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2006.03.02

まとめて日本語本

どうしようもなくためこんだものを手早くお掃除するエントリー第?弾。日本語本編。

■清水義範・西原理恵子『はじめてわかる国語』(講談社文庫、2006年2月)
パスティーシュ小説としてとてもよくできていた『国語入試問題必勝法』や『永遠のジャック&ベティ』が好きで、かつてはよく読んでいた清水義範であるが、もうずいぶん前からとんとご無沙汰していた。今回は久々の日本語本なので手に取ってみた。でも書いてあるのは当たり前のことばかりで、しかもひねり(=知的なお遊び)がないため、今ひとつだった。斎藤美奈子との「文章読本」にまつわる対談はおもしろかった。

■宮崎里司『外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』(明治書院、2006年1月)
日本語学習者としての力士を対象とする興味深い本である。ところが、分析結果はさほど目を引くものではない。「通訳に頼らない」「一日中日本語漬け」「生きた日本事情を学習」「強い動機」など、「それはまぁそうなんだけど」というものばかりで、結局、力士の私生活の一部を垣間見せるという内容に終始しているのだった。研究書ではないので、エッセイとして気楽に読める。朝青龍が日本語習得でも図抜けて優秀だったとはさもありなんである。

■阿辻哲次『部首のはなし2』(中公新書、2006年1月)
2004年7月に刊行された『部首のはなし』の続編である。前著は今はなき「しにか」の連載をまとめたものであったのが、続編は書き下ろしである。きっと前のが売れたのだろう(笑)。部首そのものを対象とする読みやすい書はあまりないので、正続揃えて読むのもよいと思う。部首のことを知ったからといってどうということはないだろうが、毎日使う文字のことをあらためて学ぶというのは悪くない。それにしても手で書くことがめっきり少なくなって、漢字をど忘れして困る……。

■笹原宏之『日本の漢字』(岩波新書、2006年1月)
日本語はもともと文字を持たない言語だった。それが大陸諸国と交易をするなかで徐々にかの地の文字に触れ、やがて自分たちの言語に取り入れるようになっていった。この本は、日本における漢字の受容の歴史と現状を語る。オリジナルを解説するのではなく、あくまでも日本化された漢字について述べるところが新鮮である。目から鱗が落ちる話題が多くあろう。

■北原保雄『達人の日本語』(文春文庫、2005年10月)
『問題な日本語』(大修館書店)でいちやく大ベストセラー作家(?)となった北原の、日本語をめぐるエッセイ集。書き下ろしかと思って買ったのに、よくよく見ると、80年代90年代に刊行された単行本からの抜粋に、教科書会社の宣伝紙に掲載していたコラムを合わせたものだった。なんだよ……。とはいえ、なんの役に立つのかサッパリわからないまま勉強させられた文法の知識を駆使して名作を読み解く手練れの技は、一読に値するものだと思う。

■山下好孝『関西弁講義』(講談社選書メチエ、2004年2月)
「北大の人気教師がユーモアを交えて綴る、関西弁の教科書」というキャッチフレーズを持つ。山下は某国営放送局の関西弁講座なども担当し、すでによく知られる存在であろうか。外国人への日本語教育を専門とする山下は、「関西弁を外国語として学ぶ」ことを提案する。ネイティブ関西弁スピーカー(=私)にはおもしろおかしく読めた。が、そうでない人にはどうなのだろうか? 学問的な裏付けに基づいて関西弁の学習をしたい向きにはよいだろう。

■わかぎゑふ『大阪弁の秘密』(集英社文庫、2005年11月)
大阪人による大阪弁エッセイである。すべて経験的な観点から語られるそれは、街中の井戸端会議を聞いているかのごとしである。まぁ楽しければいいじゃないか。そんな本。

7冊やっつけたか……。今日はこれぐらいで堪忍しといたろ。

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