2006.03.18

卒業式の歌

娘の卒業式に出席した。ひな壇は使わず、卒業生も教員も保護者も体育館の同じフロアで式に参加するスタイルだ。今時はこんなふうになっているのね。粛々と進む式を見ながら、ひそかに目頭を熱くするのであった(笑)。ところが、その感傷的な気分をぶち壊したのは、彼らの合唱した歌だった。

#毎年、ニュースを騒がせる「君が代」ではありません。ちなみにこの歌はプログラムの最初に巧妙に組み込まれていた。

スマップの「トライアングル」、そしてコブクロの「桜」。「あぁぁぁ〜」という感じである。「トライアングル」の道徳臭さ、胡散臭さは昨年末の紅白絡みの話(@東京たるび)で述べたので蒸し返すことはしない。国民的アイドルが次に目指すのはオピニオンリーダーなのか。多くの人が抵抗できない「道徳」を感動的に歌い上げる姿に、どうしようもなく「偽善」を感じる。これを小学生が歌うのである。一気に感激も萎えた……。さらに追い打ちをかけるようにコブクロである。まず猫も杓子もという感じの「桜」ソングに飽き飽きするし、なによりこの人達独特の「無責任なポジティブシンキング」にあふれているのがいやらしい。「がんばっていればいつかいいことがある」なんてことを言われても、「嘘つけ!」としか言いようがない。私は悲観主義者ではなく、どちらかといえば楽観主義過ぎるくらいであるが、それでも「がんばっていればいつか〜」なんてことを軽々と人に言うことは憚られる。それくらいのデリカシーは持っているつもりだ。

#「明けない夜はない」とか「やまない雨はない」とか「出口のないトンネルはない」等ということばもノーサンキューです。その最中の人間にとっては何の慰めにもならないから。
#少し前のベストセラー、上大岡トメ『キッパリ! たった5分で自分を変える方法』(幻冬舎)も好きじゃないです。
#そもそも「名もない花には名前を付けましょう この世に一つしかない」で始まるこの歌は、スマップの「世界に一つだけの花」と何がどう違うのか。
#「桜」を題材にする歌の流行はいつまで続くのだろうか。完全に「クリスマス」「卒業式」に続く第三の定番になった感あり。同工異曲でつまらない。

ともあれ、この二つの曲を卒業式で歌わせるところに、学校教育の何たるかが透けて見えるように思われる。娘にはよけいな話はせず、歌詞の内容を自分なりによく考えてみるようにとだけ言った。「うちの父ちゃん、また変なことを言ってるな」ときっと思ったはず。それもいたしかたなし。

#上記の人たちに含むところはありません。あくまでも楽曲や著作の内容そのものを問題としています。念のため。

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2005.06.25

音楽バトン

しきはんさんからトラックバックが飛んできた。せっかくだからやってみる、Musical Baton

1 HD内の音楽ファイルの容量 約20GB
もっと入っていたけれど、HDを圧迫してきたのでかなり整理した。iPodに書き出した後、CDを持っているものや消えても惜しくないものはすべて追い出した。ちなみにiPodには22GBくらい入っている(マックの中身と一部重複)。

2 今、聴いている曲 右の「なうぷれいん」を御覧下さい。

3 最後に買ったCD
 Bonnie Pink「Reminiscence」

4 思い入れのある5曲
 皆川おさむ「黒猫のタンゴ」
  初めて自分のお小遣いで買ったレコード。
 カーペンターズ「オンリー・イエスタデイ」
  洋楽開眼。
 ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」
  衝撃。リアルタイムで追いかけたわけではない(笑)。
 松任谷由実「昨晩お会いしましょう」
  甘酸っぱい思い出。理由は聞かないで下さい。:-P
 オフコース「We are」
  長い付き合いになった。
 TOTO「ターン・バック」
  TOTOと同時代のAOR系(懐かしい)もよく聴いたなぁ。
 レベッカ「レベッカIV」
  「Maybe Tomorrow」に尽きる。
 モーツァルト「交響曲第41番ジュピター」
  初めて買ったクラシック。
 バッハ「ゴールドベルグ変奏曲(新録)」(グールド)
  グールド・ラブ!
 ベートーヴェン「交響曲第7番」(クライバー)
  カルロス・ラブ!!
 ソニー・クラーク「クール・ストラッティン」
  初めて買ったジャズ。
 リーチェ「がんばっていきまっしょい サウンドトラック」
  B級邦画の傑作、そのサントラ。なぜか手元に2枚あり。
 矢井田瞳「マーブル色の日」
  iTunes最多再生回数を誇る。ちなみに767回(2005/6/24日現在)

数が合っていないし、しかもアルバムまで交じっている。気にしないでもらいたい。最も愛した曲、アルバムというより、「ここから何かが始まった」というきっかけになったもの(ゆえにメジャーなもの多し)にした。「思い入れ」なんてことになると、とても選べない。

5 次にバトンを渡す5人
いかなる内容であってもネズミ講式に増殖させるのは本意ではないので、続けたい方はご自由にどうぞ。バトンは100本くらい置いておきます(笑)。お好きなだけお持ち下さい。

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2004.12.05

サイレントナイトはありえない

ipod自宅で使っているiMacの内蔵80GBハードディスクがほぼ満杯になった。原因は仕事のやりすぎではなく、音楽データと写真データの増殖のためである(恥)。持っているCDやレンタルしてきたものを次々と取り込んでは、iTunesで流して喜んでいる。また写真もすべてフィルムスキャナで取り込みデジタルデータ化し溜め込んでいる。こんなことをしていては、どんなに大きなハードディスクを使っていてもお手上げである。ここ数ヶ月は新しいフィルムを読み込んでは、トコロテン式に古い写真データをCDに焼く繰り返しで、なんだか面倒なことになっていた。しかし、もうちまちまやるのは耐えられない。

そこで私は考えた(モット大事ナコトヲ考エロ……>自分)。

  1 外付け大容量ハードディスクを買って、写真データを放り出す。
  2 iPodを買って、音楽データを放り出す。

どちらが幸せになれるだろうか。それはもう断然白い箱(笑)。

実はここのところsa10kazu氏のブログで、iPodのことが話題になっていた。彼が「何を買うべきか」で迷っていらっしゃるので、思い切りiPodを勧める言説を展開していた。すると、気がついたら、自分の手元にiPodが来ることになってしまった。不思議である(笑)。どうやら自分で自分を洗脳したようである。:-P

いいのだ。とても幸せな気分になったから。まずは手持ちのクラシックから絶賛取り込み中。

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2004.09.14

華麗過ぎて情けない楽器遍歴

今日の空音楽が好きとか好きでないとか、そういうことを考えもしなかった時期にオルガンを習っていた。幼稚園の頃である。あまり熱心に練習することもなく、小学校に上がったら自然に止めてしまった。その後は長く楽器演奏からは離れていた。せいぜい学校の音楽の授業で習うハーモニカリコーダーを手にするくらいである。

中学校ではフォークギターである。これは長く続いた。いわゆる日本のシンガーソングライターと呼ばれる人の曲からビートルズ(念のために言っておくと、リアルタイムではつきあってません)などの洋楽まで、何でも弾いた。高校時代はサッカーをやりながら、友人とくだらないバンドを組んで、学校の音楽祭に出たりした。実に青臭い日々であった(笑)。ちなみに芸術の選択は美術でした(爆)。

大学では軽音楽系のサークルに入っていた。一方、卒業単位を揃えるために鍵盤楽器が弾けないといけなかったため(バイエル終了程度)、やむなくピアノの練習に取り組んでいた。ところが、そのうちギターよりピアノの方が楽しくなってしまった。安物の電気ピアノ(ヤマハ)を買う。続けて名機の誉れ高いDX7の後継シンセサイザーも手に入れる。これは今でも手元に残してある。もはやまともに指が動かないけれど。

五線紙のような空最初に勤めた職場では同僚とまたしてもくだらないバンド(キーボードで参加)を組んでいた。その一方、クラシック音楽と深くつきあうようになり、自分でも弾いてみたいと思い出す。本当はバイオリンやチェロに憧れていたのだが、さすがに今さらという感じがして、クラリネットに手を出した。初心者が使うにはどうなのよというほどの値がしたが、独身社会人の物欲(&財力)の前には我慢ということばは存在しない。演奏の腕前についてはノーコメント……。クラリネットは一人でこっそり楽しむ。

そしてウクレレである。伝統的なハワイアンはもとより、オータサン、関口和之、iwao、ペティブーカらから最近のつじあやの、ジェイク島袋らまで、ウクレレの音色そのものが好きで何でも聴く。折しもウクレレがクローズアップされ始めた時期でもあった。最初に普及価格帯のフェイマスを手に入れた後、しばらくしてハワイのメーカー、カマカのものを求める。ここ数年では最も長い時間つきあっているものの、人様にお聴かせするほどのものはない。せいぜい子どもの保育園時代に、保護者の出し物で披露したくらいである(よく出たなと自分でも思う……)。

こうしてあらためて振り返ってみると、もう誰がどう見ても「下手の横好き」でしかないことは明らかである。今日のエントリーは「スウィングガールズ」に大いなる敬意を表して、恥も外聞もなく記してみた。こういう情けない過去(今も続いてますけど)を持つ私だから、小澤先生(竹中直人)が吹けもしないサックスをぴかぴかに磨き上げて飾っている気持ちは、とてもよくわかるのであった。

このエントリーの写真、上はノスタルジックな夕焼け、下は五線紙のような電線。いずれも本日夕刻に撮影。

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2004.07.26

カルロス・クライバーを悼む

カルロス・クライバーの姿少し思い出話をすることをお許し願いたい。

クラシック音楽をきちんと聴きだしたのは、二十歳も過ぎた頃であった。それまではせいぜいNHK-FMの番組をエアチェック(懐かしい!)するくらいで、自らCDを買ってまでということはほとんどなかった。通っていた高校は毎年三学期の始業式を大きなホールでのクラシック演奏会(もちろんプロ)にしていたけれど、いずれもふまじめな鑑賞態度で、今から思えばもったいないことをしていたと少しだけ後悔している。

最初に勤めた職場に大変なクラシックマニアの人がいた。自宅のオーディオルームにも何度も招かれ、それはそれはものすごい装置でレアなレコードを聴かせてもらった。その頃の私はもっぱらモーツァルトを好んで聴いていて(CDも大量購入……)、その人にベートーヴェンがいまいち好きになれないという話をしたところ、「これを聴いてみよ」とかけてもらったのがウィーンフィルによる「交響曲第七番」であった。あまりのスリリングな展開に総毛立った。続けて「交響曲第五番 運命」(ウィーンフィル)と「同第四番」(バイエルン国立管弦楽団)を。ただ息を飲んだ。指揮者はカルロス・クライバー。

カルロスのCD以来、クライバーに関わるものは何でも手当たり次第揃えていった。幸か不幸か、クライバーのレパートリーは極端に限られており、しかも商業ベースに乗るものも極めて少ない。正規盤CDはもとより海賊盤、映像関係の類にまで手を広げても、破産に追い込まれることはなかった(笑)。演奏そのものも素晴らしいが、ほとんど舞踏とでも形容すべきクライバーの優美でしなやかな指揮姿は必見である。1994年秋にウィーンフィルとともに来日したカルロス・クライバーの指揮姿を、今から思えば何としてでも観ておくべきであった。

私はクライバーの音楽(というか、クラシック音楽全般)を適切に語る言葉をもたない。表現するものに惹き込まれるか否か、その一点において、対象を判断するのみである。同時代に生きた指揮者たちの多くは、総じてスマートで美麗で心地よい音楽を奏でる。しかし、それ以上のものが伝わらない。もちろんそれは私の側の問題であろう。ただ、だからこそ得体の知れない興奮と絶頂感と幸福を味わわせてくれたクライバーが、私にとって特別な存在であるとも言えるのである。カラヤンやアバドには決してカルロスの代わりは務まらない。

正規に発売されたCDはわずかに12組。クライバーが自家薬籠中のものとした「ラ・ボエーム」「カルメン」「ばらの騎士」の三つのオペラは、ついにCD化されないままに終わった(海賊盤ではある、「ばら」はLD/DVDになっている)。多くの人々から待ち望まれたモーツァルト「フィガロの結婚」(父エーリッヒ・クライバーの十八番)やベートーヴェン「交響曲第九番」もはかない夢と化した。

今は未発表音源の出現することを願い、手元に残された演奏を静かに熱く楽しむだけである。心から冥福を祈りたい。

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2004.07.22

村治佳織「トランスフォーメーション」

村治佳織カルロス・クライバーの訃報に接したその日の夕刻、村治佳織の新作を手にした。これが英デッカでのデビュー作となる。デッカといえば、独グラモフォンと並ぶクラシック界の超メジャーレーベルであり、ここからアルバムを出せるということは、それだけで世界的な実力を持つ演奏家であることを認められたといっても過言ではない。そういう意味でこれまでのアルバムとは価値や重みがまるで違う。まずは若い日本人演奏家の国際的な活躍を喜びたいと思う。

デッカの村治佳織スペシャルサイト

さてアルバム名の「トランスフォーメーション」は変化とか変容という意味であるが、今回のデッカからのデビューを象徴的に表したようなタイトルである。曲目はご挨拶の色合いがやや濃く、誰もが知っているような曲が多く収められている。戦略的(というか商業的)な部分があるのだろうが、あまりにもなじみのある曲なので、安心して聴くことはできるものの新鮮味には乏しい。もちろん演奏そのものに問題があるわけではない。だからこそビートルズやスティングよりも、クラシックギターの王道を行くような曲目もしくはどこまでもマニアックな曲で勝負してほしかったと思う。それだけが残念な部分である。

とはいえ、村治の演奏は私にとっての小確幸、ジャケットの写真も素晴らしく(上のは裏ジャケットの部分拡大、笑)、聴いて、見て、幸せになっている。

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2004.06.24

CCCDでなくなった人々

ちゃんとお金を払って買ったのに自分のパソコンに取り込むことすらできない、変な信号のために音質が劣化している、場合によってはまっとうなオーディオ機器さえ破壊する可能性があるなどと言われるCCCD(Copy Control CD)。音楽業界が自分たちの利益を守るだけのために編み出したくだらない技術である。最初に始めたのはエイベックスであったかと記憶しているが、さもありなんである。もちろんこのレーベルのものは買わない(というか、幸い買ってまで聴きたい人はいない)。しかしながら、CCCDの流れはとどまるところを知らず、他のメーカー、ミュージシャンにまでどんどん広がっていった。愛聴してきたミュージシャンの新譜がCCCDになっていると知った時の絶望感はいいようのないものであった。

今日、ギター奏者の新作CDを2枚買ってきた。押尾コータロー「Be Happy」と小野リサ「NAIMA -meu anjo-」である。実はこの二人のアルバムは前作がCCCDだった。それ以前はそうではなかった。酷く落胆しながら小野のは買うのを諦め、押尾のは怒りに燃えながら仕方なしに買った。他にもCCCDになって買うのをやめたミュージシャンのCDは数知れず。何というか、メーカーの思惑の前に敗れ去った心根が許せないという感じがした。「正規盤の売上を守るため」という大義名分を掲げるCCCDであるが、私と同じように買うはずのものを見送る人も多数いると思う。この仕様にしたからといって売上が伸びるとは到底思えない。

#他に買ってしまったCCCD→クラフトワークとノラ・ジョーンズ……。

何があったのかは知らない。とにかく通常盤に戻っている。大好きなBonnie Pinkも前作はCCCDになって泣いたが(大袈裟)、新作は通常盤になった。会社もミュージシャンもCCCDの不毛さと馬鹿らしさにようやく気付いたということだろうか。まずは喜びたいと思う。エイベックス以下追従する金の猛者たちは、せいぜいバベルの塔でも築いてくだされ。

ところでギターといえば、村治佳織。彼女はなんとクラシックの名門レーベルであるデッカへの移籍を果たしていた。演奏のすばらしさとともにうっとりとみとれてしまう美貌にやられっぱなしである。その村治のデッカでのデビュー作が7月21日に発売になる。待望の一枚である。まさかCCCDじゃないよね……。

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2004.05.10

ううあの歌う童謡

日曜日からの雨は月曜日まで続いている。カーペンターズの「雨の日と月曜日は」を思い出し、ついブルーになってしまうあなたは、もれなく私と同世代です(これもどこかで聞いた台詞だな、笑)。

郵便局まで出かけたついでにいつものツタヤに立ち寄った。新譜コーナーを見るともなく見ていると、「うたううあ」というCDが目に飛び込んできた。NHKの子供番組「ドレミノテレビ」のサウンドトラックである。「もりのくまさん」「きらきらぼし」「アイアイ」「山の音楽家」など、懐かしい童謡がラインナップされている。これだけなら借りるはずもないのだが、ここで驚愕の事実に気が付く。歌っている「ううあ」はあのUAなのであった。「!!!!!!」である。これほどのミスマッチは久々である。

このミスマッチは決して似合わないという意味ではない。これまで展開してきたUAの世界と比較して明らかに異質であると思ったからで、実際にCDを聞くと、その巧みな解釈と演奏、懐の深さに驚かされた。しかも、彼女自身がこの番組に「陽気な歌のお姉さん(ちょっとアレですが、苦笑)」として出演しているというではないか。これは番組も見てみないとなぁ。もしCDを見かけたら、ぜひ一度お聴きになってみて下さい。

それにしてもUAをNHK教育テレビで見るとは思わなかったよ。

一緒に借りてきたCDは「CASSHERN」のオリジナルサウンドトラック盤。こちらも濃い一枚である。

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2004.02.24

佐野元春「VISITORS 20TH Anniversary Edition」

もうずっと以前のことになる(20年も前……)。アンジェリーナ、ガラスのジェネレーション、サムデイなどが好きで、一時期、佐野元春をよく聴いていた。ちょっと癖のある声や歌い方が気に入っていた。アルバムを全部買えるような身分ではなかったので、いつもレンタルレコードで借りていた。懐かしい。

1983年に佐野がニューヨークに渡り、1年後新作をひっさげて帰ってくると知り、そのアルバムは買おうと思った。それがヴィジターズである。1曲目のComplication Shakedownから驚きの連続であった。とにかくまったくこれまでと違う曲調、歌い方に吃驚した。ラップやヒップホップがすっかり市民権を得た今ならなんてことはないだろうが、メジャーなミュージシャンがこの種の曲を取り入れたのは、ヴィジターズがほとんど最初であったらしい。

ただ当時はそんな知識すらなく、妙に心に引っかかるのでひたすら繰り返して聴いていたことだけはよく覚えている。何せ少ない小遣いで買ったレコードだから、聴かないと元が取れないのである。歌詞を覚えてもラップは歌えなくて、変な鼻歌でふんふん唸っていた。

その懐かしいアルバムが20周年記念盤として発売された。全曲デジタルリマスタリングに加えて、アナログ12インチシングルバージョンの曲や当時の映像資料なども、ワンパッケージになってまとめてられている。もちろん手に入れた。こういう昔よく聴いたアルバムを手に入れるのは、思い出を取り戻すようなもので、曲そのものの懐かしさと同時に、あの頃の自分が生々しくよみがえってくる。しばし懐古モードで浸りたいと思う。

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2004.02.21

村治佳織「エステーラ」

無条件に好きだと言えるものはどれくらいあるだろうか。「好き嫌いが激しい」と友人に言われた私だからあまり説得力はないと思うけれど、若きクラシックギター奏者である村治佳織は無条件に好きである。

初めて彼女の演奏を聴いたのはFM放送である。5枚目のアルバム「カヴァティーナ」を出す直前だった。1998年秋のこと。アルバムの1曲目に収められている「サンバースト」(ヨーク)の見事な演奏に魂を貫かれた(という言い方をよくするので、これまた友人に冷やかされることが多い)。どんな演奏家かまったく知らないまま、発売直後の「カヴァティーナ」を買い求め、そのアルバムジャケットにまたしても魂を貫かれた(しつこい。いや、まぁ、いいじゃないですか、誰でも好きなタイプというのはあるものですから)。以来、7枚のCD、1枚のDVDを揃え、飽きもせずに聴き続けているわけである。ちなみにクラシック・ギター界では世界的権威を持つとされる東京国際ギター・コンクールで史上最年少優勝(14歳)を果たしてもいる。レパートリーも幅広い。私のような素人が言うのも何なのだが、ギターの技術は確かである。

その村治佳織がデビュー10周年を記念して、自らの選曲になるベストアルバムを制作した。それが今日発売の「エステーラ」である。収められている曲は公式サイトで確認されたいが、すべて既発売のアルバムに入っているものばかりである。「なぜ買うのか」と聞かないでいただきたい。初回特典のブックレットがついているからということを理由にはしない。ほしいから買いました。興味のある向きは公式サイトにサンプル音源もあるので、ぜひお試しいただきたいと思う。

今日はいつも以上に軽薄な文章でした(笑)。ご寛容くだされ。

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