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2006.07.09

小説家の器量

見終えたのにもかかわらず、まだブログのエントリーにしていない映画がもう8本も溜まっている。本に至っては「予告編」の長々と続くリストから明らかなように、惨状というほかないありさまである。お片付けはボチボチと。

空を飛ぶ恋■『空を飛ぶ恋 ケータイがつなぐ28の物語』(新潮文庫、2006年6月)
2003年から三年間、「週刊新潮」に連載されていたKDDIの広告用短編を一書にまとめたものである。当代の人気作家28人が名を連ね、それを見る限りたいそう豪華なラインナップである。いずれも携帯電話をキーワードにして物語が紡ぎ出されるのであるが、同じモチーフを使うため、各人の技量才能得手不得手が如実に浮き彫りとなる。短編をよくする作家は少ない紙数をうまく使いこなしているのに対し、そうではない人たちのものは、闇雲に話を膨らませた挙げ句収まりがつかなくなったり、あまりにも矮小なことにこだわりすぎて話がちっとも見えてこなかったりで、とにかく酷い。これだけあれば好悪の感情に違いがあるのは当然なので、誰の作品がどうかというのは、直接確かめていただきたい。平野啓一郎のものが普段とまったく違う作風で驚いた。

新潮社のサイト http://book.shinchosha.co.jp/cgi-bin/webfind3.cfm?ISBN=120805-0

太陽の塔■森見登美彦『太陽の塔』(新潮文庫、2006年6月)
吉田戦車は『吉田観覧車』(講談社)の中で、大阪の万博公園にある太陽の塔のことを「神」と呼び崇め奉っていたけれど、私もあの塔に対しては同じような心持ちなので強い共感を覚えた。その「太陽の塔」を名に持つ小説、しかもファンタジーノベル大賞にも輝いているとあっては見逃すことはできない(文庫本になるまで見逃していたのは頬被り……)。無闇に青春を消費する大学生たちの姿は、いつの時代にあっても不変(いや普遍か)であろうか。変な妄想力と見当違いな行動力を持つ大学五回生がユーモラスに語られ、ケラケラと笑った後、なんだか他人事に思えないところにやるせなさを感じた。この小説のタイトルがなぜ太陽の塔でなければならないのか、いまひとつ判然としない憾みがあるけれど、同郷人のよしみで素知らぬふりをすることにする。太陽の塔ファンに悪い人はいない(決めつけ!)。上手い文章ではないが、ぐっと惹き込み読ませる力があると思う。

■江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮文庫、2006年7月)
トヨタ・カローラ。長年安定した売れ行きを示し、多くの大衆にそこそこの満足感を与える力を持つ。どんな状況でも七十五点くらいを取るやつ。江國香織の小説を読むと、そのカローラを思い出す。一つ一つの短編は巧妙かつ強引に枠組みや人物配置が決められているようで、私にはどれもこれも作り物臭く感じられたのだが、かといって本を投げ捨ててしまいたくなるほど酷いということもない。まさに「そこそこ小説」である。江國は本作で2004年に直木賞を受賞した。長年のご活躍、ご苦労様……。

金原ひとみの芥川賞受賞作『蛇にピアス』が文庫化されていた(集英社文庫)。帯と折り込み広告に集英社のキャンペーンを担当する蒼井優が微笑んでいる。小説自体は「文藝春秋」掲載時に読んでいたけれど、解説が村上龍だったので買った。綿矢りさの『蹴りたい背中』はまだか。

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