杉本博司 時間の終わり
上下が白と黒に色分けられた写真。どこかの海を写したものだと知り、以来その作家がとても気になっていた。杉本博司が代表作を収めた評論集『苔のむすまで』(新潮社)を刊行したのは今年の夏のことである。深い思索の跡がうかがえる文章は、杉本の写真と疑いなく同質のものであり、読む者は彼の文章の背後にある「何か」に思いをいたすことになる。
形而下から形而上へ。視覚が絶対的な権力を有する写真でありながら、見えているものはむしろ問題ではない。無限遠の向こうにある建築物や鈍い光を放つ映画館のスクリーン、そして白と黒の間で揺らめく水平線。ここでは写真から立ち上がってくる気配や感情、思想、伝統、歴史などこそが重要である。人類の叡智といってもよい。むろん他の写真家にもその種の思索を強いるものはあるだろう。しかし、杉本はそれなくしては作品自体が意味をなさない。それくらい徹底している。見る者に考えること、感じることを強要する杉本の写真は、楽な気持ちで鑑賞できるような甘い顔を決して見せない。
それは杉本が展覧会において、会場全体を作品とする姿勢にも通じる。会場は単なる展示場ではなく、これもまた杉本の作品そのものなのである。森美術館で開催中の展覧会「杉本博司 時間の終わり」の非常なる緊張感に満ちた空間は、ミニマルアートやコンセプチュアルアートの最も良質な部分を存分に味わわせてくれる。極めて刺激的であった。
補記:私が訪れた日はロシアのプーチン大統領が六本木ヒルズにやってくるということで、ものものしい警備体制が敷かれていた。これも「杉本的」に考えるならば……。備忘録代わりに記しておくことにする。
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