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2006.05.07

長野まゆみ『天球儀文庫』

天球儀文庫宮沢賢治と稲垣足穂を足して二で割ったような作風。二人の少年の交歓と成長と別れを描く。異国情緒を強く感じさせるとともに時代も定かでない不思議な時空間が広がる。作者の長野自らが「文庫版に際してのあとがき」でこう述べる。

少年達は国籍不明ながらも、やや日本人的な名前を持ち、日本語を話す。にもかかわらず、まるっきり西洋風の学校へ通い、宗教的にもその影響を受けている。街路はやはり西洋のどこかの街らしい風景で、人々のたたずまいもそれにかなったものだ。

野ばら、カンパネルラ、夏至祭、天体議会、聖月夜、宇宙百科活劇、綺羅星波止場、兄弟天気図、賢治先生……。長野の著作のタイトルだけを眺めてみても、これが『天球儀文庫』だけの特徴ではなく、この作家特有の個性であることがわかる。確固たる美意識に導かれ、「神は細部に宿る」を実践するかのごとく、選ばれる表現も首尾一貫した流儀に従っている。一部は旧仮名遣い、外来語を漢字で記し、長音記号は極力使わない。自立語(とりわけ名詞)はこれも漢字を多用する一方、通常は漢字表記するはずのものをひらがなに開いていたりする。結果、硬質でありがならもの柔らか、どこか古めかしく懐かしい印象を受けるのである。
シトロンソォダの栓を抜いていた宵里は、そのかげんで、語尾に力を入れてそう云った。ソォダ水は空気にふれて発砲する。瓶のなかで、パチパチと音をたてて噴きあげる翠色のビーズ。ソォダ瓶の口から白い泡が溢れでた。

アビ、もう判ったろう。あのレコォドの音だ。ソォダ水がパチパチとはじける音は、あの古いレコォドをまわすときの音に、似てるんだ。ぼくはそれを思い出したのさ。

主人公の二人の少年、宵里とアビはしばしば他人の自転車を無断で借り出し乗り回す。天使の現れる街の行動原理は、道徳とは別の次元で存在し優先されるのだ。やがて過ぎ去る「少年」という時代のかそけさとコスモポリタンの住む箱庭的世界に、いかにもあいふさわしいものであろう。(河出文庫、2005年11月)

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コメント

>ぽた郎さん
ぽた家のお二人とも長野ファンでしたか。ほとんど持っていらっしゃるとはさすがです。文庫版『天球儀文庫』は、デビュー間もない頃の短編シリーズを一冊にまとめたものらしいので、内容や文体はきっとお二人がはまっていた頃のままだと思います。『少年アリス』あたりは続けて読んでみたいですね。ケンジ、タルホの路線はありそうでないので、根絶やしにせずに続けてもらいたいものです。

投稿: morio | 2006.05.10 03:46

おおぉ,ついにmorioさんも長野まゆみワールドにっ?!
実はかく言うぽた郎も(ついでにぽた子さんも)10年前,長野まゆみにハマりました。当時出版された彼女の本は殆ど持ってます。結構ミーハー・・・(というかコレクター?)。その後,ちょっと別方面に興味が移ったので追跡してませんでしたが,10年経ってもこのヒトは相変わらずこの世界を続けてるのですね・・・。十年一日が如し。いや,決して悪い意味ではなく,長野まゆみは後世確実に賢治やタルホの正統な後継者として語り継がれるでしょう。その確信犯的偏愛的世界観に,脱帽。

投稿: ぽた郎 | 2006.05.09 00:41

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