スポーツは愉し
中学生の頃に夢中になったスポーツが三つある。テニス、サッカー、F1である。
テニスは部活で覚えた。今は体がついていかない。サッカーは友人達と草チームを作り、部活のない時に練習や試合をした。高校で部に入り、大学の頃はその同窓生チームで社会人の下部リーグに参加していた。これも今は体がついていかない。F1はテレビ放映やDVDなどまったくない時代ゆえ、レース情報誌を読んでうっとりし、タミヤのプラモを作って喜んでいた。もちろん昔も今も自分ではできない。
爾来、四半世紀が流れた……。嗚呼。今でも観るのは大好きである。
■『マグナム サッカー』(PHAIDON、2006年1月)
マグナム・フォトのことを今さら語る必要もあるまい。戦後間もなくキャパやブレッソン、シーモアらによって結成されたこの世界的に有名な写真家集団は、スリリングなドキュメンタリー写真によって巷間に知られている。そのマグナムに所属する者たちが撮りためたサッカーにまつわる写真を集めたのが、この写真集である。ここにはビッグネームやスーパースターの姿はない(例外としてペレとマラドーナの写真が各一枚あるのみ)。ルワンダの難民キャンプでサッカーに興じる少年たち、タリバン敗走後の荒野でボールを蹴るアフガニスタンの村人たち、侵攻してきたアメリカ軍戦車の横でリフティングをするグレナダの青年、ブラジルの神学校でサッカーをする大人、イタリアの肢体不自由児のための施設でプレーする子供たち、パブで勝利の雄叫びを上げるリバプールの熱きサポーターの面々……。民族も宗教も国家も越えて、「サッカーを愛する」という一点で結びつく市井の人々が登場する。老いも若きも、男も女も、「愛するもの」の前では等しく一個の人間として存在する、その当たり前の美しさにうちふるえるほどである。サッカーを捉えた「決定的な一瞬」が、世界の歴史や文化や現状をこれほどまでに生々しく語るとは。
■田中詔一『F1ビジネス もう一つの自動車戦争』(角川oneテーマ21新書、2006年5月)
アイルトン・セナ存命時代の頃の人気はないとはいえ、今でもF1関係の情報誌や書籍は数多く刊行されている。しかし、たいていのものは華やかな表舞台のみを憧れの視点で描くか、もしくは蘊蓄を傾けながらマニアックな技術論を講釈するか、はたまた訳知り顔で下世話な裏話を暴露するか、そんなところに終始するばかりである。本書はホンダの第三期F1プロジェクトに関わるHRD(ホンダ・レーシング・ディベロップメント)の前社長が、明かしうる限りの事実をもって現在のF1の舞台裏を説いている。もともとが国際マーケティングのプロである田中は、凡百のF1本とはまるで異なる立場からビジネスとしてのF1の世界を語っているのである。これまであまり公にならなかったことが述べられており、F1好きには興味深い内容になっている。前世紀の終わり頃からF1がおもしろくなくなっていった元凶は、マックス・モズレー、バーニー・エクレストン、フェラーリの三者であろうことは、誠実なF1ウォッチャーであれば誰しも気付いていることであろう。そのあたりの事情も経済的または政治的な側面から説明がなされている(もちろん田中はメーカー連合側の人間なので、その点は考慮する必要がある)。もう少し深いところまで書いてほしいという部分もありはするが、啓蒙的な新書ゆえ、いたしかたないところもあるのだろう。F1好きに薦めたい。
■北杜夫『マンボウ阪神狂時代』(新潮文庫、2006年4月)
熱狂的なタイガースファンである芥川賞作家のものした、かの球団関連のエッセイを集めた一書である。60年代から80年代の話が中心で、最近の「強い虎」のことしか知らない世代には、別世界のような内容であろう。同じネタの使い回しがやたら多く、読んでいて飽きが来た。古くからの阪神ファン以外には薦めない。
テニス本は今のところなし(^^;。
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