« センセイの仕事場 1 | トップページ | 火火 »

2006.06.28

センセイの仕事場 2

大学の先生が自分の授業の様子を一書にまとめる。商品価値はどのあたりにあるのか。

■松井孝典『松井教授の東大駒場講義録』(集英社新書)
理系の科目が憎い、というほどではなかったものの、どうしてよいものやらと悩まされた中学高校時代であった。その中で唯一、地学だけは大好きでうきうきと勉強していた。趣味のようなものであった。「地球、生命、文明の普遍性を宇宙に探る」という副題を持つ地球惑星物理学の権威による「惑星地球科学II」の授業本を手に取ったのは、そういう昔々の思い出のなせるわざである。

歯が立たなかった……。

脳内の欠片をかき集めたところでどうにもならないほどの圧倒的な高峰がそびえていた。それはそうだろう、日進月歩のこの世界であるから、そんな遙か昔の幼い知識だけではどうにもならないのは当然である。おもしろそうな匂いがするだけに、それを十全に理解しきれない自分自身の貧しい知力を呪わしく思う。いずれ再挑戦したい。

■石原千秋『学生と読む「三四郎」』(新潮選書)
では文系の授業はどれも得意であったのかといえば、そうではない。特に国語が苦手で、どうしても点が取れなかった。とりわけ夏目漱石と小林秀雄には嫌な思い出しかない。漱石の『こころ』は風通しの悪さばかりが鼻について、ちっとも物語に入り込めなかったし、小林の一連のエッセイ風評論は、独特の論理の飛躍について行けず、何を言っているのかほとんど理解できなかった。もちろん試験では赤点連発である。トラウマ……。

成城大学での石原ゼミの「近代国文学演習I」の実践報告である。石原は「ごくふつうの大学生が通う大学」の「いまどきの大学生」がいかに漱石を読み解いていくか、その一部始終を報告する。作品は「三四郎」。石原の読みの方法は作者を切り離したテクスト論であり、それまでの国語の授業でお行儀のよい「正統派読解術」ばかりを学んできた学生にとっては戸惑うことばかりである。そこがおもしろい。また成城大学の裏側も少しだけ垣間見ることができ、興味深い。全体的に物語仕立てで気楽に読み進められる。同時期に刊行された石原の『大学生の論文執筆法』(ちくま新書)は、本書の実践編的な趣である。同じネタの使い回しがあるのはいたしかたのないことか。

■柴田元幸『翻訳教室』(新書館)
高校の英語か地理の先生になりたかった。それなのに、今の英語のできなさ加減はどうなのだ。まったくもって情けない。いや、そんなことはどうでもよい。本書は柴田の東京大学文学部で開講された「西洋近代語学近代文学演習第1部 翻訳演習」の内容を、ほとんどそのまま文字化したものである。異なる文化、社会、歴史を持つ二つの言語にどう橋渡しするのか。学生とともに一語一語にこだわり磨きをかけていく作業は、知的好奇心を掻き立てられ、極めてスリリングである。授業のゲストに村上春樹やジェイ・ルービンまで登場する。うーむ。

|

« センセイの仕事場 1 | トップページ | 火火 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11234/10706043

この記事へのトラックバック一覧です: センセイの仕事場 2:

« センセイの仕事場 1 | トップページ | 火火 »