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2006.02.26

運命じゃない人

simsonsどこにでも「いい人」というのはいるもので、世界各地の「いい人」はたいてい「人がよく」て、「悪い人」や「普通の人」にうまく利用されることが多い。本人に「いい人」であるとか「人がいい」とかの自覚があるかどうかはこの際問題ではない。そういう枠組み、役割分担のようなものが厳としてとして存在する、そう思うのである。

絵に描いたような「いい人」である宮田武(中村靖日)は、人からの頼みごとは断ることができず、どんなに騙されても疑うことを知らない。その宮田が親友である神田(山中聡)の関わる事件に巻き込まれ、そこにかつてふられた彼女(板谷由夏)やその夜知り合った謎の女性(霧島れいか)などが絡んできて、事態はどんどん複雑なことになっていくのであった。さて宮田の運命やいかに……。

映画は一晩の間の出来事を描く。それぞれの人物から事態がどう見えているのかを示すために、時間軸を行きつ戻りつしながら同じ場面が何度もトレースされる。ある人物からは見えない事態(=真実)が、別の人物からははっきりと見えるおもしろさがある。観客は神の視点からすべての作中人物にとっての現実を眺め、それを脳内で取りまとめていく。公式サイトにある「まるでパズルのピースがどんどんはまっていくようなカタルシスをもたらす」というのは、いいえて妙である。一つずつ謎が解けていく気持ちよさがなんともよい。

単なるドタバタ劇に終わっていないのは、緩いと見せかけ、その実、緻密に構成された物語になっているからであろう。思わず知らず引き込まれた。監督はこれが劇場用長編デビュー作となる内田けんじである。

公式サイト http://www.pia.co.jp/pff/unmei/

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2006.02.22

シムソンズ

simsonsトリノの騒動も残すところあとわずかとなってきた。選手一人一人の、あの場所に立つまでの人生(賭けたもの、得たもの、捨てたもの)を思うと、どんな結果であってもいいじゃないかと思う。商業主義とか政治的な胡散臭さとか、ひとまずおくことにして。

大会が始まる前から一部のメダル候補、花形選手に注目が集まる中、競技が始まってからがぜん注目を集めたものがある(そう見えた)。カーリングである。やみくもな身体能力やとんでもないと思わされるような高度な技とは無縁そうなのどかな競技(思い切り偏見入ってます)。隣近所のおばさんやお姉さんが「ちょっとね」という感じでやっているように見えるのが実にほほえましい。試合開始前の「○○さん、見てる〜」なんて笑いながら手を振る姿など、まさに普段着スポーツそのものだ。実際にはセンチ単位でストーンをコントロールする繊細な技術や長時間氷上で戦い抜くだけの体力、気力がなければならず、厳しい訓練があってこそのものであるのは承知しているつもりである。しかし、試合をする日本代表の姿を見ていると、よくことばとして発せられる「競技を楽しみたい」を誰よりも体現していると思われるのである。だからこそ見ていて清々しさを感じることができるのだろう。

「シムソンズ」はトリノの代表選手である小野寺・林の両選手がかつて結成していた実在のチームをモデルにして制作された。シムソンズのオリジナルメンバーは揃って前回のソルトレークシティー大会の日本代表として出場したが、映画ではチーム結成から五輪の舞台に立つところまでを描く。物語の結構は「がんばっていきまっしょい」「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」といった一連のアルタミラピクチャーズ作品群と同じ系譜に連なる。すなわち主人公達がなんとなく始めたまたは嫌々やらされているうちに、いつのまにかそれに夢中になり、ある時点から完全に本気モードになってしまうというものである。北海道常呂町(ホタテとタマネギとカーリングの町!)の美しい風景を舞台にして、若い女優達(加藤ローザ・藤井美菜・高浜真唯・星井七瀬)はカーリングに深く填り込んでいくメンバーを元気いっぱい好演している。くたびれた親父コーチ兼ホタテ漁師を演じる大泉洋もいい味を出していた。

最初にメダルなんてて書いたものの、小野寺、林選手たちには取らせてあげたかったなと身勝手に思ったりもする。ワーナーマイカルシネマズ茨木で鑑賞。

公式サイト http://www.sim-sons.com
成果メダル以上(asahi.com) http://www2.asahi.com/torino2006/news/TKY200602210462.html
日本カーリング協会 http://www.curling.or.jp/index.html
JOCアスリート紹介 http://www.joc.or.jp/stories/athletemessage/20050127athletemessage.html

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2006.02.21

大きな文学賞を取った小説

いい悪いは別にして、芥川賞と直木賞を取った小説は、社会勉強のためにできるだけ読んでおこうと思っている。その時々の文壇や出版界の事情というのが透けて見えそうだから。実際には見えそうで見えてない、というか、偏って見ているはずなんですけど。

石田衣良『4TEEN』(新潮文庫、2005年1月)4teen
東京の東側にある下町は、昔ながらの江戸っ子の住む街という、正しいのか正しくないのか、よくわからない固定観念でもって認識している。この小説はそうした下町のひとつ月島を舞台にしている。あとがきで石田本人が「池袋的なものはやめようと最初に決めた」と語っているにも関わらず、『4TEEN』はひどく『池袋ウエストゲートパーク』に似ていると思った。もちろん平凡な中学生を描く本作からは『池袋〜』でテーマとなっていた暴力や犯罪が絡むサスペンス的な部分を注意深く取り除いている。それでも「特定の街を設定」し、「そこに住む地元少年が活躍」し、「ハートウォーミングな結末」が据えられるという小説の枠組みを見るにつけ、この二つの作品に流れる水脈は同じだと思われるのである。できのいい箱庭小説、それが石田の持ち味(限界?)なのであろう。2003年7月、第129回直木賞受賞。

■大道珠貴『しょっぱいドライブ』(文春文庫、2006年1月)shoppai
芥川賞に選定された当時、「なんでこれが!?」と各種メディアで大いに批判された作品。芥川賞にしろ、直木賞にしろ、批判的な意見は必ずあるのだが、この作品はとりわけその声が大きかったように記憶している。その評判に負けて文庫本になるまで読んでいなかった。で、読んだら、これがおもしろかった。へなちょこのじいさんと三十路の女性の恋愛模様が妙に気になるのである。「しょっぱいドライブ」とはこの二人のドライブのことで、今時の若者のようなおしゃれなものではもちろんない。二人の性交も「漏れそうです」「ああ」「うう」で終わり。滑稽でシリアスのかけらもないところになんだか人生の哀切を感じる。同時収録の「富士額」「タンポポと流星」もいい。人間が生き生きしている。2003年1月、第128回芥川賞受賞。

村山由佳『星々の舟』(文春文庫、2006年1月)hoshiboshi
久しぶりの村山体験である。『天使の卵 』(集英社、1994年)や『きみのためにできること』(集英社、1996年)を読んだ時に、コーヒーに砂糖を十杯くらい入れたような作風だと思い、それきりになったのだった。それがこの『星々の舟』では印象がずいぶん違う。連作の形を取るこの小説は、複雑な血筋を持つ家族の一人一人が各短編の主人公に据えられる。近親相姦の恋愛に悩む兄妹、誰かのものになっている男ばかりを好きになる末娘、日曜菜園以外に居場所のない団塊世代の長兄、かつてのいじめが今も心に深い傷を残す長兄の娘、そして戦争の傷痕に生き方を決められた父。 文庫本で四百頁を超えるボリュームなるも、一気に読み切った。砂糖は三杯くらいにまで減った。2003年7月、第129回直木賞受賞。上記の石田衣良と同時受賞だった。

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2006.02.16

でっかいどう北海道 その2

承前

■3日目
この日はきまたさんが相手をしてくれる。当初は最終日に残しておこうと思っていた典型的観光地を、地元民の案内で回ってもらうことにした。待ち合わせは時計台である(笑)。月曜日は休館日だったので中には入れず、記念写真用のお立ち台で親子ツーショットを撮ってもらった。そこから大通公園に出る。前日で終了した雪まつりの大雪像の破壊作業を見学する。実はきまたさんと会う前に、娘と二人で見て回っておくつもりだったのだが、あれやこれやで(寝坊……)見られなかったのである。すでにユンボが雪像の上に立っており、原形を留めないほど崩している。娘には激しく非難された……。むむ、許せ。

次は旧北海道庁である。正面には職員が作った記念撮影用のラブリーな雪像がある。そこで写真を撮るべく順番を待っていたのだが、一つ前の親子連れがまわりの迷惑顧みずという身勝手軍団で、すっかり気分が萎えた。ダラダラと撮影するビデオに向けて嫌みを言ってみたが、きまたさんには「まだまだ手緩い」と教育的指導を受けた。気を取り直し、内部も見学する。

雪か雨か微妙なところ、傘も差さずに札幌駅横のJRタワーを目指す。数年前に開業した新しいランドマークである。全国的に有名なさっぽろテレビ塔より高いところから、真っ白な大地を眺めやる。白い雪で縁取られた街は彫りが深く見えた。ここで昼食。隣接する商業ビルエスタにある「さっぽろラーメン共和国」に向かう。エレベーターを待っていると、鳩山由紀夫の一行と遭遇する。「まさか同じところには行くまい」などと思っていたら、同じフロアの別のラーメン店で行列に加わっていた(写真は撮らず、サインももらわず)。我々は白樺食堂で味噌ラーメンを食べた。おいしゅうございました。

食後は北海道大学へ。ポプラ並木とクラーク像のために北大を目指すというのもどうかと思うのだが、お約束のものは見ておかないといけない。ウン十年前の記憶を確かめるためにも。広すぎる敷地に戸惑いながらも目的達成。娘ときまたさんはクラーク像に雪玉をぶつけていた。いいのか(ちなみにクラーク全身像は北大にあると思い込んでいた……)。そして駅に戻り、ここできまたさんとお別れをする(三日間すっかりお世話になりました)。この先は完全観光客モードに突入である。

快速に揺られること30分、小樽に到着する。あいにく雪が雨に変わり、足下はぐずぐずになっている。mi4koさんに買ってもらっていた「すべり止め君(靴底に装着するミニスパイク)」が大活躍する。運河や北のウォール街あたりを散策し、少し早めの夕食とする。小樽では海鮮ものと思って店を物色するものの、観光客向けの店でぼったくられてもつまらないので(いえ、観光客なんですけどね)、他所よりレベルが高いと評判の回転寿司にした。店は「るるぶ」を参考にして運河近くのとっぴーにする。「お肌の曲がり角前」のきちんとしたネタが乗っている寿司が食べられて、親子ともひとまず満足して店を出た。すっかり暗くなったところで小樽雪あかりの路を見て回る。地元の人たちの手作り感がすばらしいイベントである。温かく幻想的な蝋燭の光に酔う(月並な表現)。ホテルでの夜食はきまたさんに薦められたマルちゃん「やきそば弁当」にした。道民にはポピュラーな一品だそうだ。お馴染みの日清「UFO」よりはかなり薄味だった。

■4日目
最終日。ホテルでチェックアウトの時間までゆっくりと過ごし、昼前に出発する。二人ともかなりくたびれていたので、観光は近場ですませることにした。大きな荷物を駅のロッカーに預け、まずは前日入れなかった時計台に向かう。中はありがちな資料展示が主であるが、重要文化財にも指定される明治の建物の醸し出す風格はさすがである。続いて大通公園のさっぽろテレビ塔に上る。公式キャラの「テレビ父さん」に苦笑いする。ちなみに我々が上っている間、誰一人として他に客はいなかった(大丈夫か?)。

昼にする。二人で熟考の末、スープカレーにすることに。雑誌を見ながら店を探すが、「もし遠くまで行って閉まっていたらどうする」「めちゃくちゃ混んでいたら嫌だ」などと後ろ向きな意見を戦わせた結果、駅前の西武に出店している「木多郎」に決定する(安易の謗りは免れないか)。店員の接客はとても気持ちがよく、肝心のカレーもおいしくいただけた。食後は西武前でヤフーの若いお兄さんの配るチラシに導かれて、無料インターネットスポットに行く。ちなみにチラシと一緒に配っているのはティッシュではなくカイロだった。受付カウンターの若い女性の高飛車な態度に「もうええわ!」と切れそうになったものの、3日も溜めたメールがどうなっているか心配なのでグッとこらえた。小一時間ばかりネット探索をする。そろそろ残り時間も少なくなったので駅に向かい、ドトールでおやつタイムにする。おみやげに「あさひやまどうぶつえん 白くまシュー」5個箱入りを買った。

名残を惜しみながら快速エアポートで新千歳空港へ。ジャンボから降り立った大阪の気温は十数度で、たちまち汗だくになったのだった。

#おせわになったホッカイダーの皆様(きまたさん、kudar!さん、mi4koさんsuguluさん)、どうもありがとうございました。おかげさまで楽しく有意義な旅行になりました。またお会いしましょう!

#写真は来週できあがる予定です。追加する予定ですが、気が変わるかもしれません(^^;

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2006.02.15

でっかいどう北海道 その1

asahiyama zoo #2見出しに懐かしさを覚える方、もれなく同世代以上に強制認定します。

北海道を訪れた。生涯二度目のことである。前回は学生時代の貧乏旅行で、真夏の北の大地でひたすら無駄に時間を費やしたことを記憶している。若いというのはそういうものだろうけど。今回はもう若くもないし、しかも娘を連れての旅行である。同じようなことをするとむやみに疲れるし、たちまち小学生から叱られるのである……。緩んだのは体だけではなく、いや、それ以上に脳みそがそうとうあやしいので、ここは北海道民の助けを借りることにして、年明け早々から連絡を入れておいたのであった。以下、備忘録として四日間の行動を記す。

■1日目
伊丹発新千歳行のJAL機で北海道入りを果たす。飛行機(MD-81)は座席が二列三列の小振りな機体で、てっきりジャンボかエアバスだと思っていたのでちょっと拍子抜けする。到着時の気温は零度をわずかに下回るくらいで、ひとまず耐えられるものであった。空港で食事中にハプニング(娘の鞄行方不明事件)があったものの、快速エアポートに飛び乗って、どうにかほぼ予定していた時間に札幌入りできた(車窓の風景が真っ白で目が痛くなった)。駅ではきまたさん、kudar!さん、mi4koさんが出迎えてくれる。できるだけまずいもの(!)をと思って用意した「たこ焼きキャンディ」と「たこ焼き羊羹」を三人に手渡す(すまん)。

まずは宿泊するホテルで荷物を下ろし、そのまま「さっぽろ雪まつり」の会場である大通公園に向かった。まだ時間が早いせいか、連休初日のわりには人出はそれほどでもない。自衛隊の作る大雪像の数が減ったそうだが、それでも雪のない地方に住む者には驚異的な造形物の数々であった。もちろん中には驚異的でないものもあったけれど、それはご愛敬ということで。お茶休憩はFurniture Design Agraにて。ここも一度来てみたかった店である。不思議な形の家具やインテリア用品が所狭しと並べられている。その後ライトアップされた雪像を楽しみ、夕食のラム肉のしゃぶしゃぶ食べ放題(@北海しゃぶしゃぶ)でまんぷくになった。どうしても「白い恋人」が食べたいという娘のために一箱買い求める。ホテルで貪り食ったのはいうまでもない。

asahiyama zoo #1■2日目
この日は旭川へ行く。待望の旭山動物園が待っている。札幌駅できまたさん、kudar!さんと待ち合わせ、ホワイトアローに乗り込む。九時発の特急は満席で、雪まつりと抱き合わせで動物園へ向かう人が多いのだろうと一人で納得していた。旭川駅では、地元民のmi4koさんとばい菌君の世話をしてきたsuguluさんと落ち合う。suguluさんの白いミニバンで動物園へ。晴れたり吹雪いたりなんだかよくわからない天気の中、雪道での運転経験のない者には信じがたいスピードで疾駆するミニバン! 卓越した運転技術に恐れ入りました。動物園は地元民が「あまり見たことがない」というほどの混雑だったが、目の前数十センチのところを歩くペンギンパレードから、ホッキョクグマ(イワンとルルの相撲も見た)、あざらし、アムールトラ、ライオン、豹などをしっかり楽しむことができた。これほどの雪と動物の組み合わせのおもしろさ、さらに動物の普段の行動をそのまま見せるという展示方法の妙。日本最北にしていまや日本一有名な動物園の魅力を満喫した。

土産もしっかり買い込み、次は美瑛にあるGoshでお昼を取る。mi4koさんのサイトで再三見せつけられてきた鹿肉料理がついに目の前に現れる。ああ。鶏肉のアーモンド焼きも、ああ(笑)。自家製パンもコーヒーもおいしゅうございました。お腹もくちくなったところで、次は美瑛の丘巡りである。風光明媚な美瑛にはCMに使われた木々(マイルドセブンの木、セブンスターの木、親子の木、ケンとメリーの木など)がたくさんある。それを順に回ってくれるというのである。さすが案内役四人中三人が旭川出身、地元民ならではのコース設定に感激することしきりである。こんなところを訪れるのは一見の観光客にはまず無理である。白一色の世界が時折広がる青空や日の光で微妙に色を変える。あまりの美しさに言葉を失っていると、suguluさんが深い雪に沈んでいったりしてしっかり道民魂を見せてくれもした。ありがとう、ラガーマン。同じ美瑛にある前田真三の拓真館で美しい風景写真を見る。風景写真はそこに行けば誰でも撮れそうなものだが、決してそうではないことをあらためて思い知る。mi4koさんのご縁で、カレンダー三種類のお土産までいただく。ありがたや。

旭川市街に戻り、夕食をとる。Kandy Spiceスープカレーを食す。北海道でぜひ食べたかったものの一つである。辛さは好きなように注文できる。私は15番(ちなみに娘は20番)にしたが、唇や喉がひりひりして……。25のきまたさんや30のsuguluさんは平気な顔をしていた。もちろん娘も。なんで? やっぱり家で作るのとは違うなと思いながら(当たり前!)、ひりひり状態なるもおいしくいただいた。旭川駅では特急までの時間待ちでしばし歓談する。私が北海道限定「あさひやまどうぶつえんチョロQ」を買った店で、suguluさんが悪名高き「ジンギスカンキャラメル」を発見し買ってくれた。これのまずさは天下一品で、それがゆえに有名になったという。嫌な油の風味が口腔と鼻腔に広がり、いつまでも鬱な気持ちになれること請け合いである(笑)。キャラメルの余韻に浸りながら、ホワイトアローで札幌に戻った。

続く……。

#2枚のペンギンの写真は、娘が「写ルンです」で撮影したものです。

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2006.02.11

戦国自衛隊1549

「戦国自衛隊」というタイトルからは、ただちに半村良の小説とそれをもとにした同名の角川映画(1979年)が思い出されるが、2005年に公開された本作は「ローレライ」「亡国のイージス」と同じく福井晴敏の小説を原作とする。

この映画の場合、タイトルが内容のほぼすべてを物語っている。おのずと定まる焦点は外しようがないのだ。すなわち、最新鋭の装備を持つ自衛隊が戦国大名や武将たちとどのように戦うのか、そして現代と過去の往還にいかに説得力をもたせるのかという二点に尽きるであろう。織田信長は実は過去にタイムスリップした元自衛官であったという「意外なおまけ」もついてはいるが、基本的にはこの二点のドラマ化が中心に据えられることになる。タイムスリップについての劇中の解説はひとまず騙されておこうかという程度の代物であるが、500年を隔てた新旧軍隊の戦いは見事な特撮と相まって見応えがあった。

その一方、人間の関わるドラマとしてはどうであろうか。こちらは特撮ほどにはうまくまとまっていないように思える。先にタイムスリップした的場(鹿賀丈史)がなにゆえ世界を破滅に導くような歴史の書き換えをしようとするのか、また的場らの歴史への介入を阻止すべく過去に乗り込む鹿島(江口洋介)が、なぜ命を賭してまで現代社会を守ろうとするのか、彼らの抱えているはずの動機や野望、正義といった部分がうまく伝わってこない憾みが残る。世界の破滅をめぐってせめぎ合う両者であるからこそ、その対立の図式を明確にしないと物語そのものの輪郭が曖昧なものになってしまう。

小難しいことを抜きにして、ただ活劇を楽しむのだというのなら、それもよいだろう。私ならば、人間ドラマと特撮アクションの両立という点で「亡国のイージス」に軍配を揚げたい。かつて見たはずの1979年版「戦国自衛隊」はどうだったのだろう(ほとんど忘れている……)。

「戦国自衛隊1549」公式サイト http://www.sengoku1549.com/pc/

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2006.02.09

もの申す数学者

藤原正彦年末年始は久しぶりに「やまとなでしこ」(フジテレビ、2000年)を通して見た。究極の玉の輿を夢見るフライトアテンダント(松嶋菜々子)と、数学者になる夢を諦めた魚屋の親父(堤真一)の恋愛を描いたもので、放映当時高い人気を誇っていた「月9」ドラマである。堤の演じる中原欧介は将来を嘱望された元数学者で、ドラマの中でも神様のルールとか法則とか美とか、そういう類の発言を繰り返していた。

かなしいかな、数学から遙か遠い世界に住む私は、この中原欧介の発言を聞いてもピンとこないところが多々あった。ところが、このところ立て続けに読んだ藤原正彦の著作に、既視感を覚えるような記述を数多く見つけ出したのである。あのドラマの発言の一つ一つは、必ずしもすべてがわかりやすく戯画化された数学者のロマンチックな夢想ではなかったのだと知った。

藤原正彦・小川洋子『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマー新書、2005年4月)は、「数学は、ただ圧倒的に美しいものです」と語る藤原の自説をひたすら開陳する書である。テーマはどこまでも美である。映画版がヒットしている『博士の愛した数式』の著者、小川洋子は、この小説のための取材を藤原にお願いしたという。そこで藤原は数学の美を「詩を朗読する」かのように、または「音楽を奏でる」かのように語ったらしい。この世界には無知蒙昧な私ではあるが、数学の見せる永遠の真理の深遠さについては大いなる憧れを持つ。本書で解説される数式や定理のなんたるかを理解しなくとも、美という無形のものに最大の価値を見出すところには共感を覚えた。

藤原正彦はまた日本語に関しても一家言を持っていて、いくつもの関連書をものしている。美しく豊かな日本語を育むことがこの国を救う唯一の方策だとする藤原は、この十年間行われてきた「ゆとり教育」をばかげたものだと切って捨て、徹底的な国語教育絶対論を展開する。『祖国とは国語』(新潮文庫、2006年1月)は右傾化した旧思想や悪しき教養主義を感じさせる部分もありはするが、ことばによって人は生かされている以上、彼の言わんとするところには首肯すべき点も多くあると思われる。小学校時代の恩師、安野光雅との対談を収めた『世にも美しい日本語入門』(2006年1月)でも、同種の主張がわかりやすく展開されている。

こう読み進めてくると、藤原の大ベストセラー『国家の品格』(新潮新書、2005年11月)の主張も、連続性(と説得力)をもって理解することができる。実はこれだけ読んだときは「頑迷で鼻持ちならない老耄の書いた胡散臭い本」などと思っていたのだった。折しも文部科学省は次期学習指導要領では「ゆとり教育」から「言葉の力」を重視する方向で全面的に改訂することを発表した。実学重視の風潮に風穴を開けるような「改革」となることを期待したい。

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2006.02.05

ウィスキー

日本では写真に写るとき「チーズ」と言ってにこりと笑う。「1足す1は?」「2(にぃ)!」とか。この映画のタイトルの「ウィスキー」もそういうかけ声の一つで、長くのばす「い」の音が口元を笑っているかのように見せるのであった。あたかもそれは  たとえ心がどういう状態であっても  幸せを写真に焼き付ける魔法の呪文のようである。

うら寂れた靴下工場で働く女性マルタは、経営者のハコボと仕事以外では会話をすることがない。ある日、ブラジルへ出国していたハコボの弟エルマンが帰国することになり、その間だけ夫婦のフリをしてほしいと頼まれる。ハコボの願いを聞き入れたマルタは男二人とともにぎこちない生活をし、やがて三人で旅行にまで出かけることになる。観光地での記念撮影で三人は「ウィスキー」と唱え、幸せそうな笑顔を浮かべる。その彼らの笑顔の裏側で何かが変わり始めていた……。

物語に登場するのはほぼ三人だけ、しかも彼らは寡黙で派手な立ち居振る舞いもない。劇的な事件も起こらない。ところが、ほんとうにささやかな感情の揺らめきや気持ちの移ろいが、さりげない仕草や表情からまっすぐこちらに伝わってくるのだ。けれんみのない演技には凄みすら感じられる。ここにあるのは良質のペーソスである。ウルグアイの乾いた色合いがなんとも美しい。

公式サイトによれば「南米の小国ウルグアイ。映画誕生以来、60本の映画しか作られていない国から、世界中を虜にする傑作が誕生!」とある。傑作とまで言い切れるかどうかは定かではないが、じわりと胸に染み込み確実な重みを残す映画であることは確かであろう。余韻と哀感に満ちたラストシーンが味わい深い。

「ウィスキー」公式サイト http://www.bitters.co.jp/whisky/kaisetu.html

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2006.02.01

ベルリン、僕らの革命

若者の独りよがりの考えと行動やいかに。青春の暴走とはそういうものか。

「ベルリン、僕らの革命」(ハンス・ワインガルトナー監督)は東西ドイツ統一後の混乱に満ちた社会を舞台に、恋愛、友情などにもがきながら体制批判活動をする若者達をクローズアップする群像劇である。同じく統一後のある家族の悲喜劇を描いた「グッバイ・レーニン」(ウォルフガング・ベッカー監督)がただちに思い起こされるが、どちらもダニエル・ブリュールが主人公を好演する。

貧富の多大な格差が社会問題となっている統一ドイツにおいて、新体制に疑問を持ち、日々活動に勤しむ三人の若者がいた。ある時、富豪の屋敷での「活動」を目撃され、成り行きからその家の主人を誘拐することになってしまう。ところが、その主人というのはかつて革命運動でならした猛者であった。富豪は彼らの姿に自らの過去を重ね、また若者らは富豪の話から自分たちの生きる道を思う。彼らは不条理な現実にどう折り合いをつけて生きていこうとするのか。

「ベルリン、僕らの革命」も「グッバイ・レーニン」と同様に、救いがたいほどの深刻な社会状況やそこに住む彼ら自身をコミカルかつ軽妙に描こうとする。社会問題を糾弾するとか、主義主張、思想を前面に押し出すことはせず、あくまでも世界中のどこにでもある(はずの)若者たちの青春そのものをテーマにしている。そこに革命の心と青春を捨て去った者が関わることで、双方が自らを振り返るきっかけを得る。悪者はどこにもいないし、皆がそれぞれ成長を遂げ解決策を見出すという、いわば一種のファンタジーとしてこれを捉えることができるだろう。パッケージとしてとてもまとまりのよい映画だと感じた。

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