間宮兄弟
観る前の唯一の心配は、この映画の原作者が江國香織であるということであった。独りよがりな生温い世界が展開されていると嫌だなと思っていた。しかし、それは杞憂に終わった。原作がいいのか(未読である)、脚本が見事なのか、そのあたりは判然としないけれど、全編を貫くからりとしたトーンと俳優陣の並々ならぬ力量によって、この映画にはとても心地好い時間が流れていた。
物語は一応ストーリーらしきものがありはするが、基本的にはシチュエーション・コメディー的場面の積み重ねが中心となる。そういう造作からいえば、荻上直子の「かもめ食堂」と似たものがあると感じた。両者が描き出そうとしているのは起承転結のある物語ではなく、主人公達の醸し出す空気感とか価値観であるという点、二つの映画を似たものとして並べるのはあながち的外れなことでもないように思われる。どちらも大いに楽しめる。
間宮兄弟を演じる佐々木蔵之介と塚地武雅のかけあいがいい。とりわけこれまでコミカルな役柄とは縁がなさそうな佐々木のはじけっぷりが微笑ましくもある。趣味というにはあまりにも濃すぎる二人の完結したライフスタイル(=オタクだ)は、他者を寄せつけない限りにおいて「永遠の微温」を保つことができるのだろう。ところが彼らはそれを自ら打ち破ろうとする。異世界の存在である「女性」を招き入れることで誘発される化学反応の妙味といったら! また間宮兄弟のペースに巻き込まれていく沢尻エリカ(ビデオ店バイト)と常盤貴子(小学校教師)のヒロイン二人もいい。オタクな二人を厭うこともなく、コケティッシュな魅力を振りまくことを忘れない。兄弟にとっての「世界に開かれた窓」はあまりにも刺激的である。
自分の好きなものを好きだと貫き通す心地よさを思い出させる。さまざまな「モノ」にあふれる間宮兄弟の部屋は、一度じっくりと見てみたいと思わせるものがあった。森田芳光監督作品。梅田ガーデンシネマで鑑賞。
公式サイト http://mamiya-kyoudai.com/
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中学生の頃に夢中になったスポーツが三つある。テニス、サッカー、F1である。













たまたまつけたテレビにNHKの「トップランナー」が映し出された。その日のゲストはチェロのチョウ・チンであった。きりりとした目鼻立ちを持つこの中国人チェリストは、インタビュアーの質問に対し、思慮深い佇まいで一つ一つ丁寧に受け答えをしていた。聡明で知性溢れる人であることが一目でわかる。
二ノ宮知子はあまたのクラシック演奏会の放送や映像を研究しているとおぼしい。コマの展開の仕方があたかもそれを見ているかのごとき印象がある。音が流れてくるというのはいいすぎだろうか。少女漫画というカテゴリーを意識する必要はない。クラシック音楽を題材にした一級の娯楽作品である。見事にエンターテイメントしている。読むものに不思議な高揚感と幸せな気分を与えてくれる。
「怪演」の度が過ぎて反感を買うことも多い竹中直人。出演作の多くで見せる周囲と馴染まないハイテンションとノリは、確かに見る側をどこまでも鼻白ませてしまう。それはそのまま竹中への好悪の評価にも直結しているといえるだろう。巷間によく知られる「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」、さらにテレビドラマなどでそれをやっているから、なおさらこの一面だけが世間に強く印象づけられてしまった。
宮沢賢治と稲垣足穂を足して二で割ったような作風。二人の少年の交歓と成長と別れを描く。異国情緒を強く感じさせるとともに時代も定かでない不思議な時空間が広がる。作者の長野自らが「文庫版に際してのあとがき」でこう述べる。
以前紹介した斎藤美奈子の『あほらし屋の鐘が鳴る』(文春文庫、2006年3月)に「熱湯甲子園 女子マネをもてはやす高校球界の奇妙なセンス(注:「熱湯」原文ママ)」という項があり、これがまこと膝を打つ内容であった。1996年から解禁された高校野球全国大会における女子マネジャーのベンチ入りを俎上に載せ、マスコミのはしゃぎぶりと旧態依然の実態を厳しく糾弾するものである。核心部分を引用しよう。
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