoMA、シャガール、ルソー、マティス、フォーブ、キュビスム……。これらのことばから具体的なイメージが浮かばなければ、この小説の仕掛けの奥底には辿り着けないと思われる。それは「コルセット」でも同じで、ここに登場するブランドとその製品群を知らないと、肝心な部分についてまったく伝わらないことになるだろう。無印良品のTシャツを着る男とコム・デ・ギャルソンのジャケットを着る男の差異を読み取らなければ、何も始まらない。いいとか悪いとかではなく、そういうものなのである。早く固有名詞的世界観を小説に仕立て上げた田中康夫の『なんとなく、クリスタル』との同質性や異質性について考えることも興味深いかもしれない。

ロリータ趣味を持つ少女とゲイの少年の友情を描く表題作「エミリー」(三島由紀夫賞候補作)ももちろん楽しんだのだが、前二作のそういう部分がとても気になった。

文庫本では綿矢りさが解説を書く。ここでも評論家裸足のうまさに舌を巻く。綿矢なりの視点からしっかり分析しているところがよく伝わってくる(立ち読みでもいいので、この解説だけでもお読み下さい)。それにしても綿矢にロリータ願望があったとは。彼女がその種の衣装を着たりしたら、ものすごい騒ぎになりそうだ。(集英社文庫、2005年5月)

|

« ビートキッズ | トップページ | リリー・フランキー『美女と野球』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11234/6902326

この記事へのトラックバック一覧です: 嶽本野ばら『エミリー』:

« ビートキッズ | トップページ | リリー・フランキー『美女と野球』 »