2006.06.13

妙な盛り上がりはいらない

グループFオーストラリア 3対1 日本

負けるべくして負けたと言うべきか。圧倒的に相手に攻め込む意欲を持ったチームが順当に勝った。それだけのことであろう。いずれにしても強いチームが勝ち残ることで、大会そのものの質は高くなるわけだから、サッカーが見たい者には望ましい展開である。番狂わせで弱いチームばかりが残っても何のおもしろみもない。

開幕してから毎日1試合ずつ観戦しているが、やはりアルゼンチンやイングランド、オランダのサッカーはすばらしい。豪快で繊細、爽快かつ美しい。創造性に溢れていて見ていてわくわくさせられる。イタリアやポルトガル、チェコもすごい。あとはフランスとスペイン、ブラジルがどうかというところだが、たぶん心配はいらない。これらの国の超一流のプレーが見られるなら、熱狂的なファンには気の毒だが、日本がそこにいなくてもそれは大した問題ではない(サッカーは相手のゴールにボールを入れなければ勝てないというシンプルなルールがわかっているのだろうか、さらには一部のやる気がなさそうに見える選手はどうなんだ)。いや、ほんとに。1970年代後半から80年代前半、週に一度の「ダイヤモンド・サッカー」(海外サッカー紹介番組)をかぶりついて見ていた者には、ワールドカップをリアルタイムで見られるのは夢のようなことなのだ。

強豪国には「サッカーが好きで好きでたまらない」というオーラを全身から発している選手がそこここにいる。だから彼らのプレーは見ている者を幸せな気分にさせる力がある。めったに感じることのできない高揚感と至福の境地をこの先一ヶ月満喫したい。ついでに言えば、「夢をありがとう」なんて生温い横断幕はいらない。煽りの掛け声だけのマスコミも罪深い。気概も見せず無様に負けて帰るチームには愛あるブーイングを!

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2004.09.17

ビルヌーブ・ラブ その2

今日はF1のお話。

ビルヌーブ・ラブ その1というエントリーを立てたのが3月8日。その最後に「ここでは私の最も愛するF1ドライバー、ジル・ビルヌーブとジャック・ビルヌーブについて書こうと思う。ひとまず予告編としてこのエントリはここまで。続く……。」と書きながら、半年間、完全に放置状態である。忘れていないことをアピールするために、左のサイドバーの予告編にそれらしいことを書いてはみたものの、やっぱり筆は進まない。

3月8日のエントリーを立てたのは、今シーズンのF1からジャックの姿が消えたことによる。おそらく復帰はないだろうと踏んでのことだった。それで大好きな親子鷹のことを書いておこうと思ったのだ。しかし、またしても専制君主(シューマッハ)と忠犬ハチ公(バリチェロ)によって繰り返されたくだらない予定調和的進行を見るにつけ、もうどうでもよくなってしまったのである。今さら亡くなったドライバーや引退同然のドライバーについて書いたところでどうなるのか。やれやれ。

ところが、夏頃からジャックの復帰が取り沙汰され始める。当初はウイリアムズから、その後はBARやルノー、そして今週になってついにザウバーからの復帰がアナウンスされた。

最悪。

よりによってザウバーとは。こんなチームで走っても、何も得られない。そもそもフェラーリのお下がりエンジンをもらっているような二流チームに何ができようか。もし万が一ザウバーが素晴らしいマシンを造ったとしても、そしてフェラーリを脅かしたとしても、あの専制君主がその状況で黙っているはずがない。下克上などありえない。魑魅魍魎が棲むF1世界、すでに勝負はレース以前についてしまっているのだ。ザウバーに乗るくらいなら、まだ誰からも束縛されないミナルディの方がはるかにましである。

私は天衣無縫のジャックがシューマッハを完膚無きまで叩きのめす夢を見続けて、ひたすら応援してきた。しかし、それはどうやら白昼夢として永遠に消え去りそうである。1997年の最終戦が行われたヘレスサーキットのドライサックコーナーで起きた事件を静かに思い出す。あの一瞬こそが、物理的にも象徴的にも二人が最も接近した瞬間だったのだろう。

補足:今年の残り三戦、ジャックはルノーから出場するようである。現ザウバーのフィジケラが来期ルノーに移籍することになっているけれど、両者がそのままルノーとザウバーに留まるようになったら、来期のF1は俄然おもしろくなると思う。フィジケラではシューマッハに対して明らかに格負けしている。フェラーリ・シューマッハ対ルノー・ビルヌーブ。現時点で考えられる最もスリリングな組み合わせである。まずは残り三戦(上海、鈴鹿、インテルラゴス)、要注目である。

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2004.08.23

高橋尚子対ラドクリフを望む

日本勢のメダルラッシュに湧くアテネオリンピック。メディアの狂奔する様子やいびつなナショナリズムの押しつけにうんざりしながらも、毎夜ラジオの中継を聞くともなく聞いてしまうのは、四年に一度の祭だからという意識のなせる業か。普段はニュースになってもほとんど関心を払いもしないような競技のことまで追いかける自分は滑稽ですらある。

さて昨日は女子マラソンがあった。深夜にもかかわらず視聴率が27.8%という関心の高さである。並み居る強豪を振り切って見事に野口みずきが優勝し、二大会連続でこの種目の金メダルを日本にもたらした。しかし、シドニーの時の熱狂は私の中にはない。正直に言えば、私は驚異的な世界最高記録保持者であるポーラ・ラドクリフを応援していたのだ。そして同時にこのレースに高橋尚子がいないことをほんとうに残念に思っていた。

そう言うのは、五輪二連覇の機会を失ったからではない。この選手の素晴らしいところは、常に何か「とてつもないこと」をやるのではないかと期待させる点にある。それはたとえば「女子選手として史上初の二時間二〇分突破」「世界最高記録更新」など、あらかじめ目標として打ち出されるものが普通に強いだけでは達成不可能なものばかりであることによる。勝つのは当然、見ている人はその勝ち方を楽しみにできるという希有な存在である。彼女の独走は単なる独走ではなく、常に最高のタイムを記録するかもしれないというスリリングな愉悦に満ちあふれている。だから否が応でも期待感は盛り上がる。

ラドクリフも同様で、彼女たちのレースは小賢しい競り合いや駆け引きとは遠いところにあり、自分のためのタイムトライアル、いわば「レースを破壊する」ところに最大の魅力がある。その爽快感たるや。だからこそ高橋のいないアテネのレースではラドクリフに「とてつもないこと」を期待したのであった。野口の偉業を貶めるつもりはないけれど、おそらく彼女にそれを求めることは不可能である。堅実な瀬古利彦よりも破滅型の中山竹通を応援した自分を思い出す。

いずれ実現するであろう高橋尚子対野口みずきも、おそらく高橋は野口を意識することなく、自分のペースでレースを破壊しようとするだろう。ラドクリフもアテネで同じことをすればよかったのだ、と思う。気象条件や技術的な問題もあるのかもしれないが、最初からレースを破壊する気配のなかったことが惜しまれる。しかし、高橋がいたならば、きっと二人で「自分勝手なレース」をしたに違いない。結果として二人がつぶれたとしても、これぞ夢の対決という喜びを感じさせてくれたはずである。

そして私はシカゴかベルリンかロンドンで二時間一五分を巡る高橋対ラドクリフの究極のマッチレースを夢想するのである。

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2004.03.08

ビルヌーブ・ラブ その1

今シーズンのF1が始まった。恐怖の大王ミハエル・シューマッハが勝利し、2位には手堅く忠犬バリ公(ルーベンス・バリチェロ)が入った。フェラーリのワンツー・フィニッシュという、最悪の予定調和的開幕戦である。

F1ウォッチはニキ・ラウダが初めてドライバーズ・チャンピオンを獲得した1975年から続けている。当時は今のようにテレビ中継などなく、「オートスポーツ」を毎号買い込んで熱心に読んでいた。1976年と1977年には富士スピードウェイにF1がやってきた。これはTBS系列が中継し、夢心地で観戦した。何せ動くF1を観るのはほとんどないことだから。残念ながら77年のレースで不幸な死亡事故が起こったため、日本でのF1はそれきりになった。F1情報はまたしても活字媒体のみとなったが(散発的に欧州のレース中継はあった)、ついに1987年からフジテレビ系列で全戦の中継が始まることになる。アイルトン・セナ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセル、中島悟らを中心に、日本でも爆発的なF1ブームを迎えたのは、記憶に新しいところであろう。

しかし、そのあたりのF1史を語ることはまたの機会にする。ここでは私の最も愛するF1ドライバー、ジル・ビルヌーブとジャック・ビルヌーブについて書こうと思う。ひとまず予告編としてこのエントリはここまで。続く……。

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2004.02.25

欧州チャンピオンズリーグが見たい

小学生の頃からの阪神タイガースファンであるが、どのスポーツが好きかと聞かれたら、私はサッカーを選ぶ。

自分でも高校(部活動)、大学(アマチュアクラブチーム)の頃にやっていたことが大きいけれど、サッカーのスピード感や緊張感のあり方が、私には野球のそれよりしっくりくるのである。もちろん野球にスピード感や緊張感がないとは思わない。ルールの違う二つの球技に質的な相違があるのは当然で、優劣の問題ではなく、双方には明確に出自の違いが反映しているからだと思っている。それはおそらくアメリカ文化とヨーロッパ文化の違いといった深く本質的な問題に行き当たると思われるが、ヨーロッパの自動車レース(F1やWRC)とアメリカのそれ(カート、インディカー)の間にも似たようなものを感じる。ただその種のことは私のよくするところではないし(無理に書いても生硬なものになるに違いない)、この記事はそれが主眼ではないので、省略に従うことにする。多数刊行されている該書についていただきたい。

なぜこんな話になっているかというと、今年度の欧州サッカークラブチャンピオンを決めるUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントが昨日から始まったからである。欧州最強クラブ決定戦であるが、世界有数のプレイヤーが集う大会ゆえ、事実上、世界一のクラブを決める大会と言ってよい。綺羅、星のごとくスター選手を揃えるレアルマドリードを筆頭に、昨期王者のACミラン、ユベントスのイタリア勢、ベッカム放出後の新生マンチェスター・ユナイテッドに、金満チェルシー、堅実アーセナルのプレミア勢、さらに古豪バイエルンミュンヘンなど、どこが勝ってもおかしくない。決勝戦のある5月26日まで、どの試合もとても興味深い。

で、今は「ナンバー」のチャンピオンズリーグ増刊号を見つつ、先週発売になった「ウイニングイレブン7・インターナショナル」(PS2用サッカーゲーム)で遊んでおります。だってスカパー!でしか放送されないんだよぉ。

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