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2006.03.31

かもめ食堂

かもめ食堂フィンランド。

私の中にあるこの国のイメージは、モータースポーツとムーミンがほぼすべてであった。学校の地理の授業でも、北欧諸国のスターはフィヨルドのノルウェーと福祉のスウェーデンであり、フィンランドはレゴブロックを持つデンマークより圧倒的に存在感は薄かった。たまたま私はF1やラリーが好きだったため、フィンランドという国に近しい感情を持っていたが、それとて極めて偏った理解でしかなく(ニッポン=フジヤマ・ゲイシャ・ハラキリ並!)、それ以外は平和でシュールなムーミン的世界があるのだろうというひどい偏見に満ちたものであった。サンタクロースも脳天気感抜群だし。なおフィンランドを代表する作曲家シベリウスは、来年没後50周年を迎える。かの地を思い起こさせるような内省的な曲調を愛する人は多い。

近年、インテリア関連でフィンランドを含む北欧がちょっとしたブームとなっていること「だけ」は知っていた。むろん関心などなかった。ところが、ひょんなことからあれこれと情報を仕入れているうちにすっかり魅せられてしまった。虚栄虚飾を捨て去ったシンプルで柔らかなデザインと素材感は、とても好ましいもののように思えたのである。ヤコブセン・アアルト・ウェグナー・ユール・ヘニングセン・パントンなどの作品、製品をため息をつきながら眺めるようになると、もう末期的症状だと言えるだろう。気がつけばダイニングにセブンチェアやアントチェアが居並び、マリメッコのウニッコが窓にぶらさがり、レ・クリントやポール・ヘニングセンの照明が揺れていたりするのだ(妄想大爆発)。スワン・チェア、どこかに落ちていないかしら。

閑話休題。

かもめ食堂」は北欧気分を満喫できる、とても気持ちのよい映画である。群ようこの原作も風通しのよいものであるが、映画は小説以上にフィンランドそのものを体感させてくれる。よけいなことは語らず、空気感そのものを映像として定着したような趣である。監督の荻上直子はシチュエーション・コメディーの傑作「やっぱり猫が好き」(フジテレビ系)の脚本を担当しているが、その経験がうまく活かされていると思った。主演の小林聡美、さらに片桐はいりともたいまさこが、会話と立ち居振る舞いで自在に場面を構築していく。それはもう見事としかいいようがない。アキ・カウリスマキ監督「過去のない男」の主演マリック・ペルトラも味わい深い役で登場し喜ばせてくれる。物語がどうのこうのというような映画ではない。ただそこにある時間と空間と人を味わい、くさくさした気分を晴らすのが、この映画の正しい鑑賞法だと信じる。北欧インテリア、ファッションとおいしそうな料理の数々にクラクラすること、間違いなし。あなたは「ガッチャマン」の主題歌をきちんと歌えますか? コピ・ルアック!

109シネマズみなとみらい横浜で鑑賞。

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2006.03.20

動物本三昧 その2

ネコココ承前

■國司華子『ネコココ』(求龍堂、2006年3月)
新進の日本画家による猫画集である。滋味深い岩絵具や墨、金箔銀箔を使って描かれた猫は、どれも生命感に溢れた魅力的な表情をしている。これは日々猫と生活をともにし、心から猫を愛していないと描けない絵であろう。抽象化された猫は誰の猫でもないがゆえに、私のあの猫に容易になりうる。所々差し挟まれたプロ(高山宏)の手になる写真はありきたりでつまらない。これはなくてもよかった。

■笙野頼子『愛別外猫雑記』(河出文庫、2005年12月)
猫が特別好きというわけではないのに、気がついたら家が猫だらけになり、あげく都心から郊外に引っ越しを余儀なくされた芥川賞作家。身勝手な理由で無責任に放置された猫のことで怒り、動物を飼うことに理解のない近隣住民と争い、そして家内の猫の起こす騒動に疲れ果てる。ここに書かれるのは「猫かわいや」の感情ではなく、まったき「闘い」の記録である。猫を飼うことの過酷な現実に、生ぬるい猫本を期待していた私は打ちのめされた。内容も文章もひたすら濃密である。

動物園にできること■川端裕人『動物園にできること』(文春文庫、2006年3月)
動物園の存在意義はどういうところにあるのか。そのことを考えるために動物園の先進国といわれるアメリカで丹念に取材を行ったルポルタージュである。現在の動物園は、かつての「見せ物小屋」として娯楽施設から、「種の保存」と「環境教育」のための研究センターへと徐々に性格を変えてきているという。もちろん旧態依然とした設備、意識のままの動物園もいまだ多いが、「動物園完全撤廃」を訴える環境保護原理主義者さえもが舌を巻くようなところもできているらしい。未来の動物園が「ノアの箱船」になるかどうかはさておき、世界の動物園を生態系ネットワークの一部と捉え直し、本来の生息地保護と繁殖まで視野に入れた活動には、考えさせられる点が多い。新しい飼育と展示の手法である「エンリッチメント」と「ランドスケープ・イマージョン」に関する記述を読み、旭山動物園のことがただちに思い起こされた。動物園ファンはぜひ。

■B・ラウファー『キリン伝来考』(ハヤカワ文庫、2005年12月)
キリンは一般家庭で飼えるらしい。飼えるものならぜひ飼ってみたい。でもどう考えても無理である。本を読み写真を眺めることで満足するしかない。本書は、古来、キリンがどのように人類に受容、享受されてきたのか、その歴史を記述するものである。現在はアフリカに限定されているキリンも、かつてはヨーロッパやアジアにわたって広汎に生息していたらしい。各地の人々はこの異形の生物を特別な存在と見なし、さまざまな絵や文様で記録を残そうとしている。原書はいささか古い(1928年)ので、ここに書かれていることは現在の目から再検討されるべきであろうが、ひとわたりの知見を得ることはできる。博覧強記の見本のような一冊。

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2006.03.18

卒業式の歌

娘の卒業式に出席した。ひな壇は使わず、卒業生も教員も保護者も体育館の同じフロアで式に参加するスタイルだ。今時はこんなふうになっているのね。粛々と進む式を見ながら、ひそかに目頭を熱くするのであった(笑)。ところが、その感傷的な気分をぶち壊したのは、彼らの合唱した歌だった。

#毎年、ニュースを騒がせる「君が代」ではありません。ちなみにこの歌はプログラムの最初に巧妙に組み込まれていた。

スマップの「トライアングル」、そしてコブクロの「桜」。「あぁぁぁ〜」という感じである。「トライアングル」の道徳臭さ、胡散臭さは昨年末の紅白絡みの話(@東京たるび)で述べたので蒸し返すことはしない。国民的アイドルが次に目指すのはオピニオンリーダーなのか。多くの人が抵抗できない「道徳」を感動的に歌い上げる姿に、どうしようもなく「偽善」を感じる。これを小学生が歌うのである。一気に感激も萎えた……。さらに追い打ちをかけるようにコブクロである。まず猫も杓子もという感じの「桜」ソングに飽き飽きするし、なによりこの人達独特の「無責任なポジティブシンキング」にあふれているのがいやらしい。「がんばっていればいつかいいことがある」なんてことを言われても、「嘘つけ!」としか言いようがない。私は悲観主義者ではなく、どちらかといえば楽観主義過ぎるくらいであるが、それでも「がんばっていればいつか〜」なんてことを軽々と人に言うことは憚られる。それくらいのデリカシーは持っているつもりだ。

#「明けない夜はない」とか「やまない雨はない」とか「出口のないトンネルはない」等ということばもノーサンキューです。その最中の人間にとっては何の慰めにもならないから。
#少し前のベストセラー、上大岡トメ『キッパリ! たった5分で自分を変える方法』(幻冬舎)も好きじゃないです。
#そもそも「名もない花には名前を付けましょう この世に一つしかない」で始まるこの歌は、スマップの「世界に一つだけの花」と何がどう違うのか。
#「桜」を題材にする歌の流行はいつまで続くのだろうか。完全に「クリスマス」「卒業式」に続く第三の定番になった感あり。同工異曲でつまらない。

ともあれ、この二つの曲を卒業式で歌わせるところに、学校教育の何たるかが透けて見えるように思われる。娘にはよけいな話はせず、歌詞の内容を自分なりによく考えてみるようにとだけ言った。「うちの父ちゃん、また変なことを言ってるな」ときっと思ったはず。それもいたしかたなし。

#上記の人たちに含むところはありません。あくまでも楽曲や著作の内容そのものを問題としています。念のため。

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2006.03.13

動物本三昧 その1

flickrに出した写真は自動的に個別アクセス数がカウントされる。それを見ると、自分のものでは下のキリンの遊具が最高である。その数1405。ちなみに2番目に多いのが、隣のペンギン写真である。これが375。ここではたと考える。なぜキリンの遊具が圧倒的に見られているのか、私にはちっともわからないのである(自分の写真だけど)。熱狂的なキリン遊具フェチでもいるのだろうか。それとも変なところにリンクされているとか? 動物好きは世界中にあまた存在するので、きっと何か深遠な理由があるのだろう(たぶん)。そういうことにしておこう。ともかく動物なのである。

Tennoji Zoo #14 Tennoji Zoo #1


2月には念願の旭山動物園(北海道旭川市)に行くこともでき、ますます動物熱にやられているところ、買い求める本も自然とその方面のものが多くなっている。

■B・ムナーリ『Bruno Munari's Zoo』(chronicle books)
イタリアのデザイナーの手になる動物絵本である。初版は1963年に刊行されているから、すでに40年以上の長きにわたって世界中の人々に愛されていることになる。二匹の蝶々に導かれるという趣向で、象徴的な絵と一文で紹介されている動物たちを巡っていく。たとえばほっきょくぐまなら「If bears played baseball, polar bears would be umpires.」とあり、クジャクなら「The peacock stalks proudly because he is the peacock.」とある。余白(余情)をじっくり味わいたい。

■柚木沙弥郎・金関寿夫『魔法のことば』(福音館書店)
「エスキモーの人々に伝わる一篇の詩をももとに、絵本として構成されています」とある。シンプルな筆致と大胆な色遣いの絵がとても印象的である。「したいことを、ただ口にだしていえばよかった。」というフレーズが言霊信仰を思い起こさせるだろう。道徳のような高尚な胡散臭さを押しつけることはなく、また処世術のような下卑た行動規範も示さない。「世界はただ、そういうふうになっていたのだ。」然り。含蓄のある結びの一文は諦めではなく寛容を訴えてくる。

■岸田衿子・松竹いねこ・谷川俊太郎・堀内誠一『どうぶつしんぶん』(福音館書店)
「どうぶつびすけっとがあって、どうぶつしんぶんがないというのは、どうかんがえてもおかしい」ので、発刊された「どうぶつしんぶん」。絵本に綴じ込まれた袋には4枚のカラフルな新聞が入っている。方針はこうだ。「1ほんとのことは、ほんとのままに、みんなにしらせる。 2うそのことは、うそらしく、みんなにしらせる。 3ほんとでもうそでもないことは、おもしろおかしく、みんなにしらせる。」漢字が一文字もない幼児用絵本は、優れて大人の生き方をも示唆する(まずは国会議員あたりに読ませてみたい)。中には「むむむ?」と思う記事もありはするものの、これはすごいよ。

川端裕人『動物園にできること』(文春文庫)・B・ラウファー『キリン伝来考』(ハヤカワ文庫)・笙野頼子『愛別外猫雑記』(河出文庫)にも触れるつもりだったが、少々長くなりすぎたので項を改めることにする。

初めての公式映像集である「旭山動物園のすべて」DVD(旭山動物園監修・旭川市後援、HBC)を見ては、先月味わった夢のような心持ちを思い出している。

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2006.03.09

NANA

simsons大谷健太郎監督もすっかりメジャーの仲間入りか。それはそれで喜ばしいことかもしれないけれど、人気と引き替えに本来の持ち味がすっかり薄まってしまったように見える。「avec mon mari」や「とらばいゆ」で見せた畳みかける会話の妙はどこにいってしまったのだろうか。前作の「約三十の嘘」でも、大谷映画の身の丈に合わないような豪華キャスト(椎名桔平、中谷美紀、妻夫木聡、八嶋智人、田辺誠一ら)に不安を覚えたが、果たせるかな、ただ順番に見せ場を出し合うようなまとまりのない作品になってしまっていた。そして今回は総売上三千万部超を誇る大人気コミックを原作とする。ますます工夫のしようがないではないか。

面倒だから映画の紹介文をDVDのパッケージから引っ張ってくる。

不幸な生い立ちながら、クールでカリスマ性のある、パンクバンドのボーカリスト・ナナと、平凡だが明るい家庭に育ち、恋が最優先の今どきのキュートなオンナのコ・奈々。夢を歌うナナに、夢に恋する奈々。一見正反対に見える二人の恋と友情、夢と現実を描いた青春ストーリー!!

これ以上でもこれ以下でもない。矢沢あいの原作を忠実に梗概化した映画としかいいようがない。もっとも私は原作への思い入れがない分、主人公の二人を演じた中島美嘉と宮崎あおいの「なりきりっぷり」には大いに感心させられた。また二つのバンドのために用意された劇中の曲(「Glamorous Sky」「Endless Story」)は展開にぴたりと寄り添い、流れてくるだけで煽られているような気分になるのもさすがである。でもそこまでなのだ。映画鑑賞後に原作を読む機会を得たが、結局「漫画のキャラを上手にコスプレして演じた映画」以上のものにはなりえていないと思った。大資本に屈したとは考えたくないが、ついに大谷監督の持ち味は完全に消失した。

二人の少女は、困難な局面では互いに相手を励まし勇気づけ、やがて相応の明るい未来を掴み取る。どうやら原作ではこのあとは一筋縄ではいかないような展開となるようだが、ひとまず映画では大団円でエンディングとなる。続編のことまで考えていなかったための処置であろう。観客動員の好調だったことを受けて、すでに続編が来夏公開されることが決定しているという。また原作のあらすじを辿るだけのコスプレ映画を作るつもりだろうか。

「NANA」公式サイト http://www.nana-movie.com/

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2006.03.04

ネット上の新聞

desktop sankei

東京の自室の仕事机はこんな感じに落ち着いた。こちらに来てからもうすぐ一年というところで、ようやく必要なものが揃ったように思われる。だからといって、能率よく仕事をしているかどうかというのは定かではないのだが。大きな机、椅子、画面で楽になるのは仕事だけじゃないから(という言い訳)。

さて、新聞の話。ニュースはたいていネットで読めるから(大いに物足りないけれど)、東京では新聞を取っていなかった。なにより留守中に溜まっていく新聞が長期不在をまわりに知らしめ物騒でもある。それで大阪に戻った時にまとめて読んでいたのだが、これがどうにも面倒でいけない。ニュースはもう遙か彼方に過ぎ去ったものが大半で、今さら隅々まで読む気がしない。それ以外の文化欄や読書欄、家庭欄などだけを拾い読みするにしても、なんとなく切迫感がない。やはり新聞は毎日読まないとどうにもなぁ。

そこで見つけたのが産経新聞の「産経NEtView」という電子新聞サービスである。毎日の朝刊がそのままパソコン上で読める形で配信される。拡大縮小は自由自在だし、写真の部分は数種類が表示され、中には動画になっていることもある。制限はあるけれど、過去の記事の検索もできる。紙面のスクロールも理にかなったもので快適に動かせる。これで1か月わずか315円である。古新聞や留守中のことも心配いらないので、さっそく申し込んだ。いつからあるんだろ、これ。

配信されているのが当日分のみ、広告は一部カットされるなどの不満点もあるが(広告も読みたい)、不必要に紙資源も無駄にしないこのサービスはとてもいいと思う。あとは産経以外の各社にも同様のサービスをしてもらえるとありがたい。どうしても産経ならではの「臭み」もあるから。

おまけ。久々に買ったプレイステーション2用のゲーム「ツーリスト・トロフィー」で、夜な夜な走り回っている。再来週には「ファイナルファンタジー」の最新作もリリースされる。楽しみだなぁ(と暢気に言っていていいのかどうか)。

tt tt

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2006.03.02

まとめて日本語本

どうしようもなくためこんだものを手早くお掃除するエントリー第?弾。日本語本編。

■清水義範・西原理恵子『はじめてわかる国語』(講談社文庫、2006年2月)
パスティーシュ小説としてとてもよくできていた『国語入試問題必勝法』や『永遠のジャック&ベティ』が好きで、かつてはよく読んでいた清水義範であるが、もうずいぶん前からとんとご無沙汰していた。今回は久々の日本語本なので手に取ってみた。でも書いてあるのは当たり前のことばかりで、しかもひねり(=知的なお遊び)がないため、今ひとつだった。斎藤美奈子との「文章読本」にまつわる対談はおもしろかった。

■宮崎里司『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』(明治書院、2006年1月)
日本語学習者としての力士を対象とする興味深い本である。ところが、分析結果はさほど目を引くものではない。「通訳に頼らない」「一日中日本語漬け」「生きた日本事情を学習」「強い動機」など、「それはまぁそうなんだけど」というものばかりで、結局、力士の私生活の一部を垣間見せるという内容に終始しているのだった。研究書ではないので、エッセイとして気楽に読める。朝青龍が日本語習得でも図抜けて優秀だったとはさもありなんである。

■阿辻哲次『部首のはなし2』(中公新書、2006年1月)
2004年7月に刊行された『部首のはなし』の続編である。前著は今はなき「しにか」の連載をまとめたものであったのが、続編は書き下ろしである。きっと前のが売れたのだろう(笑)。部首そのものを対象とする読みやすい書はあまりないので、正続揃えて読むのもよいと思う。部首のことを知ったからといってどうということはないだろうが、毎日使う文字のことをあらためて学ぶというのは悪くない。それにしても手で書くことがめっきり少なくなって、漢字をど忘れして困る……。

■笹原宏之『日本の漢字』(岩波新書、2006年1月)
日本語はもともと文字を持たない言語だった。それが大陸諸国と交易をするなかで徐々にかの地の文字に触れ、やがて自分たちの言語に取り入れるようになっていった。この本は、日本における漢字の受容の歴史と現状を語る。オリジナルを解説するのではなく、あくまでも日本化された漢字について述べるところが新鮮である。目から鱗が落ちる話題が多くあろう。

■北原保雄『達人の日本語』(文春文庫、2005年10月)
『問題な日本語』(大修館書店)でいちやく大ベストセラー作家(?)となった北原の、日本語をめぐるエッセイ集。書き下ろしかと思って買ったのに、よくよく見ると、80年代90年代に刊行された単行本からの抜粋に、教科書会社の宣伝紙に掲載していたコラムを合わせたものだった。なんだよ……。とはいえ、なんの役に立つのかサッパリわからないまま勉強させられた文法の知識を駆使して名作を読み解く手練れの技は、一読に値するものだと思う。

■山下好孝『関西弁講義』(講談社選書メチエ、2004年2月)
「北大の人気教師がユーモアを交えて綴る、関西弁の教科書」というキャッチフレーズを持つ。山下は某国営放送局の関西弁講座なども担当し、すでによく知られる存在であろうか。外国人への日本語教育を専門とする山下は、「関西弁を外国語として学ぶ」ことを提案する。ネイティブ関西弁スピーカー(=私)にはおもしろおかしく読めた。が、そうでない人にはどうなのだろうか? 学問的な裏付けに基づいて関西弁の学習をしたい向きにはよいだろう。

■わかぎゑふ『大阪弁の秘密』(集英社文庫、2005年11月)
大阪人による大阪弁エッセイである。すべて経験的な観点から語られるそれは、街中の井戸端会議を聞いているかのごとしである。まぁ楽しければいいじゃないか。そんな本。

7冊やっつけたか……。今日はこれぐらいで堪忍しといたろ。

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