« 火火 | トップページ | 小説家の器量 »

2006.07.07

吉田(電|観覧)車

吉田戦車による「車」シリーズの第2弾、第3弾である。第1弾の『吉田自転車』(講談社文庫)の脱力感が新年度の憂鬱さを蹴り飛ばしてくれたように、この『吉田電車』(講談社、2003年9月)と『吉田観覧車』(講談社、2006年6月)も梅雨時の鬱陶しさを爽快に吹き飛ばしてくれた。

吉田観覧車 吉田電車 夜のミッキー・マウス

吉田は筋金入りの鉄ちゃん(鉄道マニア)ではなく、また偏執狂的な遊園地リピーターでもない。電車については「嫌いじゃないけど、そういう企画だからあれこれ乗ってみる、そのついでに大好きな麺類を食べる」というスタンスだし、観覧車に至っては「高所恐怖症をネタにするため」だけに全国各地の遊園地を巡っていくのである。こういう具合だから、各所訪問の記録は脱線に脱線を重ねる。もはや目的や着地点すら見えないものも少なくない(乗る前に引き返してしまうことも!)。しかし、その緩いアバウトさこそが吉田の行動と文章の真髄であろう。しかも単なる痴呆的独善的馬鹿騒ぎで終わらず、ちらりちらりと毒を吐きながら的確な観察眼を披露する。褒めすぎか。

タワーの下にレストランがあったので、窓の外の離発着と「あやや命」などという落書きとともに回転を続ける観覧車をながめながら、よくのびているスパゲティをいただいた。(『吉田観覧車』128頁)

地味でありながら強烈な既視感と共感を覚える文章だと思う。私もこういうのをつるつると書きたい。

そういえばディズニーランドには観覧車がない。谷川俊太郎の『夜のミッキー・マウス』(新潮文庫、2006年7月)を吉田本の後に続けて読んで、そんなことをふと思った。さて、この詩集から何が見えるか。この問いには谷川自身のあとがきが答える。

「この詩で何が言いたいのですか」と問いかけられる度に戸惑う。私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから。

嗚呼。私自身の感じたことは「永遠と刹那」か。少しだけ格好をつけてみる。吉田的ではないな。

|

« 火火 | トップページ | 小説家の器量 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11234/10820112

この記事へのトラックバック一覧です: 吉田(電|観覧)車:

« 火火 | トップページ | 小説家の器量 »